十七章

将軍のお話を聞いておりますうちに、車窓から望む景色の遠くの方には、わたくし達が住うお城が見えてまいりました。


そしていよいよ眼前の空を朽ちたお城が覆い隠してしまうほど近くにやってまいりますと、カーチスは車を停められました。


カーチスはすぐさま車を降りますと、真っ先に父が座る席のドアを開けられまして、わたくしは父の後に続いて車を降りますと、それからカーチスは将軍の席のドアを開きました。


森が切り開かれたこの場所は大きなお城と、お城を取り囲むように建てられていた家々がかつての栄華の残滓のように、今もその面影を残しております。


「ここがかつて王宮のようであったカルシュタインのお城だ。当時では考えられないほどの財を投げ打って建てられたお城は要塞としても機能したという。そして城下には領主を慕って領民が住み着き、それは立派な町となった。あそこに見える礼拝堂はカルシュタイン家の富の象徴とも呼べる素晴らしい建物であったそうだ」


そう言いながら将軍が指を指された方向には緩やかな登り坂があり、その先の丘の上には確かに大きな礼拝堂が見えました。


屋根も壁も崩れて半分は瓦礫と化して埋まっておりますが、それでもなお威風堂々たる石造りの建物はその風格を示しておりました。


「なるほど。確かに立派だ。よほどの富を持っていた一族なのだろう」将軍のお言葉に父はそう答えました。


「私の家にはカルシュタイン家の女伯マーカラの肖像画があるのだが、やはりその召し物はとても豪華に描かれている。どうかな将軍、この用事が済んだら私の家に寄って、その肖像画を見てみないか?」


「確かに肖像画も興味がある。だが友よ、私はその女伯に会ったことがあるのだよ」


「いや、まさか。マーカラはもう数世紀も前の人物だ。まさか将軍はまだマーカラが生きているとでも言いたいのか?」


父は驚きの声を上げましたが、将軍のお顔はとても険しく、冗談や酔狂を申したようではございませんでした。


「そのまさかだよ。それが生きていると言うべきか死んでいると言うべきかは私には区別出来ぬが、私は間違いなく女伯マーカラに会っている。そして私の思い違いでないのなら、君達も既に会っていることだろう」


「カーミラですね。カーミラこそがカルシュタインの高貴な女伯マーカラであると」父の代わりに口を開いたのはわたくしでございます。


それはわたくし自らの経験、将軍のお話、そして何よりわたくしの部屋に飾られたカーミラそっくりの女伯マーカラの肖像画が示しておりました。


人を襲い血を吸う吸血鬼であったからこそ、カーミラはいつまであの美しい姿のまま、気の遠くなるほどの長い時を生きてきたのでしょう。


全ての事象が点として現れ、線となり、それはあたかも運命の糸のようにわたくしに絡みついているようでございました。


わたくし達四人は丘に登り礼拝堂の前にやってまいりました。まずカーチスが拳銃を片手に礼拝堂の中に入られますと、あちらこちらの物陰を入念に調べてそこには誰もいないことを確かめてから、わたくし達に中は安全であることを伝えました。


礼拝堂の中といっても屋根はございませんから、ほとんど外と言っても差し支えはありませんでしたが、それでも中は瓦礫によって陽が半ば遮られており、薄暗くなっておりました。


「将軍。カーミラ……いや、マーカラここにいるのか?」父はそうお尋ねになりました。


「いや、今はいるともいないとも断言できぬ。だが、必ず奴はここに戻ってくる。ここには呪われしマーカラの墓が何処かに隠されているのだ。その場所は誰にも分からぬ。もう文献にも残ってはいないからな。だが私は見つけ出す。そして必ず墓を暴いてやるのだ」


将軍は力一杯そう言われますと、そのお声は礼拝堂の壁に跳ね返り幾度も響き渡りました。


「それは結構なことですわねシュピールスドルフ将軍。ですが、何もそんな苦労をされなくとも、わたしのお墓くらい教えて差し上げますわ」


わたくしは将軍の反響の声を遮ったその声音に驚きました。どこからともなく聞こえてきたその声に、わたくしは聞き覚えがありました。


いえ、それどころか忘れるはずなどございません。それは間違いなくカーミラの声であったのですから。


「何処にいる! 出てこい悪魔め!」将軍は腰にぶら下げていた長剣を抜かれますと身構え、辺りを見渡しながら大声で叫ばれました。


すると瓦礫の陰から一瞬、黒くて大きなものが現れたと思いきや、それは礼拝堂の一番奥、かつてはそこに牧師様が立たれ説教を行われたであろう教壇の前に姿をお見せになりました。


教壇の前に立っているのは紛うことなきカーミラでございます。


美しい銀の髪に紅玉色の瞳。何より整い凛としたお顔を持った、わたくしの知るカーミラと何一つ変わらぬ姿でそこにおりました。その姿は、散々将軍から聞かされた恐ろしき殺人鬼と同じとは思えません。


カーミラは一度わたくしをじっくりと見つめて柔らかな微笑みを浮かべますと、憤怒の表情で睨みつける将軍の方を向かれました。


将軍はカーミラと目が合うな否や、カーチスに「奴を撃て! あの悪魔を撃ち殺せ!」と命じられました。


「やめて!」わたくしはそう叫びましたが、カーチスは躊躇なく手にしていた拳銃をカーミラに向けて発砲し、鋭い銃声が礼拝堂に響きました。


しかし放たれた弾丸はカーミラを射抜くことなく、背後の石を穿つのみでございました。


カーミラは恐ろしい速さで体を逸らし弾を避けたのでございます。


「お嬢様、見たでしょう! あれは最早人ではないのです! あなたが愛した客人は、生身で弾丸を躱す化け物なのです」


銃を撃つことやめるよう嘆願するわたくしにカーチスはそう言って、なおもカーミラに発砲を続けました。


ですがそれはどれもカーミラを捉えることはなく、それどころか一瞬でカーチスの眼前に現れると、片腕でカーチスを一払いして吹き飛ばしてみせたのです。


カーチスは背中から壁にぶつかり、それきり動かなくなりました。


「ベルタの仇!」


それも束の間、今度は将軍が長剣を振りかざしカーミラに肉薄いたしました。しかし長剣は振り下ろされる前に止まったのです。


カーミラの華奢な手が、将軍の逞しい腕を掴んで止めたのでございました。


「そうね将軍。あなたはわたしを斬ったり撃ったりする権利があるし、そうするべきだわ。でもね、勘違いしないで。わたしを殺していいのは今じゃない」


腕を掴まれた将軍は苦悶の表情を浮かべ、遂に長剣を手から離されますと、カーミラもその腕を拘束することをやめました。


「何故だ! 何故殺さない! 情けのつもりかこの悪魔め! 今すぐ私を殺せ! 私を殺せよ化け物が! 今すぐ……今すぐ私を愛しのベルタの下へ送ってくれ……。慈悲のつもりなら、生かすのではなく殺してくれ! でなければ……私はベルタを失い、ましてや仇もとれぬとあらば、これ以上の恥さらしがあるだろうか! さあ殺してくれ。一思いに私を縊り殺せ!」


しかしカーミラは将軍に止めを刺そうとはしませんでした。


「あなたって本当にお莫迦さんだわ。わたしはちゃんと言ったのよ? お墓を教えるって。わたしのお墓に目をつけたということは、もう将軍はわたしの殺し方をご存知なのでしょう? 無駄に疲れるようなことさせないで頂戴」


「ならばどうして私に墓を教えるのだ。わざわざ殺されると分かっていながら!」


「あなたのためじゃない。全ては私と、そして愛する人のために」そう言うとカーミラは優しくわたくしの手をとりました。


「行きましょうローラ。見せてあげるわ、わたしのお墓」


そうしてわたくしはカーミラに手を引かれ礼拝堂から外へ出ました。


その後を将軍や父と、そして意識を取り戻されたカーチスが追いかけてまいりましたが、カーミラは振り向きそれを制しました。


「今この場でお墓を教えるのは彼女だけよ。大丈夫、安心して。決して今日という日にローラを傷つけたりはしないわ。不安な気持ちも分かるし、わたしを信用出来ない気持ちも理解できるわ。でもわたしは約束いたします。この一時を許して頂けるならば、わたしはこの身に杭を打ち込まれようと、そして身を焼かれようと構わない。それに墓の場所はちゃんと後で皆様にお話するようローラに言うわ。それでもやっぱり後を追いかけてくるのなら、わたしは皆様にこの場で酷い仕打ちをしなければいけないかしら。でもそんなこと、出来ることならローラの前でしたくないわ。どうにか分かって」


驚いたことに、カーミラの瞳には涙が浮かんでおりました。


父はわたくしに手出しをしないようにとカーミラに念を押し、カーミラは頷きました。


そうして未だ納得のいかない将軍の説得を始められると、渋々と言った形で将軍の同意も得られました。


わたくしはカーミラの導きのままお城の廃虚を歩き続け、ようやく足が止まったのはわたくし達が車を停めた場所からお城を挟んでちょうど反対側の、それは森の向こうにわたくしが住むお城が見渡せる丘の上でございました。


その丘の真ん中に、それは一等豪華な彫刻が施された墓石が置かれておりまして、そこには女伯マーカラここに眠ると刻まれておりました。


「わたしね、ここから見える景色が好きなの。あなたの住んでいるお城や森の景色がとても鮮やかで。それはもう絵画のような美しさに心奪われたものよ」


そう隣並んでお話されるカーミラは、いつぞやの親しい友人であった時のようでございました。


「ねぇ、ローラ。わたしが怖いかしら。わたしのことはもう知ったでしょう? わたしは人を襲って生き血を啜る、恐ろしい化け物だって」


そう尋ねるカーミラは、何処か不安げな、それは恥じらう様子でございました。


「そうね、確かに怖いし恐ろしいわ。今でもあなたがそうであるなんて信じられないもの。でもやっぱりそうなんでしょう? 信じられない気持ちもあるけれど、そうとしか思えないことも多い。だからあなたが怖い」


わたくしが答えますと、カーミラは俯き加減に「そうよね」と呟いて、そのまま黙り込んでしまわれました。


「教えて。どうしてベルタや村の女性達を襲ったの? やっぱり御伽噺に出てくる吸血鬼のように、人の血を飲まないといけないのかしら」


わたくしの問いにカーミラは少し笑みを溢されてから口を開きました。


「ええそうね。まるで御伽噺だわ。わたし自身がこんな風になってしまって、何百年も生きているなんてね。それも、もう死んでいると言うのに、まだ生きるために人を殺している。でもね、手当たり次第という訳ではないのよ。以前あなたはこう言ったわよね。わたしは恋多き女だって。ええ、そうなの。私は多くの恋をしたわ。わたしの体がこうなってしまったその夜も、わたしは恋をしたの。その相手は今のわたしと同じ化け物で、わたしはまだ人間だった。そうして化け物に愛されて、そして恋を知った。恋を知り、わたしは死んだ。それ以来わたしは恋に取り憑かれてしまったのよ。恋は残酷なもので、私が誰かを愛するとその人が死んでしまう。でもわたしは一人じゃないの。その人の血を吸うことで命がわたしの中に取り込まれるの。わたしの血となることで、わたしの中で一つに、そして永遠になる。だから寂しくはないわ。例え悠久の時間に取り残されても、決してわたしは孤独ではないのだから。でも虚しさは感じるの。人の死は美しいものよ。生命の炎を大きく燃やして散っていく様はとても美しい。人はどれほど長生きしたって必ず死ぬ運命にあるわ。死ぬために生きていると言ってもいいのでしょうね。だから命は尊いの。死ぬから人は美しいの。命を奪っているわたしが言うのはおかしな話だけれども、わたしが好きになった人の命を奪うのは、その人の命を取り込んで記憶するため。愛したその人を忘れないため。わたしの大切な、大切な宝物。わたしのこの体が人の命を奪ってしまうのは本能なの。これはどうしようもないわ。だからわたしは本能に抗うの。恋をして、殺してしまった人を忘れないために。わたしは命を奪う化け物よ。だけど手当たり次第に人を殺す獣じゃない」


カーミラは潤んだ瞳をわたくしに向けて、それから顔を寄せてわたくしの唇に口づけをしたのでございます。


カーミラの話とその口づけで、わたくしは恐らくカーミラの本当の気持ちを悟ったのでございました。


「カーミラ。本当はあなた、もう死にたいと思っておいでなのでしょう?」


「やっぱりあなたはお莫迦さんじゃない。だってそうよ。あなたはわたしが最後に好きになった最愛の人だもの」


そう言うとカーミラは再びわたくしに熱い口づけをされました。


「わたしは人の生き血を啜るから化け物なのではないわ。死なないから化け物なのよ。わたしが人の死を求めるのは、それがわたしにはないから。本当は羨ましいのよ、人の死が。確かにそう、わたしは死にたいの」


カーミラは墓前にしゃがみ込み、墓石の目の前の地面を軽く手で払われました。


「この土の中の棺がわたしの本当の家。朝になるとここに戻ってきて体を休めるの。埋められていなければ、何処で眠っても構わなかったのでしょうけど、一度埋められてしまったら、それは呪縛のように魂がそこから動けなくなる。だからわたしは毎朝ここに帰らなければ眠りに就くことが出来ないの。でもね、眠っている間のわたしはとても無防備で、昼になるまで目を覚ますことはないわ。きっとわたしは何も知らないまま、心臓に杭を打ち込まれるのでしょうね」


そう優しく微笑むカーミラが愛おしくて堪らず、わたくしは彼女を腕いっぱいに抱き締めました。


「愛しているわカーミラ。あなたをずっと愛してる。だからお別れは嫌。あなたが死を望むのであるならば、それを止めることは出来ません。それに、あなたは将軍に殺されてもおかしくないほどの仕打ちをなさった。思惑が一致している以上、それを止める手立てはわたくしにはありません。しかし、それならば、あなたの旅立ちにわたくしもお供させて。わたくしはもうカーミラがいない世界なんて考えられないの。一緒に最後を迎えられるならば、これほどの幸せはないわ」


「ありがとう、ローラ。そしてごめんなさい。あなたがこれほどまでにわたしの愛に応えてくれるなんて、わたしは幸せね。でもだめよ。あなたはまだ生きて。あなたはまだ命がどんなものか知らないわ」


そう言うとカーミラはゆっくりとわたくしを体から引き離しました。


「わたしは明日の朝に死ぬ。それでもいいわ。でも、わたしが死ねばこれまで命を奪ってきた人たちも一緒に死んでしまうの。それだけは嫌。わたしにはあの人達の魂をこれからも紡いでいく責任がある。だから、お願いローラ。わたしの頼みを聞いて」


カーミラは着ているドレスの首元から胸の部分をはだけると、その白い肌を露わにしました。


「血は死の象徴であると同時に生命の証でもあるわ。死は美しく愛おしいもの。死は純粋で儚いもの。痛みと共に血が交わればやがては一つになる。そうやって命は紡がれていく。ねぇローラ、あなたにはもう分かるでしょ? 今のあなたはかつてのわたしと同じ。だから、最後にわたしの望みを叶えて。愛しているわ、ローラ。愛おしい人」


わたしはただ黙って頷きますとカーミラに近づき、その白い胸元に唇を寄せたのでございます。


愛するカーミラの最後の願いのために。

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