違う者

「おじさん?」

 イサナの呼びかけに、八神は我に返る。

 ずいぶんと過去に引っ張られてしまった。昔を振り返るのは久々だったような気もするし、いつでもぼんやり過去に思いを馳せているような気もする。

 過去からは、逃れようもないから。

「おじさんは、竜を大切にしているところで暮らしていたの?」

 イサナはかいつまんで話しただけの八神の昔語りを、おぼろげながら理解したようだった。

「お前くらいの時までな。もう竜追いになってからの方が長い」

 父親が竜追いだったことを知ったあの日を境に、八神も母も村を出た。

 母はどこまで父についてくる気があったかはわからないけれど、あの村ではもう暮らしていけないと思ったのだろう。諦めたように、八神と共に父について行った。けれどそもそも体に無理をさせていた母は、故郷を離れて最初に逗留した村で床に着いた。母は死の床にあっても、竜薬りゅうやくを拒み続けた。

 父に後悔があったのかはわからない。

 母は最期まで父を許さなかったのか、それも知れない。

 だけどそれでも、父が夫婦として――家族としてあろうとしていたことは幼心にわかっていた。

 だからと言って、恨まなかったとは言わないけれど。

 すべて許そうなんて思えなかったけれど。

 竜を追って生きる術を、父から学んでも良いと思ったのだ。


「私、竜を大切にしていた頃のおじさんと会いたかったなあ。そしたら、お父さんもおじさんと仲良くしても良いって言ってくれるのに」

「お前の親父さんが何をどう考えていようと、俺には関係ない。俺の考えも生き方も、他人には関係ないことだからな。竜追いの生き方だって、お前の親父さんは放っておいてくれればいい」

 イサナはしょげたように下を向いた。八神はイサナの荒れた髪を混ぜるように撫でる。

「それとな、イサナも親父さんに振り回されなくても良いんだ」

 イサナは大きな目で瞬いた。

「親のせいで、子どもまでつらい思いをしなくったっていい」

 その目をまっすぐと見つめる。

「でも、私も竜を殺すの、いやなの。竜追いの人たちは怖い。竜を食べる村の人たちも怖い」

「でも、仲良くなりたいんじゃないのか?」

「仲良くなったら、私とお父さんのことをわかってくれると思うから。そしたら竜のこと、殺さないと思うの」

 子どもらしいまっすぐな言い分に、八神は息を吐く。

「俺はイサナに優しくするけど。でも竜は殺すし、食べるぞ」

 誰かに優しくすることと、生き方を通すことは、必ずしも一致しない。

 生き方を曲げて、なお人に優しくするのも良いだろう。自分を貫きながらも、優しさを持ち合わせる者もいる。人にかける優しさを捨てるのだって、きっと自由だ。

 そしてイサナが八神のことを優しいと思うかどうかも、それは彼女の勝手なのだった。

 

「イサナ!」

 振り向くと、イサナの父親がこちらに向かってくるところだった。小走りでやってきて、八神とイサナと間に割り込む。

「お父さん」

「娘に何か用か」

 イサナを背後にかばいながら、男は八神に問う。むき出しの敵意に八神は息をついた。

「特に何も」

 山に入る気が失せて、八神は踵を返す。

「竜を殺す蛮行を繰り返す奴らめ、一刻も早くこの地を去れ」

「……去るなら、あんたらの方だろう」

 興奮した口ぶりの男に、八神は冷たく言う。

「何?」

「竜を崇めるのも、憐れむのも結構だ。だがな、ここはそういう村じゃないんだ。ここの村人は、竜を食って暮らす人間なんだ」

 この村に限らず、この山裾一帯は同じく竜を捕る村が集まっている。同じような暮らしをしている者たち同士だから、隣り合っているとも言えた。この親子はどこからかやって来ているのだと禄一が言っていたが、この一帯ではどの村でも受け入れられることはないだろう。

「だが、竜を神として祀る土地はあるぞ。お前が望むように、竜を大切にしている村もある。そういう場所に移り住んで暮らせばいい」

 八神の生まれた村のような土地は、きっと他にもあるだろう。八神があの村で生きていた頃、外に竜を食べる土地があることを知らなかったように。イサナも、もしかしたらこの父親も、竜を敬う土地があることを知らないだけかもしれない。

「俺は、この地の話をしている」

「あんたはもしかしたら、竜を殺す全ての人間の目を覚まさせなきゃいけないとでも思ってるのかもしれないがな、そんなのは無理なんだよ」

 受け入れてくれる場所で生きればいい。

 そう、八神が言えば。

「俺たちは、ここを離れることはない……!」

 睨まれる。恨みをぶつけるように。

 人が人を呪う視線を、八神は久しぶりに浴びた。

「あんたは良いだろう。だがな、イサナのことも考えてやれ」

 父親がこの地で自分の意地を通して生きれば、イサナもつらい思いをすることになるだろう。

 親の報いが、子の報い。

 そんなこと、あってたまるものか。

 小さな小さな少女の姿が、あの頃の自分と重なった。


 夕餉は前日食べた竜の煮込みと、その煮汁からできた煮凝りだった。

 睦子も寿一も、邪気のない顔で鍋を囲んでいる。昼中の、子どもたちのイサナへの意地悪を諫める気にはならなかった。子どもたちの間にすら横たわる溝の深さを、己と違う者を排除しようとする心の根深さを、正すほどの言葉を八神は持たない。

「だんだんあったかくなってきて、傷むのが早いから。新鮮なお肉もこれでおしまいだよ」

 そう言いながら、センが子どもたちの器に竜肉を盛る。

「えー、もっと食べたぁい。干してるのも、お塩のも好きだけどぉ」

「父ちゃん、また竜捕りに行く?」

 禄一の膝の上の寿一が、父を見上げながら問うた。禄一は逞しい笑みを浮かべて答える。

「おう、また竜が山に出てくるようになったらな。そうしたら寿一と睦子に、また腹いっぱい食わせてやるからな」

 当たり前のように竜を狩り、食す。

 八神が竜を信仰する村を出て、母の意思に背くような竜追いになったのは、世の中の広さを知ったからだった。

 まだ幼くて、母や、村の大人たちほど竜への信仰が厚くなかったというのも大いにある。けれどそれ以上に、自分とは違う生活を当たり前に過ごしている人々がいることを知ったことが、八神の頭を切り替えた。拒絶や嫌悪よりも、受け入れる気持ちの方が強かった。 

 自分は生き方を割り切ることを、成し遂げたと思っていたけれど。


 ――おじさんは、なんで優しくしてくれるの?


 罪のない子どもの声は、捨てようもない過去を連れてくる。

 

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