四章 鎧袖一触


「お兄ちゃん、おかわり」

 カザクラが器を机の上に差し出した。ドテンのアマダビル最上階にあるビアガーデンは今日も乾いた風が吹いている。中流階級の労働者が酒を酌み交わし、鳥の丸焼きなどにしたつづみを打つ。

「おーかーわーりー」

 カザクラがフォークの柄で机をたたいた。

「あんたそれ何皿目?」

「ん? 六?」

「ここ、おかわり自由じゃないよ」

「へぇ……。おかわり!」

「あのね、タダじゃないの! お金がいるの! パンも、さっきあんたが平らげたとりにくも!」

「おかわり!」

「駄目」

 カザクラは?を丸く張った。

「なんで」

「お金ないし」

 カザクラはじーっと抗議のまなしをフウに送った。

「自分だけ隠れてステーキ食べてたくせに」

「うっ……」

 馬鹿な、ばれた。

「私が寝てるときにー、こそっと抜け出してー、一人で夜食たべてー」

「わわわ、私は頭使うから、その」

「いいですよー。カザクラはフウの命を何回も救ったけど、賞金首も捕まえたことあるけど、おなかいっぱいにはなれないんだねー。頭つかわないからねー」

 カザクラは子供の様にぷいっと顔を背けた。

 フウはポケットをまさぐり、一万オウチ紙幣を机の上にたたけた。気迫のこもった視線で店員をにらみつける。

「店員さん! 肉食べ放題コース!」

「か、かしこまりました」

 店員は逃げるようにオーダーをちゆうぼうに届けに行く。

「今月最後のぜいたく、分かった?」

 カザクラは指を鳴らしてニコニコ笑う。

「よっ、だいふごー!」

 フウは勢いに乗せられたことを後悔して、「やっちまった」と頭を抱える。

「こうなりゃヤケよ、胃袋が破裂するまで肉をらってやるわ」

「いいぞいいぞー、ふとっぱらー」

 やけくそとはこのことである。二人はありったけの肉をらい、しばし至福の時間に心と舌を委ねた。

「あー、幸せ」

 おなかをさすさすしながらカザクラは天を仰いだ。

「いやあ、ここで一句みたくなりましたなぁ」

 カザクラはラジオで俳句を知って以来それにハマっている。もともと戦闘モードに入ると、たまに短歌っぽいものをんでいるのでその影響かもしれない。廃棄された紙を四角く切って作ったたんざくを書いていく。

「できました」

「聞こう」

「お兄ちゃん ムネ肉食べても ペッタンコ」

「合格」

 フウはたんざくを奪い取ると真っ二つに引き裂いた。

「はあぇえー!?」

 カザクラの声が裏返る。「わたしのめいくがー」と嘆くカザクラを尻目にフウはコンテナに戻った。


 二人はひとずコンテナに戻り、二つの椅子に座って向かい合う。

しばらくは安肉だよ」

「えー。やすにく嫌い」

 机には、さっき近所で買ってきた「ムシムシミンチ」と書かれた市販のパックがある。昆虫のあいびきにくらしく、安価なたんぱくげんとしてチオウに流通している。

「あんたホント安肉食べたがらないわよね。虫は普通に食べれるのに」

「とれたて昆虫は新鮮だもん。こっちは生臭い」

 たしかに安肉は独特の生臭さがある。フウもあまり好きじゃなかった。

「で、どうする。正直これ以上賞金首を逮捕し続けたらそのうち目つけられるよ」

「そだね。えーっと、どうしよう」

「まずは状況を整理しないと」

「ちょっと待ってね……」

 例の言葉のあと、カザクラの補助知能が起動し、顔がキリとした表情に変わる。

「そろそろ捜査態勢が整う頃です。資金、人員、そして他の組織との調整」

「やっぱりテロをぶちのめしたのはまずかったんじゃない?」

「仕方ありません。銃を乱射しようとしてる人を制圧したらたまたまテロ組織の構成員だったので」

「たしかにそうだけどさ」

 テロリストは野盗と違って自分の理想とする社会を暴力で実現しようとする。その理想のためであれば罪のない人間がどれほど死のうと構わない。ある意味チオウ政府よりも人を殺している連中なのだが、そのほとんどが貧困層から生まれている事を知っているフウは彼らに複雑な気持ちを抱いている。

「いずれわたしたちもテロリストみたいな生活をしなくちゃいけなくなるわ。私が味方に付いていることが知られたら、検問所も潜れなくなる。指紋認証ができなくなるから。追っ手も今はサイレッカだけだけど、クロミカズチやデンキモグラに協力を要請するかもしれない」

「彼らは犯罪捜査のプロです。動き出せばあっと言う間にコンテナは特定されるでしょう」

「そうなればわたしたちは管轄区どころか穴倉で暮らさなきゃいけなくなるわ。いや、それすらできなくなるかも」

 重い沈黙が続いた。

 チオウにはいられない。であれば、どこに逃げればいいのか。

 チオウ以外の国は滅びている。資源の無いびようぼうたる地平へ二人で逃避行をしろというのか。カザクラはそちらの方を是としている節すらあったが。

「そうなる前に、マスターは私と縁を切っていただいても大丈夫です。私に慈愛をささげて下さった恩に報い切れたとはいえませんが」

 カザクラの戦闘力は金になった。フウの財力はカザクラと会う以前の数倍に膨れ上がっている。損得勘定で言えば、今の所かなり得をしていた。ここでカザクラと別れれば、犯罪者になるという汚点も無かったことにできる。いわばフウはまるもうけだ。

「うん分かった。切る。ばいばーい」

 とフウは手を振った。カザクラは目を潤ませ、顔を伏せる。

「……ほら、本当は別れたくないでしょ?」

 フウはニッと悪ガキっぽく笑った。

「ここでアンタを切り捨てるほどじゃないわよ。馬鹿な事言ってないで最善の方法を探しましょう」

 カザクラはむすっとして首を縦に振った。

 とはいえ妙案は浮かばない。何から手をつけていいか分からないのは、典型的な手詰まりの症状だ。二人はまた、長い沈黙を作る。

 ラジオの〈社会代謝機構〉からはマユミ女史と進行役のアナウンサーが軽妙な語り口調で講義を続けていた。

『さて、リカードの比較優位ですが、以前も何回か解説してらっしゃいますよね?』

『ん、ああ。そうね。まあ貿易の大原則だし』

『この番組では貿易の話はよく出てきます』

『貿易無しじゃ国際社会は語れないからねー。精密な工業製品が低価格で手に入るのは貿易のたまものだし』

『マユミさんは貿易実務に携われていた経験があるとか』

『あるわよー。この国のインボイスの様式のややこしさと言ったら』

 とまたマユミ女史は愚痴をこぼし始めた。

「比較優位?」

 カザクラが興味の触手を伸ばした。

「あんた比較優位の話、知らなかったっけ?」

「人工知能の補助は言語能力と論理的思考の強化のみで、一部の例外を除いてデータベース自体は以前の状態と同じですから」

「そうなんだ。比較優位ってのは簡単に言うと、その国が得意な商品を作った方が全体的に効率がいって話よ」

「国が得意な商品?」

「うーん、例えばカザクラが玩具作りが得意で、私が料理が得意だとするじゃない? そうなれば、二人が玩具と料理を頑張るより、カザクラは玩具屋さんになって私が料理人になった方がより稼げるでしょ?」

「家事分担の規模をより大きくしたようなもの、と考えてよろしいですか?」

「そういう事ね」

『近代型の国家は貿易無しには成り立たないと』

『成り立たないわねー。中世の交易とはちょっとレベルが違うわよ。原材料も部品も外国で作って組み立てだけ自分の国でやる、なんてのはザラだし』

「今マユミさんが言ったように、多くの資源や商品を輸入することで国というものは成り立っているらしいわ。きっとチオウも……」

 そこまで言って、二人は目を見合わせた。

「そう言えば。この国、どうやって成り立ってるんだろう」

 地上に存在する国はたった一つ。ならば輸入など当然できないはずだ。チオウは神と同一人格である王がその神秘的な力で人々に恩恵をもたらしている、とされている。フウはそれを信じてはいなかったが、チオウの産業構造自体に強い疑問を抱いたことはない。ラジオを手に入れてからも日々を生きるのに精いっぱいで、そんなことを考える余裕なんてなかった、というのもある。よくよく考えれば、サバイバルやかねもうけ以外に知識を使うこと自体、フウにとっては新鮮な事だった。

「そういえば……ちょっと待ってて」

 フウは部屋の奥の本棚から一冊の本を出してきた。それはチオウで多くの税金を納めている上等階級の教科書である。上等階級は一五年で十科目の教科を学ぶ。フウはその全ての科目の教科書を所持していて、熟読している。

「臣民生活の教科書についてなんだけど」

「臣民生活、とは」

「いわゆる社会科よ。政治、経済、の知識。それが神話とからめてつづられている」

「神話とからめてとは、また奇怪な」

「例えば需要と供給による価格の変動は、神の意思が働いているとこの国で言われるわ」

「広義的な意味での科学に神様の威光を働かせたということですか」

 カザクラの言う科学、とは特定の分野に対する研究活動。すなわち、あらゆる学問を指している。『科学という言葉は物理や化学などの自然科学を指して使われる事が多いわ。けど、政治、経済、社会も本来は科学なのよ』とはマユミの弁だ。

 そして、チオウでは理科も社会も数学も国語も神が作ったモノとされていた。

 例えばこの国では闇が神聖とされている。それは、「光が電磁波の一種であり」……という理解があり、「そうした電磁波を生み出すのは神であり、光を生み出す神は当然光の無い闇と同じ色をしている」とされるからだ。光をはじめとする自然現象が得体の知れない神聖なものだった古代の神話と違い、チオウの神話は科学的常識を一旦認めてそれを全て神の仕業にする。

「この国では粒子だろうが波動だろうが全て神の化身たる王さまの偉業よ」

「それについてはよく分かりました。マスターは社会科の教科書を出したのですか?」

「これを見て」

 フウが指差した文字をカザクラは目で追った。

もつ?」

「そう。臣民教育にはもつっていう単元があるんだけど、これについて思う所があるの」

 もつ──それは神にささげられる、品物の総称だ。

「この国では、神に物をささげてそれと引き換えに金銭を受領するシステムがある」

 これは国から「これが欲しい」と要求されることもあるが、企業自らがもつささげることも認められている。

「逆に神から品物を与えられそれを金銭で買う方法もある」

 人や企業は神にもつみつぎ、その対価として金銭や物品を得る。

「まるで神様相手に商売をしているかのようですね」

 フウはじっとカザクラの目をのぞんだ。

「このもつの話から神様の存在を消すとどうなると思う?」

 カザクラは腕組みをする。一つ、ラジオによると国家は国同士の取引をしていた。二つ、この国はもつと称して様々な物品を集めている。カザクラはしばらく考えた後顔を上げる。

「貿易をしている?」

「確証はないけど。でも、その可能性はあるんじゃないかしら」

「他の国がもしあるなら、」

 フウはうなずいた。

「逃げる場所がある」

 このチオウに逃げ場などどこにもない。かといって砂漠に逃げるわけにもいかない。だが、もし他の国が存在するのであれば、亡命という選択肢が生まれる。

「もし、チオウ以外に残っている国があるなら、希望があります」

「ドテンの王立図書館に行こう」

「王立図書館?」

「上等階級しかアクセスできない図書館よ。そこにヒントがあるかもしれない。他の国があるという確かな証拠を?つかむんだ」

「そうですね。それがいいと、思います」

 そう言うとカザクラはうとうととした表情になる。

「そろそろ眠ります」

 フウはそこに違和感を抱いた。

「もう? 前までこの時間は起きてたよね」

「ええ、少し疲れているのかもしれません」

「疲れてるって、ここずっとじゃん」

 出会った頃のカザクラは、それこそ深夜まで遊ぶこともあった。それが数日前から急激に活動時間が短くなり、眠る時間も増えた。それが疲労から来るものではない事は明らかだ。

「もしかして今の生活が身体からだにあってないとか?」

「そんなことはありません。次なる戦いに備えて、今は少し早く眠るだけです」

 そう言いながらカザクラは自分のベッドに横になる。フウはこの時間が嫌いだった。カザクラは目をつむり、身体からだを硬直させ極めて浅い呼吸を繰り返す。そんなカザクラが眠る姿は死んでいるようにしか見えない。

 人造人間の身体からだはまだ謎が多い。

 本当は、カザクラを研究機関に戻した方が本人のためなのではないだろうか。そう思わないでもないフウだった。


 チオウの中央都市ドテン。そこには王立図書館が存在する。王立図書館は高い税金を納めている上等階級の人間しか立ち入ることを許されていない。ここであれば、チオウの秘密について有力な手がかりがあるのではないか、とフウは考えていた。

 もっとも、王立図書館の書籍も検閲はされているだろうが。

「けんえつってなに?」

 と狭い路地を歩くカザクラにフウが小声で話しかける。

「ここじゃそういう話は駄目よ」

「とうちょうきはないよー」

 フウは念のため辺りを見渡し、

「この国に都合の悪いことが書いていないか国が本をチェックするシステムよ」

「都合の悪い事かいたら?」

「花びらを?がれるんじゃない」

 花びらを?ぐとは、チオウの間で用いられる「逮捕、粛清」の隠語だ。語源はハッキリしていない。カザクラはまあまあ深刻そうな表情で、

「怖いね」

「怖いわよ」

〈今の履歴書〉いわく、「独裁政権」下ではふんしよが行われると聞く。そして、それを良しとしない館長がその副本を作ったり、どこかに隠したりと知識を守る過酷な戦いが始まるらしい。

 チオウの図書館は王政府に都合のいいことしか書かれていないだろう。

 が、フウにはちょっとした確信がある。国とは複雑極まる強大な生物のようなものだ。人間が血管の一つ一つを思い通りに動かせないように、どんな権力者でも目の行き届かない部分は必ず出てくる。

「もし、他国との交易で国家が成り立っているのなら、必ずわたしたちにもそれを知りうる方法があるはず」

「でもなんで大きな図書館なの?」

「その辺の図書館はそもそもの蔵書が少ないからね。王立図書館は経済活動に関するぼうだいな資料が保管されている。貿易をしている証拠を?つかむなら、そういった産業の書籍を当たるのがいいと思ったの。ただ、館内じゃ上等階級らしく振舞わないといけないけど」

「そのための変装だね」

 フウはくるりと振り返った。紺色のプリーツスカートが水平に近い角度でひらりと回る。フウはセーラー服の裾を?つかみ、不安そうな表情になる。

「……変、かな?」

「んーん。似合ってるよー」

 フウは顔を赤くした。カザクラに王立図書館に入っても大丈夫な服装を発注したら、このセーラー服を納品してきた。カザクラの趣味が入っている気がしないでもない。

「と、とにかくわたしたちは今からドテンの上級学校の学生よ」

「ごうにいりては静かなることにゃんぱられ!」

 全く意味は分からないが決意は伝わった。ドテンの学生が王立図書館に出入りしていることは調査済みだ。

 ドテンのビル群、教育省庁舎ビルの一階から二階が図書館となっている。床はタイルカーペット、その上に本棚がゆったりとした間隔で並んでいる。薄暗い照明は落ち着いた雰囲気をかもし、中は静かだった。図書館を訪れているのは上級学校の青年やスーツ姿の労働者たちだ。

「すんなり入れたねー」

「経費削減のためにセキュリティをケチったってことかしら。学生証偽造して損したわ」

 フウがまず足を運んだのは産業省が発行している〈産業統計書〉が収納されている本棚である。この本棚には産業活動で使用された環境資源の統計が掲載されている。

「どう?」

「……矛盾はないわね。当たり前だけど」

 国の発行しているものだ。自国に都合の悪い情報は隠ぺいされているかもしれない。その後も二時間かけて国の資料をあさったが、それらしい記述は見られなかった。

「生産月報と流通月報持ってきて」

「わかったー」

 と言ってカザクラは席を立つ。その間退屈なので、フウはその辺の適当な本を読んでいた。王立図書館はほとんどが王族史の資料や地図ばかりで臣民が楽しめるものはほとんど無い。そもそも、専門書の分野に偏りがあって科学史や地学、天文学の類の書籍は少ない。

 いま読んでいるのは「経験洗浄と方人論」と言う名の論文で、著者は黒塗りされている。人工知能と人間の認知機能について、現象学的な見地から用語を整理した書籍……らしい。

 前書きを見るに、人工知能にホウホウテキカイギに基づく自己演算を行わせた結果「人工知能に人権は無い」という結論を出した論文が方人論、だとかなんとか。

 専門的な表意文字かんじが多く使われていて流石さすがにフウの頭でも理解できない代物だった。一〇ページほど読み進めた所で集中力の限界を感じ、紙面から目をらす。無理だこれ。貸し出しカードの履歴にはカガノ・サミヤなる人物の名前しか書かれていない。

「ねえ、ねえ」

 本を取りに行っていたカザクラが本棚の陰から手招きした。

「どうしたの?」

「今、お兄ちゃんの隣で本読んでた人ね」

 それは小奇麗なシャツを身に着けている青年だ。紙面を突き刺す様な鋭い視線で何かしらの本を読んでいる。

「機械のひとだよ」

 えっ、とフウは大きな声を出して慌ててその口を両手で押さえた。

「しかもテロテロしいひとたち

「過激派?」

「たぶん。ふところにばくだんもってる」

「まじすか」

「ここでどかーんすると思う」

 爆弾テロか。フウは青年の方を振り返った。そのかたわらをフウよりも若い少女が何も知らずに歩いている。

「どする?」

 フウは眉間にしわを寄せた。というか、チオウから追われてるぶんたちがテロの対処法に頭を悩ませる必要があるのか。お前らがもっとセキュリティに投資してれば、テロリストも入れなかったんじゃないのかと。その場合、フウとカザクラも図書館に入れていないが。

「よし、予定変更。監視カメラの記憶装置を先に破壊して、その後凶行を止めよう」

 防犯カメラの映像は一定期間ハードディスクに保存される。王立図書館でも例外ではなく、ネットワークに?つながっていないことは事前に調査済み。後にカザクラが潜入してそれを壊すはずだったが、テロリストが潜んでいたとなればすぐに映像は調べられるだろう。だから、記憶装置は早々に破壊する必要がある。

「ドンパチが始まったら私は辺りの人が逃げる手助けをするわ」

「よし、じゃあ先にハードディスクをおじゃんにしてくるね」

 そう言うとカザクラは上階の中央警備室に向かった。

「全員そこを動くな!」

 男の怒号に肩をすくめた。声のしたほうに視線を向けると、入口の方からわらわらと制服を着た兵士たちがなだれ込んでくる。フウは息を?んだ。

 デンキモグラだ。

 チオウの治安維持組織、第二行動神隊のデンキモグラ。臣民の治安を守る色が強いクロミカズチと違ってこいつ等は王政府の権力を支える筋金入りの秘密警察だ。捕まったら無実でも帰れないかもしれない。

 全ての構成員が入室した後、黒いフード付きのジャケットを着た男が入って来る。頭を覆うフードの下には赤い光が死にかけの蛍光灯のように明滅している。

「……オボ・ヨミ」

 第二行動神隊隊長とデンキモグラ行動課長を兼任する高官。権力だけでなくその戦闘力もすさまじく、立ち向かった全ての犯罪者は息の根を止められ、いつしか「拍動の終止符」という二つ名が生まれたという。そして、フウがこの国を逃げ出す上で最も警戒している人物である。

「この中に武装組織が紛れ込んでいるとの情報が入った! これより一人ずつ所持品を検査していく。なお、逃走を試みた場合は例外なく射殺する」

 副長とおぼしき男が声高々に叫ぶ。

 兵士たちは短機関銃を構え、図書館にいた人の身分証を確認していく。

「貴様、これは他者の身分証か」

 眼鏡をかけた身体からだの細い男だった。男は顔を青くして汗をかいていた。

「身分証を忘れてきたから、友達に借りた、んです」

「言い訳は尋問室で聞く。連行しろ」

 偉丈夫が男の小枝のような手に手錠をはめ、嫌がる犬を引っ張るように外へつれて行く。

「嫌だ! 僕は反政府思想なんて持ってない! 尋問なんて受けたくない!」

「図書館ではお静かに」

 屈強な男はそう言うと鉄拳を顔面にねじ込み強制的に黙らせた。学生は折れた歯の間から血を流して気絶し、そのまま死体のように外まで引きずられていった。

「口答えには鉄拳! 抵抗には銃弾で応える!」

 フウの額に汗が浮いた。自分とカザクラの存在を嗅ぎつけてきた可能性とテロリストを探しに来た可能性は半々だ。どのみち偽造した学生証を持っている以上、「調査」を受ければ尋問はまぬがれない。デンキモグラの尋問は過酷と聞く。記録上えんざいゼロ。自白率100パーセントという狂った数字がその過酷さを物語っている。

 セキュリティの甘さが逆に利用者を地獄におとしいれた。他人の学生証や身分証を使っていた学生たちが次から次へと外に連行される。

「おい、そこのお前、来い」

 ついに副長の視線がフウの方に向いた。フウと、その隣にいた青年が同時に固まった。フウは青年の方を見た。汗一つかいていない。だが、表情でフウは彼が動揺していると分かった。

「どうした早く来い!」

 副長が怒鳴ると兵士たちが引き金に手をかけた。だが、コイツが犯人だと言った所で、信じてもらえる可能性は低く、信じてもらえても管轄区民がこんな所にいれば何らかの疑いをかけられるのは必然だろう。

 いままでの人生でつちかってきた頭脳をフル回転させ、フウは博打ばくちの焦点を定めた。

「分かりました」

 フウは両手を上げ、自ら近づいていく。兵士たちに学生証を提示し、兵士たちは学生証をカードリーダーにかざす。その顔が露骨に厳しいものに変わった。

「貴様、学生証を偽造するとはいい度胸じゃないか」

「私はサイレッカのちようほう員です」

 フウは努めて冷静に答えた。兵士の顔に嘲笑が浮かぶ。

「馬鹿にしているのか?」

「そのまま聞いて下さい。別件で反政府の人造人間を追っています」

「何だと」

「私の隣にいた青年。彼はふところにプラスチック爆弾を所持」

 副長はいぶかし気に青年の方を見やった。

「間違っていた場合、責任を取る覚悟はあるのだろうな」

「話は終わってません」

「なんだと」

「恐らく彼は人造人間です」

「貴様らが追っていた?」

「はい」

 副長はヨミの方を見た。ヨミは腰からゆっくりと拳銃を抜く。そのフードの暗がりに見える仮面。そこに一対の赤い光がともる。フウの洞察をもってしても全く読めないその心。フウの胸に湧いたものは、恐怖というよりは自然現象に抱くような畏怖に近いものだ。

「隊長」

 ヨミは青年に顔を向ける。その赤い目に妖しい光がともり、二度三度点滅する。

『避難の指揮をれ。やつから人工臓器の異音、及び膨大な熱量を感知した』

 構成員たちが臣民をやや乱暴に避難させる。副長は通信機で指示を出しながら自分も本棚の陰に隠れた。フウも副長の近くに隠れる。青年も察したらしく、ヨミの動向を確かめるように歩き出す。

「あー、やっぱバレてる?」

 青年はまじまじとヨミを眺め、

「仮にも高官という立場の人物が、こうやって鉄火場にのこのこ出てくるとはねぇ。現場派ってのはどうやらガチみたいだな」

 青年の顔に浮かんだのは餌を前にしたおおかみのような好戦的な笑顔だ。ヨミは応じない。

「しかもそんな奇怪なを携えて」

 青年は落ち着いていた。

「なあ、俺に少し時間をくれないか? あんたらだって周りのカスを逃がす時間を作れる」

 ヨミは両手をだらりと降ろした。その時分かったのだが、ヨミは左手の方が若干長く、そして関節が一つ多い。

「へへっ、恩に着るぜ。墓くらいは作ってやるよ」

 青年は机の上に麻のマスクを置くと、そこに白い粉を盛った。青年はその白い粉をこぼさぬようマスクを装着する。

「偽りの血をあがめる国家のドブネズミ。それが貴様の墓標に刻む名前だ」

 青年が深呼吸をするとマスクの間から白い煙が漏れ、そのそうぼうは白く?かれた。

「我等は偽りの神から純血を取り戻すべく戦う真の神の子。ラクイチ」

 聖血カルトか。とフウは心中で独語する。チオウの反政府組織の中には、王ではなく自分の血統や民族性を極端に神聖視する者がいると聞く。神聖なのはおまえではない。俺の血だ、と。フウも実際に見るのは初めてだ。

『機械の身体からだを持ちながら純血とは、面妖な』

「俺は死んでいった同胞たちの血を浴びるほど飲んだ。故、身体からだには聖なる血が流れている」

 ラクイチはうつろな視線でヨミをにらみつける。

「どっちが狩人かりゆうどか教えてやる」

『自己紹介は一人分か』

 ヨミがそう言うとラクイチは目を丸くした。

「いい観察力をしてるじゃないか。兄弟、挨拶してやれ」

 離れた所に座っていた眼鏡をかけた青年がえっちらおっちら歩いてくる。青年は眼鏡をクイと上げ、「キュウソ」とつぶやいた。名を名乗ったのだろうか。

「これで駒は配置についた。後は硬貨を投げればゲームの始まりってわけだ」

 ヨミは肯定とばかりに拳銃を指で回転させた。

「意外に酔狂なんだな、あんた」

 キーン。と人造人間の動力機関が高く鳴いた。ラクイチが攻撃を仕掛けると同時に足元のタイルカーペットがぜ飛んだ。

 ──攻撃をした──フウが知覚した時、ラクイチは拳を空ぶっていた。低く伏せたヨミめがけ、天井に張り付いたキュウソが鋭い蹴りを放つ。その右足はタイルカーペットを貫きそよかぜまとった衝撃音を室内に生じさせる。

「ぼさっとすんじゃねえ!」

 ヨミの回避動作が完了する前にラクイチの追撃がヨミを襲う。二人の連携は完璧だった。一人が大技を放てばもう一人がその隙を埋める。砂嵐のような攻撃密度がヨミに反撃の機を与えない。

「あんたら助太刀しなくていいの?」

 フウが聞くと、副長は小ばかにしたように笑う。

「あの次元の戦いになれば助太刀など無意味だ。それに隊長はあの程度の攻撃でたおれんよ」

「反撃するようには見えないけど」

 ヨミはのけ反って拳を回避したかと思うと、そのまま床に背中を預け、そくに転じたかと思うと床を蹴って相手の攻撃をかわしながら直立して体勢を整える。曲芸のような立ち回りだ。

「臣民の避難が完了していないからな。かつに銃を撃てないんだろう」

「いや、あんたらさんざん民間人しょっぴいて拷問してるじゃん。今更人道主義もくそもないでしょ」

「我々はしかるべき手続きにのっとっている。略式処刑をする相手もえらぶ。無実の人間は保護の対象だ」

 略式処刑という物騒な法律用語はともかく、それなりに神勅法を尊重してはいるようだ。

 つまり臣民を突然処刑するようなことはしないのだろう。

「で、あんたんとこの大将のスペックでアイツらに勝てるの?」

「回竜。我が国が特注で作り上げた最新鋭の機体だ。旧式の民間量産機に劣るはずがない」

 そこまで言って副長はハッとしてフウをにらんだ。

「一度ちようほう課に秘密厳守の教えを乞うべきだね。行動課さん」

「ふん。ちようほう課にはちようほう課の、行動課には行動課の得意分野がある」

 と副長はヨミのほうに視線を移す。ヨミは相変わらず二人の攻撃を一撃すらもらわず紙一重でかわし続けている。二人の攻撃はなおも速度を増し、はやフウの目には残像の束にすら見えた。

「いい感じでってきたぜ」

 ラクイチは低く腰を落とすと怪鳥のように両手を広げ、マスクの間から白い粉を吹かせた。

 関節部の排気口から蒸気が噴出する。

「秩序を守る片手間では、我らの血風しのげぬと知れ!」

 烈風がごとき速さで接近すると目にも止まらぬ神速の打撃がヨミを襲う。その隙にキュウソが深呼吸をし、噴気口から熱風を排出してギアを一つ上げた。キュウソは銃弾さながらの勢いで天井まで飛び上がると、そこからヨミの死角目がけてやりのような蹴りを放つ。二人の速さも手数も先ほどとは段違いだ。だが──

「当たらない」

 クリーンヒットが全くない。ヨミの回避動作に規則性は絶無。まるで水の中を漂うくずのように二人の攻撃を一髪でかわしていく。

「隊長、臣民の避難が完了しました」

 ウン──とフードの中に赤い光がともった。

 ドシュ。それは発砲音と空気の収縮が同時に発生したような独特の銃声だった。

 ヨミに飛び掛かったラクイチは胸を撃ち抜かれ慣性そのままヨミのかたわらに倒れ込む。キュウソはしつかんせつを撃ち抜かれ空中でバランスを崩して少し離れたところに墜落した。それは羽虫が潰れる様なあっさりとした幕引きだった。

『これより尋問を始める』

 まるで何事も起きなかったかのような淡々とした口調だ。いつくばったラクイチのマスクは人工血液に黒くれ、その右手は無念からかカーペットを握りしめている。

「おのれ」

 ラクイチは左手でマスクを取っ払った。

「同胞の流した血は偽りの王からいでしものでは断じてない! 天に昇るあかい風よ、束縛されし精神と血をこの身より解き放て! 我が聖血も同胞の赤柱と一体となろう!」

 ラクイチはふところからチョコレートの菓子箱を取り出し、その上部を?くだく。危険を察知したフウと副長はとつに本棚の陰に隠れた。

「聖血、覚醒!」

 偽装された菓子箱が爆発した。衝撃波は一帯の物体をじんに砕き、粉々になった本が無数の紙吹雪となって宙を舞う。フウは本棚の陰から顔を出し、土煙のようなふんじんに目を凝らす。

 七つの赤い光がともったかと思うと、漆黒の輪郭が浮かび、やがて黒い人造人間となる。衣服は千切れ飛び、仮面は砕かれ、その機体と素顔が?き出しになっていた。

 頭部には不規則にばらかれた七つの視覚センサー。左?を斜めに横切るどうもうな口。背中からは複数のアームが右に伸び、戦闘でめた熱を水蒸気と共に放出する。その姿はまるでわしむくろが羽ばたいたかのようだった。

 まがまがしい異形はその右手で負傷したキュウソを引きずっている。

『尋問を再開する』

 キュウソをぞんざいに投げ捨て、銃口をその下肢に向けた。

ねぐらの場所を吐け』

 ドシュ、という独特の銃声が連なった。無数の弾痕がキュウソの右足に開いたかと思うとヨミはそれを踏みつけ右足を切断した。キュウソは絶叫する。人造人間であっても痛覚は存在する。フウはそれを知っていた。

『次は右腕だ』

 ヨミは同じ方法で右腕を?ぎ取った。人工血液と砕かれた部品が周囲に散乱する。それは工業製品の破壊とは全く別次元の、生命への侵犯行為だ。キュウソは気丈にヨミをにらみ返す。

「俺も、爆弾、持ってくるべきだったな」

 キュウソに幼い子どものような笑顔が浮かんだ。キュウソの体内から、何かの装置が作動する音が聞こえた気がした。その後、ヨミは拳銃をホルスターにしまってキュウソから離れる。

「もうよろしいのですか?」

『死んだ者に尋問は出来ない』

 副長はキュウソの側にかがみ込んだ。

「たしかに死んでる。自分で動力装置を破壊したのか」

 副長の合図で構成員たちがキュウソの死体を回収する。その死体があった場所には、どこかで見たような小さな花が置かれている。はなびらはキュウソが失った部位と同じ場所が欠けている。

「花びらを?ぐ」この言葉の本当の意味を理解し、フウは重い唾をんだ。一番上のはなびらが欠けたジャンク屋に置かれていた花、下二つが欠けた王を批判した男のところに落ちていた花。

 ……今まで見てきた花を思い出してから酸が逆流する。

 二人の人造人間を始末し、ヨミが向かった先はフウの眼前だった。ヨミは七つの複眼でフウを見下ろしている。

「で、この女はどうしますか」

 ヨミは沈黙を返す。ただ、黙って、動くことも無く、その七つの目でフウを見ている。フウは肩から力を抜き、身体からだから緊張を遠ざける。何度も人の死に出くわし、人造人間と接しているからこそ、フウはこの状況下でも平静を保つ事ができた。

『解放してやれ』

「よろしいのですか?」

『この期に及んでもほとんど心拍数に変化はない』

 本当は人が死ぬのも人造人間が戦うのも見慣れているからなのだが。

『サイレッカと事を構えると動きづらい』

 副長を始め、デンキモグラの構成員はしばらく沈黙を挟んだ。

 嫌な沈黙だった。

 しばらくして、副長が口を開く。

「そういうことだ。行っていいぞ」

 フウは落ち着いた態度をよそおって王立図書館を後にした。フウは路地裏に入ってもしばらくその態度を崩さなかった。しばらくして、

「やっほー」

 カザクラがどこからともなく降ってきた。

「追っ手はいないみたいだよ」

 カザクラのその言葉をきっかけにフウはへなへなと尻もちをついた。

「大丈夫?」

「こ、怖かったぁ」

 フウの目から僅かに涙がこぼれた。そのまま思わずカザクラに抱き付く。

「おーよしよし」

 カザクラはぽんぽんとフウの頭をでた。

「あんたこそ無事だったの?」

「排煙口から逃げれば、ほれこのとーり」

 カザクラがセーラー服の裾を引っ張ってばたばたすると、中から本が床に落ちた。

「それも持ってきてくれたんだ」

「しごとですので」

 これは便利屋ぎようをしている時のフウの口癖だ。

「監視カメラの保存ききも、しっかりぶちこわしときました」

「よくやった」

 えへへ、とカザクラははにかんだ。

「取りあえずここじゃ作戦会議もままならないから、移動しよう」


 第五管轄区は今日も静かだった。何か考え事をしたり、ぼうっと星を見るには丁度いい。政府の建物以外に電力が供給されていない第五管轄区の夜は、数え切れないほどの星に包まれる。その夜、フウは自宅に永続的に借りた本を山積みにして作戦会議を行った。

「どこからどこまで見てた?」

「どんぱちが始まって、お兄ちゃんが図書館をでるまでは」

「てことはアイツが戦うの見てたんだ」

「見てたよー。めっちゃ強い」

「やっぱりそうなんだ」

 カザクラはおうように首肯する。

 言語に翼を。思考を空へ──カザクラは補助人工知能を起動した。

「ヨミの機体は機動性と感覚そうごう器官を強化した単独戦闘用と思われます」

「アイツらはチオウの研究機関で作られたって言ってた」

「あの外見から推測するに私生活よりも戦闘でのパフォーマンスが優先されています。また蓄積された戦闘データもかなりのものでしょう。反政府主義者の攻撃は初めから見きっていたように思われました」

「あんたなら勝てる?」

「可能性はある、とだけ申し上げておきます」

「要は厳しいってことね」

「あの二人よりははるかに戦えるでしょう。ですが、蓄積された経験に差があり過ぎます。闘うとなればそれ相応の対策が必要になってきます」

「分かったわ。最悪を想定して対策は立てておこう。そして今は、これをどうにかして片付けないと」

「賛成です」

 だが、流通量、生産量、販売量をどれだけ精査しても矛盾は出てこなかった。

「矛盾はないけど」

 机の上で山積みにされた本を見た。

「なーんか、引っかかるのよね」

「どーいう意味?」

 スウェットの部屋着に着替えたカザクラがベッドの上に転がりながら聞いてきた。

「生産量の合計と流通量の合計と販売量の合計がぴったり一致してるの。五年前まで」

「五年前?」

「そう。でも五年を境に、まるで誤差があることを思い出したかのように、微妙に統計がズレ始めた」

「どっちが正しいの?」

「そりゃ、ズレてるほうが正しいでしょ。ズレがないってことは生産されたものが在庫もなく全て売れてるってことなんだから」

「そーいうもんなの?」

「例えば、三〇〇個のお菓子を作ったとするでしょ? でも、お客さんは気まぐれだから、お菓子を買わない日がある。三〇〇個の在庫が毎度思惑通り売れる事なんてまずないわ」

「未来が見えないとむりだねー」

「そう。生産、流通、販売、この三つの統計が完全に符合するってのはそれだけおかしいことなの。だから、結論からすれば、王政府は統計を偽っている」

「でも、どーして、五年前を境に情報が書き替えられたんだろ」

 フウの目には壁にかかった四代目王の生誕祭のレリーフがあった。

「そうだ、三代目王の肉体が滅んで四代目に移魂が行われた時だ」

 要は政権が親から子へ移り変わっただけなのだが、王の霊魂は肉体を移し替えているだけということになっているので、こう言わないとひどい目に遭う。特に信仰心が厚い中流層は言葉一つで「これだから管轄区民のガキはどうのこうの」と文句をつけてくる。だから、言葉使いは普段から気を付けておく必要があった。

「政権の交代を機に統計がもっともらしく書き替えられたんだよ」

「四代目はあたまがよかったんだねー」

「もう一つ手がかりがあるわ」

「何?」

「ハマキシマ工業地帯よ。チオウの西部にある工業地帯。チオウ百景って写真集を見つけたの。その写真のコピーを取って来たわ」

 それはドテンの高層ビルから夜のハマキシマ工業地帯をかんした写真である。

「これが何か意味あるの?」

「工場の数、少なくない?」

「そうかな?」

「気になって社会代謝機構のノートを一から見ていたんだけどね」

 フウはノートをめくりながら、

「工場の数が微増して二十万になったってマユミさんが言ってた。初めは昔の国はそういう規模だったんだと思っていた。でも今は違う。わたしたちの身の回りのモノは誰かが作っているの。車の小さな部品や、机のキャップに至るまで」

 フウはカザクラが着ていた制服を指差した。

「その制服だってボタンやリボンなどの付属品を作る、生地を裁断する、それをほうせいする、それぞれの過程に工場がいる。これだけ多くのモノにあふれているチオウなら、ウン万の工場が必要なはずよ」

 言語に翼を。思考を空へ。

「この画像とハマキシマの面積から推測するに、工場の数はどう多く見積もっても二千未満。木材、鉄、プラスチック、化学繊維、食肉、電子機器、その他もろもろの生活必需品や製品を加工する工業地帯としてはあまりに小さい」

 フウはうなずいた。

もつと称してこの国が貿易をしているのはほぼ確実だと思う」

 フウは本の隣にあった、安肉の空き箱に目を落とす。

「この肉だって他の国で加工されたものかもしれない」

「この生臭さは昆虫には出せないと思います」

 安肉の生臭さを思い出したのか、カザクラはむっと顔をしかめる。

「この得体の知れない肉が東の山の向こうで生産された。そう考えるのは、不自然じゃないと思う」

「考えれば考えるほど、他の国がある方が自然、って結論に近づいていきますね」

「うん。他の国がある可能性はかなり高い」

 チオウ以外の国があるのはほぼ確定。となれば、

「次はに行けばこのチオウから出れるのか」

「ラジオのあった世界では、物資はどのように輸入されていたのですか?」

「なんか水に浮かんで進む何かや、空飛ぶでっかい乗り物で」

 前者はフネといって、恐らく神話に出て来る船と同じものだろう。後者はヒコーキといって、軍がたまに飛ばしているマルチコプターのようなものとフウは想像していた。

「船やヒコーキが集まる場所が流通の要衝になる」

「そういった流通の要衝には何か具体的な特徴はないのでしょうか」

 フウは黙って考え込んだ。ラジオを見つめながら、もういない先生たちの言葉を思い出す。

「……材料の調達先とそれを加工する工場は、近ければ近いほどいい」

 なら輸送するのにお金がかからないから。

「だから、流通拠点の近くには工場が集まってくる」

 チオウで最も工場が密集している地域──フウとカザクラが目を見合わせた。

「「ハマキシマ」」

 二人の言葉が重なった。

「でもどうやって輸入しているのでしょう。たしか、前に〈今の履歴書〉の講義で、流通には道路を高度に整備する必要がある、って言ってましたよね。でも、この国にはそんな大規模な道路は見当たりません」

 チオウに船を浮かべる河川はないし、ヒコーキなるものが空を飛んでもいない。

「普段見えない場所を行きかう流通網……。空と陸が駄目なら」

 ハッとカザクラが目を開いた。

「地下」

「そうだ、地下だ。たしか、鉄道には地下を通れる物があったはず」

 地下鉄、と先生たちは言っていた。

「状況証拠だけですが、筋は通ります」

「うん。だいぶ頭がこんがらがってきたからちょっと整理しよう」

 フウは一度深呼吸をする。カザクラもそのをして息を大きく吐いた。

「チオウという近代国家。これを支えるには大量の物資が必要。だけど、その物資を生産する場所がチオウには少なすぎる……だから、他の国からいろんな物を地下鉄道で輸入している」

「でも、それがバレるとこの世に国が一つしかないという神話が崩れてしまいます」

「そうだね。臣民は王と国家への信仰で一体感を持っている。だからこそ、王は?うそをつき続ける必要があった」

わたしたちのすべきことが見えてきました」

「目標は二つ。

 一つはハマキシマの調査。

 もう一つは逃走資金の調達」

 カザクラはうなずいた。いつもよりも重い決意を感じさせる仕草だった。

『やろう!』

 代わりに答えたのはつけっぱなしにしていたラジオだ。今放送されているのは歴史ドラマのワンシーンだ。

『あの独裁者を止めるのは今しかない。大丈夫、私には大統領の後ろ盾がある』

『こうして彼とその仲間は立ち上がった! 帝政復活の野望が暁の空に燃える!』

 次回、決死の演説。と、次回予告がドラマのラストを勇ましく飾った。

 ナレーター役のアナウンサーがスタッフの名前を読み上げる。

 カザクラは拳を差し出した。フウはそこに握りしめた拳をこつんと合わせる。二人は言葉ではなく、力強い視線を交わして微笑する。二人は決して孤独ではない。心を許し、背中を預ける事のできる相手が一人いるから。

 歴史ドラマのバックグラウンドで流れた勇壮なメロディが、深い夜のとばりに溶けていった。


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……ご試読ありがとうございました。

続きは、発売中の電撃文庫

『こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~』で!!

https://dengekibunko.jp/special/kowaseka/


◇第2巻も鋭意製作中!◇

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こわれたせかいのむこうがわ 陸道 烈夏/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko

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