第3話 チート・三個目。
薄暗い部屋だった。私は、その部屋の中でたった一人で座っていた。心の中は絶望で支配されて、ただ気を紛らわせるためだけに目まぐるしく輝く花々を見ていた。心を躍らせてくれるそれらを見ているときだけが、私にとっては生きている時間だ。どんなに願っても、叫んでも、もうあの人は戻ってきてはくれない。私ではない。私ではない、者の傍に行ってしまった。
「 」
名前を呼んでみても、暗い部屋から返事が返ってくることはない。腹立たしいような屈辱的なような、そんな気持ちを晴らすために私はまた、集めるのだ。
「綺麗な、物を!」
自分の声でハッと目を覚ます。そこは夢に見た薄暗い部屋ではなかったけれど、決して明るいわけではなくて、チロチロと視界の端で燃えている焚き火でようやく自分がどこで寝ているかを認識する。
「大丈夫?怖い夢でも見ていたのかい?ずっと、うなされていたけれど。」
「そーかちゃん。ごめんね、起しちゃった?」
抱きしめるようにしていた人形が、闇の中でもわかるほど深い蒼色をした瞳で私を見つめる。澄んだ声は、夜の中に溶けていくように寝起きの耳に囁く。
「僕は、元々人形だから寝ないよ。君が寝ている間に悪い夢に泣かないように傍にいるのが役目さ。だから、大丈夫だよ、ユキ。」
「ありがと、そーかちゃん。」
ぎゅうっとその身体を抱きしめると、ほんの僅かに笑う声がしてそれから柔らかいアルトの声が、静かに歌を紡ぎ始めた。それは子どもの頃に好きだった子守唄に似ていた。
蒼花が一緒に旅をするようになって変わったことは、二つ。まずは当たり前だけど、人数が増えたこと。人形だから、食事もしないけれどそれでもクロと二人だけだった会話にもう一人が加わるというのは本当に画期的に新鮮なことだ。蒼花ちゃんは、クロと違って私の元の言葉がわからないので自動的にこちらの世界の言葉で話すことになる。蒼花ちゃんは、とても楽しそうに丁寧に言葉を教えてくれた。どうしてもわからないときは、クロに通訳をしてもらったけど、それでも、今までとは比べものにならない速さで私は言葉を覚えていった。(そのため、私はほとんどをこちらの言葉で話している。驚いたときなどは、ちょっと前の世界の言葉が零れてしまうが。)
そして、もう一つ。
「よっしゃ。ちょっくら喧嘩してやるか。おい、人形。ユキを頼むな。」
「言われなくてもわかっているよ、猫さん。」
『うお、うおおお、なんだ。「なんだ、お花が、お花が、また、」』
蒼花ちゃんが、手を口元に当ててふうと息を吹き出すと地面からもりもりと花が咲いてどんどんと大きくなる。その大きくなったチューリップに似た大きな花はばくりと大きく花びらを開いて私を飲み込んだ。この大きな花の中にいる限り、私は怪我をする心配はない。そのせいか、ここのところクロは喜び勇んで喧嘩を買うようになった。元々、好戦的な性格ではあったのだけど、私と二人きりだった頃は私を守るために早め早めに勝敗をつけようとしていたようだ。
チューリップの中に入っているときは、あまり外の様子は見えない。当たり前だけど、視界は咲いたチューリップの色で染まる。白とかだとまだいいけど、赤とか黄色だった日には外を見ることを断念して昼寝をするくらいに酷い。
「今日は、赤だ。視界が全て赤く染まる。」
まるで血の海の中にいるようで不快感は拭えない。それでも、昼寝をしようか、それとも赤いクロが赤い猪みたいな人間みたいなのと喧嘩をするのを見ていようかと非常に適当な気持ちで世界を眺めていた。
「そんなで俺様に勝とうってのか!!笑わせる!!」
そんな言葉とともにクロは楽しそうに飛んだ。つい三日前から、滞在している大きな湖の真ん中にあるちょっとした島のような場所は住んでいる人が、かなりの割合で動物っぽい。それも、前にみたアリちゃんとかそんな可愛い感じではなくてほぼ動物メインの体と頭に部分部分で人間とか植物とかのパーツが入っているような感じで何と言うか非常に、そう、なんというか、味がある。
「お、や?」
そんなことを考えていたからか、クロから目を放して数秒。真っ赤な視界にほんの数滴、宙を舞う水滴が見えた。真っ赤な世界に舞う水滴は当たり前に真っ赤だ。
不安、というには些細な感情が波のように私の心を支配した。クロが、負けたら私はどうなるんだろう。クロが死んだら、私はどうなるんだろう。この花の中で安全にしている間にクロが傷ついたら私はどうするんだろう。クロだけが、私の世界だというのに。
「・・ユキ?どうしたんだい、泣いているの?」
お花の横でふわふわと浮いていた蒼花ちゃんが、驚いたように中を見ている。その声に釣られらたようにクロがこっちを見た。真っ黒な瞳が、鋭く射るように私を捕らえる。そして、笑う。
「なんだよ、ユキ。俺がやられたと思ってビビッたのか?」
にーっと笑うとクロの長い指がニョキッと二本立ち上がる。ピースサインだ。救いを求めるように見つめたクロの体はやっぱり真っ赤だ。
『クロ、負けない、で。』
真っ赤なチューリップに手を伸ばして触れる、チューリップによく似た壁は触れるとしっとりと指先に馴染んだ。
指の先にいたクロは一瞬だけ、すごく驚いた顔をした後、とても嬉しそうに今まで見たことのない笑顔を浮かべて、任せろ、と得意気に言った。
そこからは、言葉にするのが難しいくらいにクロの猛攻が続いた。相手のイノシシさんは、反撃する間もなくぼこぼこにされて止めのハイキックで遠くに飛んで行ってしまった。
「どーだ!ユキ、俺様はこんだけ強いんだから、何があっても負けはしないっての。だから、泣くな。」
あっという間にイノシシさんを倒したクロは、そう言って私をぎゅうっと抱きしめた。そのもしゃもしゃと柔らかい毛に顔を押し付けると流れていた涙が、優しく拭われていくように感じた。
それでも、一度広がった不安は中々拭いされない。私は、その思いを込めるようにクロの背中をしっかりと握りしめた。
クロによれば、この島のどこかにも魔女の呪いがあるようで、私たちはそれを求めてやってきた。順調に集まっている魔女の呪いはあと三個というところまで来ていた。これなら、もうほとんど集めたも同然と言うクロとは正反対に魔女の呪いが集まるごとになぜか私は悪夢に魘されることが増えて、気分が落ち込むばかりだった。
クロに相談しても、解決策など見つけられそうにないので言ってはいないけれど、毎晩一緒に寝ている蒼花ちゃんは悪夢に飛び起きるたびに心配そうに子守歌を歌ってくれる。
「しっかし、無駄に広い島だな。いったいどこに呪いがあるんだか、さっぱり見当もつかない。」
「ふへ、ふへ、つ、疲れた。」
「ユキ、大丈夫かい?おい、猫さん、ユキが限界だ。少し休もう。」
ぜえぜえと肩で息をし始めた私を見て、蒼花ちゃんは優しくそういうけど、正直に言わせてもらうと蒼花ちゃんを抱えて歩いているから疲れているんだぜ。蒼花ちゃん、飛べるんだから自分で移動してくれてもよくね。なんて口が裂けても言えない。
「・・・・なあ、ユキ。お前、最近顔色が悪いぞ。何かあったか?」
「ん、別に。なんも、ない、けど。」
クロの大きくて暖かい手が、不意に私のおでこに充てられた。必然的にクロを見上げる形になってその存外鋭い瞳とかち合う。真っ黒なそれは、何かを見極めるように真摯な色をしていた。
「何かあったら言えよ。俺はユキの味方だからな。」
おでこに当てられていた手が、動いて髪の毛を乱すようにぐしゃぐしゃと撫でた。それを何も言わずに受け入れながら、私は一瞬だけ悪夢のことを言ってしまおうかと口を開いた。だけど、やっぱり何かが頭の中でストップをかけたように私の口は閉じてしまう。なぜか、悪夢のことはクロに言ってはいけない気がした。クロに言うと、クロがどこかに行ってしまうのではないだろうか。と、なぜか経験したかのようなわかりきった恐怖が沸き上がる。
「・・・とにかく、どこか休める場所を探そう。この島はどうやらそこそこ発展した文化を持っているようだ。どこか宿を探してみたらどうだろうか。」
「そう、だな。よし、ユキ。俺がおんぶしてやるよ。ほら、背中に乗れ。」
クロの大きな黒い背中を見つめながら、私は夢の中で感じた喪失感を思い出してほぼ反射的にクロの背中に飛び乗った。クロの背中に私が乗ってその背中に蒼花ちゃんが、乗っている。なんでこの人形は、飛ばないのだろう。ほとんど本気でそう思った心が読まれたわけじゃないだろうけど、蒼花ちゃんはしばらく黙って私の背中で揺られたのちにふわりと浮き上がって私の横に並んだ。いや、だったら最初からそうしてよ。
「それにしても、ユキもだいぶこっちの世界に慣れてきたね。もう、ほとんど言葉もこっちの住人と大差ないくらいに上手だ。」
「あぁ、そういえば・・・最近、普通に話せてるから忘れてたけど。そーかちゃんとたくさんお話ししたいからね。」
「おいおい、それじゃあ、俺様とはお話ししたくないってのか?」
「そうは言ってないけど・・・・」
旅をしている間に私は言葉を覚えてしまったらしく、すっかりと元の世界の言葉でクロと話すことはなくなっていた。クロと二人だけのときは、今でも前の世界の言葉でお話ししてみたりもするけど。
島の真ん中に向けて歩くこと、およそ半日。私たちはとうとう島の中心部と思われる場所に到達した。そこは、教科書に出てくる高床式住居よろしくな造りの家ばかりで私は思わず、ここの住人はみな縄文人あたりなんだろうかと想像してしまったが、いや、考えてみれば確かにちょっと動物てきなところがある人ばかりだったからそうかもしれない。と割と本気で納得しかけてしまった。
「赤光土偶!!」
「なるほどな、これは魔女の呪いを避けるためってわけだ。」
「どうやら、そのようだね。さすがは、猫さん鼻が利くね。」
元気よく満点の回答をしている私を差し置いて二人は、わかったように頷きあった。なんだよ、なんか私だけがわかっていないみたいじゃんか。どういうことだよ。
クロの背中でぷんすかと一人でドヤ顔をして一人で膨れていた私を気にも留めず、クロと蒼花ちゃんはとっとと宿らしき建物を見つけて歩みだしてしまった。クロの背中に揺られながら、辺りを観察してみるとなるほど確かにクロたちのいう通り、何やら地面に穴が。今度の呪いはモグラか何かにかかってんだろうか。なんて思いつつ、その穴の中を首を伸ばしてのぞき込むと、案外深さはなくて変わりにドロドロとした紫色の液体が満ち満ちている。中々にひどい悪臭が、した。
「うぐ、ぐざい。」
「おい、ユキ。あんまり顔を近づけるなよ。たぶん、その穴の中は腐ってんだ。」
「手なんて入れたら、触れたそばから腐敗していくだろうね。」
「なにそれ、恐怖じゃん。恐怖の水たまりじゃん!!!」
「こりゃ、相当年季の入った呪いだな。こうやって呪い対策が文化になっているんだから。」
「確かに。言い伝え、を調べてみるといいかもね。」
ごぽごぽと、不吉な紫色をした水たまりを私を背負ったままクロは起用に飛び越えて歩く。このとき、私は初めてクロに背負われていてよかったなあ。と思ったのでした。それよりも、鼻につくにおいが思考まで腐敗させていくように感じます。
なんてことを考えているのか、いないのか、している間にクロは私を背負ったまま、高床式の住居に入ってしまいました。それにしても、高床式なのに更に高層ビル仕立てになっているってちょっとした挑戦だよね。と、五階くらいは優にありそうな住居をクロの背中で見上げながら
「おい、こら、ユキ。体を反らすな。バランスが、危な、」
グラグラとクロの体が揺れてあっという間に受け身も取れず、腰と背中を強かに打つ。ちかちかと星が見えたような気がしたけれど、生憎と今は昼間。見えたとしても夕星であることは否めない。
「大丈夫かい?ユキ、猫さん。」
「うう、うん。・・・ちょ、クロ、重い。」
ふわふわと空しか見えていない視界に蒼花ちゃんの心配そうな顔が入ってくる。返事をして起き上がろうとする体を邪魔するかのように上にクロの体が乗っている。ふわふわの毛を押してやりながら抗議してもクロはびくともしない。もしかしてどこか痛くしたのだろうかと不安になって少し強めに名前を呼ぶ。
「クロ、どうしたの?」
「あ、いや、別に。なんでも、ない。」
クロはまるで顔を見られるのを嫌がるように素早く立ち上がると、私を置いて宿の中に入ってしまった。何やら、今までにない対応に私と蒼花ちゃんはしばらくぽかんとその背中が消えた方を見つめていた。
高床式高層ビルからの眺めは当たり前によくてこれってオーシャンビューじゃね。と、青々と揺れる水面を見ながらふいと意味のない優越感に浸ってみたりしている私を置いてクロと蒼花ちゃんは、情報収集に向かってしまった。ちょっとさ、酷いんでないの。この間までは私を一人置いておくのだってあんなに不安がってくれていたのにさ、過保護が聞いてあきれるくらいの過保護だったのにさ、なんかちょっと子離れが唐突すぎるっていうか。いや、別にかまってほしいとかそんなんじゃないけど。なんていうの。なんていうの。
そんなどうでもいいことを考えながら部屋をぐるりと一周。三人での宿泊なので結構な広さを有している部屋なのであるが、その中でも異様さを放っているのが壁に掛けられた大きな絵。一番広い壁の一面すべてを占領してしまっているそれは、真っ白い馬の絵だ。それは私の世界では、一角獣とかペガサスとか言われる類の馬っぽくて角が生えて翼が生えている。どこまでも真っ青な空を、真っ白い羽を広げて飛んでいる真っ白な馬。
「そういえば、小さい頃に近くの公園にあった白い馬の遊具をペガサスに見立てて遊んでいたな。・・・懐かしくて恥ずかしい記憶だ。名前も付けて会話していたっけ。確か、」
思い出そうと記憶を辿る。不意にこうして蘇る記憶は、非常に曖昧でその瞬間に掴まないと、ふわりと飛んでまた混沌とした闇の中に消えてしまう。
あのペガサスは、どうしているだろうか。あんなに頻繁に通っていたはずの公園までの道のりがひどく遠い場所のような気がしてもう何年も行っていなかった。だいぶ老朽化していただろう、あの白い馬は今も元気であそこにいるのだろうか。誰か、話しかける人はいるのだろうか。
「・・・・え、あれ、」
一瞬、なにが起きたのかわからず、確かに絵に向けて伸ばしていたはずの手を確認。大丈夫、手はちゃんとついている。では、おかしいのは周りの方だ。と、手を伸ばしていたはずの絵を確認。ない。確かに今今さっきまで手を伸ばしていたはずの絵が、跡形もなく消えてしまっている。違う、絵が消えたのではない。私が、
「ここは、どこ?なして、なして、こんなところにいるの?」
本当に、さっきまではちょっと常夏アロハなホテルっぽい部屋にいたはずの私は、いったいどんな技を使ったのかと問いかけたくなるほどに速やかに、まったく別の場所に移動していた。洞窟、鍾乳洞、そんな言葉がしっくりとくる薄暗く閉鎖された天然の空間。人工的ではないことは、まわりを見れば明らかで。
「ええ、ちょっと。ちょっと、私ってばいつの間にか瞬間移動とかっていう技を会得したんじゃない。これって、神秘じゃない。」
衝撃的な事実を受け止めきれずにそう呟いてみると、当たり前だけど洞窟内に反響してあちこちで私の声が跳ね返る。あまりいいものではないな、一人でいるときだと。なんて思いながら、怖くないふりをして辺りを見回す。動いてもいいものだろうか、と注意深く観察をするも、如何せん視力があまり良くない目ではとりあえずの危険はなさそうだというくらいしか結論が出ない。遠くで何かが動いたような気もするし。そうでもないような気もする。そんな曖昧な感じを抱きながら、一番何もなさそうな方に足を踏み出す。
その頃、クロと蒼花ちゃんが部屋から消えた私を血眼で探していたらしいけど、それは後から聞いて初めて知ったくらいだ。
「およ、およよ、」
数歩、歩いたと思ったらまた一瞬で景色が変わる。町の中、とても賑やかで華やかな喧噪の中に放り出された。洞窟との落差に戸惑っている私に通りの向こうから馬車が走ってくる。馬車って言ってもなんかケンタウロスみたいな人が自分に縄括り付けて走っているだけで私の知っている馬車とはだいぶ違うんだけど。っていうか、今はそんなこと言っている場合でもない。これ、このままだと私踏まれる系じゃない。
「うぎゃあああ、」
断末魔の叫び声をあげて私の体を馬車が通過していくのを感じた。ん、通過している。
「なにこれ、なにこれ、幽霊なの!?この町の人みんな幽霊なの!?」
パニックになったまま、そこいらの人に手を伸ばすけれどみんなまるでホログラムのようにすかすかと体を腕を通り過ぎていく。
それとも、考えたくない、考えられない思いが胸の中を渦巻く。ひょっとして、私がもう死んで幽霊になってしまったのではないだろうか。何かあって私が、あの瞬間、照らされたライトに迫る光。激しい痛みの中で呼んだのは、誰の名前だっただろうか。町の喧噪の中で冷えていく体温と頭。何かを思い出しかけた頭を引き戻すように、物売りの大きな声が響く。
「ど、どうなってんのさ。」
混乱の極みに、成す統べなくその場に座り込むとまたしても景色が変わる。ごうごうと耳を支配するすさまじい音は、見なくてもわかる、滝だ。
「うおおお、マイナスイオンだ。癒される。」
もう、考えることすら放棄したまま横を見れば、すぐそばをごうごうと勢いよく水が落ちている。たぶん、この水にも触れないんだろうなあ。なんて思いながら、そういや喉乾いたな、と首から下げたままだった鞄をごそごそとやる。幸いにも、いや、当たり前だけど鞄にも鞄の中身にもちゃんと触れることができる。自分が幽霊になったのではないことを確認できてとりあえずホッとする。
よかった。私はまだ、生きているんだ。まだ、大丈夫なんだ。
そう安心してから、それがいったいどんな状況から来た言葉なのかと首を傾げる。今まで自分が死んでいる可能性を示唆したことはない。それなのに、自分の手が体が透けていることにとてつもない恐怖と不安を感じたのはなぜだろう。
「頭ぐちゃぐちゃ。」
ぐびぐびと今朝補充したばかりの水を飲み、一時休憩。動き回ったっていいことはない。少し冷静になって考えよう。ぐびぐび。ぐびぐび。
「・・・馬。そうだ、あの馬が、・・・ひょっとして、これは絵の中?」
こんなことになる直前に身近にあったあの絵が今のところ一番怪しい。きっと、いや、絶対にあの絵が呪いに関係していたんだ。そう確信に近い何かを得たところでじゃあどうすんのって話に変わりはない。このまま、幻のような世界の中を歩いていれば呪いの中心に行けるのだろうか。いや、でも、行ったところで今は一人だ。どうしろっていうの。
こんなときは、自分の無力さがもどかしい。クロのような戦闘力が、蒼花ちゃんのような特殊能力が、私に備わっていたならどんなにこの旅は楽なものに変わっただろうか。ただ見ているだけなんてことはしない。自分の身は自分で守る。そんなことができたはずなのに。大切な仲間を守るために、私も戦えたら。
「私は、役立たずだ。いつだって、どこだって、そう。私は役立たずの不良品で欠陥品。運動も、勉強も、人付き合いも、全部だめ。何もかもが、だめ。」
違う世界に行けば変わるかと思った。ファンタジーの世界に行けば勇者になれると思った。魔法使いに、大賢者に。だけど、本当は違う。どこの世界に行っても、私は私でしかない。ほかの何かになんてなれない。わかっている。わかって、いる。
じわり、滲んできた涙を少し乱暴に袖で拭う。アリちゃんがくれた可愛い服。袖の部分がふわりと広くなっている可愛い服。アリちゃんがくれた、服。
「お前が望むのは、力か。」
「ん?」
どこからともなく声がした。慌てて顔をあげるといつの間にかまた景色が変わっている。私は緑色の草の上にいて、あの絵の中にあったようなどこまでも続く青い青。吹き抜ける風は心地よくほんの少し草の匂いがした。
「お前が欲するのは、力か。」
「誰、ですか?どこにいるんですか?」
静かな声が、低く問いかける。どこまでも続く草原の中で私は一人で立っている。
「お前は、力を選ぶか。それとも、」
力。そうだ、力さえあれば。私は彼らを守ることができる。自分を守ることができる。私は役立たずではないと証明することができる。私は、私は、弱くないと。
『本当、ユキには敵わねえな。』『ありがとう、僕を、救ってくれて。』
『ユキ、ずっと友達だよ。』
声が、響く。静かに、静かに、何かを期待するように。
「私が、欲しいのは、望むのは、選ぶのは、」
誰もいない青空の下。私は、たった一人でどこまでも一人で。
「力か。それとも、」
どこまでも、どこにでも、私は彼らと一緒なら、怖くない。どんなに力があっても、強くても一人じゃ怖い。役立たずでも、不良品でも、
「みんなと、一緒にいたい。力だけあったって意味ない。私は、強くなれない。」
「ならば、運ぼう。俺が、お前を。」
「え?お、おううお!?」
静かな声が、そう言うと同時に草原に真っ白い点が浮かぶ。それは徐々に近づいてきたと思うと真っ白な白馬だった。どこまでも白いその馬はどこまでも静かな瞳を向けると一つ嘶いて、その背に私を乗せた。
「さあ、望め。さあ、欲せ。お前の行き先を、」
「私の、行き先。」
少しだけごわついている鬣を掴んで前を見る。行けるならば、どこにでも行きたい。どこまでも、行きたい。だけど、今、私が望む場所はただ一つ。
クロたちの、いるところ。彼の導く場所。
念じるように心に灯した明りに寄り添うように、白い馬の背が揺れる。どこまでも真っ青な空に浮かぶような白い馬。私は、どこに行くんだろう。どこまで行けるんだろう。
「俺が、お前を、運ぶ。」
静かに低い声が、淡々とそう呟いて瞬間体がガクンと揺れるほどの速さで白い馬が、走る。
草原を抜ける風が、頬を痛いくらいに強く掠めていく。青い、匂いがした。
「ペガサス、ユニコーン、どっちにしても空を飛べるっていうのはいいね。」
振り落とされないように、しっかりと鬣にしがみ付きながら問いかけるとやっぱりあまり感情の籠らない声が、不思議そうにだけど少しだけ同意するように、そうか。と、言った。
光の速さ、というんだろうか。走るたびに流れていく景色が変わる。さっきまでいた滝だったり、町だったり、これはやはりきっとこの白い馬の記憶なんだろうな。なんて当たり前のように思ってちょっとした観光気分で見ていた流れる景色の中に時々無視できない光景が挟まる。
「これは、お前の記憶だ。俺の背に乗っているせいで、お前の記憶の海も経由している。」
まるで心を読まれたように白い馬が解説をくれた。やはりそうか、と納得しながら見覚えのある流れる景色を見つめる。懐かしい家、大好きな私の部屋、そして学校。いつの間にかすっかり遠い場所になってしまったそれらを見つめながら、きっとこの白い馬は望めばあそこに連れて行ってくれるのだろうな。と、確信に近い推測をたてていた。
どうして私はこの世界にいるんだろうか。最近、ますます濃くなる悪夢の気配を感じながら、強く強く考える。誰かに呼ばれたんだろうか。何かに引き付けられたんだろうか。それともこれは私の見ている夢なのではないだろうか。長い長い幸せな夢。残酷で退屈な現実から逃げ出すための、夢。
「馬さん、名前は?」
「俺には名前など、ない。あったとしても、何千年も何千里も超えてきた間に忘れた。」
「そっか、それできっと魔女の呪いにかかったのかな。じゃあ、名前をあげれば・・・」
白いふわふわの毛並みを確かめるように撫でてから、うーんと唸ってみる。千里の道を進む馬。真っ白い毛を持つ馬。私の、記憶を駆ける馬。
「千雪。千里の道を、雪のように駆ける馬。」
「ちゆき。いい名前だ。」
どうやら、気に入ってくれたらしい。低い声が少し嬉しそうに弾んでいた。そうか、喜んでくれたのなら何よりだな。なんて思いながら、千雪の背中に揺られている。うん、なんだろうか、この高貴な雰囲気からだろうか。呼び捨ては憚られる気がする。様くらいはつけたほうがいい気がする。
「千雪さま。と、呼ぼう。」
一人、そんな決意をして口にする。それが、きっかけだったわけじゃないだろうけど、辺りの景色が歪むと千雪さまが一つ高く嘶いて蹄を鳴らした。その音がビリビリと空気を震わせて歪んだ景色が、くしゃくしゃになった紙が伸びるようにピーンと広がった。
「さあ、ついたぞ。」
「ユキ!!」「ユキ!!」
千雪さまが、そういうのと同時に視界に真っ黒な塊が飛び込んできた。タックルをされたのだと確信できるほどの強さで攻撃され、驚きと衝撃で息もできずにもたもたとしている私に千雪さまが、すんすんと鼻を寄せてきた。
「な、なんだ。突然の展開に、頭が、ついていかないよ。千雪さま、ここはどこですか?」
「お前、何言ってんだ。それより、どこに行ってたんだよ。俺様をこんだけ心配させてただで済むと思うなよ!!」
「ずっと、僕と一緒に遊んでくれるって言ったじゃないか。それをいまさら破るなんて、僕は絶対に許さないからね。」
「おお、おおう?あぁ!!クロと蒼花ちゃんのとこに戻ってきたんだ。」
あまりにもなことが、起きすぎてすっかり忘れていたけれど、そういえば、私はオーシャンビューのホテルから突然いなくなっていたことになるわけで。いったいどれくらいの時間が経ってしまったのかは全くわからないけど、二人の心配の仕方からしてかなり長い時間であったということは確かなようである。
「ここが、お前の望む場所だ。ユキ。」
低く落ち着いた声が、なだらかにそう言った。それを聞きながら、私はそっと抱き着いてきた大きな黒猫と少し大きなお人形を、撫でるように抱きしめた。
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