第七章 魔法(前編)

 家に戻り、俺は二人(一人と一匹?)に説明をした。

 魔物は魔力資源であるため討伐対象として探し回られるであろうということ。

 人間もどきになればそれか回避できるだろうということ。

 人間化の魔法に確実性はないこと。


「魔物であるあんたからすれば人間になんざなりたくないかもしれないが、生き残るにはこの方法が最適解だと考えている」


 俺の説明を聞き、イリアは「良い? もふちゃん」とベッドに横たわる狼人ライカンに問いかけた。狼人ライカンは力ない動きでゆっくりと頷いた。ラルミネのとこへ行く前よりも元気が無いように見える。急いだ方が良いかもしれない。


「よし。じゃあ早速始めようか」

「ありがとう、リド」

「まだ礼を言うには早い。正直言って成功する確率はそんなに高くない」

「私に何か手伝えることはある?」

「いいや、何もしなくていい。あえて言うなら離れていろ。多分危険性はないと思うが、念のためな」


 イリアは「分かった」と言ってベッドから距離をとった。とはいえ狭い家の中では取れる距離など知れているが。

 俺は狼人ライカンの額に手を当てる。飼配テイムを発動すると、難なく成功した。毛に覆われた身体から力が抜け、ゆっくりと瞼が閉じた。


 問題はここからだ。

 魔法は感覚で扱うものだが、飼配テイムという魔法を扱う感覚を例えるなら、洞穴を入り口から覗き込むようなものだと俺は思っている。

 魔物の身体を操る一般的な飼配テイムは、入り口から大声を出して、奥に居る相手に命令を伝えるような感覚だ。技術の優劣も併せて例えるなら、どれだけ通りやすい声を出せるか、といったところか。


 そして俺が冒険者時代に行っていた魔物の思考を読むという技術は、自分が出した声の反響具合から、洞窟の形状や奥に居る相手の位置を割り出すようなものだ。

 今から俺が行おうとしているのは、その洞穴に足を踏み入れて進んで行き、奥に居る相手の衣服を剥ぎ取るようなものだろうか。


 俺は感覚を研ぎ澄ませ、この狼人ライカンの脳に宿った魔力――その深層に踏み入れる。

 真っ暗な闇の中を進むような不安があるが、俺はこの場所の形も目的地も把握出来る。自分の感覚を信じて進めばきっとたどり着けるはずだ。

 自分の額に汗が伝ったのを感じた。通常よりも遥かに高精度な魔法の操作を要する。意識しなければ息をするのも忘れてしまいそうだ。


 目的の場所に辿り着いたのは、長い時間が過ぎた後だった。

 という風に感じたが、集中して作業を続けている時間は、実際よりも長く感じるものだ。半日ほど経ったような感覚もあるが、実際には珈琲が冷める程の時間も経っていないだろう。

 なんにせよ、俺はこの魔物の脳に宿る魔力の核のようなものに接触することが出来た。


「……よし」


 思わず声が漏れる。何もない暗闇で人肌に触れたような大きな安堵と、自分の考察が的中していた事に対する少しの快感を覚えた。後ろでイリアが動いた気配を感じる。俺が喋ってしまったので気になって覗き込んだようだが、気を使っているのか声はかけてこなかった。

 次はこの核を身体から引き剥がす作業だ。俺は魔力移動トラジスを発動する。

 片頭に小さな痛みが走った。複数の魔法の同時使用による負担が掛かっただろう。ラルミネやカルバは複数の魔法を難なく同時に使用していたが、俺はほとんど飼配テイム以外を使わなかったので身体が慣れていないようだ。

 飼配テイムを解かないように気を付けながら、核を引き剥がす作業に入る。魔物の骨から魔力を吸収する要領で引き剥がすが、それよりも遥かに重い感覚がした。まるで深く根を張った低木を引き抜こうとしているようだ。

 それでも、同じ要領で剥がせそうな感覚はある。このまま行けそうだ。

 俺は狼人ライカンに触れている自分の手が強張っていることに気付いた。魔法を強めようとするときに身体が力むのは良くない。魔力を注ぐ感覚と筋肉に力を入れる感覚を誤認している証拠だ。俺はゆっくりと手の力を抜く。すると魔法に力が集中したのを感じた。


「あっ」


 背後からイリアの声が聞こえる。

 狼人ライカンの身体に変化が出たのだ。身体中を覆うように生えている体毛が少しづつ縮んでいた。首から下は掛け布団に隠れて見えないが、恐らく同じように変化しているだろう。間もなくして、ベッドの上の魔物は人間のような肌になった。俺と同年代くらいの若い女性の姿だ。掛け布団がなければ目のやり場に困っていたところだ。


「すごい、すごい!」


 イリアの喜ぶ声が聞こえる。しかし、俺の中では釈然としない部分があった。

 たしかに、こいつの身体が変化し始めたのと同時に、魔力を引き剥がした感覚があった。しかし、その剥がした魔力を吸収できた感覚が無いのだ。

 吸収出来ていないということは、消滅したのか。あるいは――――


 考えがまとまるより先に、目の前に横たわる身体が再び変化を始めた。

 ついさっき消えた獣のような体毛が、再び生えてきたのだ。人間化の魔法は成功していなかったらしい。みるみるうちに元の姿に戻っていった。


「くそっ!」

「駄目だったの?」

「途中までは上手くいったみたいだが……」


 恐らく、引き剥がした魔力が再び元の場所へ戻っていったのだろう。しっかり確保して吸収しなければいけないらしい。そのためにはどうすればいい? 魔力移動トラジスの精度の問題だろうか。何度か挑戦してみれば上手くいくだろうか。


「リド!」


 イリアの叫ぶ声に肩が跳ねる。何事かと顔を上げると、目の前の狼人ライカンが起き上がっていた。考え事に意識が行って飼配テイムを解いてしまっていたようだ。


「おい、あんまり動かない方が――」


 唸り声。


 狼人ライカンから岩を引きずる音のような低い唸り声が聞こえる。こちらを見据える双眸は、先程までのものとは様子がまるで違う。だが俺はこの目に見覚えがある。

 冒険者時代に対峙した魔物の目だ。


 次の瞬間、狼人ライカンの上半身が回った。横薙ぎで放たれた爪撃を、俺はとっさにしゃがんで躱す。

 なんだ? なぜ急に攻撃的になった? こんなに動けるほどの体力が残っていたか? 俺の魔法が影響したのか?

 十分に思考する間もなく追撃が来た。


 飛び掛かってきた狼人ライカンを俺は転がって避ける。俺のいた場所の床に四本筋の爪痕が刻まれた。床に手をついた狼人ライカンの身体が跳ね、今しがた床板を切りつけた爪が飛んでくる。

 俺は伸びてきた腕を外側から弾き、体勢を崩したところに蹴りを入れる。

 狼人ライカンの攻撃は速いが、プロート程ではない。動きを追えないこともない。


 しかし、次の攻撃に対して俺の反応は一瞬遅れた。

 狼人ライカンは俺ではなく、イリアに飛び掛かっていた。

 イリアは混乱して固まっている。

 迎撃は間に合わない。俺はイリアに飛びついた。


 背中に鋭い痛みが走る。爪の攻撃をモロに受けてしまった。一瞬遅れて、傷口に焼けるような熱を感じた。

 足をもつれさせてイリアと共に倒れ込む。すぐに起き上がろうとするが、背中に激痛が走って思わず怯む。背筋にまで傷が入ったようだ。服に血が染み込んで重くなっているのを感じる。かなり傷が深い。

 先に立ち上がったイリアが俺の手を引こうとする。


「馬鹿か! 俺の事は良いから逃げろ!」

「嫌だ! 一緒に来てよ!」


 俺達が揉めている間、魔物は待ってくれたりはしない。

 跳ねた狼人ライカンの身体が迫ってくる。


 何故こんなことになってしまったのか。


 あの魔物の攻撃性は、魔王が健在だった頃の様だ。いや、イリアの事も攻撃している点を見ると、それ以上であるように思う。魔王からの命令信号は消えていなかったのか。俺が干渉したせいでこうなってしまったのだろうか。

 結局、ラルミネの忠告通りになってしまった。言われて気を付けてはいたつもりだが、全く注意が足りていなかった。俺が余計なことをしたせいで、最悪の事態だ。俺もイリアもこの場で殺されるだろう。そしてこの魔物はそのまま街へ行く可能性が高い。そうなれば無関係の町民を数人殺した上で、こいつ自身も兵士か魔物狩りに討伐される。


 せめてイリアが今すぐ逃げて街の方に知らせてくれればいくらか被害が減らせそうだが、どうもそうしてくれそうにはない。軟らかい指は、俺の手首を食い込むくらい強く掴んでいた。

 魔物に殺されるのは苦しそうだ。せめてもっと楽な死に方がしたかった。


 諦めて弛緩していた俺の意識は、爆発音に呼び起された。

 壁の木材が吹き飛ぶ。爆炎が上がったかと思うと、その中から銀色の刃が伸びた。

 刃は俺たちと狼人ライカンの間に割って入り、爪撃を防ぐ。


 煙の中から全身をローブで覆った人影が現れる。爆風でフードが脱げ、透き通った金色の髪がはためいた。


(後編に続く)

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