第2話「大きな名札」

 神奈川県屈指の強豪チーム「三田シニア」は過去に日本一を経験し、去年は全国ベスト四という成績を残した。

 その立役者が綾瀬圭太あやせけいたである。

  圭太は中学一年生ながらレギュラーに定着しチームをベスト4に導き、その名を全国に轟かせた。そして天才綾瀬圭太を獲得しようと、既に強豪高校のスカウトたちが練習や試合など視察に来ている。

 

「出番だぞ凛太朗。いってこい!」


「はい」


 凛太朗は監督に尻を叩かれ、ベンチから勢いよくでる。

  ただの練習試合だというのに、グラウンドに溢れるギャラリー達のお目当ては圭太だろう。


「度肝抜いてやる」


 ファーストの守備についている兄、圭太をジッと見つめる。

 圭太は凛太朗のことなど見向きもしない。深く腰を落としてどんな打球にでも反応しようとする姿勢だ。

 一度自分の頬を軽く叩く。圭太を意識したって仕方がない。

 大きく息を吐き、キャッチャーミットど真ん中めがけて力一杯投げ込む。

 ミットから大きな音が鳴り、グラウンドがざわつく。どうやら、スカウトマンたちは凛太朗の存在はノーマークだったらしく、慌ててスピードガンを取り出す者たちもいる。

 あっという間に打者三人を三振にとる。

 ベンチへもどり、目元まで伸びた前髪を搔き上げる。


「ナイスピッチングや! 凛太朗! グラウンドにおる連中も目が点だったわい!」


  監督は高笑いをしながら凛太朗の小さな背中をバシバシ叩く。



「いてぇよ」


  すぐさま監督の横から離れ、バッターボックスに目をやる。そこには左打席にどっしりと構える打者がいる。ヘルメットからは伸びた髪がはみ出ている。

 あれで球が見えるのかと不思議になる。

 すると綺麗なスイングと同時に金属の乾いた音が、河川敷にに響く。


「いったい今日何本打つ気だよ」


  圭太の放った打球は外野の頭を飛び越え、その先の川へ流れていった。

  表情一つ変えずダイヤモンドを一周する。


「ナイスバッティング」


「⋯⋯ああ」


 圭太は目も合わせず凛太朗の言葉に短く答える。

  もともと口数の少ない圭太だが、凛太朗は中学に上がってから圭太とまともに会話をした記憶がない。

 それよりも前、U-12世界少年野球大会を優勝した後ぐらいからだろうか。あの大会以降、圭太からは近づき難いオーラが出ていた。

 結局試合は三田シニアの圧勝という結果に終わり、凛太朗も3イニング無失点という成績を残した。しかし、圭太の四打席連続本塁打という成績と比べるとどうしても霞んでしまう。


「一年で試合でれるなんて羨ましいぜ。この野郎。俺たちなんてまだ球拾いだっつーのによー」


「努力が足りねぇんだよ」


 凛太朗はマウンドの周辺をトンボで整備する。

 試合終わりのグラウンド整備はレギュラー関係無しに一年生の仕事だ。


「でもよー。お前の兄貴すげーよな。まだ二年なのに、もう五十を超える高校から推薦あるって話じゃん?」


 綺麗に剃られた丸坊主頭の少年は、整備する手を止める。


「そんなの知らねーよ。そんなことより手、止めんなよ。監督に見つかったら怒られちまう」


 明らかに不機嫌になる凛太朗を察し、はいはいと口を尖らせグラウンド整備に戻る丸坊主頭、草津 勇気くさつゆうき。

 いつもいつも兄の話題ばかりだ。世界大会を優勝したら何か変わると思った。それでも、世間からは「綾瀬圭太の弟」という大きな名札が貼られている。

 時々、本当に自分を見てくれている人間なんて、いないのではないかと不安になる。自分は兄のオプションでしかないのかと。

 

「全員集合! 」


 号令がかかると五十人もいる集団が一斉に監督の元へと集まる。


「練習試合ご苦労だった。そろそろ夏の全国大会をかけた県予選がある。そのメンバーを決めるために来週の土曜にレギュラーと控えで分けた紅白戦を行う。ええか? ワシはここにおる全員にチャンスやる。一年生とか関係なしや、控えは本気でレギュラーを獲る気で臨むように! 以上!」


「はい!!」


「凛太朗! ちょっとこっちこいや」


  ミーティングも終わり皆引き上げていく中、凛太朗だけが呼ばれる。

 すぐさま小走りで監督の元へ駆け寄る。


「何ですか」


 もしや整備中に話をしていたのがバレたのではないかと、額から変な汗が出る。


「そんな怖い顔すんなやーーおっと目つきが悪いのは元からだったのう!」


 監督は大きく前に出た腹を叩き、豪快に笑う。

 この狸じじいめ。


「凛太朗お前は紅白戦、控え組で先発だ。圭太とも勝負できるいいチャンスだろう? この試合でしっかり活躍してくれたらお前も胸張って、うちのレギュラーだ」


「ーー俺が先発」


 思わず頬が緩む。

 まさかこんなに早く兄と勝負できるとは思ってもいなかった。


「なんだかお前がニヤニヤすると不気味だな。まあ、そんな調子なら心配無用だな。頼んだぞ凛太朗」


 その夜は興奮して寝ることができなかった。中学に上がってわずか二ヶ月で兄との勝負。興奮しないわけがない。

 これまで圭太と真剣勝負をしたことのなかった凛太朗にとっては、紅白戦の内容など気にもならなかった。

 

 しかし、この紅白戦が凛太朗の運命を大きく変えることになるとは誰も思わなかった。

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