三章 クロミカズチ
チオウには二つの警察が存在する。
一つはクロミカズチ。町の犯罪者を取り締まる警察組織。
もう一つはデンキモグラ。町の犯罪者を取り締まり、そして殺す秘密警察。
カガノ・サミヤという女性がいる。所属はクロミカズチ、自立機甲部隊。肩書は隊長。年齢は一九。背は高く、膨らんだ胸から細い脚へ美しい輪郭が肢体を流れ、それを光沢のある黒い合成繊維のスーツが包んでいる。透き通る白い肌と端整な顔立ちは男女問わず
この日、サミヤに下された命令はチオウ北東部に潜伏している反政府組織構成員の逮捕だ。もともとサミヤが独自に捜査していた組織で数日前に居場所を突き止め、昨日突入の許可が上層部から下りた。
サミヤのスーツの肩の部分には稲妻が交差するエンブレムが輝いている。
サミヤはシモガジョウの大通りから脇道に
そこからさらに北に進むとバラックはまばらになり、代わりに朽ちたコンクリートの建物がちらつき始める。二代目王の時代、多産ブームに先んじてチオウには多くの
ここはチオウの北東部「ゲンブ」。シモガジョウの北に位置する、いわゆる暗黒街だ。
水はけの悪い劣悪な土地と質の低い水道事業と道路。そんな場所にあえて住もうとするものなどおらず、代わりに犯罪者や反王族の革命武装組織のアジトとなっている。
とある集合住宅の近くでサミヤは足を止めた。集合住宅は灰色の四角い
「こちらクロミカズチ自立機甲部隊隊長、カガノ・サミヤ。これより鎮圧推奨カテゴリー、シンジケート番号12の19、滅官中核軍の捕縛作戦を開始」
するとサミヤのイヤホンに応答があった。
『部隊長カガノの声聞認証。待機状態から作戦遂行状態に移行します』
抑揚はついていたが、助詞の発音がどこかおかしい機械的な声だった。
「今から一分後に突入する」
そしてサミヤの声はそれよりも抑揚に乏しい。その冷徹な視線にも感情の変化が見られない。
『了解』
サミヤは腰のホルスターから拳銃を抜き、集合住宅を見上げた。そこに、全身を黒の装甲で覆われた機械兵士が群がりつつあった。どこからともなく現れた機械兵士は人と同じ形の肢体を持ち背丈も人とそう変わらない。
サミヤは機械兵士に囲まれるようにして集合住宅へと入った。床のリノリウムの上には砂や
『隊長、先行した無人機から情報が入りました。四階に目標は潜伏しているようです。応答』
「了解。第一分隊は四階東階段を封鎖。第二分隊は西階段から接近。応答」
『了解。先行した無人機より、警報装置を全て解除との報告。問題なく突入できます。応答』
『了解』
十六いた機械兵士を半分に分けてサミヤは階段を上っていく。四階の廊下には微弱な光が割れた窓から差し込んでいる。その中を無数の
『銃器の射撃プロセスと
機械兵士二体をサミヤの周辺に残し、六体の機械兵士が廊下を進んでいく。
『了解。音声リンクを開始。臨戦状態を維持したまま交渉に入れます。応答』
「了解。交渉を開始。滅官中核軍に告ぐ」
先陣を切った一号機のスピーカーからサミヤの声が
「こちらはクロミカズチ、自立機甲部隊」
サミヤのその冷たい声は、機械兵が出していたとしても違和感がない。
「一分後に突入する。攻撃の意志を放棄したと見れば危害は加えない」
間があってドアの奥から声がした。
「却下!」
雄々しく歯切れのいい否定の言葉が返ってくる。
「プロレタリアートの辞書に敗北の二文字は無い! 資本主義の
「チオウは半統制経済。資本主義の化身とは言えない」
「その統制経済のせいで資本の格差が生まれれば同じことではないか!」
確かに、貧富の格差はかなりある。管轄区民の教育、医療サービスの低さは深刻で、病気一つで家庭が崩壊する。親の栄養失調でその子供が負担を強いられるという話は珍しくない。革命軍の主張に一定の理解を寄せる一方で、その思想の不徹底ぶりも冷静に分析していた。
「我々市民に与えられた手段は武装蜂起しかない!」
「死ぬ覚悟は」
「無論持ち合わせている」
「制圧」
機械兵がドアを蹴破って中に押し入った。乾いた銃声が中から
「死者は?」
『ゼロです』
「分かった」
「なぜ殺さない!」
と指導者と
「裁判所から殺害の許可が下りていない。鎮圧推奨カテゴリーは裁判所の許可が下りない限り積極的な殺傷は法規違反となる」
サミヤは拳銃をホルスターに収納した。
「それに、
負けを悟った男は、がくっと
「頼む、仲間は助けてやってくれ。俺以外は殺しをしていない」
「それが本当なら極刑は
サミヤの声から威圧的なものが消え、男の方からも力が抜けた。
……恩に切る。男は弱々しい声を絞り出した。
『これより略式処刑を始める』
それは、「死」そのものが
銃声とともに反政府勢力の男の首が頭骨ごと吹き飛んだ。床に飛び散った血の
「本現場の処理権は第二行動神隊デンキモグラが受け持つ」
黒い合成繊維の制服を着た人間が部屋に入ってくる。
デンキモグラ。法により絶大な執行権を与えられ、その権力を背景に犯罪者を現場で処理する秘密警察である。
『生存者は』
かつ。
金属めいた硬い足音だった。サミヤは振り返る。そこにいたのは全身が黒の人造人間だった。その
第二行動神隊隊長オボ・ヨミ──異名、拍動の終止符。
サミヤの皮膚が冷たい刺激を受容する。第二行動神隊は警察組織の総称だ。つまりクロミカズチとデンキモグラの上層部にあたる。ヨミはその総責任者だ。もっとも、デンキモグラの幹部から出世したヨミの支配をクロミカズチは快く思っていない節がある。
こんな弱小武装組織を潰すために
「ヨミさん」
死体を
「こいつ生きています」
それはまだ一六歳くらいの若い男だ。恐らく貧困層の人間だろう。この神の国で反政府組織に入る者は大抵そういう人間だ。少年は
「
サミヤの冷たい視線の中に抗議の熱が僅かに
『
ヨミは処刑の正当性を述べた。このチオウでは法的に問題ないと。
「そうじゃない。これは私のヤマ」
『そのような道理は通用しない』
サミヤは反論しなかった。表面上
『今日はもう一つ、お前に用がある』
「何」
『デンキモグラに入れ』
サミヤは眉を微動させた。
「
ヨミは金属でできた人差し指を、そっと自分の側頭部にあて、とん、とん、
『知っている。この国の事を、知っている。それは罪だ。盗みよりも、殺人よりも深い罪だ』
サミヤは黙っていた。信仰の色眼鏡を持たない者の
サミヤが黙っていると、ヨミはホルスターから拳銃を抜いた。大型のリボルバーで、色は乾いた血のように赤黒い。その銃口がサミヤを向く。
『隊長』
サミヤの
──
機械兵士は右手を地に突き立て立ち上がろうとする。
「大丈夫。今ここで、私を殺すつもりはないから」
サミヤがそういうと撃たれた機械兵士は他の機械兵士に脇を抱えられて引き下がった。
『お前はこの国のことを知り始めている。それが故意であれ過失であれ、禁忌に触れた者は等しく死なねばならない』
ヨミの声に感情は通っていない。ただ、このチオウに横たわる判然たる事実を述べているだけに過ぎないのだ。
『この国の禁忌に触れて生き延びる方法は一つ』
ヨミは
『狩る側に回ることだ』
サミヤの所属する
『お前の能力を高く買っている。こちら側に来ればその知識も不問となる』
デンキモグラの構成員が生き残った少年をヨミとサミヤの側に
『覚悟を見せろ。忠誠を示せ。道徳に革命を起こせ。臣民は神の血肉であり、我等は病んだ血肉をこそぎ落とす剣だ。覚悟を見せろ。忠誠を示せ』
提示された選択肢はいたってシンプルだ。殺すか、殺されるか。
「覚悟は、」
サミヤはその冷たい目を少年に向けた。見降ろされた少年は肩をビクッとさせる。
「できている」
サミヤは一歩下がってヨミと距離を取る。
『殺さず。粛清の刃をその身に受ける。それがお前の覚悟か』
サミヤは冷ややかな視線をもってそれを肯定する。
「いくら
サミヤの言っている事は事実だった。ヨミの権力は
フードの中で、赤い光が音もなくパパッと
弾頭の丸い、人体の破壊に特化した弾丸。
ヨミは無言のまま少年に向かって引き金を引いた。今度は銃声らしい銃声が上がる。
サミヤの
サミヤの
サミヤはあくまでも無表情だ。だが、その瞳の奥で
銃弾が右の膝を千切る。少年は痛みに反応しなくなっている。鉄の臭いのする
「……さむい」
そう言ったのを最後に動かなくなった。
『これが、お前の決断の重さだ』
ヨミは拳銃をホルスターにしまった。
少年の遺体が片付けられた後、ヨミは死体のあった場所に何かを置いた。ヨミが部屋を立ち去る
『悔いるな。恐れろ』
こうしてデンキモグラは部屋から撤収した。
サミヤは少年が
まだ鉄臭さが残る床に、一輪の花が置いてある。サミヤはそれを拾い上げた。
白く小さな花は、五つの
サミヤは数分もの間、花を見つめていた。その間、やり場のない怒りが、
チオウの中心〈ドテン〉にあるクロミカズチ本庁舎。その建物内の自立機甲部隊の本部に向かう。クロミカズチの本部は四〇階建ての高層ビルで、最新式の高速エレベーターで各階層をスムーズに移動できる。自立機甲部隊の本部は十八階と十九階にあって十八階は大規模な
『隊長、本当に良かったのですか?』
「……何が?」
『その、オボ・ヨミは実質王に次ぐ権力を持っているとも
「今の
『いえ。
「……前の
その機械兵士は一礼をした。
『我々の刹那の記憶にそのような配慮をしていただきありがとうございます』
「別に、礼を言われるような事はしていない」
『そうですか。それでは、私はそろそろ洗浄に入りたいと思います』
機械兵士たちはカプセル型のドックに入り、まるで
『これより経験洗浄を行います』
黒く丸い、フルフェイスのような頭にサミヤの表情が映り、サミヤは思わず視線をはずした。
『マスター、おやすみなさい』「おやすみ、一号」
『マスター、おやすみなさい』「おやすみ、二号」
サミヤは一人一人の機械兵士に「おやすみなさい」を言って回る。カプセルの蓋が閉じられ、ラボには静寂が満ちた。カプセルのモニターには経験洗浄の進捗を示すバーが映っている。
サミヤは何も言わずそのモニターを見下ろしていた。サミヤは自らの半生を思い返す。
感情の表出が苦手な孤児は、良き神の子とは言えなかった。神への忠誠が足りないと幾度も礼拝施設で叱責されてしまう。神の
その洗練された知識はこの国では
知り過ぎた故に立場を危うくするサミヤ。そんな彼女が部下の経験を洗浄しているのは悪い冗談に思えてくる。サミヤがもう少し俗な人間であれば「クソッタレ」と毒づいていたに違いない。
そんな時、仕事用端末の一つがメールの受信を告げる音を出す。メールの差出人はチオウの兵器研究機関の技術研究室長となっている。
チオウの軍事組織は実戦部隊が三つあり、そこに三つの支援部隊がサポート役として存在している。
【差出人 サイレッカ技術研究室長】
その説はお世話になりました。また、新しい案件です。今回の対象はゆくゆく一級の事態になると予想されます。デンキモグラやサイレッカが捕縛対象を復元不能なまでに破損させる前に身柄の確保をお願いします。詳細は添付ファイルの通りです。
「対象」の捕縛は本来サイレッカが受け持つ案件だ。
資料を読んでいたサミヤの呼吸が一瞬止まった。
「まだ、子ども」
この少女を捕まえる。そのことの意味を、省察し、サミヤは深く目を
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