呪われた者

 八神が産まれ育った村は、竜を信仰していた。

 広大な森の傍にある小さな村で、小さな畑を世話して細々と暮らしていた。それでも竜を狩って糧にしようという者はなく、森に棲む竜への祈りを欠かさない。

 森には注連縄を張り、小さな祠を築き、酒や畑で採れた作物を供える。

 竜への信仰が厚かったからか、森はいつも静かだった。賊にでも襲われたらひとたまりもないだろうというような村は、竜に襲われることもなく、みんな穏やかに日々を営んでいた。

 八神の母はその村に生まれてからずっと、父は流れ着いて暮らしていた。父は特別な信仰を持たなかったけれど、母や村人たちが竜を尊ぶことにも感慨は持たなかった。父は特に竜を信じなかったし、かといって皆を馬鹿にするようなこともなく。ただ、自分と家族の生活の事だけを考えていた。

「父さん、また行っちゃうの?」

「村ん中だけじゃ、食ってけないからな」

 父は母と所帯を持ち、八神も生まれたが、畑作だけで食べてい行く気はなかったらしい。度々出稼ぎに行っては、また戻ってくる生活を繰り返す。父は村にとってずっとよそ者ではあったが、それでも村にはない物資を持ち帰って来るので重宝がられた。特に薬は村の外でしか得られなかったので、必ず持ち帰った。


やっちゃんも、お父さんあんまりいなくて大変ねえ。お母さんのこともあるから、みんなを頼りなさいね」

 村の人たちは、母子二人だけになりがちな八神達をよく気にかけてくれた。

 特に母が体をよく壊すようになってからは、なおの事。

 父に頼りたい気持ちも、傍にいてほしい気持ちもあった。それでも自分たちの元を離れて仕事をしていることは知っていたから、母とともに父を送り出していた。

 父を見送ったら、あとは母と二人の生活だ。

 父は一切手を出さない畑を世話し、母の具合が悪くなれば世話をし、たまには友と遊ぶ。八神はまだ幼かったからあまり熱心ではなかったが、母と一緒に竜の森に手を合わせた。

 

 父は母のための薬もよく持ち帰った。

「母さん、これ。父さんが外で買ってきた薬。これ飲むと、だいぶ楽になるんだろう」

「ありがとう、八神」

 母は薬包紙の中の粉薬を口に流し込んで、ゆっくりと飲み込む。

「今回も、ずいぶんたくさん買ってきてくれたのね。高いんでしょう、薬」

「お前は心配するな」

 それだけ言って、父は持ち帰った荷物を検める。度々外へ出て行くので、荷解きをすることはほとんどなかった。

 家族三人が揃っていることは少ない。だけど、村の外に行っても父は母と自分を想い、母と自分は父を想っている。

 そういう形で自分たちは結びつき、日々の生活は成り立っていた。

 その時が来るまでは。


「一体どういうことなの!」

 父が持ち帰った品を、一人で近所に配り歩いた帰り。

 戸口に手をかけたところで、中から母の怒鳴り声が聞こえた。いつも物静かな母の声とは思えない、激しいものだった。

 土間に駆け出してきた母が、水瓶に飛びついた。手ですくって水を口に流し込むと、その場で吐き出した。口に指を突っ込んで、さらに嘔吐く。

「どうしたの母さん、具合悪いの」

 背を丸めた母にすがると、八神を振りほどく勢いで母が顔を上げた。

「この人が、私に竜を食べさせてたのよ!」

「竜を、食べる?!」

 驚きのあまり、八神の声が裏返る。

「……竜の骨や身は、いい薬になるらしいぞ」

「じゃあ、父さんが持ってきてた薬って」

「なぜそんな惨いことを私にしたの!」

「村の外じゃ、竜を食べる土地もあるし、売り買いするのが当たり前なところもあるんだ。竜を狩る連中だっている」

「なんて罰当たりな……。竜を殺すの?神様を食べるの?そんなことをしたら、竜神様に見放されてしまう!」

 母は土間に降りてきた父の足に縋りつく。けれど母の肩に触れようとした父の手を、母は思い切り振り払った。

「私はもうこの村では生きていけない」

 血走った母の目は、確かに父を呪っていた。 


 父と母は、二度と解り合うことはなかった。

 去って行く父を母は見もしなかったし、幼い八神もどうしていいかわからない。ただ、母を哀れだと思った。父への感情は追いつかなかった。

「あんたたち親子は、もう永遠に竜神様の加護を失ったよ。村から出て行った方が身のためさね」

「竜神様がさぞやお怒りになるだろうね」

「おまえらが村にいると、村中が呪われる。出ておいき」

「穢れた連中め!」

「出て行け!」

 村の誰しも、八神達母子を突き放した。

 罵って石を投げ。

 自分たちを呪うのは、竜なのか、村人たちなのか、両方なのか。

 もしかしたら、母の父への呪いが満ち溢れてしまったのかもしれないとさえ思った。

「クソ親父」

 八神もまた、父を恨んでいた。

 呪いを一身に受けるべきなのは、父なのに。

 何もかもが変わってしまった。

 自分の世界がひっくり返ってしまった。

 母と二人、竜を信じる小さな村で、父の帰りを待っているだけの日々は、永遠に失われてしまったのだ。


 もう戻らないと思っていた父が村に戻ったのは、それからひと月してからだった。

「森が騒がしいぞ!」

 畑の世話をしていたら、隣人の叫ぶ声が聞こえた。

 村人たちがわあわあ喚きながら森の方に向かって行く。皆が集まっていくような場所に向かうのは気が引けたが、ただ事ではない雰囲気を感じ取って、八神も森に向かった。

 森は異様な空気に包まれていた。

  人間は一切入り込まないはずの森の中から、怒声が聞こえた。何かの炸裂する音。

 鼓膜を震わすような、金切り声が響いた。

「竜だ!」

「竜神様が叫んでおる!」

 村の誰も聞いたことのなかった、竜の声。

 いよいよ自分たち母子を食べに来たのだろうか。

 そんなことを、八神はぼんやりと思った。

 終わらない、嵐のような竜の叫び。その度に、森の中から人間の叫びも聞こえた。あたりを見渡す限り、女子どもを除くほとんどの村人がこの場にいる気がするけれど。

 誰も森に張られた注連縄を越えられないまま、時間が過ぎた。

 森が静まって、しばらくのち。

 中からぞろぞろと、男たちが現れた。

 誰しも武器を携えて、そのすべてが血に濡れている。武器どころか、着物も体も血を浴びていた。

 男たちの異様な姿に一同息を飲む。しかし男たちの一人が抱えていたものを見て、村人たちはいっせいに気色ばんだ。

「竜の首……!」

 頭だけになった竜を、男は胸に抱えていた。

 他の者も各々大きな袋を担いで、それらは皆血が滲んでいる。

「竜殺しだ!」

「こいつら、竜追いだ。竜を狩って回ってるっていう、野蛮人どもだ!」

 口々に叫んで、村人たちは竜追いたちを囲んだ。殺気立った村人たちを前に、竜追いたちはさも面倒くさそうに息をついた。

「やっぱり、竜を信仰してる連中の傍で狩るのはやりづれえなあ」

「でも今まで手出しされてない分、竜も質のいい奴が残ってる。いい狩りができるぜ」

 成る程、父が言っていた通り、村の外には竜を狩る連中がいるらしい。

 八神はまじまじと竜追いたちを見つめた。

「……父さん」

 八神は呆然とつぶやく。

「おう」

 竜追いたちの中に、父がいた。

「どういうこと」

「どういうことだ!」

 八神の問いに被せるように、村人たちが父に詰め寄る。

「俺らをずっと騙してたのか。出稼ぎって、そういうことか」

「この村も、もともとは狩場を探して流れ着いたんだけどな。我ながら、所帯を持つとは思わなかった。女房と子どもを泣かすんじゃあんまりだから、ここだけは放っておいたんだが」

「母さんに嫌われて、もう仲間に隠しておくつもりもなくなったか」

 八神は父を睨みつけた。目頭が熱いのは、怒りのせいだろうか。

「だってお前、金が要るだろう」

 あっさりと父は言った。

 自分と母を裏切ってまで、そんなに金か!

「この村からお前と母さんを連れて出て生活するなら、稼がないと」

「は……」

「母さんに黙って竜を飲ませたのは悪かった。でも、体を悪くするより良いだろう。それで村中から除け者にされるっていうなら、出て行けばいい。流れて生きていけないことはない」

 何を勝手な、と怒鳴ってやりたかった。

 けれど。

 体を悪くするより。

 除け者として生きていくより。

 もっといい生き方があると、父は言うのだ。

「村のみんなにも悪いとは思うけどな。でも、この村だけが世の中の全てじゃないからなあ。俺が知ってる限り、竜は神様じゃないし、食いものだし、薬だし、俺らの大事な稼ぎなんだ」

 父はどこまでも勝手で、どこまでも自分と家族のことしか考えていなかった。

 竜への信仰も畏れも、村人たちの生活も父の抱えるものではなかった。

「お前も竜の追い方を覚えればいい」

 そして父が八神に教えられる生き方は、竜追いだけだった。


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