第1章

星の旅路

「ええと、マグカップはこの箱で、チャリスは向こうに入れたから……」


無機質な白い壁に覆われた狭い部屋で、彼女は荷物の最終確認を行っていた。両手でないと抱えられない大きめの梱包箱が5つ平積みにされている。見た目と色は地球で使われる段ボールに似ているが、無重力航行中に破片が漂うのを防ぐため強化プラスチックで作られている。地球重力下でも、彼女8人分の加重に耐えられるそうだ。

3か月を過ごしたこの部屋ともお別れだ。忘れ物がないか室内を見渡した後、小さめのバックパックだけを背負って扉を開ける。梱包箱は船内の自動輸送システムが回収してくれるのだという。部屋の片隅から着陸船出発まであと30分という音声が聞こえてきたので、これまた白い壁が続く通路へと出る。



出発までまだ時間があるので、船の人間に会いに行くことにした。とはいっても、この船に残って地球重力圏まで戻るのは30人ほどだ。あとの1100人は地表に降りる。

彼女の部屋だった空間から制御室までは200m、時間にして3分ほどだ。船が回転して生み出される疑似重力下での移動にも慣れてきた。もちろん地球と同じ重力加速度を再現することも出来るが、この旅路では目的地に合わせて地球の40%ほどの疑似重力が生成されている。


「こんにちは。これから降りるので挨拶に来ました」

「あぁホシノ先生、この便で降りられるのですね」


制御室の入口近くにはこの船の主動力である重水素-ヘリウム3核融合炉の管制を行うオペレータが座っていた。ホシノと呼ばれた女性は船内で分担された作業の1つが核融合反応の制御だったので、このオペレータとはよく話す間柄なのである。


「もう、先生はやめてよ。そういうの似合わないから」

「けど多くの人を教え導く立場なんでしょ?頑張ってくださいね」


オペレータから向けられた拳に、自分の右手を握り軽くぶつける。これは無重力空間で作業する者たちがよくやる別れ際の仕草だ。お互いが同じスピードで離れていくのでけっこう絵になる。ただし、今は疑似重力によって床と靴の間で摩擦が発生しているのでそうはならないが。


部屋の奥に進むと、一辺が何mもある巨大ディスプレイの前に据え付けられた椅子に1人の男が座っていた。航行中はこのディスプレイに進行方向の映像が映し出されて監視を行うのだが、今は虚空の中に漂う赤い惑星が示されていた。


「艦長、次の便で降りるので挨拶に参りました」


椅子がゆっくりと回り、黒い肌の男が立ち上がる。ホシノの身長は175cmほどだが、艦長は彼女よりさらに頭1つほど背が高い。元は海軍艦載機のパイロットだったが、宇宙軍に抜擢されて十数年も星と星の間を飛んできたという噂だ。


「わざわざありがとうございます。先生を無事にお運びできた事は私の飛行士人生の中でも最大の栄誉の1つです」

「それは大げさですよ。けど、ありがとうございます。とても良い旅でした。どうかこれからも、多くの喜びと希望を繋いでください」


2人は固く握手を交わす。続いて艦長は1歩後ろに下がると片膝を床に着けて頭を下げる。こういうことを求められるのも増えてきたと思いつつ、ホシノは右手の指で印を結びながら彼に向けて大きく十字を切る。


「計り知ることのできない神の平安があなたの心と思いを守り、星々を巡る旅路を祝福し、行く道の闇を取り除いてくださいますように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常にあなたとともにありますように」

「アーメン」

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