第2話 チート2つ目
それから、私たちは今までの遅れを取り戻すように山を森を川を駆けた。そして、またしても私が見ていない間にクロが呪いを解いて、あっという間に三つほど解決した。
「ああー・・・クロの上で寝るの、あきたあああああ」
「お前な、それ失礼にもほどがあるぞ。俺様のこの肉体美の何が不満なんだよ。俺様のボディの何が気に入らないんだよ。」
森の中でいつものように寝ることになってごろりと横になったクロが、いつものようにおいでおいでと招き猫をしているのを見ながら、私は全力で叫んだ。
「不満だよ、不満だらけだよ!そんな狭い場所じゃ寝返りも打てないから、腰が痛いんだよ。いくら若くても辛いんだよ。この歳で慢性的な腰痛持ちとか悲しくてたまらないよ!」
アリちゃんたちのベッドが恋しくなってしまうくらいに私はちょっとノイローゼ気味だ。クロの上しか知らない頃が懐かしい。あの頃はクロの上でも満足まんざらでもなかったのに。あの頃にはもう戻れない。
「だったら、地面に直接寝るか?もっと腰が痛くなるだろうなあ。なにせ、直だもんなああ。」
「う、うぅうう」
にんまり、まるでアリスに出てくるチシャ猫よろしくな意地の悪い笑顔を浮かべてクロは地面を叩く。無情にも乾いた音が、冷たく聞こえる。
結局、クロの上に乗って寝た。ベッドが恋しいとは言っても、クロの体温は温かくてエリちゃんたちの村で貰った簡易毛布を被れば朝まで心地よい温度を保ちながら眠ることが出来る。むしろ、私が風邪などを引かないのは結局クロと寝ているからではないかと思う。
「んー・・・ん?おおう?クロ!町だよ!町が見える!!」
「ん?あぁ、そうか。ようやくか。予定よりちょっとかかってるけど、許容の範囲内だな。」
クロは至極嬉しそうに目を細めて眼下に広がる村より賑やかな町を見つめている。私としては、エリちゃんたちの村を出てからは人に会うのは久しぶりなのでちょっと緊張してしまう。建物の作りは、茅葺屋根ではなくて何やら土とか岩とかを固めて作ったようなちょっと頑丈な感じになっている。色も着いている。まだ、遠いから私の視力では人がいるのかは見れない。けど、これで廃墟とかだったら酷い話だから大丈夫だと思う。
「楽しみだね。あ、けど、やっぱり町に降りたら、クロとはお話できないの?」
「まあ、そうだな。その方が楽ではある。」
でも、とクロは真剣な顔をして続けた。
「お前が寂しいなら、別に話してやってもいい。」
ぷに。クロの長くてふわふわの毛が生えた真っ黒い指が私の唇を柔らかく押した。
いったい何を言っているんだ、この黒猫は。そう思って笑ってしまいたいのに、なぜか非常にドギマギしてしまって顔が熱くなっていくのがわかる。いや、違う。クロにドキドキしているわけではなくて、今まで異性にこんな風にされたことないから、戸惑いが。
クロは、私がこの世界で唯一信頼できる存在である。この世界で私を理解する唯一の存在である。私を守る頼もしい存在である。で、あるが、今の今まで彼を異性として認識していなかったことも事実である。どう見てもその逞しい身体は、彼が男であることを物語っていたのに。毎晩、その上で寝ているというのに、私はいったいどうしてか、クロはクロであり、それ以外のカテゴリーにカテゴライズすることに思いいたらなかった。
「うーん、耳と尻尾が生えているからかなあ。」
「おい、何をうんうん唸ってんだ。もうすぐ町に着くぞ。」
クロの後ろを着いて歩きながら、ついでに尻尾をしっかりと掴んで歩きながら、さっきの戸惑いを冷静に分析しようと努めていたが、ちょっと考え事しながら歩くのマジで危ないと思うほど足元が覚束ないことになったので中断。元々、いっぺんに二つのこと出来ないし。とりあえず、今、考えなくちゃいけないことじゃないし。後でいいや。
「でも、クロ。我々、お金を持っていなんじゃない?もし宿屋とかがあってもお泊りできないんでない?」
「ああ、それなら問題ない。お前が、前に川でぎゃーぎゃー騒ぎながら身体を洗っている間に近くにいた商人に馬を売ったときの金がある。」
「馬?・・・あぁ、アリちゃんたちの村を出る時に貰ったあの賢そうな子ね。そういや、結構早い段階でいなくなったから、どうしたのかと思ってた。いや、てっきりクロが食べたのかと思って聞かないようにしてた。つか、あの時の水は本当に冷たくて死ぬかと思ったんだもん。」
やっぱり、川の水でお風呂。とか無理だったとあの時学習した。風呂はちゃんと沸かした湯でなくちゃダメだ。本気で寒くてしばらく震えが止まらなかった。
結局のところ、町に降り立ったのは夕方、夜も近くで私たちはヘトヘトになりながらもこれで今日の夜は暖かいベッドで寝れるぞ。なんて暢気に陽気に思っていたのだが。
「・・・クロ、見事なくらいにこの町は他人を拒絶しているよ。」
「そうだな。まさか、ここまで立派な城壁があるとは思っていなかった。」
成す術もなく私たちは、町を囲む立派なレンガ作りの城壁を前にぽつんと立っていた。入り口と思わしき門はあるけれど、ピッタリと隙間なく閉まっていて脇に詰め所らしき場所はあるし、灯りも着いているのに誰もいない。
何度か門を叩いてみたけど、応答なし。辺りには人っ子一人いない。正直言って不気味だ。門の中に耳を澄ましてみたけれど、どうにも何の音もしない。山の上から見たときは、それなりに活気があったように見えたけど、まさかのマジで廃墟でしょうか。
「どうする?朝になるまで待つ?あぁ、そうすっと、ここで野宿かあ。」
目の前なのに、悲しいね。なんて言いながら、座れる場所を求めてよっこいしょ、としようとした体がぐいと持ち上げられた。なに、どうしたの、と口を開く間もなく私の身体はクロに抱き上げられていた。
「ユキ、しっかり掴まってろよ。あと、舌噛むから口閉じてろ。」
ぎゅうっとクロのふわふわに押し付けられるように抱きかかえられ、口を閉じろもなにも口が動きません。と、頭だけで抗議していると何を思ったのかクロはその強靭な両足をぐっと曲げてぴょーんと高く高く飛び上がった。
まさか、そんな。どんなに目を凝らしても目の前にあるのはクロの黒い毛ばかりで何が起きているのかわからないけど、いや、これ、絶対、飛び越えていますよね。クロさん、その美脚であの城壁を飛び越えていますよね。
何事もなかったように、着地したクロは何もなかったように、私を地面に降ろした。いや、いやいや、おかしいでしょ。
「飛び越えたね、あれ、飛び越えたんだよね。」
「ん?あぁ、そうだな。まあ、俺様にかかれば、楽勝だな。」
「いや、楽勝かもだけどね。もう、そのどこから来るのかわからない自信については何も言わないことにしたけどね。だけど、これはちょっとまずいんでないの?」
不法侵入ですよ、不法侵入。隣のお家とかにだったらちょっと洗濯取りにとか行ったことはあったけど、こんながっつりとした城壁の中にこんな力技で入るのは初めてですよ。これ、間違いなく掴まりますよ。人が見てたら掴まりますよ、ええ。
「そうだな。まあ、とりあえず、歩くか。」
おいおい、人がこんなに必死にお説教始めようとしてんのに、なに流そうとしてんだよ。しかも、あれだけ派手に城壁越えてきたんだから、そんな歩くなんて
そう思いながら、回りを見回して気づく違和感。
「・・・誰も、いないね。灯りは点いているのに、なんだか、静かだね。」
「だな。近くから生き物の気配は全くしない。」
クロは最初からわかっていたみたいにそう言うと、私に離れないでついてくるように言った。クロがそう言うってことは何か危険があるかもしれないってことだ。警戒するように揺れる黒い尻尾を掴む。
町はそんなに大きくはないけれど、エリちゃんたちの村と比べると華やかだった。街灯のようなランプもあるし、露店みたいなお店もたくさんあった。だけど、それのどれもがまるで今さっきまで誰かがいたような状態のままで無人だった。
「うう、めっちゃ不気味だ。大きいお化け屋敷みたい。クロ、変だよ、この町。・・クロ、見てあれ、クロ!」
いや、正確に言うと無人ではない。ポトポトとあちこちに人形が落ちている。人が何かがいるべき場所に不自然にデフォルメされた人形がつぶらな瞳を空に向けて落ちている。
「まさか、そうか、これが呪いか。」
「・・・のろい?魔女の呪いのこと?」
「あぁ。仮面族のおっさんが、この町は魔女の呪いを長いこと見ていないと言っていた。そんなことがあるわけがないと思っていたが、この町全体が呪いにかかっているとしたら説明がつく。それにしても、人形か。」
クロはぴくりと警戒するように耳を動かしたあと、ゆっくりと落ちている人形を拾った。それはどう見ても人形だった。
「じゃあ、私たちもお人形になっちゃうの?」
「さあな。確かめるには、呪いの元を探すのが一番だな。」
「確かめるって、どうやって?確かめる間にお人形になったらどうするの?」
すたすたと、確信に満ちた足取りで歩きだすクロの後ろをついて行きながら、どうしても拭えない不安を口にすると当たり前のように黒い大きな手が頭に降ってきた。
「・・・・そうしたら、俺様が肌身離さず一生大事にしてやるよ。」
「そういう話をしているんではない。そして、なぜ私だけ人形になる感じなの。」
返ってきた恥ずかしい言葉に知らず、顔が熱くなる。それを隠すようにぶっきら棒に反論すれば、楽しそうに笑い声が静かな町に響く。
「俺様が呪いなんかにかかるわけがないだろ。なんてったってクロ様だぞ。」
「なにそれ。なにそれ。」
出たよ。根拠のない自信。ため息を吐いて町を見回す。相変わらず、あちこちに人形が落ちているし、不気味なほど明るく静かだけどさっきみたいな恐怖はない。どうしてだろうか、なんて考えて答えなんて決まってる。それを証明するみたいに、私の汗でしっとりと濡れてしまった黒い尻尾を少し離して空気に当ててから、また、しっかりと握った。
外から見ると大きく見える町も、見て回ってみればそんなに広くはなかった。何よりも、そこに人がいないというだけで何の干渉も受けずに歩けてしまう。町は人がいなければただの入れ物さ。そんな何かのドラマの台詞が頭に思い浮かんでなるほどな、と一人で納得してしまう。
「・・・どうやら、あれみたいだな。呪いの元は。」
「大きい、ピラミッドみたいだね。誰かのお墓?だとしたら、今度の呪いはお化け?」
「なんだよ、怖いのか?」
「お化けは、苦手なんだもん。」
光の中にそびえる巨大なピラミッドを見ていると消えていたはずの恐怖が盛り上がってくる。いやいや、ピラミッドで呪いって言ったら、もうあの人しか出てこないじゃん。それって超怖い奴じゃん。勘弁、勘弁だよ。
怖い、怖い、そう呟いてみてもクロの足は全くスピードを落とすことはしない。いや、むしろその言葉に苛立っているのかズンズンと足の速度と歩幅が上がっていく。ピラミッドの中は当たり前だけど、壁にくっ付いている松明が照らしてくれる程度でお世辞にも明るいとは言えない。その中でクロの尻尾だけが頼りでさっき乾きかけていたクロの尻尾がまたしても手の中でしっとりと湿ってきている。
「おい、いい加減黙るかしろ。俺の尻尾がお前の手汗で気持ち悪いだけでもイライラしているんだ。これ以上、うるさいと担ぐぞ。」
「担ぐ!?塞ぐんじゃなくて!?」
驚きで口から久しぶりに怖い、以外の言葉が飛び出した。飛び出した言葉が最悪すぎる。暗い中でも、クロの口がにんまりとしたのが見えた。
やっちまった。怖さのせいで何やら地雷的なものを踏んだ。
「へええ。塞いで、欲しいんだ。」
「いいえ、全く。」
狭くて長い廊下がどこまでも続いている。のを見ているふりをしながら、クロから視線をそらす。反らす、逸らす。楽しそうに近づいてきたクロの顔を見えないようにしていると、何やら廊下の向こうでチラチラと動くものが見える。しかも尋常じゃないくらいの動きをしている。
「おい、そんな恥らわなくても・・・・?」
後ろ、後ろです。クロさん、後ろを見てください。声にならない警告を、必死に口をパクパクさせて伝えようとしているのに気づいたのか、クロも眉を寄せてそちらを見た。
途端に、さっきまでの悪戯心はどこへやら眼つきを鋭くしてそのまま、私を抱えて、ん、抱えて・・。
「ぎゃああああ。嫌だ、いやだ、クロ!戻ろう!あそこに向かって走るなんて意味がわからない!!」
「うるせえな。結局、呪いをなんとかしないといけないんだから、このまま直接行くのが早いだろ。」
たったか、たったか、もう慣れつつある肩に抱えられながらクロの長い足が見えたり消えたりするのをじっと見ていた。もう、何を言っても無駄でしょうね。ええ、無駄ですよ。
「クロォ、このまま突っ込んでお化けだったら、何も言わずに私を捨ててくれ。」
「いや、意味わかんねえだろ。お前、乱心しすぎだぞ。」
樽抱えされているから、いったい何がどうなっているのかわからないけれど、どんどんと通り過ぎていく景色を見ていればさっきまで遠くに見えていた未確認物体に近づいているのがわかる。やべえ、手汗半端ねえ。この世界に来てから確実に手汗の量が増えたよ。
「・・・クロ、何がどんな呪いだったか、わかった?」
「わかったような、わからんような。こりゃ、お前の妄想が的中した感じだぞ。」
「なにそれ!!やっぱり、お化けだったってこと!?マジか、やべえよ。逃げよ、逃げよう!!!」
パタパタとクロの肩に乗りながら必死に空気をかく。よく漫画とかで空中に投げ出されたときに必死に泳いでるけど、あれって本当にやっちゃうもんなんだね。
「大丈夫だって、俺は強いから。お化けだって倒せるっての。」
クロが何か言ってるけど、全く聞こえません。何を言っているのでしょうか。そしてさっきから謎の雄たけびのような悲鳴のような声が耳に入ってくるのですが、気のせいですよね。これは、きっと幻聴ですよね。はい、知ってました。
たったか、たったか、調子よく走っていたクロの足がゆっくりと速度を落として終いにはすっかり停止した。何事かと尋ねる前に、肩からずるりと私は降ろされた。
「クロ?」
「俺の後ろにいろ。そろそろ本体にたどり着くぞ。」
「本体?」
「呪いのだよ、お前、どんだけ怖いんだよ。乱心しすぎだ。いいから、俺の後ろにいろ。」
ぐいと庇うようにクロの背中に回されてしまう。ふわふわの毛が強く押されたせいで顔に触れてくすぐったい。
「クロ、」
心配で顔を見上げて尋ねると、クロは頭を傾けて目だけで大丈夫、と告げてきた。
クロの脇から顔を出して呪いの元を見てみると、そこには何やらリアルなお人形が。リアルというかガチな感じで怖いお人形が、空中に浮きながらふわふわとして怖い。
『ようこそ、僕のお屋敷に。歓迎するよ、お客様。』
『おう、そいつはどうも。ついでに、休む場所とか食事とかも提供してくれるとありがたいんだけど?あぁ、あと、町の奴らがどうしてこうなっているのかも教えてくれるか?』
「おおおおお人形が、こここここ怖い。」
クロは楽しそうにお人形を睨んでおりますが、私は怖くて堪りません。どうしようか、と悩んでいるとお人形さんが、見た目とはあまり似つかわしくない女の子みたいな声で、いや、これはこれで怖いんだけど。
『もちろんだよ、お客様。だけど、僕のお屋敷に来たからには僕のルールに従ってもらうよ。』
ふわり、ボブカットの茶色い髪が風もないのに浮き上がる。やべえ、こええ。しばらく見てないけどホラー映画の匂いがぷんぷんしてるよ。しかしながら、お人形さんに起きた異変はそれだけであとは別段何も起こらずに、ただ、周りでポンポンと軽快な音を鳴らして薔薇の花が、百合の花が、咲いていくだけで。
「・・・・?」
「なんだ、これ。」
スンスン、クロは花の匂いを嗅いでいるのか。訝しげに、空中の匂いを嗅いでいたけれど、突然何かを閃いたのか、ドンッと私を突き飛ばして尻餅を着かせるとお人形さんに向けてダッシュした。何事かと事態を把握できずに地面にお尻を着けたままポカンとクロの背中を見ていた。
『ふふ、賢い猫さんは気づいたみたいだね。でも、もう遅いよ。花は咲いてしまったからね。さあ、早く僕を倒さないと猫さんの大事なお嬢さんがお人形になってしまうよ。』
『てめえ、ふざけやがって。』
なんぞや。首を傾げながら、一つ呼吸をする。気のせいだろうか、なにやら喉に細かい粉が張り付いているような感覚がする。不快感を取り除こうとまた、一つ呼吸をする。さっきよりも酷くなって咳き込む。
『おっと、もう効いてきたようだよ。ふふ、さあ彼女はどんなお人形になって僕と遊んでくれるのかな。』
「ユキ!息をするな!」
何をむちゃくちゃな。あんた、私を窒息死させるつもりか。
『猫さんもなんだか動きが悪いようだね。ひょっとして具合でも悪いのかな?』
『余計な心配してる余裕があるなんて随分だな。安心しろ、俺は強いからちょっと動きが散漫な方がちょうどいいんだよ!!』
クロの長い足が、ブンブンと空気を震わせて宙に浮いたお人形さんを捕らえるべく鋭い攻撃を繰り返す。それなのに、的が小さすぎるのかそれともどこか具合が悪いのか、全く当たらない。
「ぅ・・クロ、どうしたの?」
なるべく距離を取りながら、立ち上がりクロに声をかける。クロは、今まであまり見たことのないような表情をしていて、私にはそれがどんな感情を押し込んだものなのかが、わからない。さっきよりも呼吸は不快でひゅうひゅうと雑音が混じり始めた。小さい頃によくなっていた喘息の発作に似ている。
『さあ、みんな僕のお人形になるんだ。そうして、僕と遊ぼう。ずっと、ずっと、』
『うるせえ。そんな悪趣味なことに付き合ってられるか!!』
吐き出すようにクロが言った言葉にお人形さんは実に悲しそうに眉を寄せた。その表情が、何かを訴えているように見えてそれを尋ねようと口を開いたのと同時にクロの身体が、揺れた。
「クロ!!」
まるでスローモーションのように目の前でクロの大きな体がまるで吸い寄せられるように地面に倒れた。力なく投げ出された手足が、それでもまだ戦えると震えている。真っ黒な体に駆け寄れば、悔しさからか唇をグッと噛んでいる。
『くそ、こんな、ところで、』
『もう終わりかい。それじゃあ、猫さんも一緒に僕と、』
『遊ぼう。』
ふわり、楽しそうに近づいてきたお人形さんは近くで見ると、お祖母ちゃんの家に飾ってあった高いお人形とそっくりで私は無意識のうちにその髪に触れていた。口から、覚えたての言葉が、導かれるように零れていく。
「ユキ・・?」
『一緒に、遊ぼう。何する?お人形さん。』
ひゅうひゅう、もう、息も出来ないほどに喉に張り付いた何かが濃くなっている。ぐったりとしてしまったクロは、だんだんと小さくなっている。ふわふわの毛がだんだんともこもこのフェルトになっている。不思議と怖さはなくてなくなってただすぐそばで私を見上げている蒼い目をしたお人形を見つめている。
『僕と、遊んで、くれるの?』
『うん。いいよ、だってだから、待ってた?私たちを、』
『・・・・僕が、待っていた?僕は、違う、そうだ、待っていた。ずっと、本当は、』
クロにくっついて魔女の呪いを見てきてわかったことがある。それは、魔女の呪いにかかる物の多くは忘れられた悲しい存在だということ。誰も見なくなった花。誰も触れなくなった木。誰の役にも立たなくなった川。そんな誰かに忘れられてしまった寂しい心が、魔女に呪いに反応して染まってやがて蝕まれて取り込まれてしまう。
だから、たぶん、このお人形もそうだったんだと思う。最初から町を全部人形にしてしまうつもりなんてなくて本当は、きっとさっき言っていたように誰かに遊んでほしくて。
『僕は、僕は、・・・僕と、遊んで、』
『いいよ。私と一緒に、遊ぼう。』
くしゃり、お人形さんの顔が嬉しそうに歪んでポロポロと涙が流れ出した。お人形なのに涙が出るんだ。なんて思っていた私の足元に落ちた涙が次々とシャボン玉になって空に舞う。あぁ、これは、そう思って吸った息は久しぶりに新鮮な空気で喉の不快感はなかった。
「・・・本当、ユキには敵わねえなあ。」
膝の上に乗せていたクロが、おかしそうに呆れたように呟いた。クロは、目元を腕で覆っていたからどんな表情をしていたのかわからなかったけど、でも、たぶん安心しているんだろうと思う。
コロン、と小さな音がしてお人形さんの目から最後の雫が落ちた。それは、見慣れたビー玉でお人形さんの瞳と同じ蒼色をしていた。
「あれ、お人形さんは消えないんだ。あ、そうか、遊ぼうって言ったからかな。」
『・・・蒼花。僕の名前は蒼花だ。約束したからには、絶対ずっと一緒に遊ぶんだからね。何があっても、僕と一緒にいるんだ。いいね。』
『うん。わかった、そうかちゃん。』
『ありがとう、僕を、救ってくれて。』
ぐずり、泣いたせいですっきりしたのか鼻を一つ鳴らしてお人形さん、蒼花はにっこりと素敵な笑顔で笑って見せてくれた。
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