いつの日にか

@Teturo

第1話

 ジャングルの空気は、様々なリズムを刻む。極楽鳥の羽ばたき、虫たちの声、野猿が木々を駆け抜ける。

 原住民も、ほとんど足を踏み入れない奥地を、白人の大男と東洋系の少年が歩いていた。少年はオラウータンのライアンと手を繋いでいる。若々しい彼は、嬉しそうに少年と並んで歩いた。しかし少年の表情は冴えない。

 やがて見たこともない、森の中を彼らは進んだ。ライアンは次第に落ち着きをなくして行く。少年は無理に表情を殺している。白人はまるで何も気にしていないかのように鼻歌を歌っている。ついに、オラウータンは座り込んだ。

「しょうがない奴だな。休憩にするか」

「ううん。先に進もう。ダグ」

 少年は首を振った。大男は肩を竦める。少年はグイグイと歩き出す。仕方なく一人と一匹も足を動かした。草深い小川を飛び越えると、少年はライアンの手を固く握りしめた。


「いてっ。こいつ噛みつきやがった!」

 ダグは思わず、ゴツい腕を振り回した。


 ギャン!


 黒い塊が、床に叩き付けられる。塊は素早く態勢を整えると、走りだし、今度はガラスの壁に激突した。弱々しい、鳴き声があがる。

「どうしたの? ダグ」

 診察室の扉から、少年が顔を覗かせた。流暢な英語を話しているが、色白の東洋系だ。切れ長のアーモンドアイと黒髪で、アングロサクソンのダグラスから見ると、年齢がほとんど判別できない。

 今年で12歳という話だったが、それ以下にもそれ以上にも思える。時々性別すら分からなくなる始末だ。


「ミルクをやろうとしたら、この樣さ。チビとはいえ、流石に野生のオラウータンだ」

「そうなの?」

 少年は身体を硬くして、震えている彼を片手で抱き上げた。しばらく抱きしめてから、診察台の上にある哺乳瓶を取り上げた。

「ヤン、やめとけ。プロの俺がやっても、駄目なんだから・・・」

 しかし彼は少しグズッた後、素直にミルクを飲み始めた。舌打ちをするダグ。

「三十分も手こずらせて、これか。もう知らん!」

 その言葉に、ヤンは瞳を輝かせた。

「じゃあ、僕に世話させてよ!」

「別に構わないが、手間がかかるぞ」

「大丈夫!」

「・・・まぁいいか。センターの外には出すなよ」

「分かった! 彼の名前は?」

「まだ決めていない」

「じゃあ、僕が付ける! ・・・ライアンってのはどうかな?」

 それを聞いて、ダグは再度舌打ちする。

「ますます気に喰わん。俺の大嫌いなチームのエースピッチャーと同じ名前じゃないか」


 マレーシアにある国際自然保護施設「ネイティブ・センター」

 ここには全世界で絶滅の危機に、さらされた動物が保護されている。中でも東南アジア特有の希少な生物が多い。

 ダグはセンターの霊長類担当の係員である。今朝も早朝から現地の住民に叩き起こされて、生後三ヶ月のオラウータンと格闘する羽目になっていた。

 現在、世界中の野生類人猿は、個体数が激減している。人間が大規模な森林伐採を行ったため、ジャングルが狭くなったことも一因である。しかしこの土地では別に深刻な原因があった。

「どうせ親は、密猟者にでも殺されちまったんだろうよ」

 原住民は、そういうとあっという間に姿を消してしまった。オラウータンの生肝が、世界的に流行しているウィルス病の特効薬であると噂され、現実に高値で売買され始めたのだ。

 案外、親猿を殺したのは、彼なのかもしれない。密猟は彼らの貴重な現金収入源だ。その金で、彼らの子供を学校に通わせていたりする。親猿は殺せても、側にいた子猿までは殺せなかったのだろう。それだけでも十分、良心的と言える。子猿にだって、生肝はあるのだから。

 肉親のいないヤンは、ライアンを弟のように可愛がり始めた。


 ヤンは五年前にセンターへやって来た。両親と共に乗った航空機が、マレーシアの山中で墜落し、彼一人が奇跡的に生き残ったのである。動かなくなった両親にしがみついた彼を、引き剥がすことは難しかった。

 強引に彼を病室へ連れて行くと、何日も部屋の隅で震え、食事も取らなかった。

 そんなヤンの保護者として、ダグが任命されたのは、センターで霊長類担当だったからだ。早い話が、押し付けられたのだ。人嫌いで通っているダグだが、ゴツい見た目とは裏腹に、献身的にヤンの精神外傷を癒した。今でも毎回の食事は、できる限り共に取るようにしている。

 ヤンもライアンの食事は全て自分で作り、彼が食べる終わるまで、側を離れなかった。

 ライアンはセンターに保護されてから、三ヶ月目にオラウータン特有の風土病に侵された。ダグも懸命に診察したが、幾晩も高熱が続いた。彼はどんな餌にも見向きもせず、毛布の中で動かない。ヤンは三日間、不眠不休で看病を続けた。

「おい。トットと寝ろ。明日学校だろうが」

「・・・もう少し」

 ヤンはライアンの側から離れようとしなかった。四日目の朝、ライアンが差し出されたバナナ食べた後、渋々学校に向かったヤンは、途中で倒れ、今度は自分が寝込むことになってしまった。


 あまり身体の丈夫でなかったヤンは、ライアンと人工森林で遊ぶ時間が多くなり、地元の少年たちと見分けがつかなくなるくらい、良く日に焼けるようになった。

 ライアンもヤンが来れば、すぐ飛んでくる。餌もヤン以外から摂らない。特にダグが近づくと、途端に逃げ出すようになった。

「気に喰わないやつだ」

 おそらく、お互いがそう感じていたのだろう。


 ついに自然保護区の中でも最深部に、彼らは到着した。通称Dブロックと呼ばれるこの辺りは、密猟者でさえ入ることができない。辛うじて太古の環境が保たれている、奇跡のような場所なのだ。

 ここに来て、ついにライアンが動かなくなった。無理に引っ張ると、長い手足を樹に絡ませて抵抗する。

「もう、この辺りでいいぞ」

 ダグはタバコに火を点けた。ヤンはリュックから、何種類かのフルーツを取り出し、ライアンに与えた。

 彼の食事が終わると、少年は深呼吸を一つした。しばらく迷ってから、親友の背中を強く叩いた。

 ライアンは驚いたように飛びすさった。ヤンは構わず彼を追い回す。悲しげな鳴き声をあげ、彼は辺りを逃げ回った。

「早くどっかに行けよ! お前なんか大嫌いだ!」

 悲しげなライアンの瞳を見て、少年は戸惑った。しかし頭を強く振ると、また狂ったように彼を追い回した。


 どの位の時間、走り回ったろう。ほんの五分だったようでも、一時間以上経ったようにも思えた。

 やがてライアンは、躊躇いながらも森の中に入って行った。何度もヤンの顔色を伺うが、少年の表情は変わらない。そしてついに彼の姿は森の奥に消えた。


「ご苦労さん。これで奴も一人前だ。嫁さんでも貰って、楽しくやるさ」

 ダグは少年の肩を叩いた。

「そんな顔しなさんな。保護した野生動物は自然に返すのがルールだ。分かっていたことだろう?」

「・・・楽しく」

「何だって?」

「ライアンは楽しく暮らせるかな」

 ダグは鼻を鳴らすと、ヤンの頭を自分の胸に引き寄せた。

「ああ、勿論。当たり前だろう」

 少年は歯を食いしばっていた。口を開けたら、自分の泣き声が出てライアンに聞こえてしまう。そんな表情で涙を流していた。


 ジャングルから帰って、少年は物も言わずに部屋に閉じこもった。ダグは肩を竦めるだけだった。

 翌朝、ダグは口笛を吹いた。彼が担当している類人猿の檻は、どれもキレイに掃除され、真新しい飲料水が入れられていた。

「どういうこった? 今週の当番は俺の筈なんだが」

「おはよう。ダグ」

 いつの間にか、バケツ一杯の餌を持ったヤンが立っていた。

「ああ、おはよう。どうしたんだ一体?」

「今週の当番はダグでしょ? 代わってあげるよ」

「そりゃ、ありがたいが・・・」


 彼は元気良く働く少年を眺めていた。きっと少年なりに、親友との別れを受け入れたんだろう。

 そう考えて、ダグはポケットに手を当てた。中にはヤンの奨学金付アメリカ留学の書類が、一週間前から入っている。

 いつの日にか、ヤンも多くの友人を作り、どこかで楽しく生きて行く。センターでの生活も、遠い思い出になってしまうのだろう。

 

 彼と別れる時、自分はこんなに強くなれるだろうか?


 似合わないことを考えて、ダグは肩を竦めた。


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