四章 鎧袖一触
「お兄ちゃん、おかわり」
カザクラが器を机の上に差し出した。ドテンのアマダビル最上階にあるビアガーデンは今日も乾いた風が吹いている。中流階級の労働者が酒を酌み交わし、鳥の丸焼きなどに
「おーかーわーりー」
カザクラがフォークの柄で机を
「あんたそれ何皿目?」
「ん? 六?」
「ここ、おかわり自由じゃないよ」
「へぇ……。おかわり!」
「あのね、タダじゃないの! お金がいるの! パンも、さっきあんたが平らげた
「おかわり!」
「駄目」
カザクラは?を丸く張った。
「なんで」
「お金ないし」
カザクラはじーっと抗議の
「自分だけ隠れてステーキ食べてたくせに」
「うっ……」
馬鹿な、
「私が寝てるときにー、こそっと抜け出してー、一人で夜食たべてー」
「わわわ、私は頭使うから、その」
「いいですよー。カザクラはフウの命を何回も救ったけど、賞金首も捕まえたことあるけど、お
カザクラは子供の様にぷいっと顔を背けた。
フウはポケットをまさぐり、一万オウチ紙幣を机の上に
「店員さん! 肉食べ放題コース!」
「か、かしこまりました」
店員は逃げるようにオーダーを
「今月最後の
カザクラは指を鳴らしてニコニコ笑う。
「よっ、だいふごー!」
フウは勢いに乗せられたことを後悔して、「やっちまった」と頭を抱える。
「こうなりゃヤケよ、胃袋が破裂するまで肉を
「いいぞいいぞー、ふとっぱらー」
やけくそとはこのことである。二人はありったけの肉を
「あー、幸せ」
お
「いやあ、ここで一句
カザクラはラジオで俳句を知って以来それにハマっている。もともと戦闘モードに入ると、たまに短歌っぽいものを
「できました」
「聞こう」
「お兄ちゃん ムネ肉食べても ペッタンコ」
「合格」
フウは
「はあぇえー!?」
カザクラの声が裏返る。「わたしのめいくがー」と嘆くカザクラを尻目にフウはコンテナに戻った。
二人は
「
「えー。やすにく嫌い」
机には、さっき近所で買ってきた「ムシムシミンチ」と書かれた市販のパックがある。昆虫の
「あんたホント安肉食べたがらないわよね。虫は普通に食べれるのに」
「とれたて昆虫は新鮮だもん。こっちは生臭い」
たしかに安肉は独特の生臭さがある。フウもあまり好きじゃなかった。
「で、どうする。正直これ以上賞金首を逮捕し続けたらそのうち目つけられるよ」
「そだね。えーっと、どうしよう」
「まずは状況を整理しないと」
「ちょっと待ってね……」
例の言葉のあと、カザクラの補助知能が起動し、顔がキリとした表情に変わる。
「そろそろ捜査態勢が整う頃です。資金、人員、そして他の組織との調整」
「やっぱりテロをぶちのめしたのはまずかったんじゃない?」
「仕方ありません。銃を乱射しようとしてる人を制圧したらたまたまテロ組織の構成員だったので」
「たしかにそうだけどさ」
テロリストは野盗と違って自分の理想とする社会を暴力で実現しようとする。その理想のためであれば罪のない人間がどれほど死のうと構わない。ある意味チオウ政府よりも人を殺している連中なのだが、その
「いずれ
「彼らは犯罪捜査のプロです。動き出せばあっと言う間にコンテナは特定されるでしょう」
「そうなれば
重い沈黙が続いた。
チオウにはいられない。であれば、どこに逃げればいいのか。
チオウ以外の国は滅びている。資源の無い
「そうなる前に、マスターは私と縁を切っていただいても大丈夫です。私に慈愛を
カザクラの戦闘力は金になった。フウの財力はカザクラと会う以前の数倍に膨れ上がっている。損得勘定で言えば、今の所かなり得をしていた。ここでカザクラと別れれば、犯罪者になるという汚点も無かったことにできる。いわばフウは
「うん分かった。切る。ばいばーい」
とフウは手を振った。カザクラは目を潤ませ、顔を伏せる。
「……ほら、本当は別れたくないでしょ?」
フウはニッと悪ガキっぽく笑った。
「ここでアンタを切り捨てるほど常識人じゃないわよ。馬鹿な事言ってないで最善の方法を探しましょう」
カザクラはむすっとして首を縦に振った。
とはいえ妙案は浮かばない。何から手をつけていいか分からないのは、典型的な手詰まりの症状だ。二人はまた、長い沈黙を作る。
ラジオの〈社会代謝機構〉からはマユミ女史と進行役のアナウンサーが軽妙な語り口調で講義を続けていた。
『さて、リカードの比較優位ですが、以前も何回か解説してらっしゃいますよね?』
『ん、ああ。そうね。まあ貿易の大原則だし』
『この番組では貿易の話はよく出てきます』
『貿易無しじゃ国際社会は語れないからねー。精密な工業製品が低価格で手に入るのは貿易のたまものだし』
『マユミさんは貿易実務に携われていた経験があるとか』
『あるわよー。この国のインボイスの様式のややこしさと言ったら』
とまたマユミ女史は愚痴をこぼし始めた。
「比較優位?」
カザクラが興味の触手を伸ばした。
「あんた比較優位の話、知らなかったっけ?」
「人工知能の補助は言語能力と論理的思考の強化のみで、一部の例外を除いてデータベース自体は以前の状態と同じですから」
「そうなんだ。比較優位ってのは簡単に言うと、その国が得意な商品を作った方が全体的に効率が
「国が得意な商品?」
「うーん、例えばカザクラが玩具作りが得意で、私が料理が得意だとするじゃない? そうなれば、二人が玩具と料理を頑張るより、カザクラは玩具屋さんになって私が料理人になった方がより稼げるでしょ?」
「家事分担の規模をより大きくしたようなもの、と考えてよろしいですか?」
「そういう事ね」
『近代型の国家は貿易無しには成り立たないと』
『成り立たないわねー。中世の交易とはちょっとレベルが違うわよ。原材料も部品も外国で作って組み立てだけ自分の国でやる、なんてのはザラだし』
「今マユミさんが言ったように、多くの資源や商品を輸入することで国というものは成り立っているらしいわ。きっとチオウも……」
そこまで言って、二人は目を見合わせた。
「そう言えば。この国、どうやって成り立ってるんだろう」
地上に存在する国はたった一つ。ならば輸入など当然できないはずだ。チオウは神と同一人格である王がその神秘的な力で人々に恩恵をもたらしている、とされている。フウはそれを信じてはいなかったが、チオウの産業構造自体に強い疑問を抱いたことはない。ラジオを手に入れてからも日々を生きるのに精いっぱいで、そんなことを考える余裕なんてなかった、というのもある。よくよく考えれば、サバイバルや
「そういえば……ちょっと待ってて」
フウは部屋の奥の本棚から一冊の本を出してきた。それはチオウで多くの税金を納めている上等階級の教科書である。上等階級は一五年で十科目の教科を学ぶ。フウはその全ての科目の教科書を所持していて、熟読している。
「臣民生活の教科書についてなんだけど」
「臣民生活、とは」
「いわゆる社会科よ。政治、経済、の知識。それが神話と
「神話と
「例えば需要と供給による価格の変動は、神の意思が働いているとこの国で言われるわ」
「広義的な意味での科学に神様の威光を働かせたということですか」
カザクラの言う科学、とは特定の分野に対する研究活動。
そして、チオウでは理科も社会も数学も国語も神が作ったモノとされていた。
例えばこの国では闇が神聖とされている。それは、「光が電磁波の一種であり」……という理解があり、「そうした電磁波を生み出すのは神であり、光を生み出す神は当然光の無い闇と同じ色をしている」とされるからだ。光をはじめとする自然現象が得体の知れない神聖なものだった古代の神話と違い、チオウの神話は科学的常識を一旦認めてそれを全て神の仕業にする。
「この国では粒子だろうが波動だろうが全て神の化身たる王さまの偉業よ」
「それについてはよく分かりました。
「これを見て」
フウが指差した文字をカザクラは目で追った。
「
「そう。臣民教育には
「この国では、神に物を
これは国から「これが欲しい」と要求されることもあるが、企業自らが
「逆に神から品物を与えられそれを金銭で買う方法もある」
人や企業は神に
「まるで神様相手に商売をしているかのようですね」
フウはじっとカザクラの目を
「この
カザクラは腕組みをする。一つ、ラジオによると国家は国同士の取引をしていた。二つ、この国は
「貿易をしている?」
「確証はないけど。でも、その可能性はあるんじゃないかしら」
「他の国がもしあるなら、」
フウは
「逃げる場所がある」
このチオウに逃げ場などどこにもない。かといって砂漠に逃げるわけにもいかない。だが、もし他の国が存在するのであれば、亡命という選択肢が生まれる。
「もし、チオウ以外に残っている国があるなら、希望があります」
「ドテンの王立図書館に行こう」
「王立図書館?」
「上等階級しかアクセスできない図書館よ。そこにヒントがあるかもしれない。他の国があるという確かな証拠を
「そうですね。それがいいと、思います」
そう言うとカザクラはうとうととした表情になる。
「そろそろ眠ります」
フウはそこに違和感を抱いた。
「もう? 前までこの時間は起きてたよね」
「ええ、少し疲れているのかもしれません」
「疲れてるって、ここずっとじゃん」
出会った頃のカザクラは、それこそ深夜まで遊ぶこともあった。それが数日前から急激に活動時間が短くなり、眠る時間も増えた。それが疲労から来るものではない事は明らかだ。
「もしかして今の生活が
「そんなことはありません。次なる戦いに備えて、今は少し早く眠るだけです」
そう言いながらカザクラは自分のベッドに横になる。フウはこの時間が嫌いだった。カザクラは目をつむり、
人造人間の
本当は、カザクラを研究機関に戻した方が本人のためなのではないだろうか。そう思わないでもないフウだった。
チオウの中央都市ドテン。そこには王立図書館が存在する。王立図書館は高い税金を納めている上等階級の人間しか立ち入ることを許されていない。ここであれば、チオウの秘密について有力な手がかりがあるのではないか、とフウは考えていた。
もっとも、王立図書館の書籍も検閲はされているだろうが。
「けんえつってなに?」
と狭い路地を歩くカザクラにフウが小声で話しかける。
「ここじゃそういう話は駄目よ」
「とうちょうきはないよー」
フウは念のため辺りを見渡し、
「この国に都合の悪いことが書いていないか国が本をチェックするシステムよ」
「都合の悪い事かいたら?」
「花びらを
花びらを
「怖いね」
「怖いわよ」
〈今の履歴書〉
チオウの図書館は王政府に都合のいいことしか書かれていないだろう。
が、フウにはちょっとした確信がある。国とは複雑極まる強大な生物のようなものだ。人間が血管の一つ一つを思い通りに動かせないように、どんな権力者でも目の行き届かない部分は必ず出てくる。
「もし、他国との交易で国家が成り立っているのなら、必ず
「でもなんで大きな図書館なの?」
「その辺の図書館はそもそもの蔵書が少ないからね。王立図書館は経済活動に関する
「そのための変装だね」
フウはくるりと振り返った。紺色のプリーツスカートが水平に近い角度でひらりと回る。フウはセーラー服の裾を
「……変、かな?」
「んーん。似合ってるよー」
フウは顔を赤くした。カザクラに王立図書館に入っても大丈夫な服装を発注したら、このセーラー服を納品してきた。カザクラの趣味が入っている気がしないでもない。
「と、とにかく
「ごうにいりては静かなることにゃんぱられ!」
全く意味は分からないが決意は伝わった。ドテンの学生が王立図書館に出入りしていることは調査済みだ。
ドテンのビル群、教育省庁舎ビルの一階から二階が図書館となっている。床はタイルカーペット、その上に本棚がゆったりとした間隔で並んでいる。薄暗い照明は落ち着いた雰囲気を
「すんなり入れたねー」
「経費削減のためにセキュリティをケチったってことかしら。学生証偽造して損したわ」
フウがまず足を運んだのは産業省が発行している〈産業統計書〉が収納されている本棚である。この本棚には産業活動で使用された環境資源の統計が掲載されている。
「どう?」
「……矛盾はないわね。当たり前だけど」
国の発行しているものだ。自国に都合の悪い情報は隠ぺいされているかもしれない。その後も二時間かけて国の資料を
「生産月報と流通月報持ってきて」
「わかったー」
と言ってカザクラは席を立つ。その間退屈なので、フウはその辺の適当な本を読んでいた。王立図書館は
いま読んでいるのは「経験洗浄と方人論」と言う名の論文で、著者は黒塗りされている。人工知能と人間の認知機能について、現象学的な見地から用語を整理した書籍……らしい。
前書きを見るに、人工知能にホウホウテキカイギに基づく自己演算を行わせた結果「人工知能に人権は無い」という結論を出した論文が方人論、だとかなんとか。
専門的な
「ねえ、ねえ」
本を取りに行っていたカザクラが本棚の陰から手招きした。
「どうしたの?」
「今、お兄ちゃんの隣で本読んでた人ね」
それは小奇麗なシャツを身に着けている青年だ。紙面を突き刺す様な鋭い視線で何かしらの本を読んでいる。
「機械のひとだよ」
えっ、とフウは大きな声を出して慌ててその口を両手で押さえた。
「しかもテロテロしい
「過激派?」
「たぶん。
「まじすか」
「ここでどかーんすると思う」
爆弾テロか。フウは青年の方を振り返った。その
「どする?」
フウは眉間にしわを寄せた。というか、
「よし、予定変更。監視カメラの記憶装置を先に破壊して、その後凶行を止めよう」
防犯カメラの映像は一定期間ハードディスクに保存される。王立図書館でも例外ではなく、ネットワークに
「ドンパチが始まったら私は辺りの人が逃げる手助けをするわ」
「よし、じゃあ先にハードディスクをおじゃんにしてくるね」
そう言うとカザクラは上階の中央警備室に向かった。
「全員そこを動くな!」
男の怒号に肩を
デンキモグラだ。
チオウの治安維持組織、第二行動神隊のデンキモグラ。臣民の治安を守る色が強いクロミカズチと違ってこいつ等は王政府の権力を支える筋金入りの秘密警察だ。捕まったら無実でも帰れないかもしれない。
全ての構成員が入室した後、黒いフード付きのジャケットを着た男が入って来る。頭を覆うフードの下には赤い光が死にかけの蛍光灯のように明滅している。
「……オボ・ヨミ」
第二行動神隊隊長とデンキモグラ行動課長を兼任する高官。権力だけでなくその戦闘力も
「この中に武装組織が紛れ込んでいるとの情報が入った! これより一人ずつ所持品を検査していく。なお、逃走を試みた場合は例外なく射殺する」
副長と
兵士
「貴様、これは他者の身分証か」
眼鏡をかけた
「身分証を忘れてきたから、友達に借りた、んです」
「言い訳は尋問室で聞く。連行しろ」
偉丈夫が男の小枝のような手に手錠をはめ、嫌がる犬を引っ張るように外へつれて行く。
「嫌だ! 僕は反政府思想なんて持ってない! 尋問なんて受けたくない!」
「図書館ではお静かに」
屈強な男はそう言うと鉄拳を顔面にねじ込み強制的に黙らせた。学生は折れた歯の間から血を流して気絶し、そのまま死体のように外まで引きずられていった。
「口答えには鉄拳! 抵抗には銃弾で応える!」
フウの額に汗が浮いた。自分とカザクラの存在を嗅ぎつけてきた可能性とテロリストを探しに来た可能性は半々だ。どのみち偽造した学生証を持っている以上、「調査」を受ければ尋問は
セキュリティの甘さが逆に利用者を地獄に
「おい、そこのお前、来い」
ついに副長の視線がフウの方に向いた。フウと、その隣にいた青年が同時に固まった。フウは青年の方を見た。汗一つかいていない。だが、表情でフウは彼が動揺していると分かった。
「どうした早く来い!」
副長が怒鳴ると兵士
いままでの人生で
「分かりました」
フウは両手を上げ、自ら近づいていく。兵士
「貴様、学生証を偽造するとはいい度胸じゃないか」
「私はサイレッカの
フウは努めて冷静に答えた。兵士の顔に嘲笑が浮かぶ。
「馬鹿にしているのか?」
「そのまま聞いて下さい。別件で反政府の人造人間を追っています」
「何だと」
「私の隣にいた青年。彼は
副長は
「間違っていた場合、責任を取る覚悟はあるのだろうな」
「話は終わってません」
「なんだと」
「恐らく彼は人造人間です」
「貴様らが追っていた?」
「はい」
副長はヨミの方を見た。ヨミは腰からゆっくりと拳銃を抜く。そのフードの暗がりに見える仮面。そこに一対の赤い光が
「隊長」
ヨミは青年に顔を向ける。その赤い目に妖しい光が
『避難の指揮を
構成員
「あー、やっぱバレてる?」
青年はまじまじとヨミを眺め、
「仮にも高官という立場の人物が、こうやって鉄火場にのこのこ出てくるとはねぇ。現場派ってのはどうやらガチみたいだな」
青年の顔に浮かんだのは餌を前にした
「しかもそんな奇怪な
青年は落ち着いていた。
「なあ、俺に少し時間をくれないか? あんたらだって周りのカスを逃がす時間を作れる」
ヨミは両手をだらりと降ろした。その時分かったのだが、ヨミは左手の方が若干長く、そして関節が一つ多い。
「へへっ、恩に着るぜ。墓くらいは作ってやるよ」
青年は机の上に麻のマスクを置くと、そこに白い粉を盛った。青年はその白い粉をこぼさぬようマスクを装着する。
「偽りの血を
青年が深呼吸をするとマスクの間から白い煙が漏れ、その
「我等は偽りの神から純血を取り戻すべく戦う真の神の子。ラクイチ」
聖血カルトか。とフウは心中で独語する。チオウの反政府組織の中には、王ではなく自分の血統や民族性を極端に神聖視する者がいると聞く。神聖なのは
『機械の
「俺は死んでいった同胞たちの血を浴びるほど飲んだ。故、
ラクイチは
「どっちが
『自己紹介は一人分か』
ヨミがそう言うとラクイチは目を丸くした。
「いい観察力をしてるじゃないか。兄弟、挨拶してやれ」
離れた所に座っていた眼鏡をかけた青年がえっちらおっちら歩いてくる。青年は眼鏡をクイと上げ、「キュウソ」と
「これで駒は配置についた。後は硬貨を投げればゲームの始まりってわけだ」
ヨミは肯定とばかりに拳銃を指で回転させた。
「意外に酔狂なんだな、あんた」
キーン。と人造人間の動力機関が高く鳴いた。ラクイチが攻撃を仕掛けると同時に足元のタイルカーペットが
──攻撃をした──フウが知覚した時、ラクイチは拳を空ぶっていた。低く伏せたヨミめがけ、天井に張り付いたキュウソが鋭い蹴りを放つ。その右足はタイルカーペットを貫き
「ぼさっとすんじゃねえ!」
ヨミの回避動作が完了する前にラクイチの追撃がヨミを襲う。二人の連携は完璧だった。一人が大技を放てばもう一人がその隙を埋める。砂嵐のような攻撃密度がヨミに反撃の機を与えない。
「あんたら助太刀しなくていいの?」
フウが聞くと、副長は小ばかにしたように笑う。
「あの次元の戦いになれば助太刀など無意味だ。それに隊長はあの程度の攻撃で
「反撃するようには見えないけど」
ヨミはのけ反って拳を回避したかと思うと、そのまま床に背中を預け、
「臣民の避難が完了していないからな。
「いや、あんたらさんざん民間人しょっぴいて拷問してるじゃん。今更人道主義も
「我々は
略式処刑という物騒な法律用語はともかく、それなりに神勅法を尊重してはいるようだ。
つまり嫌疑のない臣民を突然処刑するようなことはしないのだろう。
「で、あんたんとこの大将のスペックでアイツらに勝てるの?」
「回竜。我が国が特注で作り上げた最新鋭の機体だ。旧式の民間量産機に劣るはずがない」
そこまで言って副長はハッとしてフウを
「一度
「ふん。
と副長はヨミのほうに視線を移す。ヨミは相変わらず二人の攻撃を一撃すら
「いい感じで
ラクイチは低く腰を落とすと怪鳥のように両手を広げ、マスクの間から白い粉を吹かせた。
関節部の排気口から蒸気が噴出する。
「秩序を守る片手間では、我らの血風
烈風が
「当たらない」
クリーンヒットが全くない。ヨミの回避動作に規則性は絶無。まるで水の中を漂う
「隊長、臣民の避難が完了しました」
ウン──とフードの中に赤い光が
ドシュ。それは発砲音と空気の収縮が同時に発生したような独特の銃声だった。
ヨミに飛び掛かったラクイチは胸を撃ち抜かれ慣性そのままヨミの
『これより尋問を始める』
まるで何事も起きなかったかのような淡々とした口調だ。
「おのれ」
ラクイチは左手でマスクを取っ払った。
「同胞の流した血は偽りの王から
ラクイチは
「聖血、覚醒!」
偽装された菓子箱が爆発した。衝撃波は一帯の物体を
七つの赤い光が
頭部には不規則にばら
『尋問を再開する』
キュウソをぞんざいに投げ捨て、銃口をその下肢に向けた。
『
ドシュ、という独特の銃声が連なった。無数の弾痕がキュウソの右足に開いたかと思うとヨミはそれを踏みつけ右足を切断した。キュウソは絶叫する。人造人間であっても痛覚は存在する。フウはそれを知っていた。
『次は右腕だ』
ヨミは同じ方法で右腕を
「俺も、爆弾、持ってくるべきだったな」
キュウソに幼い子どものような笑顔が浮かんだ。キュウソの体内から、何かの装置が作動する音が聞こえた気がした。その後、ヨミは拳銃をホルスターにしまってキュウソから離れる。
「もうよろしいのですか?」
『死んだ者に尋問は出来ない』
副長はキュウソの側に
「たしかに死んでる。自分で動力装置を破壊したのか」
副長の合図で構成員
「花びらを
……今まで見てきた花を思い出して
二人の人造人間を始末し、ヨミが向かった先はフウの眼前だった。ヨミは七つの複眼でフウを見下ろしている。
「で、この女はどうしますか」
ヨミは沈黙を返す。ただ、黙って、動くことも無く、その七つの目でフウを見ている。フウは肩から力を抜き、
『解放してやれ』
「よろしいのですか?」
『この期に及んでも
本当は人が死ぬのも人造人間が戦うのも見慣れているからなのだが。
『サイレッカと事を構えると動きづらい』
副長を始め、デンキモグラの構成員は
嫌な沈黙だった。
しばらくして、副長が口を開く。
「そういうことだ。行っていいぞ」
フウは落ち着いた態度を
「やっほー」
カザクラがどこからともなく降ってきた。
「追っ手はいないみたいだよ」
カザクラのその言葉をきっかけにフウはへなへなと尻もちをついた。
「大丈夫?」
「こ、怖かったぁ」
フウの目から僅かに涙がこぼれた。そのまま思わずカザクラに抱き付く。
「おーよしよし」
カザクラはぽんぽんとフウの頭を
「あんたこそ無事だったの?」
「排煙口から逃げれば、ほれこのとーり」
カザクラがセーラー服の裾を引っ張ってばたばたすると、中から本が床に落ちた。
「それも持ってきてくれたんだ」
「しごとですので」
これは便利屋
「監視カメラの保存ききも、しっかりぶちこわしときました」
「よくやった」
えへへ、とカザクラははにかんだ。
「取りあえずここじゃ作戦会議もままならないから、移動しよう」
第五管轄区は今日も静かだった。何か考え事をしたり、ぼうっと星を見るには丁度いい。政府の建物以外に電力が供給されていない第五管轄区の夜は、数え切れないほどの星に包まれる。その夜、フウは自宅に永続的に借りた本を山積みにして作戦会議を行った。
「どこからどこまで見てた?」
「どんぱちが始まって、お兄ちゃんが図書館をでるまでは」
「てことはアイツが戦うの見てたんだ」
「見てたよー。めっちゃ強い」
「やっぱりそうなんだ」
カザクラは
言語に翼を。思考を空へ──カザクラは補助人工知能を起動した。
「ヨミの機体は機動性と感覚
「アイツらはチオウの研究機関で作られたって言ってた」
「あの外見から推測するに私生活よりも戦闘でのパフォーマンスが優先されています。また蓄積された戦闘データもかなりのものでしょう。反政府主義者の攻撃は初めから見きっていたように思われました」
「あんたなら勝てる?」
「可能性はある、とだけ申し上げておきます」
「要は厳しいってことね」
「あの二人よりは
「分かったわ。最悪を想定して対策は立てておこう。そして今は、
「賛成です」
だが、流通量、生産量、販売量をどれだけ精査しても矛盾は出てこなかった。
「矛盾はないけど」
机の上で山積みにされた本を見た。
「なーんか、引っかかるのよね」
「どーいう意味?」
スウェットの部屋着に着替えたカザクラがベッドの上に転がりながら聞いてきた。
「生産量の合計と流通量の合計と販売量の合計がぴったり一致してるの。五年前まで」
「五年前?」
「そう。でも五年を境に、まるで誤差があることを思い出したかのように、微妙に統計がズレ始めた」
「どっちが正しいの?」
「そりゃ、ズレてるほうが正しいでしょ。ズレがないってことは生産されたものが在庫もなく全て売れてるってことなんだから」
「そーいうもんなの?」
「例えば、三〇〇個のお菓子を作ったとするでしょ? でも、お客さんは気まぐれだから、お菓子を買わない日がある。三〇〇個の在庫が毎度思惑通り売れる事なんてまずないわ」
「未来が見えないとむりだねー」
「そう。生産、流通、販売、この三つの統計が完全に符合するってのはそれだけおかしいことなの。だから、結論からすれば、王政府は統計を偽っている」
「でも、どーして、五年前を境に情報が書き替えられたんだろ」
フウの目には壁にかかった四代目王の生誕祭のレリーフがあった。
「そうだ、三代目王の肉体が滅んで四代目に移魂が行われた時だ」
要は政権が親から子へ移り変わっただけなのだが、王の霊魂は肉体を移し替えているだけということになっているので、こう言わないとひどい目に遭う。特に信仰心が厚い中流層は言葉一つで「これだから管轄区民のガキはどうのこうの」と文句をつけてくる。だから、言葉使いは普段から気を付けておく必要があった。
「政権の交代を機に統計がもっともらしく書き替えられたんだよ」
「四代目はあたまがよかったんだねー」
「もう一つ手がかりがあるわ」
「何?」
「ハマキシマ工業地帯よ。チオウの西部にある工業地帯。チオウ百景って写真集を見つけたの。その写真のコピーを取って来たわ」
それはドテンの高層ビルから夜のハマキシマ工業地帯を
「これが何か意味あるの?」
「工場の数、少なくない?」
「そうかな?」
「気になって社会代謝機構のノートを一から見ていたんだけどね」
フウはノートをめくりながら、
「工場の数が微増して二十万になったってマユミさんが言ってた。初めは昔の国はそういう規模だったんだと思っていた。でも今は違う。
フウはカザクラが着ていた制服を指差した。
「その制服だってボタンやリボンなどの付属品を作る、生地を裁断する、それを
言語に翼を。思考を空へ。
「この画像とハマキシマの面積から推測するに、工場の数はどう多く見積もっても二千未満。木材、鉄、プラスチック、化学繊維、食肉、電子機器、その他もろもろの生活必需品や製品を加工する工業地帯としてはあまりに小さい」
フウは
「
フウは本の隣にあった、安肉の空き箱に目を落とす。
「この肉だって他の国で加工されたものかもしれない」
「この生臭さは昆虫には出せないと思います」
安肉の生臭さを思い出したのか、カザクラはむっと顔をしかめる。
「この得体の知れない肉が東の山の向こうで生産された。そう考えるのは、不自然じゃないと思う」
「考えれば考えるほど、他の国がある方が自然、って結論に近づいていきますね」
「うん。他の国がある可能性はかなり高い」
チオウ以外の国があるのはほぼ確定。となれば、
「次は
「ラジオのあった世界では、物資はどのように輸入されていたのですか?」
「なんか水に浮かんで進む何かや、空飛ぶでっかい乗り物で」
前者はフネといって、恐らく神話に出て来る船と同じものだろう。後者はヒコーキといって、軍がたまに飛ばしているマルチコプターのようなものとフウは想像していた。
「船やヒコーキが集まる場所が流通の要衝になる」
「そういった流通の要衝には何か具体的な特徴はないのでしょうか」
フウは黙って考え込んだ。ラジオを見つめながら、もういない先生たちの言葉を思い出す。
「……材料の調達先とそれを加工する工場は、近ければ近いほどいい」
「だから、流通拠点の近くには工場が集まってくる」
チオウで最も工場が密集している地域──フウとカザクラが目を見合わせた。
「「ハマキシマ」」
二人の言葉が重なった。
「でもどうやって輸入しているのでしょう。たしか、前に〈今の履歴書〉の講義で、流通には道路を高度に整備する必要がある、って言ってましたよね。でも、この国にはそんな大規模な道路は見当たりません」
チオウに船を浮かべる河川はないし、ヒコーキなるものが空を飛んでもいない。
「普段見えない場所を行きかう流通網……。空と陸が駄目なら」
ハッとカザクラが目を開いた。
「地下」
「そうだ、地下だ。たしか、鉄道には地下を通れる物があったはず」
地下鉄、と先生
「状況証拠だけですが、筋は通ります」
「うん。だいぶ頭がこんがらがってきたからちょっと整理しよう」
フウは一度深呼吸をする。カザクラもその
「チオウという近代国家。これを支えるには大量の物資が必要。だけど、その物資を生産する場所がチオウには少なすぎる……だから、他の国からいろんな物を地下鉄道で輸入している」
「でも、それがバレるとこの世に国が一つしかないという神話が崩れてしまいます」
「そうだね。臣民は王と国家への信仰で一体感を持っている。だからこそ、王は
「
「目標は二つ。
一つはハマキシマの調査。
もう一つは逃走資金の調達」
カザクラは
『やろう!』
代わりに答えたのはつけっぱなしにしていたラジオだ。今放送されているのは歴史ドラマのワンシーンだ。
『あの独裁者を止めるのは今しかない。大丈夫、私には大統領の後ろ盾がある』
『こうして彼とその仲間は立ち上がった! 帝政復活の野望が暁の空に燃える!』
次回、決死の演説。と、次回予告がドラマのラストを勇ましく飾った。
ナレーター役のアナウンサーがスタッフの名前を読み上げる。
カザクラは拳を差し出した。フウはそこに握りしめた拳をこつんと合わせる。二人は言葉ではなく、力強い視線を交わして微笑する。二人は決して孤独ではない。心を許し、背中を預ける事のできる相手が一人もいるから。
歴史ドラマのバックグラウンドで流れた勇壮なメロディが、深い夜の
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……ご試読ありがとうございました。
続きは、発売中の電撃文庫
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◇第2巻も鋭意製作中!◇
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こわれたせかいのむこうがわ 陸道 烈夏/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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