エピローグ
俺はテーブルの上に並べられた菓子類を見渡す。
砂糖のかかっていないクッキー、クリームの乗っていないパウンドケーキ、こんがり焼けたブリオッシュ。その他諸々、一様に小麦色の姿をした面々が堂々と並んでいた。
これらはイリアからお礼に作ってもらった菓子だが、なんというか、俺の求めていたものが欠けていた。
「リドは揚げ餡みたいに甘いのが好きじゃないって言ってたから、甘くないお菓子を作ったよ!」
イリアが満面の笑みで胸を張る。残念ながら、俺はこの笑顔を前に文句が言えるほど図太い性格ではなかった。
クッキーを一つ取って口に入れる。焼きたてのクッキーは歯触りが心地よく、砕けるたびに香ばしい匂いがした。
棚の上にある三本の黒い瓶は、相も変わらず不愛想に佇んでいた。
もう捨てようかな、あれ。
俺の住んでいる家もあまり綺麗とは言えないが、このエーテル屋も負けず劣らず酷い。ここは商売をする場所なのだからもっと綺麗にした方が良いと思う。店の中を見渡しても、埃を被っていないところの方が少ない。
俺は埃でざらついたカウンターに手をつく。背中を伸び縮みさせてみるが、
店主が店の裏に下がってから、もう結構な時間が経っていた。
店主は今、目が覚めた時に俺が握っていた小石の鑑定を行っているところだ。
あの小石は魔力の塊のようだった。
もしそうだとすれば、中々に価値のある物と考えられる。通常、エーテルを一本作るためには
元
彼女は今、ラルミネ邸で世話になっている。諸々で負った傷(ちなみに一番の重症はカルバが開けた脚の穴)の治療をしてもらっているところだ。あいつの家は島流しにあった両親が建てた豪邸で、部屋はいくらでも空いているそうだった。世話をする人間が増えることについても、使用人達は仕事が出来たと喜んでいた。ラルミネの世話だけだと暇だったらしい。
本当は怪我の治療なら教会堂で受けるべきなのだが、それを出来ない理由があった。
彼女はなんとか五体満足で人間になったが、一つ目立った問題が残った。
彼女の頭には、獣の耳が残ってしまった。
考えてみれば、
五感を担うような器官は魔力と関係なく作られていたのか、あるいは俺が
ちなみにラルミネの屋敷の使用人からは、あの獣の耳が可愛いと評判らしい。
この国の人間の魔物に対する嫌悪の線引きがよく分からない。
ぎぎぎ、と汚い音を立てて汚い扉が開いた。汚い店主が戻ってきた。
「お前、えらいもん持ってきたな」
店主が目を丸くしていた。
「そうだろう。俺の見立てではエーテル一本分くらいにはなるかと思ってるんだが、どうだ?」
「百本だ」
「なに?」
「エーテル百本分の魔力がある。こんな小指ほどもねぇ小石にな」
翡翠色の小石が返却される。俺はそれを落とさないように慎重に受け取り、革の小袋に仕舞った。エーテル百本分。換算すると高級馬が買えるくらいの価値があることになる。
小遣い程度になれば良いかと思っていたが、これほどまでとは。成り行きで行った所業で得た物だったが、これはもしかしたら――
「商売になるんじゃないか……?」
「なぁ、教えろよリド。どこで手に入れたんだ」
「ちょっと言えないな」
「意地悪言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」
俺は小石に入った革袋を店主の顔の前で揺らした。
「これをこの店で換金してくれるなら考えてやる」
店主は、俺の店を潰す気か、と吐き捨てた。
事務所を持とうと考えたのは、あのボロいエーテル屋を見てのことだった。木こりの家は住む分にはともかく、店を構えるには場所も見た目も良いとは言い難い。しかも壁に大きな穴が空いている。とりあえず布を被せてあるが、雨が降る前に修理しなければ。
街中に空いている貸家があったのでそこを借りた。応接用のテーブル等、綺麗な家具を一通り揃えると、内装は中々様になっていた。
ちなみにあの小石はまだ換金できていない。あんな高濃度の魔力の結晶体は世間に認知されていないため、出どころを聞かれると答えようがないからだ。なので、家賃も家具代も魔王討伐時の報奨金から支出した。いよいよもって貯金が底をついてきた。
「おー、けっこう綺麗じゃん」
いつのまにかイリアが事務所に入ってきていた。
「看板が立ってなかったけど、付けないの?」
「『魔物を人間にします』なんて堂々と掲げられるかよ。書類上の用途も喫茶店にしてある」
「というか本当にこんなこと商売にするつもりなの? リド、三つ同時に魔法を使ったせいで意識飛ばして倒れてたじゃん」
「あれは元々体力を消耗してたのと、あとは慣れだ。ラルミネは五つくらい同時に使っていた。三つくらいなら鍛錬すれば俺でも出来るようになるはずだ」
「えらい自信だね」
「元々魔法の技術には自信がある方だ。人間化の魔法も、二回やって大分コツを掴んだ」
ふぅん、と小笑いを浮かべながら、イリアは部屋の中を見定めるようにきょろきょろと視線を動かす。
「綺麗な事務所も出来たし、所長さんも腕に自信ありと。だけど、この事務所に一つ足りないものがあると思わない?」
「なんだ?」
「可愛い助手」
「雇えって言いたいのか?」
「一人じゃ何かと大変でしょう? 何より、男一人の事務所なんて華がないよ」
「正直、お前に何かをさせるくらいなら全部自分でやった方が楽な気がするんだが」
「へぇー、そんなこと言っていいんだ?」
イリアがふんぞり返っていやらしい笑みを浮かべる。
「せっかくお客さんを連れてきたんだけど、帰ってもらった方が良いかなぁ」
「客? 客って、まさか魔物か?」
「そういう仕事でしょう?」
「それはそうだが……。連れてきたって、どこからだよ」
「街中にいたよ」
「またか? そんなにしょっちゅう魔物が出るのか? この街は」
「この間みたいに騒ぎにはなってなったよ。なんせ隠れてたからね」
「隠れてたんなら、なんでお前は見つけられたんだ」
「そりゃあ、十五年も魔物と暮らしてたわけだからね。気配で分かるよ。あの家から魔物の気配がするなー、ってずっと思ってたんだよね」
腰を屈めたイリアが、挑発するように下から俺の顔を覗き込んだ。
「この事務所に必要な能力だと思わない?」
「……給料は揚げ餡とかで良いか?」
イリアが俺の腹を指で突いて抗議した。俺が「冗談だ」と返すと、軽快な足取りで入り口の扉へ駆けていく。
「どうぞ」
イリアが扉を開け、客人を招き入れる。
扉の向こうにいたのは大人しい雰囲気の若い女性だった。長い黒髪を右側で結っており、絹の服に身を纏っている。
一見すると人間にしか見えない、どんな魔物なのだろうか、と一瞬考えたが、どうやら彼女は普通の人間のようだった。
女性の後ろに、大きな布袋を載せた荷車がある。彼女が布袋を抱えると、袋の中で何かがもぞもぞと動いた。
布袋を抱えた彼女が入室し、扉を閉めると、袋の中からゆっくりと獣の影が現れる。
獣は
この女性が飼っているのだろうか。脚は魔物狩りにやられたのか。というか、亜人では上手くいったが、同様に
考えることも聞くことも色々あるが、まずは一番初めに聞くことがある。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞお掛けになって下さい。飲み物を淹れましょう。紅茶と珈琲ではどちらをお好みで? あ、紅茶ですか。それは残念。いや、こちらの話」
魔物飼士はつぶしがきかない オリハ @Hakato_Ori
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