彼岸花は韃靼羊の夢を見るか
「住み込みの、アルバイト?」
季節は夏。つまり夏休み。羽を伸ばして遊びまわれる時期であると同時に、フルタイムでアルバイトを入れて稼げる時期でもある。あなたはどちらかといえば後者で、ちょうど時給の高い仕事を探しているときだった。
「うん。金持ちの親戚がね、旅行に行くんだけどさ。ペットの世話をしてくれる人を探してほしいって」
「そういうのは、専門の人に頼むとか、ペットホテルに預けるかとかするもんじゃないの。金持ちならなおさらさぁ」
「めずらしいペットだから、そういうの頼みにくいんだって」
「だからって、学生バイトに頼むのも正気を疑うレベル」
「俺もそう思う。で、オマエさ。やらない? アレルギーとかなければだけど。給料的にはぶっちゃけ破格だと思う」
友人が提示した金額は、なるほど破格だった。旅行の期間は一週間程度。その日数でその報酬となると、少なくともあなたが候補にしていたいくつかのアルバイトより断然高額だ。
「……もしバイト中にそのペットが急病したりしても、責任取れないよ」
「さすがにそういうのは仕方ないから、大丈夫だって言ってた」
「もう少し詳しく教えて」
ちょっとくらい怪しくても、そのペットがなにものか最後まで説明されなくても、あなたは若い好奇心と現世的な欲望に突き動かされ、その話を受けた。
***
電車で四十五分。駅から、タクシーで二十分。人里離れた――とは言い過ぎだが、決して便利とは言い難い場所にその家はあった。あなたが想像していたほど豪邸ではない、でもそれなりに立派でなかなか素敵な家は、真昼の太陽に照らされて健康的にそこにあった。事前に受け取っていた鍵で玄関を開け、あなたは家の中へと進む。荷物を置いて、まずはペットがつないである部屋に向かった。短い間だが、唯一の同居人であり、あなたがここにいる理由でもある。あなたは今更になってそのペットが犬か猫か、それとも魚かすら聞いていないことを思い出し、どうかあまり面倒な相手じゃありませんようにと祈った。「おとなしくて聞きわけがいい」とは知らされていたが、それは飼い主に対してだけかもしれない。
扉の前に立つ。
何か恐ろしいものが出てきたらどうしよう。あなたの頭をそんな考えがかけぬけて、ほんのりと背筋が涼しくなる。だがあなたは仕事を受けてしまった。ままよ、とノブに手をかける。部屋の中に、何か大きなものの気配がある、気がする。気のせいだ。気のせいだ。強く言い聞かせて、扉を開く。
部屋の中には――美しい人形があった。
少女の人形だ。少女趣味のベッドに、少女趣味のドレスを着て、眼を閉じ横たわっている。年齢にしては大人びた硬質な美貌の半分を絹のような髪の毛が隠し、何者の立ち入りも拒む神聖な雰囲気を醸し出していた。
あなたはしばしあっけにとられて、その絵のような風景に見入ってしまった。が、気を取り直して考えると、なるほどこれはおかしい。ペットの世話と聞いてきたのに、いるのが人形では世話のしようがないではないか。それとも人形は大仰なインテリアで、見過ごすような場所に小さな鳥かごや水槽でもあるのだろうか。美術の類にまるで興味のないあなたさえ気圧す、完成された部屋へおずおずと足を踏み入れると――人形の眼が開いた。
それは、いや、彼女は、生きた少女そのものであった。
***
少女は気だるげに見を起こし、魂の飛び去ったような眼をあなたに向けた。あなたは動けない。何も言えない。もはやベッドに座る格好になった彼女は、ゆっくりと足を組む。すべすべした薄手の靴下に包まれた華奢な足首には、一見してそれとわかる足枷がはめられていた。アクセサリーにしてもよさそうな、品のある細い鎖がベッドの下に消えている。彼女が足を揺らすと、涼しい音がチリカラ鳴った。首輪ならぬ足輪だが――繋がれていることには、違いない。
あなたは絶望的な結論に至る。
ペットというのは、彼女のことだ。
それはもはや疑いようもなかった。
あんまりな非日常、あんまりな絶望感。「誘拐」「監禁」「犯罪」「共犯」……不穏な単語の群れが、あなたの脳裏で手を取り合ってマイムマイムを踊り出す。
あなたの動揺を知ってか知らずか、彼女は足を組みかえたり、ゆっくりと部屋の中を見回したりしながら、相変わらずぼうっとしていた。知らない人間が部屋に入ってきたにしては、あまりにも反応が鈍すぎる。
ひょっとしたら、なんらかの障害を抱えた子なのではないのか。
そうでなければ、ここでなにかされて、心を壊してしまったのだろうか。
薬漬けにでもされているのかもしれない。
あなたの考えはみるみる不穏な方向へ走っていく。目の前の少女は不吉に穏やかな微笑を何もない空間に向けている。その首が、何度目かの方向転換をして、あなたを見た。
間違いなく、あなたを見ていた。
あなたは息を呑んだ。
瞬きをしていないのではないかと思うほどまっすぐに、彼女の瞳があなたを見据えていた。あなたは後ずさった。一歩下がったらもう歯止めは聞かない。二歩。三歩。だがすぐに背中が壁についてしまう。ひい。ひい。悲鳴なのか、呼吸音なのか、よくわからない音をあなたは発する。彼女はあなたから視線を外さない。あなたは今までの人生で、これほど注視されたことがあっただろうか。ないかもしれない。そのくらい、彼女はあなたを見ている。あなたは震えていた。泣いていたかもしれない。そのくらい、彼女の視線は絶大だった。はじめ同様呆けた薄明かりの瞳ではあったけれど、あなたは眼を離せず、背を向けて逃げだすことができないでいた。
死ぬまで見つめ合うことを運命づけられたような気さえあなたはしたが、その膠着は唐突に破られた。
不意に彼女は眼を閉じ、あなたはその場にくずおれた。
座ったまま、彼女が眠ったらしいと気付くまであなたは少し時間を要し、その場から立ち上がるにはさらに時間を要した。
***
【彼女の世話をしてくださる方へ】
・彼女の名前はリコと言います。
・彼女は水をたくさん飲みます。手が届くところに、常に置いてあげてください。できれば常温が望ましいです。
・甘いジュースを飲ませてあげると喜びますが、あまりたくさん与えないでください。一日にコップ2杯分程度なら大丈夫です。
・棚に薬が入っています。1回分ずつ小分けにしてありますので、必ず毎回、全量を飲ませてください。
・
・
・
彼女が眠っている間に、あなたは部屋に置かれた紙束に目を通す。プリントアウトされた単調な活字が、単調にするべきことをあなたに示している。中には「彼女はとてもおとなしく、言うことをよく聞きます」「彼女の嫌がることは、なるべくしないでください」といった、飼い主(というべきなのか、やはり)の感情が見える文章も少なくなかったのだが、平坦な活字はその感情を殺して、文面だけをそっけなくあなたに渡す。あなたもさっきあんなことがあったばかりなので、あまり心に負担をかけたくない。冷淡な活字の「取扱説明書」はありがたかった。手書きの、情念が沁み入った文字だったらどんなにか、今のあなたにこたえたことだろう。
一通り目を通し終えて、あなたは紙束を傍らに置く。幸い、トイレや風呂の面倒は自分で見られるらしいので、その点は安心だ。先ほどの様子で本当にできるかという不安はあるが、少女を風呂に入れるなんてとてもあなたにはできない。飼い主の過信でなければ、よいのだが。さっそくあなたは、元の調子を取り戻しつつある足で台所に向かう。床下収納には、「説明書」にあったとおり彼女――リコのためのミネラルウォーターがたくさん詰まっている。その申し訳程度の隙間に、あなた用の食べ物(缶詰やレトルトなど)が少し、入っている。もちろん、別の棚にちゃんと足りるだけ用意はあるし、歩いていける距離にコンビニもあるのだが、ここだけを見るとリコが「主」であなたが「従」のような気分がよぎる。
(変なことを考えるのは、後だ)
さきの自分の追いつめられぶりに、照れもあったのかもしれない。あなたはペットボトルを持って、先ほどの部屋に戻った。リコは最初にあなたが来たときのように、横になって眠っている。所謂、ロリータファッションというやつで、ごてごてとフリルやレースの繭に包まれており、体勢の問題もあって胸の上下は確認できず、息をしているのかもよくわからない。相変わらず、リコは綺麗な人形のようであった。先ほどの、白痴のようでありながらも異様な威圧感を放つ視線は何だったのであろうか。悪い夢だったのか。そう思いたくなるほど、眠っているリコは穏やかだった。
ペットボトルの封を切ると、リコが目を覚ました。少し、あなたはおびえたが、あの時のような戒めを感じない、ただの薄ぼんやりとした瞳だった。蓋を開けたペットボトルを差し出すと、やや緩慢な動作でリコはそれを受け取り、喉を鳴らして飲み始めた。五百ミリリットル入りのペットボトルがあっという間に空になる。リコは名残惜しそうに飲み口を舐めた。もっと持ってくるべきだったかもしれない。席を立とうとすると、小さな手が裾を握って阻んだ。あなたがおっかなびっくり「水を持ってくるから」と言うと、理解したのだかしていないのだか、わからないがとにかく彼女は手を離した。
安堵のため息をついて、あなたは彼女の部屋を出る。少し考えて、自分の部屋に戻り、荷物の中からエコバッグを探し当てた。これなら何本か、いっぺんに持っていける。
戻れば、リコはさきほどと寸分たがわぬ格好で、ぼんやりと虚空に視線をさまよわせている。あなたが戻ってから三拍くらいおいて、のろのろと顔を向ける。首をかしげた。突然、無意味に、脚をぶらぶらさせ始めるリコ。鎖がでたらめに鳴り響く。あなたの頭の中でも、あらためて絶望の鐘が鳴り響く。少女の脚に鎖をつけて部屋につないでおくなんて、どう考えても犯罪のにおいしかしなかった。百歩譲ってなにかこう、サドマゾ趣味のプレイだとしても、彼女はどこからどう見ても未成年であり、演技している風でもないその呆けた様子から、合意を得られるとも思えない。やはり犯罪だった。あなたはひょっとして、犯罪の片棒を担いだことになるのではないだろうか。この状況で警察が踏み込んできたとして、違う、と言って誰が信じてくれようか。このアルバイトを紹介してくれた友人に、助けを求めることを考えるあなた。だが、「そんなこと知らない」としらばっくれられたらそこまでではなかろうか。あなたは戦慄する。最初から仕組まれていたのか。しかし悲しいことに、あなたを陥れるメリットはどこにもない。社会的地位も、お金もない、十把一絡げの、どこにでもいる、つまらない大学生のあなた。あなたである理由などどこにもない。
つまり、仮に死んでしまっても、大きくクローズアップされて、ニュースになる可能性の少ないあなた。それこそが、相手の狙いなのかもしれなかった。
どちらにしても、だ。
このアルバイトには期限がある。
期限が終わるときが、あなたの命が終わるとこかもしれない。
そんな考えをあなたは、大変な苦悩の末に飲み下し――なかった、ことにした。
***
リコの世話は順調に続いていた。部屋の中に小さなユニットバスがあり、リコはそこで用を足しているらしかった。たまには掃除を、と思いそれらのある部屋の奥まで行ってみたが、昨日今日、磨いたみたいに不気味にきれいだ。風呂場にはまだ、髪の毛などが落ちていて、「使われている」感があり、あなたは少し安心した。あなたが掃除ひとつにびくついて戦々恐々とする有様を、いつの間にかついてきていたリコが見つめていた。あなたはリコが付いてきていることに対してわっと悲鳴を上げた。なんとなく、彼女はあのベッドの上から、根ざしたように動かないような気がしていたのだ。
あなたの間抜けな悲鳴にも、リコはさして驚くではなく、ユニットバスの中を見つめている。ガラス玉のような目の焦点はうつろで、何を見ているのかすら、わからない。
一通り掃除を済ませたあなたは、今更になって「掃除の現場に連れてきて大丈夫だったろうか」とは思ったが、ダメと言われても後の祭りである。しかし痕跡さえ残さなければ。雇い主にばれることはないだろう。リコは全く喋らないのだから。
掃除を終えて部屋に戻っても、リコはうつろな瞳であなたを見続ける。
そこで、ハタと思いついた。
あわてて物置に駆け込み、ミネラルウォーターのペットボトルを持てるだけと、リンゴジュースの小さなパックを持って駆け戻る。
「ごめんね」
キャップを外して、ペットボトルを渡す。リコは奪い取るようにペットボトルを受け取り、ぐいぐいと飲み始めた。空になったところで、すかさず次を求める。人間で言えば、「おなかがすいていた」というところであろうか。水だけで過ごすリコにとって、その水の不足は耐え難いものなのだろう。
最後に、リンゴジュース。飲みきりパックにストローを突き立てて、渡した。リコはしばらく、あなたを例のうつろな瞳で見据えていたが、ためつすがめつ観察した末に、ジュースのパックを手に取った。ストローは知っているらしい。迷わず口をつける。中の、わずかに黄みを帯びた透明な液体がリコの中に吸い込まれていく。リコの表情は、恍惚、だった。
あっというまにリンゴジュースを飲み干してしまったリコは、名残惜し気にあなたの袖を引く。もっとほしいのだろう。
だが説明書には、あまりジュースを与えないようにとの指示があったはずだ。もう一個くらいあげてもいいのかもしれないが、念のため。念のためだ。
言葉が通じているかはわからないが、あなたはリコのつややかな髪を撫で、噛んで含めるように、今日のジュースが終わりであることを伝えた。はじめ、リコは不満たらたらの様子であったが、また今度あげるからというと、夢の女神のごとき微笑みを、あなたの前にさらした。
***
あなたは彼女の世話を粛々とこなした。それは恐怖感によるものが大きかったであろう。だが、それ以外の感情がなかったと言えばきっと嘘になる。
その美しい少女は毎日違う美しい衣装を着(着替えは自分でできるらしかった)、毎日いい香りをさせ(香水の類はなぜか見当たらなかった)、ベッド、あるいはクッション付きの椅子の上で呆けた顔をしているだけだ。
彼女は、美しかった。
我を忘れるほどに。
けれども所詮、あなたは彼女の世話のために雇われたっきりの世話係である。決して深く踏み込むことはできなかった。大量のミネラルウォーターと、たまに果実のジュースを与えるくらいしか、あなたにはできなかったし、しようとも思わなかった。ただ召使のようにかしづき、彼女の望むものを与えることこそが、短い期間の中で、いつしかあなたの最重要事項にすり替わっていた。
あなたが眠っている間なのか、リコはいつの間にか着替える。着替えの服がどこにあるのかあなたは知らない。だが、彼女はとても衣装持ちのようだった。デザインこそよく似ているものの、同じ服を着ているのを見たことがない、ような気すらした。似たデザインにもかかわらず「違う服」と分かるのは、デザイナーの妙技か、まともな思考回路があるのか怪しい彼女の技術なのか。そのあたりを推理することにも疲れ始めていたあなたは、相も変わらず、彼女に仕えることに徹した。
はじめて彼女と会ってから、何日が経っただろうか。
ある日、あなたは唐突に気付いた。
二、三日目に気づいてもいいようなものだったが、怒涛のような異常さに翻弄されるあなたはそこまで見る余裕がなかったのであろう。
毎日変わる彼女の衣装の中で、唯一、変わらないものがあった。
髪飾りだ。
その髪飾りは曼珠沙華に似ていた。細長い花びらがくるくる丸まった様子と言い、なんだかよくわからない細長い器官がのべつまくなしに伸びている様と言い。勿論髪飾りで、何日も枯れない様子から生花ではないのだろう。にしては妙に生々しい真紅な色彩で、その花は常にリコの頭上にあった。リコが「おしゃれ」を理解しているのかは大変怪しかったが、それにしても、毎日衣服を替えるのに髪飾りはずっと一緒というのはちょっと、変ではないのだろうか。あなたが見てきた衣装の中には、その髪飾り、ちょっと似合わないんじゃないのかね、と言いたくなるようなものもいくつかあったが、それでもリコは頑なに、その髪飾りをつけ続けていた。
一度気になると、もう、どうしようもなかった。
久しぶりにリンゴジュースを与え、隙を見て、その髪飾りにあなたはさわった。
むしり取ろうとしたわけじゃない。ただ、変わった柄の洋服を店頭で触るような、そんな気軽さでふいっと触れた。リコだって、これほど反応を返さない子だもの、その位では視線すらこちらに向かないのではないかと、なんとなく、思っていた。
だが現実は違った。
あなたの指先が髪飾りに触れるや触れずの段階で、リコはあからさまに「怒った」。
それはあなたがリコに出会ってから、初めて見る生々しい感情だった。あなたと隣り合わせでソファに座っていたものを、リコはばっと立ち上がって、まだ中身の入っているジュースのパックをあなたに投げつけ、拒絶の意思をありありと示した。幸いパックの構造上、あなたも周りもほとんど汚れなかったが、あなたはリコの「感情」にあっけにとられて動けなかった。リコの透き通った眼に、侮蔑の感情がなかったのが救いだった。
リコはしばらくバスルームに引きこもって、喉が渇くまで出てはこなかった。
***
仲直り、ではないが、少し時間がたつと相変わらずリコはあなたに水を求め、さっきのことなんてなかったみたいだった。試しに髪飾りのそばまで手を出してみたが、触れない限りどうってことないらしい。リコはあなたの手を警戒するでもなく、ごくごくと喉を鳴らしてミネラルウォーターを飲む。お詫びのつもりで、さっきとは違う果物のジュースを渡す。ストローを出して、パックに刺して、まであなたがする。リコにはそれがわからないらしいので。一日二本位までなら、大丈夫だろう。リコは無表情を保ってストローに口をつけるが、心なしか、うれしそうに見える。
あなたはちょっと気になって、リコの額にそうっと指をあててみる。普通の人よりいくらか冷たい気がしたけれど、そこは個人差。人間の、ただしとても滑らかな少女の皮膚が、あなたの指先に触れている。リコは何の反応も示さず、ちびちびとオレンジジュースを飲んでいる。
次に、髪。前髪や、そのすぐそば、側頭部の髪を撫でている。これも問題ないらしい。
つまり、だ。
彼女は頭を触られるのが嫌なのではなく、あの髪飾りを触られるのが嫌い、という結論に至る。
何か来歴のあるものだろうか。家族や恋人にもらったとか。気にはなったが、尋ねてもまともな答えなど帰っては来ないであろう。本人が、こんな状態なのだから。
ただ――ただ、あなたはこう覚えた。
髪飾りにいたずらをすれば、彼女は怒るのだ、と。
***
それから度々、あなたはリコの髪留めに触った。そのたびにリコは怒り、飲みかけのペットボトルや紙パック、ない場合にはクッションを投げつけてきたりした。あからさまに怒っていた。
異常な状況に置かれているせいなのか、あなたはだんだん、それが面白くなってきた。
ジュースを渡すときに触る。水を渡すときに触る。ついには、何でもない時でも何となく触る。
そのたびに、リコは爆発するように起こった。だけれどあなたが自分の世話をやめたら生きていけないことは、どこかで理解しているのか、怒り方は派手だが陳腐だった。投げつけてくるものも、小さく、軽く、当たっても大事に至らぬものばかりだ(彼女がそこまで意図しているかは、不明だが)。
あなたはこんな状況で、少し、おかしくなり始めていたのかもしれない。本当に、ことあるごとにリコの髪飾りを触って、嫌がらせをした。派手なモーションで怒るリコを知っていながら。もの言えぬリコを知っていながら。そのイヤガラセが、自分のためのものなのだと、理解したくないなりに、理解しながら。
***
そして、運命の日が来た。
***
あと一日で、あなたはこの厄介なお役目から解放されるはずだった。出口が目前にあることで、より気持ちも高ぶっていたのだろう。なんだか、リコの一挙手一投足に、いらいらした。
そこであなたは、水を飲んでいるリコの頭を撫でた。彼女は、撫でられるのは好きだ。大きな瞳を半眼にして、うっとりと身を任せた。
それから、やってはならないことを、あなたはした。
素早く髪飾りをひっつかんで、思い切り引っ張ったのだ。
嗜虐的な気分もあった。リコがどんな風に怒るのか見たかった。髪留めなら、髪が何本かちぎれて痛いくらいだろうとたかもくくっていた。
だが現実というものは、悲しいほどに非情だ。
嫌な、手ごたえ。
リコは、悲鳴さえ上げなかった。
***
今あなたの目の前には、頭頂部から鮮血と、脳漿と思しきどろどろした液体を垂れ流した少女が倒れている。美しい少女だ。彼女は、血にまみれてなお可憐で美しかった。
そしてあなたの手には、真っ赤な花が握られている。曼珠沙華によく似た赤い花を、あなたは握りしめて呆然としている。
花はかなり長く張っていたと思しい根から、真っ赤な血をぽたぽた落としていた。
破滅 猫田芳仁 @CatYoshihito
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