第4話 チート・四個目

 


 私の心は悲しみでいっぱいだった。あんなに幸せで溢れていたはずの私の周りは、今や誰もおらず。ただ、深い悲しみと癒すことのできない寂しさだけが、どこまでもまとわりつくように私を絡めとる。

「・・・どうして、どうしてなの。」

あの人のそばにいたいと願ったことがいけなかったのか。あの人と一緒にいたいと願ったことがいけなかったのか。それとも、これが正しい結末なのか。今となっては誰も教えてはくれない。

「     」

闇の中に叫ぶように名前を呼ぶ。けれど、それは誰の耳にも届かずに溶けるように消えた。

私の言葉に耳を傾ける存在など、もう、どこにもいない。

私はたった一人で寂しさの中で世界のすべてを呪うように何度も何度も、その名前を呼ぶ。

「クロ、」

「ん?呼んだか?ユキ。」

夢の中で呟いた言葉に返事をされた。ような、気分で目を開ける。

 ふわふわの真っ黒い毛。ほんの少し鼻につく獣の匂い。身体越しに響く低く太い声。何もかもが、知り尽くしたことのはずなのにどうしてか、すぐそばにあることに酷く安心した。嬉しさを感じた。何もかもが、救われた気持がした。

「大丈夫かい?ユキ。まったく本当に、お尻が痛いなら言ってくれればよかったんだ。お馬さんの背中に長時間揺られているのは大変だと。」

「すまない。俺が、ちゃんと気を付けていれば。」

「本当だな、ユキは俺様たちと違って脆いんだ。もっと気を配れ、馬野郎。」

「悪いのは、俺かもしれないが。馬野郎と呼ばれるのはいい気がしない。」

早々に喧嘩が始まってしまいそうな黒猫と白馬のやりとりを聞きながら、ようやく頭が覚醒してくる。そういや、すごい山道になって歩くの疲れた私は千雪さまに乗ることにしたのだけど。だけど、私は知らなかったのね、馬の背中にあの鞍なしで長時間乗っているとどういうことになるか。まあ、だって日常生活において馬に乗ること自体がそもそもないからね。わかるわけがなかったのだけど、そう、尻の皮が破けた。

「ごめんね、千雪さま。せっかくの真っ白い毛並みが、背中のとこだけ真っ赤になっちゃって。あと、どっか川でも見つけて洗い流そうね。」

気づいたときには遅く。まるで月に一回の女の子の日みたいにズボンが鮮血に染まっていた。もう感覚があんまりないから痛みはなかったけど、たぶんしばらくひりひりはするんだろうなあ。

 そんなことを思いながら、山道をクロにおぶされて上っていたときだった。道の端に、一人の(かなり不可思議な恰好をした)お兄さんが、立っていた。

「お待ちしておりました。マスター、どれほどあなたにお会いしたかったか。」

「・・・・・え?」

こういうときはあまりじろじろ見るのはよくない気がして、目線をクロの真っ黒なうなじに集中させていたためか、お兄さんの言葉に対する反応が遅れた。

「マスターが通るときを今か今かとお待ちしておりました。さあ、どうぞ、このわたくしをお使いください。」

「なに、へ、この人、私に話しかけてるんだよね。なに、え、なに?」

「いいから、聞くな。行くぞ、ユキ。」

「これは、これは、ずいぶんとご挨拶ですねえ。」

まるでこの世界の空と同じように灰色の服を着たお兄さんは、大きなカーテンを体に巻いたみたいなマントみたいな繋ぎを着ていて体の線がわかり辛い。それなのに、髪だけはど派手に金色でそのコントラストに目がチカチカする。

「僕のユキに何かする気なら、僕が相手になってあげよう。」

「ほうほう、なるほど。中々珍しい組み合わせですねえ。黒猫さん、」

クロが、忌々しそうに舌を鳴らした音が聞こえた。おかしい、ただ喧嘩を売っているだけにしてはクロの態度がいつもと違う。まるで会いたくないけど、絶対に会わなくちゃいけない相手に会ってしまったような、そんな感じだ。

「クロ?もしかしてこのお兄さんと知り合いなの?」

「んなわけ、ないだろ。」

「そんなことよりも、マスター。どうかわたくしもこの旅の仲間に入れてください。きっと、お役に立つと思いますが。」

じっと見つめてくる瞳は涼し気で唇はなぜかアヒル口だ。なんでこの人いきなり得意になってんの。そう思いながら、誰か助け舟でも出してくれないだろうか。と、思うけど。こういうときに限って誰も何も言わないのよ。まあ、確かに今までこんな積極的に仲間にしてけれ、なんて言われたことないからさ、しかもみんな呪い持ちだったしね。こんな清廉潔白な人初めてだしね。清いのか人なのかも定かじゃないけどね。初対面だし。

「ま、まあ、い、いんでないの?仲間は多いに越したことはないし・・ね?」

同意を求めるように少し身を乗り出してクロに尋ねると、フイッとわかりやすく顔を背けられた。えええ、なに、それ。なにその反応。戸惑うよ、いきなりそんなツンてされると戸惑いますよ、私でもさすがに。

「僕はユキがいいなら、何も言わないよ。」「俺も、興味はない。」

気を持ち直して後ろにいた二人に視線を送るけど、そんな冷たい答えしか返ってこない。えええ、なに、なんなのこのパーティメンバーは。どうしてそんなにツンなの。

「では、マスター。わたくしを好きにしてください。」

「なに言ってんの!?いきなり爆弾発言やめてください。落ち着いて!!」

目を閉じて確実に何かを待っているポーズをしている目の前のお兄さんに少し慌て気味に突っ込むのとクロがその顔をぐわしと片手で掴んで私が落ちそうになるほどの力でぶおんと遠くに投げるのとはほぼ同時だった。

「無駄口叩くな。お前は一番後ろからついてこい。」

今まで聞いたことのないほど低く冷たい声が、今まで聞いたことのないほど乱暴で凶悪な言葉を吐く。それは今、私を背負ってくれている大きな黒い猫みたいな人から発せられていることが私は二次方程式の問題を見せられたときのように理解し難かった。

 クロはよほど、このお兄さんのことが嫌いなのか、お兄さんがいるとわかり易く機嫌が悪い。悪い、なんて生易しいものじゃない。今まで見たことのないほど鋭い目つきでお兄さんを見ていたかと思うと、どこまでも凶悪な顔をしてお兄さんを攻撃する。蒼花ちゃんや千雪さまにしていたようなじゃれつくような攻撃とは全く違う。本気の攻撃だ。

「・・・クロ、どうかした?」

「別に。なんでもねえよ。」

いくらなんでも余程のことだ。と、休憩で足を止めたのを見てクロに尋ねてみるけれど、もう何度目かわからないツンをされて終わり。まるで仲間に入れた私が悪いみたいにクロは私にも冷たくなった。かと思うと突然、不安げに私のことを見て怯えるように探る。

 事件が、(というにはあまりにも小さいが)起こったのはそんな日々を少し送ったところだった。

「マスター。わたくしのお力をお見せするときがやってきたようです。さあ、お命じください。攻撃の許可を!!」

魔女の呪いと思わしき泥人形に囲まれてどこまでも続く畑の真ん中。逃げる場所も隠れる場所もないただ開けた場所で私たちは、二進も三進もいかなくなっていた。

「はい?そ、そんなこと言われても、お兄さんがいったい何者なのか知らんのに?」

蒼花ちゃんのチューリップは、下から次々と折り重なるようにして登ってくる泥人形にあっという間に棒倒しの要領で倒されてしまった。あの下からおどろおどろしく登ってくる泥人形ってなんかゾンビみたいで本当に怖かったのでもう一度作ると言った蒼花ちゃんの言葉を私は丁重にお断りした。

「ユキ、しっかりと摑まっていろ。振り落とされるぞ。」

「うう、そんなこと言われても・・・うわっと。」

なので今は、千雪さまの背に乗ってロデオよろしくな激しい動きで泥人形を蹴散らしているわけだけど。そんな私にふらふらと近づいてきたお兄さんは、事も無げにそう言って何かを待っている。

 いや、そんなこと言われても私はあなたが何をどうするのかも知らないんですよ。抗議しようと身体を起こすと千雪さまの激しい動きに振り落とされそうになってしまう。

「ご安心を、わたくしがお導きします。あなたは、ただわたくしに全てを委ねてくださるだけでいいのです。」

「なにそれ。変態ですかっ、うわああっ!」

油断した、お兄さんのうっとりとした恍惚の表情と言葉にうっかりと突っ込みを入れてしまった。その刹那、今日一番の激しい嘶きとともに体がふわりと宙に浮いた。

 それを待っていたようにお兄さんは大きく手を広げた。計算していたのかと思うほど、ドンピシャな場所にタイミングでお兄さんの腕の中にはまった。

「ユキ!だめだ、やめろ!!」

「お待ちしておりました、わが愛しのマスター。」

お兄さんの声がすぐ近くで聞こえた。反射的に摑まるように抱きしめたお兄さんの身体が、轟轟と凄まじい音をたてて脈を打っている。

「お、お兄さん!?」

戸惑いと言い知れぬ恐怖で半ば叫ぶように呼んだ声に呼応するようにお兄さんは、ふるりと震えた。その震えに呼ばれるように地面が、空気が、ビリビリと鳴る。

 そのあとは、いったい何がどうしてそうなったのかわからない。とにかく辺りを囲んでいたはずの泥人形の軍勢が、一つ残らずいなくなり、畑だったはずの地面は真っ黒に焼け焦げそこに申し訳程度に泥のカスがポツポツと落ちているだけだった。圧倒的な惨状。そうとしか表現できないほどの光景に私はただお兄さんに抱きしめられるようにしたままぽかんと口を開けていた。

「・・・・っチ。」

不自然なほどの静けさを破ったのは、小さな舌打ちの音だった。その音に呼ばれるようにそちらを見ると、忌々しいものを見るように焼けた地面を見つめるクロだった。私が、何か悪いことをしたような気分になって何も言えずにその横顔を見ていると、その表情はだんだんと苦しそうになり、悲しそうになり、そうして最後には悔しそうに歪んだ。

「・・・これ、そこのお兄さんがやったのかい?」

「どうやら、そのようだ。」

二度目の沈黙を破るように蒼花ちゃんが、ほんの少しの怯えを含んだ口調で問えば、千雪さまが確信に満ちた肯定を放つ。私はといえば、信じられないままにお兄さんのことを極々至近距離で見つめていた。お兄さんは、とても満ち足りた表情でこちらを見つめている。

「ええ、もちろん。わたくしは、魔導書なのです。あなたが触れてくだされば、わたくしが最大の能力を発揮いたします。」

おいおい、おいおい。心の中で二回ほど突っ込んでから、信じられないものを見るようにお兄さんを見つめた。魔導書、よく絵本とか小説とかに出てくる最強クラスの魔法武器。でも、それがいったい全体なんでここに、というかなんでお兄さんの姿で。

「え、ええっと、えと、え?ってことは、え?魔法を使えるってこと?」

「そんなことじゃないだろ。」

狼狽えて尋ねる私の声と苛立ったようなクロの声が重なってだけど、今はクロのことを気にしているどころではなくて。

「ええ。そうです。マスター。わたくしがいれば、そしてあなたが触れれば、どんな強大な魔法でも使うことができます。」

「どんな、強大な、魔法でも・・・今みたいな、魔法?」

力だ。どんなものにも、どんな敵にも負けない力。このお兄さんがいれば、それが手に入る。絶対唯一の力を、手に入れられる。

「ええ、今のような魔法です。マスター」

自信しかない瞳が、クロとよく似たその瞳が絶対の優越感を湛えている。魅惑するように誘惑するように、私を見つめている。お兄さんさえ、いてくれれば。

だけど、でも、だとしても、

「それって、攻撃の魔法だけ?傷とか怪我を治したりする、回復の魔法は使える?攻撃は、今みたいなのは、危ないから使わないよ。それよりも、私は、みんなを治療したいな。」

蜘蛛の糸をすり抜けるようにして口から出た言葉は、千雪さまのところで抱いた思いと一緒だ。力は欲しい。誰よりも強い力なら欲しくないはずがない。だけど、それじゃあ一人でいるのと一緒だ。どんなに強い力でも、一人じゃ寂しい。だとしても、私はみんなと一緒にみんなに守られながら、戦う道を選ぶ。

「ユキ、お前、なんで・・・?」

クロは信じられないものでも見ているような顔をして、泣きそうな少し掠れた声で私の名前を呼んだ。それはお兄さんも同じだったようでとても驚いた顔をして(ああ、そんな顔もできるんだ。なんて私の方が驚いてしまう。)掠れた声でマスターとつぶやいた。

「変、かな。今、変なこと言った?」

そんな反応をされることには、慣れていたけど、この世界に来てからはどちらかというと珍しいことだったので私は、久しぶりに驚かれて狼狽えた。

 蒼花ちゃんと千雪さまを見れば、そんなこともないよ。なんて言いたいみたいに首を振ってくれた。よかった。私、変なことを言ったわけじゃないんだ。それなら、今もわなわなと何かに耐えるように震えている黒い猫と今度は拗ねてアヒル唇になっているお兄さんが、異常ということですね。

「・・・なるほど、わかりました。マスター。今のあなたは少し違うようです。わたくしを必要としてくださらないのは残念ですが、あなたがそう望むのでしたら、わたくしは、」

お兄さんは、しばらく打ちひしがれたみたいな様子だったけど、突然ガバリと顔をあげて私を見て悲しそうに笑った。へえ、そんな顔もするんだ。なんて感心しているとお兄さんはツンツンと立っている髪に乗せるようにしていたゴーグルによく似た形をした眼鏡をスチャリと目に装着。

「え、なに?どしたの?」

「おい、何する気だ。魔導書野郎。」

「あなたの望み通りのお姿になるまで、です。愛しい我がマスター。」

慌てるクロと私をゴーグルをつけた変な顔で見つめると、ボンっと大きな音とともにお兄さんの姿が煙に包まれた。煙は、すぐに空気に溶けるように消えてあとには、お姉さんがいた。

「はい?は、え?ええ!?ちょ、何が起きましたか、今?」

「初めましてマスター。わたくしが、回復専門の魔導書ですわ。あぁ、愛しいマスター。」

今の今までお兄さんがいた場所に、ボインでキュッのお姉さんがいた。ツンツンと立っていた金色の髪は、流れるようにウエーブして肩にかかる。灰色のつなぎだったはずの服は、つなぎのままなのに長さが鎖骨までしかない。

「・・・・どうなって、んだ?」

「彼女はさっきまでの魔導書さんと存在は同じだ。だけど、そうだな。別の人格だね。」

「見た目が違うだけで匂いも波動も同じだ。」

「いやいや、違うでしょ。なんでそーかちゃんもちーさまも、そんな平然としてられるの?」

完全にパニックになってしまった私とクロを極々冷静な眼差しをした蒼花ちゃんと千雪さまが眺めている。眼前にいるお姉さんが、いやにセクシーな声でマスターと呼んで抱き着いてきた。白玉のような柔らかい肌が、顔にむぎゅうと。

「・・・・・・ま、満月。」

「なあに?マスター。それってわたくしの名前?うふ、嬉しい。」

「おいおい、ちょっと待て。それが、ユキの望む姿ってことは・・・ユキ、お前もしかしてソッチ系だったのか?」

パニックから一人早めに脱出したクロが、爆弾発言である。おい、お前まだパニックの中にいるぞ。まだ、頭混乱してんだろ。思わず、言いそうになって口を開こうとしたけど、豊満な何かにふさがれていて無理でした。

「そっち、とは、どっちだ?」

「へえ。そうだったんだ。大丈夫だよ、ユキ。僕は、得意分野だから。」

あなたたち全員、まだ混乱の極みでしょ。そうだと言って。そう思うほど爆弾発言が目白押しである。なにこれ、爆弾発言の市場ですか。

「あら、わたくしだって。愛しいマスターのためなら、ねえ。」

お姉さん、改め満月さんが、嬉しそうにそう言ってさらに強めに私のことを抱きしめた。


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