第5話 チート・五個目
なんの心境の変化か、お兄さんがお姉さんになってから、クロのツン期と凶暴性は一気に形を潜めた。まるでそんなことまったくなかったように楽しそうにしている。
「・・・・クロ、まさかとは思うけど、この間まで生理来てた?」
「はあ?何言ってんだ、このご主人さまは。」
相変わらず、お姉さんは露出が多めのつなぎを着たまま楽しそうに私の腕を掴んでいる。この人、(というか本だけどさ)仲間になってからずっとこうやって引っ付き虫なんだよ。どうやっても離れてくれない引っ付き虫なんだよ。まあ、千雪さまに乗っているときだけは二人乗りなんて離れ業できないから、下をトボトボ歩いているんだ。でも、そうするとここぞとばかりに蒼花ちゃんが、膝の上に乗って引っ付き虫だから、結局誰かに引っ付かれてんだ。いや、別に困ってないけど。
「ああ、そういえば、僕も気になっていたよ。猫さんの態度はどう考えてもおかしかったからね。あぁ、ひょっとして妬いていたのかな。」
「確かにな。あからさまにユキのことを避けていたな。」
長い足を折るようにして休息をとっている千雪さまのお腹に背中を預けるようにして座っていた蒼花ちゃんも、唇に指を当てて考えるようにして企むようにして笑う。
「なっ!?お、おま、なに言ってんだよ。ややや、妬くう!?」
パクパク、パクパク、クロは空気を求める魚みたいに口を動かして空気を食べたあと、私をじっと見て狼狽えたように頭、というか耳の辺りをガシガシと乱暴に掻いた。
「だめよ。だって、マスターはわたくしのものなんだもの。ねえ?」
「はい、アリガトゴザイマス、スコシハナレテクダサイネ。」
むにゅり、と豊満な何かを腕に押し付けて顔を寄せてくる満月を押し返しながら、クロに真偽を尋ねるように目線を送るけど、この短い数秒のやりとりの間に狼狽から回復したらしい黒猫は、どこ吹く風である。ちくしょう、満月とクロが合わせてないのに息ぴったりでうっとうしいです。
そんなじゃれ合いをしながらも、私たちは着々と進んでいたことを突如として現れた大きな灰色のお城を目の前にして思い知る。
「え、・・・・これ?」
「そう。これが、魔女の城な。はい、到着!」
やった、到着ね。なんてすり寄ってくる満月を退けることを失念してしまうほどの拍子抜け感だ。いや、だってもっとこう、あるじゃん。ラスボスに来るまでの長い闘いみたいなのがさ、中ボスとかいるじゃん。うっそうとした森とか沼とかあるじゃん。ああ、でも、それはもう呪いを解くときに経験しているから今さら怖くないけど、また来てもね。でも、違うじゃん。そういうのって大事じゃん。雰囲気がさ。
「・・・・まじか。えええ、なんか、ええええ。まじか。」
「どうしたんだい、ユキ。具合でも、悪いかい?」「俺の背中に乗るといい。」
「いや、別に。そういうことじゃないです。」
なにこれ。なんでこの仲間たちは何も不思議に思わないの。それとも、私がRPG的な夢を見すぎているだけなの。もう、本当なんなの。
「おっし。それじゃ、行くか。乗り込むか、魔女の城に。」
意気揚々、なんて言葉がしっくり来るくらいの軽さで私たちは、魔女の城に潜入した。これは、たぶん、二回くらいコンティニュー画面が出るくらいの覚悟で挑まねばなるまい。なんて思っていた私の期待もしくは覚悟はあっけなく裏切られた。
「え、・・・・ここ?」
「あぁ、ここが魔女のいる部屋だ。」
おかしくね。いや、おかしくね。こんなあっさりとおかしくね。いくらみんな(特にクロ)が強いからってここまであっさりとラスボスの前の扉にたどり着けるっていくらなんでも、変だよね。途中に確かに強そうなドラゴンがいたけど。なんかでっかいドラゴンっぽい生き物がいたけど、それもクロがポーンってしてほーいってして私がチューリップの中で紅茶をご馳走になっている間に倒しちゃったし。あぁ、あの紅茶ね、蒼花ちゃんが淹れてくれたんだけど、本当においしくてね。ほんのり甘いのが、じゃなくてね。もう、本当、それくらいに簡単な相手だったのね。ああ、これ、たぶん、最初のボスだわ。とか、思ってこれからだな。なんて覚悟決めて紅茶飲んでたのね。でも、あれ、なに、中々強めのボスだったの。もう、早く言ってよね。あああ、違う。そうじゃなくね。
「いや、いやいや、これたぶんおかしいんだわ。これ、絶対に敵の幻影とかだわ。間違いない。これは、まだ、序の口の開けてはいけない扉とかでこれ開けるともっとやばいのが出てくるんだって、なに勝手に開けてるんだよおおおお!!!」
心の準備も何もさせてくれない速さでクロが、大きなファンシーと紙一重の違いで悪趣味丸出しな扉を開けた。いや、まだ、私喋ってましたよ。ていうか、私、ご主人さまとか言われている割には決定権なくね。主導権ってなんですか。
「あぁ、悪い。悪い。つい、」
ついじゃねえよ、そんな軽めのノリで開けていい扉じゃないでしょうが、こんちきしょ。
文句を言おうと開いた口は、代わりに少し乾いた空気を吸い込んだ。部屋の中がまるで悪趣味なおもちゃ箱のように散らかっている。無造作に転がっているように見えるそれらはまるでついさっきまで動いて生きていたかのように不自然に自然なポーズをしている。
「これは、また、僕でも言葉に詰まるおもちゃ箱だね。」
蒼花ちゃんは低く嘲るように言うと、私を守るようにか頭に引っ付いた。肩車をしているようにも思えるその状態でぐりんと乱暴にクロを見る。同じように何か言うのかと思った彼はしかし何か悲しいのに卑しいような、懐かしいのに苦しいような表情をして部屋に散らばる不自然な人形たちを見つめていた。
「ここまで、するのかよ。お前は、」
吐き出すように出た言葉は、驚きというよりは絶望を滲ませている。誰に向けられた言葉なのかわからないはずのそれはなぜか、私の心をズブリと刺して鈍い痛みを感じさせた。
「ねえ、どうするの?ここで引き返す?それとも、先に進む?」
お城に入ってからは、後衛としての自覚が芽生えたのか引っ付き虫をやめてパーティの後ろをついてきていた満月が、ちらちらと後ろを気にしながら問いかけてきた。何かいるのかと思って不安になったけど、ただ単に千雪さまの蹄の音が木霊しているのが気になっているだけらしい。
「どうするって、ここまで来て引き返す方が、面倒じゃん。先に、進むよ。とりあえず、」
ぱっかぱっかとやたらと高い天井に千雪さまの蹄の音が反響して、何か不安を煽る。
「そうだね。僕もそれに賛成だ。こうなったら、進めるところまで進んだ方がいい。」
「だな。」
クロは短く、本当に短く同意の意思を示すと、一度だけ今来た道を振り向いた。名残惜しそうに、それでいて愛おしむようにどこまでも続くような長い廊下を見て歩き出した。
「じゃあ、行こうか。」
もしも、もしもの世界があるのなら、私はこのときの選択と言葉を取り消すかもしれない。取り消して、ごめんと何度も謝りながらその大きな背中を抱きしめてあげるのに。
一歩、一歩と歩くたびに近づいてくる気配。周りを囲むように無造作に落ちているモノたちがその音を聞いてこっちを見ているような錯覚に、私はあっという間に音を上げてしまう。
「大丈夫、怖くないよ、ユキ。」
「ううう、怖いよおお。だってあの小さめの竜とか、オオカミとか、絶対こっち見てるよ。さっきよりも近くにきてるよ、何より牙を剥いているよ。」
どうしてこうなった。いつから、こうなった。はじまりはどこだった。考えても、考えても、たどり着く答えはいつも同じ。光るライトに照らされた体は面白いほど高く飛んだ。
それだけは嫌だと思った。それだけは、嫌だった。だから、俺はこうしてここにいる。
「ユキ、何してる!走れ!!」
「わか、ってる、けど・・・」
小さな身体は、思っていたよりもひ弱でもう何度、こうして手を引いているかわからない。手を引いて逃げて手を引いて守って。
「しょーがねえ、そこにいろ。後は俺様が何とかする。」
そう言って背に庇う。小さな身体は、思っていたよりもずっと小さくて背に隠れてしまうほどだった。
「クロ、」
呼ばれた名前は、案外優しく心地よく馴染んでしまった。俺の名前、俺様の名前。
誰のものでもない。
「おいおい、そんな物騒なモン振り回すなって、ユキに当たったら、どうすんだ!!」
骨だけになった竜が、大きな斧を振り下ろした。ユキを放り投げるように馬に乗せてやれば、空いた腕が乱打を放つ。心なんてない。攻撃は、反射だ。隙があれば、攻める。
「ユキ、こっちだよ。」「危ない、マスター」
骨の攻撃を避けている背中にそんな声がする。いったい何が違うのか、いったいどこが違うのか、何度考えてもわからない。それでも、俺様は戦う。
「ほら、よそ見してんなよ!この石頭が!!」
石でできた熊が、向けた背中を蹴り上げる。俺様が与えた傷が、ざっくりと胸のあたりに三日月を作っている。あぁ、違う、何も違わない。俺様も、こいつらも何も違わない。
「ユキ、早く走って。」
駆けていく小さな背中、いつも不安そうに瞳を潤ませて俺を見る。だから、俺様は強くなった。誰よりも強くなって、あの小さな身体を守りたかった。
「ユキ!」
頭の上を飛び回る、色彩を無くした妖精が、輝く鱗粉を舞い散らす。あぁ、もう、だから。
「嫌だって、言ったんだ。」
もう、何度目かわからない言葉を叫ぶように呟いて拳を振り上げた。
まるでモンスターダンジョンのように次々と襲ってくる不思議なモノたちの猛攻をすり抜けながら、広い広い部屋を走る。確実にダメージを与えながら、クロと蒼花ちゃんが道を作ってくれる。私はと言えば、千雪さまの背に乗りながらなんでか私にしがみ付いている満月に半ば抱え込まれるようにしている。これはきっと満月なりの守り方なのかもしれない。それにしても、満月は回復担当の女の子になった途端に使える魔法減ったな。
「・・おい、見えたぞ。出口だ。」
「お馬さん、一気に駆けて。あとは、僕がなんとかする。」
蒼花ちゃんは、そういうと大きな如雨露で地面に水をまいた。いつものようににょきにょきと地面から大きな花が咲く。咲き乱れるように、色とりどりの花が。
「蒼花ちゃん、」
「ごめんね、ユキ。僕は、ここまでみたい。あとは、」
任せるよ、猫さん。そう唇が動いて蒼花ちゃんが花に埋もれていく。何が、起こったのかわからないまま、私は花に埋もれていく蒼花ちゃんを千雪さまの背から見ていた。
千雪さまが、踏ん張ったのが体に伝わってきた。途端に、ものすごい衝撃と轟音が弾けた。まるで追っかけるように景色が変わって扉が閉まった。私の目には、大きな扉だけが映った。何が起きたのかわからずに、私はただその扉を床に倒れて見ていた。
「大丈夫、マスター!?」
「ま、満月、何、何が、起きたの?なんで、蒼花ちゃんは、」
「力を、使い果たしたんだ。俺の、ようにな。」
声に言葉に釣られるようにそちらを見ると、真っ白な体を無造作に床に投げだした千雪さまがいた。さっきのはどうやら、全速力で千雪さまが扉をぶち開けて外に出たらしい。
「千雪さま、ど、どうしたの?なに、どういうこと?」
ここにきて、ここまできて、事態が急変しすぎて私の頭は全くついて行かない。いったい何が起きているのかわからない。
「ユキ、すまない。俺も、ここまでのようだ。」
「なに、なに、なんなの、急に。どうしたの、わかんない。わかんないよ、」
真っ白な体が、千雪さまの綺麗な白い毛並みが溶けるように揺れる。縋ろうとした手を真っ黒な大きい手が遮った。
「ユキ、こいつらは不死身じゃない。力を使い果たせば、消えていくんだ。」
クロの低い声が、言い聞かせるように言いくるめるように、そう言った。もりもりと溢れてくる涙が、ぼたぼたと床に落ちてちっともクリアにならない視界に真っ黒な手だけが映る。
「じゃあ、クロも?クロも、満月も、なの?なんで?」
縋るように掴んだ体は、温かく力強い生で満ちていた。それでも、やはり終わりは来るんだろうか。考えたくない予感が胸を過って考えていた結末が、近づく。
「生きているって、そういうことだろ?」
低くよく通る声が、まるで簡単なことのように言った。軽やかに、鮮やかに。ただそれだけを、願うように。
「行きましょ、マスター。わたくしたちの旅の終わりを。」
白く細い指が、繊細な何かに触れるように私の手を握る。その力強い力に引かれるように、立ち上がった。行く先にはもう、一本道しかない。行けるとこまで行くしかない。
来る。近づいて来る。私の旅の終わりが、すぐそこまで来ている。
これは予感。そして予言。全ての答えを持って来る。
私じゃない、あの子が、あの人を連れて、そこに来ている。
心臓が、痛いほど鳴っている。息をするのも、苦しいほどに激しく激しく鳴いている。走っている、からじゃない。怖い、からじゃない。そうじゃない。この扉の向こうに待っている結末を、私は知っているからだ。
「開けるぞ、ユキ。」
大きな扉が開いて始まる、終わり。
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