最終話

誰かが家にやってきた。


玄関を開けてみると、隣の家の人である。

何やら苦しそうだ。

口から血を吐いている。

消化器から出血している吐血か呼吸器から出血している喀血かはわからないが、とにかく血を吐いている。


「犬を…頼む…」


そして隣の家の人は息を引き取った。


厳密には、心肺停止状態となった。

救急車と警察を呼び、心臓マッサージと人工呼吸を行うが、息を吹き返す気配はない。

搬送先の病院で医師により検案され、死亡が宣告された。

身寄りはないようだ。


警察の事情聴取を受け、自宅の玄関で現場検証が終わり、警察官がチラと隣の家の犬を見る。

相変わらず犬は吠えている。


「あの犬はどうなるんですか?」

「保健所で譲渡先を探すことになるのかね」

「もし見つからなかったら?」

「そのときは処分かもね」


なかなかハッキリしたことを言わない。

拾得物としての取り扱いは要領で決められているはずだが。


「引き取り先が見つかれば別だけどね」


迷いはなかった。

隣の家の人の最後の言葉、犬を頼むという言葉を打ち消す何かは聞いていない。

その言葉はまだ有効だ。


「では引き取ります」




そして、食事やおやつ、水を与えることになった。

もちろん毒や異物などは入っていない。

市販のドッグフードと水道水である。

ミネラルウォーターの類は名前のとおりミネラル分が多く、腎臓に負担がかかる。



頭を手でポンポンしてやろうとすると、少し怯えた顔をする。

日が経つにつれて、嬉しそうにしっぽを振るようになった。



猫とは打ち解け、丸くなって一緒に寝てしまった。

猫こそプライドが高いので、餌や水、構ってやる順番は必ず先住の猫が先、犬は後である。



ビニール袋とトングを持ち、毎日30分〜1時間程度の散歩に連れていく。

「取ってこい」は、すぐに出来るようになった。

ボールを投げるよりもフリスビーの方が好きなようだ。

ドッグランに連れていき、自由に遊ばせてやることもある。



猫と犬と3人で温泉に浸かる。

最初の日は嫌がるところを無理矢理ノミ取りシャンプーで洗った。

しばらくは温泉に近づかなかったが、じきに扉の前で待つようになった。



起きている間はそれなりに吠えているが、当然ながら寝ている時は黙っている。

毎夜考える、朝になったらまた吠えるに違いないと。

そして予想に違わず、翌朝また吠え始める。

いい加減にしてもらいたいが、目覚まし時計代わりに使える気もしてきた。


自分が飼っていれば、殺害という手段を取らなくとも黙らせる工夫を色々試行錯誤ができるが、犬は黙らない。

吠え続けていないと自我が保てないのか何なのかわからないが、とにかく吠え続ける犬なのだ。

生活リズムはきちんとさせており、夜になれば眠りについて黙るので安眠の妨害にならないことだけは救いである。

しかし、朝になれば犬はまた吠え始める。


ある朝、犬は吠えなかった。

この犬はもう吠えることはない。

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うるさい犬を黙らせる やっち @Yatch_alt

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