赤い星へ
『……着陸船グラディウス7号は5分後に分離を行います。乗船予定の方はD-4ゲートまでお急ぎください』
船内放送に促され、係員が待つゲートへと足を進める。身分証を認証端末にかざすと、彼女の情報が乗客案内を行うクルーの眼鏡型端末に表示される。
「ナツヒ・ホシノさんですね。荷物は全て運び込みが完了しています。手荷物はこれだけですね。座席は自由席となっているので、お好きな場所へどうぞ。荷物は頭上の棚に入れてしっかりロックして下さい。航行中は許可がある場合を除いてシートベルトをしっかり締めるように。それでは、良い旅を」
「ええ、ありがとうございます」
クルーの操作でゲートが開かれる。発生している疑似重力の関係で、着陸船へは床に開いた穴を足元の方向に通り抜けることで移動する。梯子を踏み外さないように気を付けながら、彼女は2か月を過ごした母船を後にする。
着陸船の中はそんなに広くない。3席並びのシートが2列、奥まで続いている。地球で乗った飛行機の国内線もこんな感じだったかと思い出しながら席を探す。出発直前なので既に多くの人が乗り込んでいたが、幸い、まだ誰も座っていない並びの座席を見つけることができた。荷物を棚に入れて扉を閉め、壁側に着席すると頭上から薄型ディスプレイが降りてくる。シートベルトの装着を説明してくれるようだ。
「えっと、まずは腰のところでしっかり締めて、それから両肩のベルトを引っ張り…」
大気圏内飛行機の腰だけで締めるベルトや乗用車の3点式シートベルトとは異なり、この着陸船のものは腰と両肩を固定する4点式シートベルトだ。減速時や着陸時の噴射は3次元的な揺れになるため、こうしておかないと前の座席に頭をぶつけてしまう。ちょっと窮屈だが、仕方ない。
「よっと、こりゃ人が多いなぁ。早いとこ座らないといけないんだが……」
前方で、誰かが乗り込んできたようだ。明るい茶色の髪を短く切り揃えたアジア系の女性。彼女の頭上でゲートが閉まったところを見ると、出発までの時間は長くない。
「あの、ここが空いていますよ。とりあえず座りませんか?」
「ん?おお、ありがたい。そうさせてもらうよ」
手早く荷物を棚に放り込み、ホシノの隣に小柄な女性が滑り込んでくる。
『こちらグラディウス7号コックピット。機長のムーアです。全乗客の着席を確認しました。これより本船は火星に向けて出航します』
直後、スピーカーからの音声とともに機体が軽く揺れる。母船とのドッキングを解除したのだろう。床に押し付けられるような力を感じる。
「いやぁ、荷物をまとめるのに思ったより時間がかかってね。なんとか間に合ったよ。あたしはスミレ・ノブマチ。専門は電磁加速装置の研究開発ってとこ。もっとも、火星では送られてきた機器をやりくりして上手く調整するのがメインになりそうだけどね」
隣席の女性が右手を差し出してくる。火星に来る人間は全員が何かしらの役目を背負っている。自己紹介で何を担当しているかを伝えるのは、お互いの素性を知る上で最も優先されることであった。
「初めまして、私はナツヒ・ホシノです。いちおう、核融合炉の反応制御アドバイザーという肩書きを貰ってます」
「おぉ!日本人なんだ!いや船の中でも何人かと話したけどさ、やっぱり安心するよなぁ」
スミレと名乗った女性は、相手の名前を聞くと通話言語を英語から日本語に切り替える。火星まで派遣される人材は必ず一定レベルの英会話能力を求められるが、それでも故郷から遠く離れた場所で母語が使えるのは気が楽になるに違いない。
だが、ホシノはその情報を少し訂正する。
「いやまぁ、両親ともに日本人なので私も民族的にはそうなんでしょうけど、国籍は違うんですよね。私、ルナリアンなので」
「ルナリアン……あぁ、月面生まれなのね!道理で背が……いや、ごめん。これは言わない方が良かったか」
「いえ、私は気にしていないので問題ないですよ。中にはそういう人も居るのは事実ですけど」
月面など、地球よりも重力が小さい環境で生まれ育った人は、地球育ちの人よりも身長が伸びやすいということが報告されている。コンプレックスとは、当人にしか分からないものなのである。
「しかし、月面生まれで核融合の専門家ねぇ……そりゃ月面にも核融合炉はあるけどさ、向こうにそういうの学べる大学ってあったっけ?」
人類が月面で恒久活動を始めてから半世紀が経過したが、高等教育機関の設置は予想外に遅れている。そもそも、大学設置を認可する政府に当たる機構が最近まで存在していなかったのだ。地球各国の政治的思惑により月の国際的な立場をどうするかは未だ議論が為されているところである。2年前に「月面行政府」が設立され、妥協点としては成立したものの異論は少なくない。
「私の頃はまだ大学自体が無かったですね。なので、18歳からは日本で生活してきました」
「月面生まれだと重力が大変だろうに……あれ、昔そういうニュース見たな。まだ私が子供の頃だけど、月面から初の大学生が入学したとか話題になったような」
地球の重力は月のそれの6倍である。当然、成長期を月面で過ごした人間へは立っているだけで過酷な負担となるのは火を見るより明らかだ。
そんな話を向けられて、ホシノは照れながら笑ってみせる。
「あー、たぶん私ですね。まだ体力が弱かったので入学式は車いすで参加していいって言われたんですけど、なんか変に反発して『絶対にこの足で歩いてみせる』って、杖だけで行こうとしたんですよね。結局、帰りは一歩も動けなくなって車いすを用意してもらったんですけど。若かったんですね」
「お姉さん、なかなか気合があるのな……それからはずっと地球で?」
「そうですね。数年に一度くらい両親に会うために月へ帰るんですけど、それ以外は地球で暮らしてます」
「月に帰るってなかなか聞かないなぁ。もしかしてお姉さん、かぐや姫なんじゃないの?ほら、こんなに綺麗で長い黒髪だしさぁ」
そんなことを言われるのは、もう何百回目だろうか。いや、それに飽きたわけではないのだが、日本文化圏の人は同じ発想をするのだなと微笑みながらも思うホシノである。
「あら、バレちゃいました?これでも高貴な方々からプロポーズを……されたことないんですよねー……」
「えー?こんなに美人なのに。あ、もしかして私みたいに現場大好き人間だったり?火星って出会いあるのかねぇ……」
こんな他愛のない会話がとても好き。月でも地球でも、気の合う人と話せば同じような空気になった。場所じゃないんだ、相手なんだ。少し緊張していたホシノの心に余裕が出てくる。
「それが、けっこう多いんですよ、結婚したいっていう人たち。まぁ、それもあって私がやってくることになったんですけどね」
一瞬、スミレは隣席からの声が何を意味しているのか理解できなくなる。このホシノと名乗ったお姉さんは核融合炉関連の研究者と自らを紹介した。それがどうやって、結婚の話題と結びつくのだろうか?
分からないところは確認する。謎は解決する。技師としての習性が行動させる。
「あれ、お姉さん結婚式場のスタッフでも兼業してるの?というか火星にそんな施設あったっけ?」
地球からの出発前、火星を目指す人間には彼の地に何があるのかということが詳しく説明されていた。労働者の福利厚生を担保すると同時に、同じ大地で暮らす人々が何を目的として生きているのかを確かめ、生活に足りない物は各自で持ってきてもらうためのブリーフィング。そこでの内容を完全に覚えているかと言われるとスミレは自信が無いが、だいたいは把握していたつもりである。そこで結婚式場が紹介されていたとしたら、間違いなく記憶に残るだろう。
なにしろ、現在の火星は主に研究を目的として開発が行われている一種の学究都市である。火星の低重力下で体力低下を防ぐためのトレーニング施設など健康的な生活に必要とされる機能は万全であるが、逆に一般の都市生活で必要とされるものは必要最小限に留めているのが現状だ。どんな設備でも、稼働させるには専門の人員が求められる。しかし、人間が生きていくには大量の水と有機物と空気が必要になる。どの資源も貴重な火星では、派遣される1人の維持に莫大なコストが計上されるのだ。そしてなにより、人類科学の最前線である火星には、様々な学界が研究者を派遣したがっている。通常の都市機能が削られるのも無理はないのだ。
ところが、ホシノの答えはスミレを驚かせるのに充分なものだった。
「結婚式場というか、まぁ確かに結婚を行う場でもあるんですが……いや、日本だと結婚式を専門に行う業者さんの方が圧倒的に多いんでしたね。ともかく、そういうことも私の役目の1つではあります」
「え?お姉さん核融合の研究者じゃないの?」
「そちらはほとんど非常勤みたいなもので、火星への切符を手に入れるための名目というか……いや、もちろん専攻ではありますよ?ただ、私の中ではもう1つの方がメインで、もっと重要な使命ですね」
そちらの方が重要?スミレは戸惑いを隠せない。火星核融合炉は稼働開始からまだ10年ほどしか経っていない、最新鋭機の1つだったはずだ。これから行う計画の大前提とされる情報なので、当然スミレは知っている。地球でも、あれに関わるために多くの研究者が努力してきたはずだ。そんな価値のある代物より、さらに優先する。そして使命とまで言い切るとは……
「お姉さん、あなたはいったい何者なんだ……?」
「私ですか?ごく普通の人間ですよ。それと、火星で初めての主教です」
M. A. R. S. 火山たん @volcano_tan
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