怪 文 書

第1話

 午後3時半、僕はスマートフォンを見つめている。なぜなら、今日も明日も明後日も、昨日も一昨日も、なんの予定もなくスマートフォンを見つめていたからだ。僕は風呂に入ることを億劫がる親父があんまり好きではなかったが、今はその気持もわかる。一歩も外に出ず、スマートフォンを見ているだけでは風呂に入る気が起きないのだ。いや、ちょっと待てよ、親父は介護の最前線で働き続けているのに風呂を億劫がる?やっぱり、親父のそういうところは好きではない。

 しかし、好きじゃない所があれば、嫌いじゃない所がある。はるか昔、まだ家に水色のトヨタ・イプサムがあった頃の話だ。僕は親父の運転する車に乗るのが好きだった。親父が大好きだった“あの頃“に思いを馳せる。いつもどおり、父方の婆ちゃんの家に遊びに行くあの車内、あのクリーム色の内装が懐かしい。そういえば、ナビとエアコン周りが木目になっていたっけか。そう、その時子供だった僕は親父にこう訊いた。きっかけは親父の上司の愚痴だったと思う。

「なんで20年も働いてるのに、父さんは偉くないの?」

 親父は一言、こう返した。

 「お父さんは偉くなりたくないんだ。」

 この言葉が、この言葉だけは僕の脳裏に焼き付いて離れない。小さい頃はよく分からなかったが、今になってわかるこの妙な人間臭さが僕は好きだった。


 閑話休題、とにかく僕は、春休みという二ヶ月強ある巨大な人生の空白を有効活用出来ずにいた。というのも、大学に友人はおらず、一応入ったサークルもロクに交友関係がなく、遊んでもらえるのは地元の友人数名、高校の同期数名、そしてややこしい関係の友人一名で僕の交友関係はお送りされている。地元の友人とは春休み始まって一週間でかなり遊んだ。高校の同期とはとあるFPSゲームで繋がっていたが僕はそのゲームを辞めたし、第一パソコンが壊れている。ややこしい関係の一名は現在北に監禁されているのでどうしようもない。おいほら見てみろよ?何も来ねぇぜここ(メッセージアプリの通知)。すっげぇぼっちだからさ。誰もメッセージ送らないんだぜお前?

 そんなこんなで僕は未だに通知の来ないスマートフォンを見つめている。Twitterを見ている分には飽きは来ない。常に内容は更新されていく、情報の濁流に僕は流されていくだけ。楽でいい。頑張るのは疲れた。

 僕はTwitterを見つめている。ダークモードは目にいいらしい。Twitterに知らないアイドルの写真が流れてきた。アイドルの横には「私が生きていることが一番の君への嫌がらせだよ」のセリフ。確かにな、そう思った。好きな人がいる。けど、好きな人にも好きな人がいる。好きな人には好きな人なりの幸せがある。ところがぎっちょん、僕の幸せは好きな人の幸せ、と言えるほど僕は人間として出来上がっていない。僕は「NTR」だとか「間男」とかが嫌いだった。心の底から嫌いだった。なぜって、なんでだろうね。とにかく僕は好きな人を掠め取っていく間男という存在が嫌いだった。だけど今、僕はその嫌いな間男になろうと努力している。フラれれば諦められると思っていた。嫌いになれると思っていた。僕は間男になどなる筈はないと高を括っていた。しかし、甘かった。フラれてもなお、夢に出るほど好きなのだ、想っているのだ。悲しいことに、不自由なことに、好きという気持ちは変えられないのだ。

 僕の恋愛事情を相談したとある先輩は深刻そうにこう言った。「はっきりさせて、次に行くのが僕くんの為だ、現状は僕くんにとっていいものではない」と。だからはっきりさせた。いや、はっきりさせられた。

 あの人はドタキャンの埋め合わせをキチンとしてくれた。いや、やっぱ好きすぎる。今回は身の丈にあったイタリアンを選んだ。よく行くガッツリ系ラーメン店の傍にあったので自分のテリトリーの中、という意識も僕を後押ししてくれた。あの人との食事にあたって、地元の友人に頼んで今風な格好を上から下までコーディネートしてもらった。今日はお気に入りの日焼けしたモッズコートは封印、僕は白のセーターに黒のスキニー、そして黒のチェスターコートという出で立ちだった。今考えれば随分黒が多く違和感もあるが、僕はキモ=オタクだ。良しとしよう。

 待ち合わせは駅の改札前だった。クリスマスツリーの無い改札前は随分広く感じられた。待ち合わせの三十分前についた。大抵待ち合わせに十分二十分遅刻する僕にしてみればこの時点で大金星だ。してみれば、「人を待つ」なんて行為は小学生の頃遊びの約束をすっぽかされた時以来かもしれない。することもなく周りを見渡す。スマートフォンを見ても良かったが、酷く冷えたので止めた。周りは家路を急ぐ人々と、誰かを待つ人々の二つに分けることが出来た。電車が来るたびに、アベックができあがった。こうして見ていると、もしかしたら僕も人並なコトをしているのかもしれない、そんな思いが湧き上がった。

 あの人は五分前に来た。ファッションに疎いのでよくわからないがとても良く似合った黒い服装だった。心做しか、去年の八月に会ったときより綺麗だった。

 意外にもすんなりと会話は弾んだ。店でも注文でまごつくと思ったが、そうでもなかった。これより初めて行くガッツリ系ラーメン店の注文のほうがドキドキする、そう思った。

 機を見計らい、僕は「高校からの腐れ縁が女を作った」という話をした。恋愛事情を聞き出したかったのだ。すると、なんとあの人は婚活をしていると言うではないか。街コンに友だちと行ったら待ち合わせ場所にそれっぽい“凄い“見た目の集団が居て、それを見て友人と二人で遊んで帰った、なんて話を穏やかじゃない気分で聞き、僕はこう返した。

「婚活とか出会い系とか使わなくても出会いとか無いんですか?」

 あの人は何か含んだような笑みを浮かべ、こう返してきた。

「私、彼氏ができました」

 とても眩しい笑顔だった。どうだ、お前より先に幸せになってやったぞ、してやったり。そんな笑顔だった。僕が好きな笑顔だった。

 ここで僕の恋は終わるはずだった。だけど、終わらなかった。食事中は混乱で自分の状況をよく理解出来ていないのか?そんなことを考えていた。思っていたよりもショックを受けなかったからだ。そのせいか、やられっぱなしでこのまま何もせずに引き下がるのは嫌だった僕は帰り際に告白した。はるか昔にわかっていたことだがやっぱり僕の告白は本題に中々切り出せず、回りくどくて中々に酷い。酷いもんだった。

「そう言っていただけるのはありがたい」

 なんて気休めの一言を賜った。虚しいね、悲しいね、だけど帰りの電車であの人は降りる時僕に「頑張れよ」と一言投げかけ、右肩を二回叩いて去っていった。いや、やっぱ好きだ。なんなんだろうな。なんでこんなことするんだろうな、なんで好きなままにするんだろうな、なんで突き放してくれないんだろうな、そう思った。事実上フラれてもなお、好きが止まらず、なんとかして間男になろうとしている僕はなんなんだろうな、一番嫌いなものになろうと頑張ってる自分ってなんなんだろうな、止まらない「なんなんだろうな」に僕は苛まれ続けている。

 話の最初に戻ろう。「私が生きていることが一番の君への嫌がらせだよ」だが、見た時僕は泣きそうになった。だって、あの人が生きていればずっと、僕の想いはあの人に拘束され続ける。拘束されるのは好きだが、報われない拘束は御免だ。そう考えたからだ。直後に、まるでメンヘラみたいな考え方だ、とも思った。終わってるな、そう思って泣いた。


 p.s.

 食事が終わった後、僕はいつもの友人を呼び出してファミレスで煙草を吸った。「しんせい」を吸った。良いんだか悪いんだか、新生は叶わなかった。

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