第3話「勝負の先にあるもの」

 紅白戦前日の夜は、相変わらず興奮して寝ることができなかった。

 窓を開け気持ちの良い夜風が入り込む寝室で一人、シャドーピッチングをしていると、庭から風を切る音が聞こえてくる。

 それはとても綺麗な音で、耳をすませると心地良くも聞こえる。

 庭を覗いていると、そこにはすらっとした体つきで癖がなく真っ直ぐに伸びた髪をヘアゴムで束ねた少年がいる。一つ上の兄、圭太だった。

 何度見ても飽きない。綺麗なスイングだ。


「いったい何時だと思ってんだよ」


 時計の針は二十三時を指していた。圭太が夜遅くまで素振りをするのは、日課である。

 こんなに遅い時間までとは珍しい。もしや、兄も自分と同じで明日の紅白戦が楽しみで眠れないのでは? と一瞬考えるが、そんなことは絶対に有り得ない。

 考えるだけ無駄だ。

 ベッドに勢いよく飛び乗る。仰向けになり手首だけでボールを天井に向けて投げる。何度も繰り返す。

 そんな事をしていると、いつものように眠気が襲ってくる。

 明日もただの紅白戦。いつものように投げるだけ。ただーーそれだけ。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


  家から三田シニアが使用する、河川敷グラウンドまで自転車で約三十分。

 いつもなら兄の後ろをついて走るのだが、今日は珍しく母親に起こされることなく目覚める。もっと珍しいことに兄より早く起きてしまった。

 兄が起きるまで待つことなどできず、独り自転車を漕ぎグラウンドへ向かった。

 いつもはうざったい夏の日差しも、それも今日は愛おしく思える。


 兄と勝負してみなければ、自分がどれほど成長できたのかがわからない。世界大会で最後の打者から三振を奪った時でさえ、どこか物足りなさを感じてしまっていた。

 やはり兄でなければならないのだと。

 自転車を漕ぐこと約三十分。グラウンドに一番乗りだと確信していたがいざ着いてみるとそこには、控え組たちが既にアップやキャッチボールなどをしていた。


「綾瀬ー! 遅いぞー」


 綺麗に剃られた丸坊主頭の少年、草津勇気くさつゆうきが駆け寄ってくる。


「お前らがはやすぎんだよ。ちなみに俺は珍しく早い方だ」


 とても寝起きが悪い凛太朗は、いつも圭太を待たせ母親に急かされながら身支度を済ませる。だからいつもグラウンドに着くのは遅めなのだ。

 しかし、今日という日は違うのでドヤ顔で答えてみせる。

 草津は凛太朗のドヤ顔を軽く無視をして、


「わかってないなー。俺たちみたいな控えがレギュラー組と同じ練習したってしょうがないだろ? 俺たち控え組はこの紅白戦に賭けてんだよ。特に三年生はラストチャンスだから本気でレギュラー狙ってるだろうし、この夏の全国で活躍して推薦貰おうって必死さ。もちろん俺も一年から活躍して有名高から推薦貰ってやるぜ! だからこの紅白戦はみんなやる気ってわけさ」


「ふーん。お前らも大変なんだな」


「なんでそんな他人事なんだよ! 興味なしかよ。まあ、お前も控え組なんだから足引っ張んじゃねぇぞ!」


 言いたい事を言えて満足したのか、草津は足早にグラウンドに戻っていった。


「⋯⋯推薦か」


 草津には悪いが推薦など考えたこともなかった。しかし、ここにいる連中はそうではないらしい。だからか、このグラウンドにいると自分の居場所がないと感じたのはそのせいだろうか。

 あまりにも自分と周りの温度差が違いすぎるのだ。

 そんなにも試合に勝ちたいのか?

 わからない。圭太と勝負さえできればそれで良いと本気で思っている。

 それでもこの紅白戦が先輩達にとっても、大事な試合だということだけは理解できた。


「俺が兄貴を抑える。そして控え組が勝つ。これで完璧だな」


 スパイクに履き替えアップを始めだすと、続々とレギュラー組がやってくる。一気にグラウンドの雰囲気が変わる。その中に寝癖一つない圭太の姿もある。

 やはり圭太だけはオーラが違うと改めて認識する。


「集合!」


 監督の元へ全員が集まる。


「十分にアップはしたな? 特に控え組は朝早くからやっていたみたいだが。まあ、それくらい本気で挑んでもらわんとチームの底上げにもならんわな。ええか? これから行う紅白戦、控え組はレギュラー奪うチャンスや、レギュラーはそれを死ぬ気で守ってみぃ!」


「はい!!」


 監督の言葉で全員の目つきが変わる。

 さすがは強豪クラブだ。

 試合はレギュラー組の攻撃から始まる。圭太は三番打者なのでいきなり対戦することになった。

 自分の顔がニヤけていないか心配になる。


「気持ち悪いから、ニヤニヤすんなよー」


 サードを守る草津から、声をかけられる。


「気持ち悪いは、余計だ」


 草津を一度睨みつけて、足でマウンドをならす。

 今日の凛太朗は過去一番といっていいほど、直球が冴えまくっていた。レギュラー組の一番、二番打者はどれもバットに当てることすらできず三振に終わった。

 そしてついにやってくる。

 細身の体の少年がゆっくりと左打席に立つ。

 先程まで「バッチコーイ」と元気よく叫んでいた草津の声や、周りの雑音が一切聞こえなくなる。

 このグラウンドにいるのは自分と兄、圭太だけだ。

 伸びた前髪を搔きあげ、帽子を被り直す。

 そして大きく振りかぶり、初球を投げ込む。

 その刹那、金属音がグラウンドに響く。


「なっ!?」


 外野手が打球を見送る。しかし打球はファールゾーンへと切れていった。

 まさか、初球をあそこまで捉えられるとは思いもしなかった。

 やはり意識しすぎて肩に力が入って少し甘くなっただけだ。

 切り替えろ。


「その余裕そうな顔がムカつくぜ」


 深呼吸をして、捕手とサインを交わす。今度は思いっきり内角高めに投げて、仰け反らすと決まった。

 そうでもしないと圭太は抑えられないだろう。

 二球目も内角高めに力一杯投げ込む。気合いが入りすぎて少し体のバランスが崩れる。

 指先から放たれた白球は華奢な圭太の体に向かっていく。


「ーーーーーー」


 鈍い音がし、圭太は倒れこむ。監督やチームメイト達が圭太の元へと群がる。

 圭太は顔色一つ変えず、大丈夫だと手で合図をする。


 凛太朗はマウンドに立ち尽くす。

 足が動かない。まるで足に釘でも刺されたかのようだった。

 一番に駆け寄らなければならないはずなのに。頭で考えても体は言う事を聞かない。

 頭の中で何度も先程のシーンが再生される。

 ーーどこだ。どこに当たったんだ。

 バランスを崩したせいで、しっかりと目でボールを追うことができなかったのだ。


「西村! すぐに圭太を病院に連れて行け!」


「はい!」


 西村コーチが圭太を抱き抱え車へと連れて行く。


「ーーあっ。お、俺も」


「お前は試合に集中しろ!」


 頭が真っ白だ。どこに当たったかもわからない。

 集中しろ? 無理だ。なにも考えられない。手の震えが止まらない。

 凛太朗は次の打者に投げるが、一つもストライクが入らない。それからもまったくストライクが入らず、ヒットや押し出しで一気に五失点したところで交代を告げられた。

 監督と一言もと交わすことなくベンチでうなだれる。

 この試合控え組は大敗を喫した。

 圭太を負傷させただけでなく、先輩達の試合をぶち壊しにしたのだ。

 最後のミーティングで監督が何を話したのか、チームメイト達はどんな顔をしてたなんて全然分からなかった。

 紅白戦が終わった後もベンチから動くことができなかった。

 兄は大丈夫なのだろうか、もし二度と野球ができない体になってしまったら、そんなことを考えてしまう。


「こんなはずじゃ⋯⋯」


 ふと小さき頃に兄と二人で約束した時の記憶が蘇る。

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