エピローグ
そして……――――時は過ぎて……
よく晴れた春の日。
「はい、お腹の子も順調ですね、何も問題ありません――――…って、もう聞き飽きたんじゃあないですか、〇〇さん?」
対面する女医が苦笑交じりにそう言うと、色黒な彼女は
「あははは、それはそうかも。すっかり常連客だし?」
「飲食店みたいな風に言わないでくれません? 産婦人科なんですよ、ここは」
看護師が呆れたように突っ込む。産婦人科とはいえ医者にかかる場。
しかし診察室は何とも和やかな雰囲気に包まれていた。
少女は、少女と呼ばれる年齢を脱し、一人の女性に…そして、母親になっていた。
「まぁ〇〇さんはいつも安定してますし、お産も安産ばかりで経験も十分でしょうから、こっちとしてもやりやすい患者さんでありがたいですけどね」
「それってもっと子供作ってこれからも通ってくださいってコト? そういう事ならウチの旦那サマに、もっともっと頑張ってもらわなくっちゃいけないなー、フフッ」
「はいはい、お熱いお熱い。…じゃ、次は1ヵ月後に見せにきてくれる? 本当はまだ週通いしてもらうところだけど〇〇さんは大丈夫でしょ。一応何かあったらすぐ連絡ね」
「りょーかい、んじゃありがとございました~」
・
・
・
桜が咲いている道の傍を通り抜け、大きなお腹も慣れたものと鼻歌混じりで堂々と歩みを進める。
「ふんふんふ~ん♪」
彼女はご機嫌だった。今日、出かけてくる前に見たニュースがきっかけだ。
それは世の中で起こる事件の犯人が捕まったという、さして珍しくもない報道。しかし、その犯人グループの中に見知った顔――――他でもないかつて自分を捨てた男その人がいたのだ。
ざまぁみろ、と思うと同時によかったと心の底から安堵した。
あんな公序良俗に反する事を当時でもやっていた人間が、そのまま真人間な大人になるわけがない。いつか天罰が下る事は決まっていたのだろうと思うと、彼女は心の底から晴れ晴れとした気分になれたのだ。
完璧に過去とサヨナラできた。
今日この日から本当に幸せな、自分の人生が一切の澱みもなくなり、心置きなく進んでいけるのだと気持ちが喜びであふれる。
「ママー!!」
歩む先、その幸せの結晶が走って自分を出迎えてくる。
「あら、どーしたのお出迎えとか珍しー?」
「んとね、ジジイが皆でたまにはお外でご飯にしようって言ってね、それでママをおむかえにね、行ったらそうしようって!!」
まだ少し幼い長女。嬉しそうにハシャぐ姿に水を差さないよう、母として我が子の言わんとしている事を察する。
要するに、外で食事をしたいとおねだりしたのは娘の方で、母のお出迎えをするようにと交換条件を申し付けられたのだろう。
「こーら、ジジイじゃなくて、パパでしょー?」
「だってぇ、パパはジジイだもんー」
まだジジイ呼ばわりされるほどの歳でもない夫。自分と年齢が大きくかけ離れている事は確かだ。長女がジジイ呼ばわりするのも分らないではない。
「パパはね、すっごくいいオトコなんだから。ジジイなんて言っちゃダーメ」
「えー! どこがー? おでぶだし、おじさんだし、△△クンのおとーさんの方がわかくてかっこいいもんー」
「…クスッ、まだまだね。いーい? ホントにいいオトコはね、パパみたいな人なんだから。ま、大きくなって、痛い目の一つや二つ経験するようになれば、そのうち分かるわよ」
家の前。長女の手を握りながら帰ってくると、愛する夫と5人の子供達が迎えてくれる。
――――――この幸せは、あの雨の日の再開のおかげ。そして……
「(アタシが心にキチンと決心した……それが幸せの始まり…)」
歳離れた旦那様。
その長い長い苦労と努力は決して報われているとは言えないものだった。だからこそあの日、少女は思った。
「(私が…オジサンの苦心と努力の人生に、報いてあげればいいんだ)」
アゲマン、と呼ばれる人がいる。その人と交流や縁を結ぶと不思議と物事が上手くいきはじめるという。
苦労の日々だった夫にとって彼女はそのアゲマンだったのかもしれない。真剣に恋した男に捨てられた妻にとって、彼もまたアゲマンだったのかもしれない。
でも今ならそうじゃないと彼女は思える。
真実は、お互いに土台があったからに他ならない。彼女は報われない男に尽くして尽くす技量と知識と経験を重ねた。
そしてそれに尽くされる男は、積み重ねた努力を実へと結ぶための仕事に集中する事ができた。
やる事やってきた二人が噛み合ったのだ。だからこそ今、幸せな家庭を築く事ができている。
無条件に、何も持たず、また行わぬ者に降って沸く幸せなどありはしない。
「(……伝えていこう、この子たちにも)」
大きなお腹を軽く撫でる。子供と夫に囲まれて、彼女は人生で最高に優しい笑顔を浮かべた。
―――――――――――中恋の雨は穏やかに .終
中恋の雨は穏やかに ろーくん @hinotori0
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