一人と一匹、その相乗効果
真義える
一人と一匹、その相乗効果
「──見つけた……」
少年が顔をあげると、そこには女が立っていた。
まだ若く、薄手のトレンチコートからのぞく肌は、きめ細かく柔らかそうだ。
今まさに
口のまわりについた赤い液体を服の裾で拭って、ぬるりと立ち上がる。
きっと、女は悲鳴をあげて逃げるだろう。
だがまあ、一人くらい逃がしたところで、少年の
しかし、女は逃げるどころか、どこか高揚したように赤く染めた頬を抑えると、うっとりと少年に熱い視線をおくった。
「──お願い!! 私を、食べて!!」
ほう、と少年は、ほんの些細な興味を抱く。
「お主、わしを
女は大きく首を振ると、少年を指さした。
「都市伝説のバケモノでしょ!?」
──人殺しのバケモノが巣食う街。
近頃、人が焼失するのを見た、という目撃情報が何度か警察に届けられた。言葉通り、人が燃え、跡形もなく消えるのだ。その場所には不自然に黒い焦げ跡が残っているという。
「だが遺体もあがらず、捜索願いも出ない。結局、
女は頷いた。
少年はそんな噂を間に受けている女を鼻で笑った。
今やそれが都市伝説と化してはいるが、事実か否かは定かではない。
しかしそんなものは、ほんの
「まさか。わしゃあ、近所の小学生よ。この先にある団地に住んでおる」
「いやいや、無理あるから。だいたい、こんな
「だからといってバケモノ呼ばわりか? いい大人が
「ううん、絶対そう。だって、じゃベリ方が
女は自信満々に断言する。その
「──
餓鬼を名乗る少年は、手に持っていたトマトを一口でほおばった。せっかく拭った口元に、再び赤い液体がべっとりと付着する。
「──あ、トマトだったの? てっきり……」
「ふん、人を喰うてるとでも思うたか」
餓鬼は鼻で笑うと、半ズボンのポケットからひとつのトマトを取り出して、その上にケチャップを絞り出した。
そんなバケモノの姿を見るなり、女はガックリと肩を落とした。
「──ねえ、ケチャップの原料知ってる? それトマトにトマトのっけてるようなもんだからね?」
餓鬼は片眉をあげた。
「わしはトマトが好物での、今が旬であろう? とくにこのケチャップとやらがあれば何人前でも食っていられる。自宅でもあれば年中お取り寄せしたいくらいじゃ」
「……家、ないの?」
「わしは人間界では
いつまでも去ろうとしない女を、餓鬼は
「人間の娘よ──」
「ぴゅあ」
「……は?」
「
「……ほお……いま、
一昔前だったかも……、と餓鬼は身の内で思ったが、口に出さなかったのは、女が余計口うるさくなりそうだったからである。
わずらわしいのは、なるべく
「──して、
「だって、食べられたかったから……。探すの、すごく苦労したんだよ!?」
まるで行方知れずだった恋人を見つけたかのようなテンションに、
「──ほう、どうやって?」
「物乞いしてまわってる子供がいるって聞いて……目撃情報を全部地図に起こしたの。それでだいたい行動範囲に目星がついて、
そうか、と餓鬼は短く返した。
自分の存在が噂となっていたのは知らなかった。
「あー、
「──え?」
「餓鬼にも種類があるのじゃ。熱心に探し回っておったわりには勉強不足だのう」
「だって、餓鬼は鬼じゃないの? いつも飢えていて、人や動物……なんでも食べるんでしょう?」
「なんとも
そういうと、餓鬼にはその場に
「同種族でも、お
「うええ、糞尿はヤバい……」
「わしは多財の餓鬼。
腹の虫が盛大に鳴いた。
「食うても食うても……いっこうに満腹にはならぬがの」
餓鬼を見るその
「なら──、私が私を
「ならぬ」
「どうして!?」
「わしは、菜食主義なのじゃ」
「──は……?」
「じゃから、べじーたりあん、じゃ。今の世では流行っておるじゃろうて。とくにお主のような
ポカンと口をあけていた
「──そ、そんなわけないでしょ!? そんなバケモノ、聞いたことない!!」
「娘、バケモノと言うな。わしゃ、餓鬼じゃ」
「そんなことどっちでもいいのよ!!」
「良くないわ。
ガクガクと、頭が揺さぶられ、首に負担がかかる。
「──なんでよ!? なんで食べてくれないの!? 私、そんなに
「やめ、やめい!! ──小娘、やめぬか!!」
「うええーん!! やっと見つけたのにー!! その気にさせて捨てるなんてひどいよー!!!!」
「これ、人聞きの悪いことを言うでない!!」
やれやれ手に負えぬ、と首の具合をみながら、ごちる餓鬼を、
「だいたい、ベジタリアンのバケモノなんて変でしょう!! 頭おかしいんじゃないの!?」
「お主に言われとうないわい!! お前のような
「いちいち今風に言い直さなくていいから!!」
餓鬼は天を仰ぐと、ぽつりぽつりと語りだした。
「わしはの、もっと
「何千年……」
その気の遠くなるような時間に、
人間が想像するよりもずっと、地獄は厳しいところなのだ。
「ゆえにわしは──」
餓鬼はニヤリと笑んだ。
「動物愛護活動を始めたのじゃ」
「──はい?」
女の気の抜けた声に、餓鬼は顔をキリッとさせて言う。
「動物愛護団体を作ったのじゃ!! まだ数人だが、ちゃんと会員もおる。もちろん、会長はこのわしじゃ!!」
「そのドヤ顔、腹立つな」
「天部に認められるには、まず実績を作らねばの。動物愛護、今なにかと話題じゃろう? その第一歩として、動物の肉は食わぬ。べじーたりあんぬ、じゃ」
「ベジタリアンね!! パリジェンヌみたいに言うなし!! 無駄に響きがオシャレっぽいんじゃ!!」
まくし立てる
「とにかく、わしの
「結局は実績欲しさじゃん。そんな真似事したって……」
「何事も形からじゃ」
餓鬼はトマトをもうひとかじりすると、疑問をぶつける。
「お主こそ、
「だって──」
「──ここに、悪魔がいる」
「そうか、お主──」
餓鬼は息を呑んだ。それから、恐る恐る
「
「すごい食いついたな!?」
やたら目を輝かせている餓鬼に、
「違う!! 本当に悩んでるの!! 私、時々……自分が人間じゃなくなっちゃったんじゃないかって、思う時があって」
「ほうほう、まさしく!! まさしく、あの
「
「わかったわかった。まったく、
なぜわしが小娘の
「──私、レディスの洋服の販売員なの。駅に直結してる量販店のテナントに、うちのブランドがはいっててね」
餓鬼は
まあまあ質の良い上着を着ている。裾が地面についてしまっているが、
仕事がら、洋服は余るほど持っているのだろう。
「この前、仕事中に店の外でおばあさんが転んだの。本当なら、すぐに助け起こしにいかなきゃならなかったんだけど、私動けなくて……」
「──突然の事態にすぐ反応出来ないのは、ままあること。それの何がおかしいのか?」
「いや、だって──」
女は、戸惑ったように口に手を添えた。
「顔が──にやけちゃって……」
「……ほう?」
女は慌てて付け加えた。
「──自分の事なのになんでかわからないの!! お年寄りなんて転んだだけで死んじゃうことだってあるのに、大変なことなんだってわかってるのに……あの時は、なぜか……
最低でしょ、と女は餓鬼の顔色をうかがっている。
餓鬼は首を横に振った。
「ようわからん。わしらは
「──他にもね、店内を走り回る
「なかなか、
餓鬼は自分で言った
「……普通引かれるよね。他の人には絶対に言えないし……。あーあ、サイコなのかな、私……」
「──サイコ……」
その単語は聞いたことがある。十数年前、そう診断された殺人鬼が話題になった。罪悪感もなく命を奪い取る、その残虐な手口に世間は
それに比べれば、
カッとなることは誰にでもある。その悪意を、どの程度身の内に留めておけるかが、犯罪の分かれ道となるが──。
(──少し、気になるのは……)
悩みを告白する
「──名前負けもいいとこだよね。まわりにはさ、温厚そうに見えるんだって、私……」
たれ目だし、と自分の目を指さしてみせる。その
「人間の娘、わしは多種多様の生き物を知っておる。その中でも人間はもっとも複雑での、欲を理性で制御し、本心を隠すことに
「──でも、もとはあなたも人間なら、理性くらいあるでしょ?」
「あるにはある。──が、人間ほど重要視しておらぬ。わしは同族のなかでも、それが強いほうではあるがの。べじーたりぬ、であるし」
つっこまれなかったことに、餓鬼は肩を落とした。
深刻に悩んでいるのに、そんな気分ではないのだろうが、ボケを聞き流されるのは、さすがに悲しいものがある。
餓鬼は咳払いをし、気を取り直すと、
「わしらは欲に正直じゃ。正直過ぎたからこそ、今
「全然
「慰めておらぬからの。わしらに言わせれば、お主はヒトらしい人間よ。
それを聞いた
「だったら、私を食べて欲しい!!」
「だから、わしは肉は食わぬと言うておるじゃろ」
「じゃあ、食べてくれる知り合い紹介してよ!! それか、地獄に放り投げるとか──!!」
「ならん。動物愛護の理念に反する」
「別に愛があってやってるわけじゃないくせに」
「何事も形から入るものであろう? 愛着はないが……後からわくやもしれぬ」
断固拒否されて、
「──もう……どいつもこいつも!! どうしてまともに取り合ってくれないの!? あんたらそれでもバケモノなの!?」
餓鬼は眉を寄せる。
「バケモノに喰われたからなんだ。さすれば
「そうよ!! バケモノは人間を喰うものでしょう!?」
「バケモノを喰らうバケモノだっておる」
言葉を詰まらせた
「──が、バケモノの匂いを
その様子に、餓鬼は確信をもった。
「わしはよう鼻が利く。お主から
「……っ!!」
餓鬼は片目を細め、問いかける。
「──何匹
「何匹って?」
「今更とぼけるな。近頃、わしの仲間を襲っておるのはお主だろう?」
「……別に、殺すつもりは……」
「……なんでわかったの?」
「なに、お主のことは最初から疑っておった。夜といえど、夏にその上着は暑かろうて」
餓鬼はポケットから最後のトマトを取り出すと、片手で遊ばせた。
「お主、ここへ来るなり〝見つけた〟と言ったな。わしはこのとおり、人間の子供に変装しておる。見た目だけでは、なかなか区別はつかぬじゃろうて。現に、長いこと物乞いをしてまわっておるが、みな
餓鬼は、トマトに残り少ないケチャップをかけて、また一口かじった。
「──して、二言目には〝私を食べて〟じゃ。少なくとも人を食べる種類のバケモノ……いや、確実に餓鬼だと知っておったのだ」
「そんなの言いがかりだよ」
いやいや、と餓鬼は首を横に振る。
「ついさっき〝どいつもこいつも〟と悪態づいていたではないか。……ああ、それから〝あんたら〟とも言うたな」
『どいつもこいつも!! どうしてまともに取り合ってくれないの!? あんたらそれでもバケモノなの!?』
餓鬼はケチャップの
地面に飛び散ったケチャップを残念に思いながらも、餓鬼は都市伝説の話をし始める。
「人が消えたあと、そこには焦げ跡が残る……。餓鬼の
「──あの都市伝説はお主のことじゃ」
「……だって──」
呟くと、上着を脱ぎ捨てた。
その手には
「だって!! あいつら誰も私を食べてくれなかったんだよ!? 苦労して会いに行ったのに話も聞かずに、帰れって言うんだよ!? ひどくない!?」
「で、
「──くだらなくない!! 私は本気で食われたいんだ!!」
刃の先端を餓鬼に向ける。
「──私を食べないなら、殺す!!」
餓鬼は
「な、何がおかしい!?」
「いやなに、馬鹿にしておるのではない。むしろ感心した」
「──はあ?」
「なるほど、興味深い。お主、確かにバケモノの
愉快そうに笑う餓鬼を、
「人の道から外れ、バケモノにもなりきれぬ。──中途半端で、哀れな生き物じゃ」
女はカッと顔を赤らめると、鬼のような形相で刃物を振りかざした。が、振り下ろされるよりも早く、餓鬼は高く跳んだ。宙でひらりと反転すると、女の耳元で妖しく囁く。
「だが、度胸は褒めてやるぞ」
「──うるさい!! うるさいうるさい!!」
女はもう一度刃を
「なんで殺してくれないのよ!! バケモノのくせに!! 人間のうちに殺してよ!! 人間のままでいたいのに!!」
「──まあ、そう焦るでない」
呑気な台詞は殺意さらに逆撫でする。
「──ぐっ!!」
痛みで顔が歪む。
ぼとり、と嫌な音を立てて地面に転がった腕を見るなり、
「焦るなと言うておろうに……」
突然、落ちている腕が激しく燃え上がり、
餓鬼は、片手で
「──はなして!! はなしてよ!!」
「やれやれ、まるで野犬じゃの」
餓鬼は自分の腕が燃え尽き、
「仲間は死んではおらぬ」
「──え?」
「
「──下層?」
「地獄、と言うた方が良いかの」
餓鬼はにんまり笑う。
「わしらはとうに死んでおる。実体はあれど、
あそこに
「──
残念じゃな、と笑いかけると、
「じゃあさ、保護してよ!!」
「──は?」
これには餓鬼も開いた口が塞がらない。
そんな餓鬼の手を、両手で包むようにして握る。
「動物愛護団体の会長なんでしょ? だったら私が悪さしないように保護して!!」
餓鬼は暫くぽかんとしていたが、ハッとして女の手を振りほどいた。
「──た、たわけ!! なぜわしがお主の面倒をみねばならぬのじゃ!!」
「だってちゃんと話聞いてくれたの、あなたが初めてだったから!!」
「些細な好奇心じゃ!!」
「でもこんなに素でいられる!!」
しかし一度火がついた
「取引しよう!! 私は毎日野菜を
確かに、毎日物乞いをしてまわるにも限界がある。何度も同じ家から施しをうけられない以上、いずれは場所を移さなければならない。
そう考えると、
しかし、餓鬼は頭から邪念を追い出した。
「お主のような
「困っている人を見捨てるなんて、動物愛護の理念に反するんじゃないの?」
一瞬、餓鬼は言葉を詰まらせた。その隙に、
「天部に近づきたいんでしょ? これも立派な人助けじゃん!! 何事も形からはいらないと、ね?」
にやりと笑った。
餓鬼は言い返す言葉がみつからない。考えあぐねて、苦しまぎれに悪態をついた。
「──この、うつけめ!!」
「うつけ!? うつけって言う人はじめて見た!!」
けらけらと笑われ、餓鬼は肩を落とす。
「あなたはバケモノを引退する為、私はこれ以上バケモノに近づかない為。──これ、すごく相乗効果ありそう!!」
興奮気味にはしゃぐ
バケモノのような人間と、人の真似事をするバケモノ。
相反する二人の試練は、まだ始まったばかりである。
一人と一匹、その相乗効果 真義える @magieru
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