第4話「なに笑ってんだよ」

 一つ上の兄、圭太けいたと初めて出会ったのは凛太朗りんたろうが十歳の時だ。

 圭太は両親を交通事故で亡くした。

 圭太の父親が、凛太朗の父親と大の仲良しで幼馴染ということもあり身寄りの無い圭太を、綾瀬家が引き取ることになった。

 今でも圭太と初めて会った時のことを覚えている。父親から貰ったであろうグローブを大事に抱きしめ、どこか遠くを見ていた。幼くして両親を亡くしたというのに、泣き言も言わずいつも涼しい顔をしていていた。

 自分にはできない。強いやつだなぁと感心していた。

 当時の凛太朗は全く野球に興味がなかった。だからか、圭太とはぎこちない関係が続いていた。

 ある日凛太朗は、圭太がいつも壁当てをしている公園に足を運んでみた。そこには壁に力一杯投げ込む少年の姿があった。

 その姿はどこか寂しげに映っていた。

 少年の目からは涙が溢れていた。

 悲しくないわけなんてないじゃないか。まだ自分と一つしか変わらないのに。

 両親を亡くして、独りぼっちなんだ。

 家族のいる自分に理解なんてできるわけなんてないのに。

 拳を握りしめる。


「に、兄ちゃん」


 なんだかぎこちない。


「何か用か?」


 圭太はとっさに涙を拭う。

 それでも目は赤いままだ。


「あ、あのさ。俺にも野球教えてよ。二人でできた方が楽しいよね?」


 圭太は目を丸くする。少しだけ沈黙が続いて、


「ふっ。やってみるかキャッチボール」


 白い歯を見せる。この時、圭太が笑ったのを初めてみた。

 こんなにも爽やかに笑えるのかと驚いた。

 一つしかないグローブを貸してもらい、少し離れた距離ですることにした。圭太の投げるボールは優しく素人には捕球しやすかった。

 徐々にグローブの扱いに慣れてくるが、投げる方は話にならなかった。


「あっ! ごめん。全然上手く投げれないや」


 圭太に返球する度に、凛太朗のボールは明後日の方向に飛んでいく。

 それを嫌味一つ言わず取りに行ってくれる。優しのか、ただ話すのが面倒なだけなのか。


 ーーどっちだろう。


「まあ、最初だしこんなもんだろ。もう一回俺とキャッチボールしたかったら、まず投げれるようになって出直してこい。だからそのグローブやるよ」


 そこは教えてくれないらしい。


「悪いけど俺は忙しいからな」


 毎日壁当てか素振りしかしてないくせに。

 兄から渡されたグローブに目をやる。


「てか本当にこのグローブ貰っていいの?」


「⋯⋯ああ。俺にとって大切なグローブだよ。だからお前にやるんだよ。きょ、兄弟だからな」


 圭太は頬をうっすらと赤らめる。照れ隠しなのか目元まである前髪を無造作に伸ばす。


「絶対、大切に使うよ」


 グローブを思いっきり抱きしめる。

 土の匂いにボールの匂いーー圭太の匂い、色んな物が染みついている。


 それからというもの毎日、圭太とは違う公園に行っては壁当てをした。たまに茂みに隠れて圭太の壁当てを覗き見していた。

 それが功を奏したのか、ついに自分の投げた球がしっかりと自分に返ってくるようにまでになったのだ。これで兄とキャッチボールができる。

 珍しくスキップなんてして家に帰った。


  ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 夏の日が沈みかけ、蝉も鳴きやんだ公園に、二人の少年の影がある。


「へぇ。たった数日でここまで投げれるようになるなんて、やるじゃん」


「毎日馬鹿みたいに、壁当てしてたからなっ」


 勢いのある球が圭太の胸元へ返る。


「ずっと気になってたんだけど、そのグローブどしたの?」


 黒く艶のあるグーローブを凝視する。


「昨日、父さんに買ってもらったんだよ。これで凛太朗とキャッチボールしろってな」


 うちの父親もたまにはやるではないかと思う。


「なあ、凛太朗。ちょっとピッチャーやってみないか?」


 野球をやったことのなかった凛太朗でもピッチャーが何かはわかる。

 投手というポジションは、野球の主役のようなものだと思っていたから、まさか自分がさせてもらえるなんて考えもしなかった。

 思わず頬が緩む。


「お前がニヤつくと、気持ち悪いな」


「うるさい!」


 なんだか兄に認められた。そんな気になってしまう。しかし照れ臭くて、素直に喜べない。

 手書きのホームベースから、圭太は歩幅で距離を測りマウンドの位置を決める。そしてバットを持ち、ホームベースの左側に立つ。


「ん? 右で投げてるのになんで打つときは左側に立ってんの?」


「別に右利きだからって右で打たないといけないってルールはないんだ。俺の場合打つのは左の方が打てるから。それだけだ」


 圭太はゆっくりと構える。凛太朗とそこまで身長は変わらないはずなのに、バットを構えると大きく感じてしまう。

 いつしかテレビで見た野球選手のように振りかぶり、投げる。圭太はそれを一撃で捉え、打球は鋭く凛太朗の顔をかすめる。


「あっぶねぇー。もうちょっと手加減しろよ!」


「ごめん。あまりにも打ちやすかったから」


 この悪気の無い言葉にスポーツを今までしたことのなかった凛太朗の闘志に、火がついたのだった。


「空振りとるまで今日は帰らないからな」


 そして日も完全に落ちた公園には、まだ二人の兄弟の姿があった。


「もうこの辺にしよう。ボールは見えないし、母さん達が心配するだろ」


「はぁはぁ、はぁ。くっそぉ」


 少しひんやりとした地面に倒れこむ。もうすっかり蝉の鳴き声も消え、静かな公園だ。

 いったい何球投げただろうか。ボールがいくらあっても足りないだろう。

 圭太から空振りを取れるイメージが浮かばない。ここまで悔しいと思うのは初めてだった。


「なに笑ってんだよ。気持ち悪い。悔しいのか悔しくないのか、はっきりしろよ」


 どうやらニヤついているようだ。こんなに楽しいと思えるんだ。

 ニヤつきの一つだって仕方ないじゃないか。

 すると圭太も地べたに背中をつけ、夜空を見上げ声を出して笑う。それにつられて、笑ってしまう。

 まさか笑い合える日が来るとは思ってもいなかった。

 野球が兄と自分を繋げてくれたのだ。

 嬉しくてわけもなく声を出して笑ってしまう。


「なんで野球、始めようと思ったの?」


 隣で寝そべる圭太に、以前から気になっていたことを聞いてみる。


「ほんと単純な話だよ」


 圭太は起き上がり尻についた砂を払う。

 綺麗に夜を照らしている月を眺めるーー。

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