終章
さて、ようやくわたくしのお話も幕が降りようとしております。
何百年と紡がれてきたカルシュタインと吸血鬼の呪い、そしてわたくしとカーミラに纏わる黙示録。
この手記は誰かに宛てたものではなく、カーミラという存在がこの世にあったことを残すための記録であり、そしてわたくしが人として残せる唯一の遺書でもあります。
手記をこうして
遂に恐るべき女吸血鬼マーカラは、姪の復讐に燃える老将軍シューピルスドルフ親衛隊中将によって討たれました。
わたくしがカーミラの最後の願いを叶え、そして変わらぬ愛を確かめ合ったあの日、カーミラはわたくしが目を離した一瞬の隙にどこかへ消え去っておりました。
若干の名残惜しさを抱きながらもわたくしは、カーミラとの約束通り丘を降り、彼女のお墓の在り処を父達にお話いたしました。
そしてあらためて四人でカーミラの墓を確認すると、吸血鬼退治のための準備を行うためにわたくしのお城に戻ったのでございます。
お城ではわざわざベルリンから来たという50名の武装をされた兵隊達と、それから吸血鬼などの摩訶不思議な現象にお詳しいという親衛隊の制服を纏った学者様、そして同じく親衛隊から派遣されてきた積極的キリスト教の牧師様が先に到着されており、将軍がカルシュタイン城での一連の出来事をお話されますと、どなたも慌ただしくご準備を始められました。
そして次の日の朝、遂に彼ら討伐隊はそれぞれトラックや車に乗り込んでお城から出発されまして、それには父も同行いたしましたがわたくしはお城に残りました。
最早これは避けられない運命、決まっていた結末でございましたが、だからといって誰が好き好んで愛する人が殺されようとしている現場に立ち会おうという気になれるでしょうか。
本当であれば彼ら親衛隊を相手取って大暴れしてでも止めたい気持ちでございましたが、死ぬことこそがカーミラの望みとあっては、それを妨げることは出来ません。
故にこれから書き記すカーミラの最後は、現場に立ち会った父から聞いた話でございます。父はその様子を想像するに十分な話をわたくしにしてくださいました。
彼らはカルシュタイン城に到着すると瞬く間に包囲して、付近には誰も近づけないように封鎖なさいました。
そして父と将軍、学者様と牧師様の四名と複数名の護衛の兵士がマーカラの墓前に立ちました。
なんでも吸血鬼を退治するには過去の言い伝えに沿った手順で行われなければならず、その手順というものはかつてヨーロッパを席巻した魔女狩りの際に行われていた異端審問でございます。
牧師様はまず神に祈りと宣誓をされますと、事前に用意されたマーカラの罪状が記された紙を読み上げました。
神の名の下に兵士達が墓を暴き、とても贅を尽くした棺が開かれますと、将軍と父はそこに眠る人物が美しき客人と同じであることを認めました。
棺の中は血液で満たされており、まるで浴槽の中で眠っているかのように、彼女はそこにいたのでございます。
もう亡くなってから数世紀が過ぎようとしているのにも関わらず、父はその亡骸が呼吸をしている事実に気がつかれました。
それどころか、鼓動の音さえもが聞き取れるとあって、その場にいた方々は揃って驚愕されたそうでございます。
兵士達が亡骸を棺から取り出されますと、牧師様は用意していた杭に聖なる施しの祝詞を唱えられ将軍に手渡しました。
そして将軍はマーカラの心臓に杭を打ち込まれたのです。
するとその瞬間、マーカラの口から恐ろしいほどの大きさの断末魔が辺りに響き渡り、それからしばらくして、遂に吸血鬼の息の根は止まりました。
本来であるならば吸血鬼の遺体は再び蘇らないように燃やし灰にしてしまうのが慣しのようでございますが、親衛隊の学者様はマーカラを燃やすことなく、心臓に杭を打ち込んだ状態のまま、兵士達に運ばせて何処かへ送ったとのことでした。
後にお城に戻られた学者様に伺ったところ、マーカラの遺体はドイツのヴェストファーレンにあるとあるお城に運ばれて、そこで厳重に埋葬されるとのことでした。
しかしわたくしは埋葬に厳重という言葉を使うのを聞いたことがありませんでしたし、何よりこの学者と名乗るお方は学者様というよりも異教の宣教師のような怪しげな立ち振る舞いでございましたから、この方が彼女をどのように扱うのか不信感を抱きました。
しかしこの方もわたくしの不信感を感じとったのか、わたくしも一緒にそのお城へ来るようにお誘いになりました。
当然父は猛反対いたしましたが、このまま彼女がヴェストファーレンに運ばれてしまっては、もう二度と会えなくなってしまうような気がしており、であるならば、せめて彼女の新しい墓の側でわたくしも暮らすことで、より身近に彼女を感じることが出来るだろうと、お話を受けることにいたしました。
反対される父は、激昂のあまり学者様に掴みかかるところでございました。
慌てて止めに入ったカーチスにより、間一髪のところで抑えられましたが、この時分に親衛隊に反抗することがどれほど恐ろしいことか。
特に父は元々イギリス貴族でございましたから、この一件を理由にあらぬ罪で投獄されてもおかしくはないのです。しかし学者様は決して父を罰することはありませんでした。
お怒りになった父の気持ちは痛いほどわかります。それに、わたくしも家を飛び出してしまったあの時とは違い、わたくし自身も父と離れることにとても寂しい気持ちを感じておりますが、ですがもうこの身でいつまでも父の側にいる訳にもいかなかったのでございます。
遂に父の同意を得ることは叶わず、わたくしは正式に父から勘当を言い渡され、お城を出て行く運びとなりました。
それ故にわたくしはこの手記を書き終えた後の明日の午後、様々な思い出が詰まるこの場所を去るのでございます。
先にお城をお出になられた学者様がどうしてわたくしをお誘いになったのか。
わたくしも幾度か学者様と言葉を交えましたが、あの方はとても頭が切れるお人で、恐らくわたくしがただカーミラと親しかったからお誘いになったのではないと存じます。
学者様は古今東西あらゆる怪異や伝説、それに吸血鬼伝承についてその知識を蓄えておいででございました。
学者様の去り際、わたくしが幾つかカーミラについて尋ねますと、わざわざ足を止めてわたくしの疑問にお答えになってくださいました。
わたくし達が御伽噺や小説で窺い知る吸血鬼というものは、それは人の恐怖が生み出した想像に過ぎず、おどろおどろしい化け物の様な姿や死人のような見た目をしてはおらず、実際の吸血鬼が外に出る時などは、とても健康そうに見えるらしいのでございます。
しかし生者と違う点は幾つかあり、とりわけ重要なものは必ず一度死んでいるというものです。
生きたまま吸血鬼になる者はおらず、必ず一度死を迎えなければなりません。しかし死者が皆一様に吸血鬼になるのではなく、死の間際にこの世への強い未練を残していたり、死の直接的な原因が吸血鬼でないにしろ、間接的に吸血鬼に襲われたことが影響したことによって亡くなった方の極一部が、吸血鬼となって再び目を覚ますのだそうです。
しかし一度死んだ者でございますから、生前のように振る舞うことは出来ないのだそうで、死者が再び歩き出すのには数多くの制約があり、血を糧にするというのもその一つだと学者様は仰いました。
吸血鬼が血を吸わないでいると、それは凄まじい喉の渇きに襲われて、狂ったように手当たり次第に人を襲うようになるのだとか。
その渇望を抑えることの出来る成分が含まれた食べ物を食せば一時的に解消することも出来るらしいのですが、それはやはり誤魔化しにしかならず、本能の部分でその欲求を抑えることは不可能であることを教えていただきました。
この喉の渇きの他の制約も幾つかがございましたが、カーミラに関わる大きなものと言えば、その名前でごさいます。
どうにも吸血鬼は生前の名前に縛られるようなのでございます。吸血鬼はその性質上、狙った相手に近づくためにまずその相手と仲良くなろうと試みます。
その際、自分を偽る一番早い方法は偽名を使うことでございますが、死者である吸血鬼には生前の名前を別のものに変えてしまうことが出来ないのだそうです。
ですからカーミラ、いえ女伯マーカラもマーカラ(Mircalla)からカーミラ(Carmilla)、そしてミラーカ(Millarca)と言った具合に、それはどれもアナグラムとなっておりました。
そうして学者様はわたくしの質問に全てお答えになりますと、ヴェストファーレンにて再会の約束をし、わたくしにブリキ缶のチョコレートの幾つかと、それから髪染めを手渡してからお別れとなりました。
わたくしはその時はどうして学者様が髪染めをお渡しになったのか理解出来ませんでしたが、部屋に戻ってから鏡で自分の姿を写しますと、頭頂部の少し先がほんのりと色を落とし銀に染まっていたのでございます。
そして、今。わたくしがこの手記を書いている時分になりますと、いよいよ髪の色全体が黒からあの懐かしく、そして美しい銀色に変わっておりました。
わたくしはこの髪を染めて隠してしまおうとは思いません。
この髪の色こそが、カーミラがわたくしに残してくださった贈り物のように思えて、嬉しい気持ちでいるからでございます。
きっと明日、父はこの髪の色を見て驚愕するでしょうが、それでも構いません。これこそが、わたくしの選んだ道であるのですから。
カーミラと同じ髪を手にとって窓の外を眺めますと、漆黒の空の中心にはそれは美しい月が辺りを照らしております。
煌々と輝く満月の下で、わたくしは最愛の人の残滓に想いを馳せるのです。
いつまでも、心と記憶の中にいるカーミラと共にあらんことを。
Fin.
煌々と輝く満月の下で:異説吸血鬼カーミラ 江藤公房 @masakigochi
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