#殺伐感情戦線 第2回

カバなか

端境

 春の日、泉のほとりの薄紅色の光の中で、わたしはあなたと出会いました。

 わざわざ山の上の方から水を汲みに降りてこなくてはならない、と笑ったあなた。

 今まで出会ったことのないような、真っ黒に日焼けした女性を見たわたしはびっくりしてしまいました。

 こんなに空気のいいところでも、歩くと息切れしてしまうような身体に生まれついたわたしとは違う、高い背と短い髪。

 あなたにうながされて、わたしは初めて泉から水を手で掬って飲みました。



 夏の日、あなたはわたしを泉まで散歩に誘ってくれましたね。

 山に生まれ育って健脚のあなたは、遅々としたわたしの歩調に合わせて歩いてくれました。

 あの泉の所まで来て、わたしたちは休みました。せき込むわたしの背中を撫ぜるあなたの手は暖かかった。

 みんなこの泉の先へ行ってしまうんだ、とあなたは言いました。自分は行ったことがないと。

 笑顔で語るあなたを、わたしは見つめていました。



 秋の日、あなたはわたしの隣の部屋から荷物を運び出していました。

 隣の部屋にいたのは、やはりわたしと同じように痩せた、都会から来た女性でした。

 ああ、きっとあなたは何度もこんな場面に出会してきたんでしょう。

 わたしは、わたしの部屋に前にいた人を知っているか、とあなたに尋ねましたね。

 あなたは笑顔で教えてくれました。東京に旦那さんがいるという女性のことをとても詳しく。



 冬の日、あなたはわたしを抱きましたね。

 これほど痩せさらばえたわたしの体から、滾々と湧き出るものがありました。

 あなたの手が温かくて、うれしくて幸せで泣きそうで、それでいて反吐が出るような気持ちでした。

 この部屋にいた、旦那さんが居る女性のことなんて考えたくなかった。あなたの笑顔だけ見つめていたかった。

 わたしはあなたがわたしより先に死ねばいいのに、と思いました。できれば今すぐに。



 また春が来て、わたしは泉より下へお客に呼ばれました。あなたは泉より先に行ったことなどないと言っていたのに。

 残念なのは、思いだせるのが笑顔のあなただけだったこと。わたしの部屋はかんたんに片付いたはずです。

 いったいあなたは、わたしのために泣いてくれたのかしら。望みは薄いと言わざるを得ないでしょうね。

 この春、最初に散った花びらは、あなたに見られることもなく静かで冷たいところへ沈んでいきます。

 あなたが未だ枝にしがみついている薄桃色の花びらを、きっと笑顔で愛でることを呪いながら。



(了)

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#殺伐感情戦線 第2回 カバなか @kavanaka

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