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最初に
「戦ってみせます。戦って、勝って、そしてやはりあなたを大王として迎えますぞ!」
そう言い残して一団は異形の怪人の
スクナが残った者たちに指示を与えて全軍が山を降りることになったのは、昼も過ぎてからだった。それぞれが額ににじむ汗を吹きながら、大蛇のごとき軍勢は山からわずかな平地に降りて、
このあたりの丹生川は左右が平らな土地であるのにもかかわらず、水は遥か下の方を流れている。覗き込むと小さな川の流れは巨岩を左右に避けながら、ある時は白いしぶきをあげ、あるいは濃緑色の川底を見せつつ、水は勢いよく西へと走る。やがて宮川と合流すれば、軍は今度は逆に川上の方へと南下することになる。
「
行軍の途中でモリワケが、スクナにそっと耳打ちしてきた。
「あの先程の、奇妙な一団のことですがね」
歩きながらも興味深そうに、スクナは首を守別の方に向けた。
「あの連中は渡来人やさ」
「やはりな。でもなぜそう思った?」
「実は
「なぜそのようなことが分かるんだ?」
「あの彼らの幟や。あそこに描かれていた異形の怪人は、まさしく蚩尤の姿なんやさ。彼らはそれを両面宿儺にかこつけているだけなんやさあ」
「やつらも所詮は、難波と同じ穴のむじなか。虎視
吐き捨てるように、スクナはつぶやいた。
宮川との、合流地点まで来た。ここは少しは広い盆地になっている。そして早くも下流、すなわち北の方から大軍が押し寄せてくるのが見えた。
足を止め、誰もが固唾を飲んだ。弓に矢をつがえる者もいた。
「待て」
と、スクナはそれを制した。
「敵なら、南の
そうつぶやきながら宿儺が全軍を停止させると、北から向かってくる軍勢の中より、一人の雑兵が手を振りながらこちらへと駆けて来た。
「我われは
「おおッ!」
息を切らしてうずくまる雑兵の言葉に、スクナは顔を輝かせた。
「かたじけない。ともに守ろうぞ。越の国と日玉の国は表裏一体、ともに超太古は神都だった所やさ」
宿儺はいたわるように雑兵の肩に手をかけて、静かに立ち上がらせた。越の国の軍勢はおよそ三万。これで総勢十万にはなったであろう。その軍勢に向い、宿儺の大音声が飛ぶ。
「これでそろった! 越の国と日玉の国の二つの顔が、太陽の下にそろったのだ! これが本当の両面
すでに用意されていた旗が、はじめて揚げられた。異形の怪人などではなく、はっきりと「両面宿儺」の四文字が書かれている。そして文字の上には、黄金の十六光条日輪紋が輝いていた。
「十六光条日輪紋は、超太古に日玉の国にござった世界大王の印ぞ! この国から全世界に、十六人の皇子が派遣されたことを表す神紋ぞ!」
軍勢から一斉に、
十六光条日輪紋――後世には勘違いされて十六弁菊花紋などといわれるこの紋は菊の花ではなく十六条の太陽の光条を表しているのだが、難波の朝廷は見たこともないはずである。
「進め! 守れ!」
宿儺の声に十万の軍勢は宮川の上流へと、位山の方角に向かって意気揚々と行軍をした。盆地はすぐに終り、川の両側に山が迫る。
「伝令ーッ!」
前方より、一兵卒が駆けて来た。
「先に敵に当たった洞窟族の一派は、朝廷軍に正面きって戦いを挑みましたが全滅。朝廷軍は位山を占拠した規模です」
「何ッ!」
スクナの顔がみるみる赤くなった。口びるをかみしめている。
「遅かったか」
ぽつんとつぶやいた宿儺だったが、すぐに
「進めッ!」
と、再び指示を全軍に出した。
「ひるむなーッ! 守れ! 守れ! 神国日玉を守れーッ!」
スクナの怒号が飛ぶ。敵は三十万は下らないようだ。迎え討つ日玉・越の連合軍は十万。三分の一ほどで、しかもまともな武器はなく、護身用の斧や
「守れ!」
位山が頭を霧の中につっこみ、雲行きも怪しくなった頃、宮川の河原で軍勢はがっちりとスクラムを組んで壁を作った。しかし相手は先進国たる新羅式の甲冑で身を固め、鉄剣などの最新式武器でもって攻めてくるはずだ。しかしこちらは武器も十分ではなく、軍勢といっても皆農民で本物の軍隊ではない。ただ十六光日輪紋と「両面宿儺」の四文字の旗があちこちに林立し、それだけが相手を圧倒しそうだった。
朝廷軍は近隣の村々を焼き払い、村人を殺し、娘は犯し、食糧の強制調逹をしながら、怒濤のように押し寄せてくる。そしてついに宮峠の方から、盆地へとなだれこんで来た。
戦いというよりも、むしろ虐殺に近かった。斧や鍬だけで迎え撃つ日玉の農民勢は、防御の壁がどんどん破られていく。日玉の大地が彼らの鮮血で真っ赤に染まっていく。そしてその
これでは日玉の農民たちがたとえ真っ当な武器を持って抵抗したとしても、勝ち目はなかっただろう。
神都日玉の国が、倭国を占領した占領軍、難波の朝廷の支配下になる。
涙がスクナの目にあふれてきた。これ以上日玉の民の血を流したくはなかった彼は、誰もが耳を疑うような下知を下した。
「全軍、退却!」
追撃はすさまじかった。矢が背後から飛んでくる。後ろから攻撃されるということは、人間の本能上この上ない恐怖だ。
皆、駆けた。一目散に駆けた。敵はそれでも、執拗に追ってくる。
丹生川の上流へと、もう万に満たない数になってしまった軍勢は逃亡した。
誰もが、最後の砦を求めていた。そしてそれは洞窟だった。
丹生川の上流の、そそり立つ山と山の間の谷に、いつかスクナが連れて行かれた鍾乳洞がある。そこに集っていた一団は、すでに潰滅していてもういない。
スクナは軍勢を鐘乳洞に隠した。そして自らは、鐘乳洞の裏山をよじ登りはじめたのだ。木々は充分山を覆ってはいるが岩山で、ほとんど垂直の斜面だった。一歩足をすべらせたら、まっさかさまに遥か下の地面に叩きつけられることになる。
崖の上には、もうひとつの洞窟がある。汗をぬぐいつつ、やっとスクナはそこまで登ってきた。これからのこの国のことを静かに考えたくて、彼はこの洞窟を選んだのだ。
洞窟の入口からは、重なり合う日玉の国の山々、宮川付近の盆地が手にとるように見える。緑で覆われた山に囲まれた、静かな平和な里。そればかりではなく、超太古の歴史を秘めた世界の神都。
スクナはそんな大地を見つめ、肩で息をしながら目を閉じた。頬に流れるのは汗だか涙だが分からない。
――わりゃあ両面宿儺になれ!
爺の声が、頭の中に蘇る。
日玉の国の危機に現れて、救ってくれるはずの守り神、両面宿儺。その両面宿儺は現れなかったし、自分もなれなかった。この国を守ることもできなかった。しかし彼の中にわずかだが満足感があった。
いつか必ず――彼はそうつぶやいた。
目を明けると、とうとう朝廷軍が大拠して、山の麓まで到っているのが見えた。
大将らしき人が、下から大声を張り上げる。
「村長殿に物申す。自分は朝廷軍の総大将、
「おう!」
と、宿儺は答えた。
「なぜ粗末な武器で我われの前に立ちはばかったのか。それでこの国を守れるおつもりだったのか!?」
「勝てるとは思っとらんかった。こうなることは分かっとった。しかし何もせずにはいられなんだ。愛する国土を自分たちの手で守りたかっただけだ。今ここで死んだとしても、俺は満足や。愛する者のために、何かをしたもんで。それに俺は信じている。望みは捨てとらん。いつか必ず世界の神都は復活する!」
宿儺はそこで一度言葉を気って、空を仰いで大きく息を吸った。そして再び、目の下の武振熊に向って叫んだ。
「御大将、一つだけ願いがある」
「おう!」
「下の洞窟の中にいるこの国の村人たちは、朝から何も食べていない。彼らに何か食べ物を与えてやってくれ」
そして再び彼は目を閉じた。そしてまぶたの裏に、日玉の国にいつかはそびえる巨大な黄金神殿の屋根がはっきりと映った。
その黄金の神殿に向かって、希望とともに彼は跳ねた。国を甘んじて敵の手に渡したりせず、彼なりの抵抗を全うするために選んだ道だった。たちまち体は逆転して、頭から地にひっぱられる。
神都日玉の再興。落ちていきながらも彼は頭の中で、それだけを強く念じていた。
江戸時代になって円空という僧が霧の海の山――千光寺で、両面宿儺像を刻んだ。その材質は
あすなろ――
翌檜の木の宿儺像は手に斧を持ちがらも、いつかはという希望と信念をそのふくよかな顔に秘めているようにも見える。
いつの日か必ず檜ならぬ黄金にて日玉の国・
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『日本書紀』巻第十一 仁徳紀六十五年条
「飛騨ノ国ニ
(両面宿儺 おわり)
両面宿儺 John B. Rabitan @Rabitan
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