第6話 チート・六個目
そこは、悲しいほどに何もない部屋だった。
何もない。誰もいない。そう、私以外。
私は、知っている。この部屋を知っている。毎晩、何度も、夢に見た、あの部屋。
「いらっしゃい、クロ。待っていたのよ。」
混ざる、交じる、雑ぜる。ブレて重なった私が、喋る。
開けた扉の向こうにいたのは、長いドレスを身にまとった私だった。まるでテープが、重ねて録音したように様々な私の声が、喋りが、姿が、座っている。
「よお、元気そうだな、魔女さま。」
「・・・ま、じょ。」
少しだけ懐かしそうに、だけどとても辛そうにクロは重なる私を魔女と呼んだ。私は、それを口に出して馴染ませるように私を見た。
「その子が、今度の私ってことね。うふふ、同じ。同じだよ、クロ。どんなに連れてきても、私は、私だわ。」
ざざっとノイズが入るように、ブレて重なる。まるで壊れたラジオを聞いているようでなんだか、眩暈がする。確かに私の声だ。声なのに、どこかが違うから気持ちが悪い。
「クロ、ちょっと、どう言うこと?」
「ユキ、いいから、何も考えるな。」
「えー、ちょっと酷くない?私にはあんだけ色々悩ませておいて。ずるい、ずるい。ね?私もそう思うでしょ?」
吐き出した声と耳から入る声が、混じって雑ざってどっちが自分が出している声だか、わからない。頭の中を記憶が交差して何が、自分の記憶なのかわからない。
わからない、わからない。交じって雑ざって交差していく。
「ユキ、落ち着け。ユキ、ユキ!」
クロの黒い手が、ふわふわの毛が、私の肩を掴んだ。違う、違う、掴まれているのは、私。なのにそれを遠くから見ているのも、私。とても、悲しそうな顔をして。
旅をした、旅をしてきた。クロと一緒に、この世界を。
一緒に、二人で、三人で、四人で、一緒に、一人で、二人で、一緒に、旅を、した。
笑った、泣いた、怒った、怖い、怖い、怖い、笑った、私は。
「違う、違う、私、私は、魔女。魔女は、私だった!」
言葉にすれば、真実はぽっかりと空いた隙間に滞りなくハマった。上げた顔は、極々近距離にあったクロの強張った表情とぶつかった。
「あはは、そうそう!そうよ、私が魔女。魔女が、私!あなたは、私で私があなた。何も、迷わないで。ね、こっちに来て。私の一部になって。」
嬉しそうに笑う私の声が、何もない部屋に木霊して悲しいほどに虚しく響いた。本当は、いつからだったか、気が付いていた。そんな気がしていた。違う、違う、そんなことない。こんな結末、知らなかった。私は、考えないようにしていた。クロの優しい目隠しに体を預けてただ、手を引かれるままに結末に向かって。いつも、いつだって、クロの手を信じて、ただ一心にそれだけを見ていた。
「クロとずっと、一緒にいられるわ。」
今、聞こえた声は、誰の口から出た言葉だった。目の前のクロの瞳が、絶望に染まっていく。その表情を私は何回見たんだっけ。いつも、この瞬間だけ彼は全てのことを後悔するように声を漏らす。酷く悲しそうな声で私の名前を、呼ぶ。
「ユキ、」
ちりん、記憶の奥の奥で鈴が鳴る。寂しそうに悲しそうに、私を呼ぶ。
ああ、そうか。そうだった。
私は、あなたが大好きだったんだよ。いつも、私のそばにいてくれたクロスケ。
ゆっくりとクロのふわふわの身体を、押した。もう、クロは何かを言うつもりはないみたいにゆらりと離れた。その頭を少し背伸びをして撫でてやる。耳を潰すように、良い子だね。と、笑いながら。
鞄から小物入れを取り出した。そこにいれていたビー玉みたいな綺麗な球。この旅で集めた大切な思い出たちをバラバラと床にぶちまけた。
「だけど、それは反則でしょ。」
綺麗なドレスを着て重なってブレてもう、私じゃなくなった魔女に向かってそう言った。魔女もクロも意味がわからないような顔をしているから、訳なんて説明しないで足元の綺麗な綺麗な命たちを、踏み潰した。
ぐしゃり、ざりり、と砕けて粉々になる。
「何をしているの、やめて、だめよ。それがないと、それがないと、私たちはっ!!」
ブレてノイズが混じる魔女が、ノイズにかき消されるようにズレて曖昧になっていく。
ひゅうひゅうとそれに合わせて私の呼吸も、隙間だらけになっていく。
じわりじわりと体中が痛みと痺れて動かなくなっていく。呼吸みたいに隙間だらけになっていく意識の中でふわふわの黒い毛並みが、揺れている。
「ユキ、ユキ、何で、何で、お前、」「俺の命をあげるから、だから、死ぬな。」
それは、何個目の命なの。小さな可愛い私のクロスケ。家の軒下で震えていた小さな君を拾ったのは本当にただの気まぐれで。おばあちゃんがくれたお小遣いでいつも君にあげる煮干しを買うのが好きで。小さい頃はあんなに大きくてサイズを間違えたかと思うくらいにリンリンと鳴らしていた首輪もあっという間にぴったりになっていた。
「・・・いらない、よ。クロ、バイバイ。」
にゃあお、にゃあお、クロが泣いている声がする。クロは普段、あんなに気まぐれで奔放なくせに寝るときだけは、私の布団に入ってきて顔を摺り寄せて眠る。私の大好きな黒猫。
ふわふわの毛が、私の頬をくすぐっている。柔らかい。温かい。
白い真っ白い病室の天井を見つめて、私は口に当てられたマスクから空気を取り入れていた。まるで写真の縁取りのように家族の顔が見える。みんな、泣いている。
体が一つも動かない。感覚も、意識も、遠く遠くにあるみたいだ。消えそうな蝋燭の火みたいな命の端っこでいつだったか、本で読んだ言葉が、降ってくる。
知っている?猫ってね、命を九つ持っているんだってよ。
チートとニートのチープなデート 霜月 風雅 @chalice
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