第七章 魔法(後編)
「カルバ!」
「下がっていろ」
カルバが剣を振るう。
しかし
カルバが狼人に向けて手をかざす。瞳が翡翠色に変わった。発動するのは恐らく、カルバの得意魔法である
「待て、カルバ! 殺さないでくれ!」
俺は思わず叫んでいた。カルバはこちらを一瞥し、すぐに
カルバの手元から閃光が走る。同時に、
「ラルミネから全て聞いた」
カルバがこちらに身体を向ける。隣のイリアが身を強張らせた。カルバはそれに気付き、剣を鞘に仕舞う。彼女がカルバ達に恐怖を感じていることも察しているようだった。
「ラルミネのやつ、チクりやがったのかよ」
「事が露呈したときに備えて、予め僕の方へ根回しをしたんだよ。何かあっても揉み消せるようにね。まぁ、結局はこうして来てしまったわけだが」
カルバは「それで」と森の木の前でうずくまる
「どうやら人間化の魔法とやらは失敗したようなので、その後始末をしようと考えているんだが」
「焦るなよ。一回失敗しただけだ。次は上手くいく」
「僕が来なければ君達は殺されていた」
「その通り。ここに二つの命が救われた。少し待っててくれれば、その数をもう一つ増やす事が出来る」
「魔物の命だろう?」
「その点は心配無用だ。今から人間の命に――」
イリアが俺の胸に飛び込んで来た。倒れないように踏ん張ると、泣き叫びたくなりそうな痛みが背中に走った。男の子なので頑張って耐える。
「安心しろ、イリア。次はきっと上手くいく」
「違うの。私のせいで、こんなことに。ごめんなさい。もういい。もういいの」
胸元からくぐもった声が聞こえる。服の生地に火傷しそうなほど熱い涙が染み込んだ。
「だ、そうだ」
カルバが
イリアが『もういい』と言った以上、俺が出来るのはここまでだろうか。
そもそもがさっきまで死を覚悟して後悔していたくらいだ。死ななかっただけ良い方だろう。命の恩人であるカルバにこれ以上我儘を言うわけにはいかないか。
あの魔物を仕留めて、それで終いだ。それなら最初から、傷の治療だけして山へ帰してやれば良かった。そうすれば、あの魔物も生き残る可能性は無くもなかったはずだ。最初にそう提案されていただろう、ラルミネから――
「一つ教えてやるよ、カルバ」
俺はイリアの身体に手を回し、強く抱きしめた。
「女が泣きながら『もういい』って言ったときは『よくない』って意味だ。抱きしめてやらなきゃならん」
胸元のイリアがぐしゃぐしゃの顔を上げる。
カルバは歩みを止め、呆れた顔で振り向いた。
「誰かから悪い教育を受けたな」
「その通りだ。俺はどうも、あの男の影響から逃れられんらしい」
なんせあいつからは、魔物より先にお前に殺されるわってくらいの暴力を受けている。言う事を聞かなければ殴られるんじゃないかと心が怯えて仕方ないのだ。これには従う他ない。
「もう一度だけやらせてくれ。成功の筋が見えた」
「危険だ。容認できない」
「頼む」
「リド。僕はナトリストの一国民、それも次期王子の身だ。国民の安全のために、ここで魔物にとどめを刺すことは、僕の義務なんだ」
「そいつを人間に出来れば『魔物』は排除できる」
「一つ、君達が目を背けている事実がある」
カルバが
「あの魔物は恐らく過去に多くの人の命を奪っている。その事実は変わらない。たとえ人間になろうが死罪に値する」
「許してやってくれ。それは魔王に操られてやってたことだ。現に、魔王が死んでからはほとんどの魔物が人間から逃げているだろう?」
「単に力が弱まったから逃げているだけかもしれないだろう。魔物が魔王に操られている、というのは明確な根拠のない、数ある説の一つに過ぎない」
「いいや、その説は正しい」
「何を根拠に」
「俺だ」
カルバが眉をひそめる。
「君が?」
「ああ、そうだ。俺は今まで、その『魔王からの命令』を利用して魔物を操ってきた。だから、
イリアが北の山で生かされていたことにも、工作員に仕立て上げるという人間を攻撃するための目的があった。俺の中では、もはやその説を疑う理由がない。
「相変わらず口が達者だな、君は」
「恐らくそれもおたくの剣士さんの影響だ」
「いいや、その屁理屈のまくしたて方は商人の話し方だ。あのうさん臭いエーテル屋の影響だろう」
それは絶対に認めたくない。プロートの方が百倍マシだ。
カルバは呆れた様子で溜息をつき、悶える
「もう一度だけだ。失敗したのを確認したら、僕は即座にこの魔物の首を刎ねる」
「納得してくれたのか?」
「納得も何も、僕にとって義務だの何だのはただの建前だ。本当はどうでもいい」
カルバは魔物の近くまで歩み寄ると、後ろの樹木に手をかざした。みしみしと木の軋む音が鳴り、小屋ほどの高さがある樫の木が身をかがめるように曲がりだす。枝が触手のようにうねり、
「僕がここにいるのは、次期王子としての義務を果たすためでも、魔物に育てられた少女のためでも、ましてやこの魔物のためでもない。ただ友人を死なせたくないだけなんだ」
俺は背中の痛みをこらえ、自分の血で出来た血だまりに手をつき、ぎこちない動きで立ち上がる。心配するイリアを「大丈夫だ」と制し、カルバ達の元へ歩いた。
「僕が頷かなければ、君は出血多量で死ぬまで喋り続けると思った」
「良い判断だ。変な耳鳴りがしてきたから、多分そろそろヤバい」
「成功でも失敗でも良いから、さっさとやればいいさ」
カルバが投げやりに言う。
拘束された
俺は
先程と同様に、魔力の核となっている部分まで進み入る。傷の痛みと出血による眩みが邪魔をするが、二回目なのでなんとか辿り着いた。
続いて
魔力を引き剥がした感覚があった。拘束された
ここからだ。
俺は右手を彼女の胸に押し付ける。身体の中央よりも左胸寄り。心臓の位置だ。
樹木で拘束された身体が悶えるように震えだす。彼女の意識は俺が操っているので動かないはずだが、生物としての反射機能がこの全身を襲う激痛に勝手に反応しているのだろう。
俺が今使っているのは、人間の身体に魔力を通す魔法。
ラルミネのことが頭を過って思い出したのだが、あいつは幼少期に魔力開通を行ったことで、それ以降成長しない身体になった。ならば、人間の状態で
何より
しかし、一つ誤算があった。
その誤算に、俺はこの瞬間まで気付けなかった。
ぶつん、と糸が切れるような音と共に、視界が真っ暗になる。
ああ。
流石に三つ同時は使い過ぎたか。
夜空というものが苦手だった。上空に果てしなく広がる闇が、全てを飲み込んでしまうのではないかと感じてしまうからだ。
だから俺は野宿が嫌いだった。特に星のない夜は中々眠ることが出来なかった。
「エタール教の教えでは、魂の転生は生前の行いによるものとされています」
ヴィータの優しい声が聞こえる。眠れない夜はいつも彼女が話し相手になってくれていた。
「善い行いをした者は再び人に生まれ変わり、悪い行いをしたものは魔物に生まれ変わると言われています」
「善い行いってのは、エタール教を信じて祈りを捧げる事か?」
「もちろんそれもですが、一般的に善いとされていることですよ。真面目に働き、人を愛することです」
「じゃあ、悪い事ってのは盗みや殺し?」
「そうですね。また、エタール神を信じないことも悪い事とされています」
「それは困った。信仰心のない俺は死んだら魔物になるかもしれん」
「まだ遅くはありません。エタール教はいつでもあなたを歓迎しますよ」
ヴィータが目を細めて微笑む。
「ところで、自殺も悪い行いに入るのか?」
「自殺は自分に対する人殺しです。もちろん、悪い事に入ります」
「じゃあ、わざとじゃなくても結果的に死んでしまったら?」
「……うん? どういうことですか?」
「今さ、慣れてもない癖に三つ同時に魔法使っちゃって意識が飛んだみたいなんだけど、このまま死んだら自殺ってことになるのかな?」
「うーん……。どうなんでしょう。わざとじゃないなら自殺にはならない気もしますけど」
ヴィ―タが小難しそうに薄い唇を尖らせる。
「とりあえず、今回は考えなくて良さそうですよ」
左手に何かを握っている感触がある。小さくて硬い、小石のようなものだ。重い瞼を開いて確認すると、視界はぼんやりとしているが、その小石のような物は魔法使いにとって馴染みのある翡翠色をしていた。いや、翡翠色の石ということは翡翠だろうか。
「お目覚めかい」
カルバの声が聞こえる。くっきりしてきた視界に、俺を覗き込む彼の顔が映った。今気づいたが、俺は地面に寝そべっているようだった。
「なんだ、お前が目覚めのキスでもしてくれたのか」
「その冗談は笑い辛いな。最近、君に男色の気があるという噂を聞いている」
「なるほど。今度城に出向こう。プロートを殴る理由が出来た」
「だったら、ついでに役場棟の方にも寄ると良い。住民登録の手続きが必要だ」
カルバが目配せをする。示された方を見ると、カルバのローブを羽織った誰かを泣きながら抱き締めているイリアが目に入った。
「カルバがもう一人いる」
「冗談を言う余裕があるなら大丈夫そうだな」
同感だったので、俺は安心して再び目を閉じた。
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