第4話 契約
陽の下で見ると頭巾の生え際から覗くマーゴの髪は栗色であり、瞳はブルーグレーだった。姿勢が良く、猫背気味なチャドとは身長差があるようには見えなかった。顎はやや尖り気味できつい印象を与えるが、肌はふっくらと滑らかで綺麗だった。先に早足で歩くマーゴの横をチャドは必死について行った。
「私の曾祖父はイングランド人よ。
チャドはマーゴの言葉に頷くので精一杯だった。実はチャドの祖先もイングランドから流れてきたのだが、それは後で話すことにした。
「父が病で亡くなって母は※ベギン会に入ったわ。そこでも生きていけるとは思ったけど、私はギルドに入りたかった。襞襟の徒弟に入って修行したわ。でもギルド試験で
物騒な台詞にチャドが思わず立ち止まると、マーゴも足を止めてチャドを振り返り見た。
「……次の襞襟職人の親方は私がなる。あのババアを引き摺り下ろすわ」
ああ、この目だ。
鋭く燃えたつ氷の炎を、チャドはマーゴの青い瞳の奥に見た。
この炎を俺は間近で見たいと思ったのだ。
チャドがゆっくりと頷くと、マーゴは目を細めてチャドをじろじろと見た。
「コッドピースはもう終わりよ。それには当然気がついているんでしょう? 今は全てが
マーゴはチャドに近づき、顔を付き合わせてはっきりと言った。
「貴方は私の夫よ。悪いようにはしない」
チャドは頷くしかなかった。
「
また先へと歩こうとするマーゴの手をチャドは急いでとった。
「手を繋ぎたいんだ、いいかな」
「……いいわよ」
マーゴは小さく呟いて少し俯いた。手荒れの出血などで襞襟を汚さぬよう、よく手入れはされているが冷たく分厚い皮の職人の手だった。マーゴの頬がほんのり赤く染まるのを見て、チャドは可愛く思った。
「君の作る襞襟は最高に美しい」
「当然よ、誰よりも時間と魂を込めているもの。……貴方も。前開きのコッドピースを作るのは貴方でしょう。いい仕事をする職人だといつも思ってたわ」
最後になるにつれて徐々に小さくなった声の言葉にチャドは微笑んだ。マーゴが手を握り返すのに、チャドも更に力を入れて握り返した。
「カムリーヌソースは、フランス風とイングランド風、どちらが好き?」
「……イングランド風よ」
「良かった、同じだ。俺も君と同じでイングランドから流れてきた家系なんだ」
「そんなことは分かるわよ、名前で」
呆れたように答えるマーゴに構わず、チャドは軽い足取りで先へ歩いた。市場に近づき、客を呼び込む商人たちの声が元気に聞こえてきた。
はい、いかが! ニシンの燻製、新しくて白いよ!
朝採りクレソン、レタス、新鮮だ!
ブリーのチーズ、シャンパーニュのチーズ!
お買い得は、ウナギ! 安くしとくよ。
赤いリンゴ、梨、梨、梨! とれたて!
見なよ、この美味しそうなイチジク!
こっちは外国産のぶどうさ、どうだい? 食ったことあるかい? 珍しいだろう?
おや、お二人さん、どうだい、出来立ての熱いパテ、熱々ウブリ! 少し食べて行かないかい?
にんにくたっぷり入ってるよ、おや、そうかい。
よし、マスタード入った酢は? ああ、カムリーヌソースの方?
よし、こりゃあ、今朝作った作りたてだ!
姉さん、菓子ならなんでもあるよ、ウブリもつけときな!
さあ、シードルはおまけだ! もってけ!
さあ、お似合いの男女に乾杯!
お二人さんの未来に乾杯、乾杯、乾杯!
※ナイトマン……糞尿処理人。その仕事内容ゆえ、業務時間が夜間に定められ、ナイトマンと呼ばれた。重要な仕事であったのにもかかわらず、差別の対象となった。
※ベギン会……フランドル地方にあった、半聖半俗の女性団体。寡婦や独り身の女性などが助け合って一緒に暮らしていた。事業を行なったり、仕事の斡旋などもしていた。
※親方……数は少ないが、職種によっては女性の親方も存在した。
※スペイン袖……エリザベス1世が好んだ袖。たっぷりとボリュームのある取り外し可能の袖。
コッドピース職人と襞襟職人 青瓢箪 @aobyotan
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