これは死んだあんたへ贈るラブレター

ユラカモマ

これは死んだあんたへ贈るラブレター

 朝、いつも一分前に来る生真面目な担任がチャイムが鳴っても来なかった。三分経つ頃にはどうしたんだろうかと教室にざわざわざわめきがうまれる。後ろに座るあかねにセーラーの襟を引っ張られた瑞葉みずはもその一部だ。

猿吉さるよし、寝坊かな? それか最近暖かかったからへそ出して寝てお腹壊したとか?」

「あははっ、猿吉だもんね! 私はバナナの食べ過ぎだと思うな。だってこないだの花見でもチョコバナナ二本買ってはしゃいでたもん。」

「そんなことしてたの? いいなー、私も花見行きたかった。」

 瑞葉は羨ましそうにしながら空の左隣、普段猿吉ー本名・日吉秀ひよししゅうの座る席を見た。先日クラスの親睦会を兼ねた花見があり、クラスメイトの大半が参加したのだがあいにく瑞葉は習い事が重なり行けなかったのだ。

「あたしも瑞葉いなくて寂しかったよー。ね、今度はイツメンで花見行かない? あずと千尋誘ってさ。暇そうなら猿吉も連れて、久々にご近所大集合しよう!」

「いいね! でも猿吉中学上がってから付き合い悪くない? 来るかな?」

「まぁ猿吉はどっちでもいいじゃん。いたら荷物持ちしてくれるしいなかったら女子会しよ! 女子会!」

 あかねはそう言ってあっけらかんと笑った。瑞葉は声が大きくなりだしたあかねにひやひやしながらちょっと寂しさを覚える。小学生だった頃は猿吉含め日々皆で学校から帰って遊んでいたのにいつの間にか男子とか女子とか区分が別れてしまった。中二になった現在、猿吉はほとんど瑞葉たちに絡まない。あかねたちもそういうものと気にしていないようだが瑞葉はどうにも物足りない感じがする。

(いつかまた前みたいな関係になるのかな? それともずっとこのままなんだろうか?)

 そんな風にあかねと話ながらぼんやり先のことを考えていたらいつもの十倍真面目な顔の先生が十五分遅れて教室に入ってきた。教室の空気がピリリと変わる。先生は教壇に立ってクラスを左端から右端から見渡し、端から四列目後ろから四番目の猿吉の席を見て眉をひそめた。不機嫌そうな様子に隣の席の瑞葉たちまで脈が速くなり目をそらす。しかし恐い!形相で数拍猿吉の席を見ていた先生は予想外に静かに話を切り出した。

「皆さんに大切な話があります。このクラスの日吉秀くんが亡くなりました。」

 ゆっくりと重々しい言葉はクラスの空気をこれまでにない位重くした。普段ならここで猿吉や他のノリの良い誰かがエイプリルフールは終わりましたよ? とか言い出してもおかしくないのにまるで早くも通夜のように静まり返っている。先生以外誰も口を利かない異例の状態の中、困惑の視線が空いた真ん中の席に集中して瑞葉は胸に穴が開くような感じがした。

「通夜は今夜津田川沿いの○○会館で、葬儀は明日同じ場所で行うそうです。明日の3、4限に皆で焼香に行きますが通夜の参加は自由です。通夜の時間は追って連絡します。」

 キーンコーンカンコンキンコンカンコン。

 先生の話し終わりと同時に朝の会終わりのチャイムが鳴った。それでクラス中金縛りが解けたように空気が揺れ出す。あかねの取り乱した声や誰かの鳴き声が遠く聞こえた。


 いつもは長い授業時間も含めて一日がとても短く、気づくと家に着いていた。心配そうに様子を伺う母をリビングに置き去りにして瑞葉は自室のカーペットの上に座り込む。握ったスマホには皆で通夜に行こうというあかねのラインとそれに賛同するクラスメイトたちの返信がひっきりなしに届いている。また瑞葉にはあかねから個人でも行くよね? とラインが届いていた。行くよ、たった三文字打てば良いだけなのに体が固まってしまって増え続ける通知をぼうっと見続けてしまう。行くよ、行くよ、あいつの好きだったもの持っていってやろう、バナナか、通夜にバナナ?、いいけど全員が持ってったらえらいことになるから誰か代表で買った方がいいと思う、後手紙とかもいいんじゃない?、写真も入れて良かったっけ?、写真はダメだろ、バナナ俺買っていこうか?、私も行く、格好は?、制服でいいんじゃない?、場所と時間って...。どんどん流れて進んでいく。でもクラスで賑やかにしているとすぐ混ざり込むはずの猿吉のゴリラアイコンがいつまで待っても出てこない。メンバーを確認すると確かにバナナを握りしばきたくなるようないい笑顔のゴリラのアイコンが確かにあるのにもうこのゴリラは喋りはしないのだ。泣きそうなのにこのゴリラを見ていると笑いそうにもなって変な顔になってしまう。小刻みに震えながら両方堪えていると階下から母が声をかけてきた。

「瑞葉ー! お通夜行くの? 行くならもう準備しないと六時からでしょう?」

「行くー!」

 反射でそう答えて時計を見るともう出なくてはいけない時間だった。帰ったときのまま制服だが手紙も何も用意ができていない。あかねからも行かないの? と重ねてラインがきているし何もかもごちゃごちゃしたままローファーを履いて家を飛び出した。会館に着くともう半数ほどは集まっていて多くは手紙やらなんやらを手にしていた。はたまた会館の人が用意してくれていた便箋に筆を走らせている人もいる。瑞葉も便箋を貰った。しかし何を書けばいいのか浮かばないまま時間がきてしまい、慌てて「安らかにお眠りください」なんていう他人行儀なフレーズだけ書いてお棺に納めることになってしまった。もし猿吉が読んだなら大爆笑で永遠にネタにされるだろう。別人のように白くおとなしくなった猿吉を見ながら瑞葉は馬鹿みたいに笑う猿吉を必死に思い出していた。隣ではあかねと千尋がぼろぼろ大声で泣きじゃくっている。あずも猿吉に切れることなく何か言っていて他にも沈痛な面持ちの人間が眠る猿吉を取り囲んでいる。瑞葉はこの場において特別な人間ではなかった。それが嬉しく、また悲しくもあった。

 翌日猿吉は滞りなく火葬され程近い墓地に葬られた。学年団で行った焼香は一瞬で終わり参加した時間は通夜より圧倒的に少なかった。それでも昨日泣いていた面子は同じようにまた泣いて式の悲壮感を高めていた。 


 猿吉の通夜から一週間、その間に猿吉の死の真相というものが生徒間で密かに共有された。先生は明言されなかったが花見に参加したクラスの何人かが先生に呼び出されていた。なんでも猿吉は花見の際ふざけて桜の木に登っていたところ足を置いていた枝が折れて落下し頭を打ったらしい。目立って重症ではなく枝も折ってしまったことから知る者の間では黙っておこうとなっていたそうだ。猿吉はその日「これこそまさに猿も木から落ちるだな!」と言って居合わせた皆を笑わせたらしいが今となっては苦笑いする他ない。大体中学生にもなって木登りとは子供っぽいにもほどがある。瑞葉は空きっぱなしの隣の席が視界に入る度、ムカムカと猿吉のことを思い出した。けれど猿吉がその席に座ることはもうなく、皆が猿吉のことを口に出すことも次第に減っていったので瑞葉のムカムカは瑞葉の中に貯まる一方だった。そのため瑞葉は正方形の黄色っぽいメモ帳を用意してそこに猿吉への怒りを書いてみた。

 

 猿吉こと日吉秀君へ

 久しぶり、元気? 私は元気。隣の席が突然空いたせいでちょっと不便はあるけど皆と楽しくやってるよ。 今まで手紙書けなくてごめん。突然だったから、混乱して自分の気持ちに整理つけるのが大変だったの。猿吉が死んでから私毎日猿吉のこと考えてるよ。何かあると猿吉がいたらってすぐ思う。寂しい。もう一度会いたいよ。まるでラブレターみたいでしょ? そうだよ、これはラブレターだよ。でも残念、猿吉死んじゃったからもう読めないね。驚いた? 私もだよ。猿吉が死んでから気づいたんだから仕方ないでしょ。ふざけてるとか言って笑わないでよ? 本当に好きだから。  

                 瑞葉


 少し乱暴な字になってしまった手紙を斜め半分に折って少し折り返して折り込んでバナナを作った。それを持って花見会場であった津田川の河川敷へ向かう。猿吉が枝を折った桜の場所は前もって聞いていた。


 津田川の河川敷はこの町一番の桜の名所だ。百本を越える桜の木が河川敷のあちこちに植えられており桜の季節にはピンクの絨毯が一面に敷かれる。もう5月だから完全に葉桜になってしまっていて花見客は誰もいなかったけれど代わりにある桜の根本に黄色いバナナが三房置かれていた。何食わぬ顔で立つ桜の木。見上げると上の方の枝が半ばで折れており確かにこの木が猿吉の登った木だと分かる。

「猿吉、愛されてるね。」

 瑞葉はその一番下の枝にメモを折って作ったバナナを葉で隠すように置いた。目を閉じて手を合わせると今でも上から猿吉がおどかしに飛び出でくるのではないかと思う。いつもくだらないことばっかりやっていたけれどメンタルが弱ってるときには一生懸命そばで励ましてくれたから。

「なんで死んじゃったの? ほんっとバカなんだからぁ...。」

 へなへなと情けない声。視界も滲んで霞む。外だし、みっともない。けれど我慢はできなかった。瑞葉は初めて声を上げて泣いた。足下にある黄色いお供え物もぼやけてどんどん見えなくなった。まるで時が止まってしまったみたい。

「ごめん。」

 唐突に上から声が降ってきた。瑞葉ははっと上を向く。ぼんやりとしたピンク色が視界いっぱいに広がってあった。

「猿吉?」

 瑞葉は慌てて袖で涙を拭う。赤い目をまばたきしながら見上げるともう桜のような一面のピンクはなくなっていた。そして黄色いお供え物も。

「え?」

 すっとんきょうな声を上げ、桜に駆け寄ってさっき置いた手紙を探す。...ない。

(驚いたか?)

 今度は背後から笑い声が聞こえた気がした。振り向くとそこには

「あー! 瑞葉ー!」

 クラスの皆が居た。手にはやっぱり黄色いバナナを持っている。中でも大きなバナナを右腕に抱えているあかねはぶんぶんと瑞葉に手を振る。振り向いた瑞葉は驚いて右往左往したがその背を優しく春風が押した。

(猿吉...)

 瑞葉の目からぽろりと一粒涙が溢れる。この風はきっと猿吉の返事に違いなかった。あかねに向かって駆け寄る直前、瑞葉は桜の方をちょっとだけ振り返った。すると誰もいない背後から追い風が吹く。

「好きだったのに、バカ。」

 そう吐き捨て瑞葉は今度こそ走り出す。その背後では新緑の葉が悪戯な風を受けて別れの曲を奏でていた。あるはずだった未来を惜しみながら...。

 




                       

 

 

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