輪廻 Reincarnation
煌々と真夜中の道路にオレンジ色の光を投げかけるファミレスの、道路に面した席にぼくと友人の横井は対面して座っていた。横井はとことんついていない男だった。会社経営に失敗して自殺した父親の借金を相続し、母親には失踪された。しかし、横井は高卒でスキルがなく、昼夜を問わず工場で働き、稼いだ金のほとんどを借金の返済に回している。全額を返済するのは彼の人生の大半が工場労働に費やされたあとだ。
ぼくは横井がそんな風になる前から、定期的にこの深夜のWinky'sでバカ話をしていた。今となっては食事代はぼくが出しているが、横井もここにいるときだけは平和だった時代を思い出せるという。ぼくは横井のためならなんでも力になるつもりだった。よく借金の相談をされたが、ぼくは横井であれば心よく金を貸した。
そんな横井だが、近頃妙なところに通いだした。「こころの呼び声」とかいう仏教をベースにした宗教団体で、たまに週刊誌などでも話題になり、激しい毀誉褒貶に晒されている。しかし、ぼくはなんとか横井がそっちに行ってしまうのを止めたかった。昔の横井が失われてしまう気がするのがいやだった。
「知ってるかい、輪廻転生って」、横井はキラキラした目でそう語りかけてくる。ある時期から横井は状況に関係なく、多幸感を感じるようになっていた。宗教は人民のアヘンというが、横井には確かにそれが必要なのかもしれない。
「聞いたことあるよ。意味もだいたいわかる」、ぼくは話がそっちに行くのをなんとなく牽制するような、少しつまんなそうな語調でそう返した。しかし、横井は止まらなかった。
「いや、君はちゃんとした理解をしてないんじゃないかな。君もこのヴィジョンを理解したらふわーっと楽になるよ。仏教の本場、インドやチベットではみんな当たり前に信じてることだし、なにも恥じることじゃないんだ」、横井は頬を紅潮させだした、こうなるといつもの勧誘モードだ。ぼくは心のガードを上げた。
「死んでもだれか、あるいはなにかに生まれ変わるんだろ。それでその繰り返しを抜け出ると『解脱』って言うんだろ。横井がそれを信じるのを否定はしないよ」
「いや、それだけだと半分だけしか理解してないかな。ぼくの行ってる『こころの呼び声』では、みんなひと繋がりって認識なんだ」
「というと?」
「この宇宙に存在する生命はみんな、一つの魂という糸で貫かれたビーズみたいなものなんだよ。ぼくも君も、あそこのお姉さんも、あそこのおじさんも、そこに飛んでる小さな虫も、一つの魂が輪廻転生し続けて順番にその生を生きてるんだよ」ぼくは困惑した。あまりにもぶっ飛んだ宇宙観だった。
「じゃあ少なくともその魂は時間を行ったり来たりはできるんだね。タイムスリップみたいに」
「そういうことだ。全生命は一つだし、死んだってその一つの繋がりの中を移動するだけだ。素晴らしいと思わないか?」
「それを信じてるのか?」
「ああ、君も目覚めれば楽になるよ」、ここで適当に相槌を打つといつもの勧誘が始まるので、ぼくは一線を引くようにしている。
「悪いけど、それは断るよ。なにも君の考えをバカにしてるわけじゃないけど。人にはそれぞれ信仰の自由があるだろ?」、そういうと横井はビデオを一時停止させたみたいにピタリと止まってしまった。しかし、しばらくするとまた再生ボタンを押したように喋りだした。
「これから君にちょっと大事な話があるんだ。ちょっと外の空気を浴びながら話そう」
「ああ、気が済むまで話そう、金も少しなら貸すぜ」、ぼくはそういうとレシートを取って、二人分の会計をした。
ぼく達は団地の立ち並ぶ郊外の夜道を二人で歩いた。今夜はあまり寒くもなく、いくらでも話せそうだった。こうしていると、昔を思い出す。まだ横井が借金を背負っていなくて、裕福な御曹司だった頃、まだ「こころの呼び声」とかいう変な宗教にも入ってなかった頃。時代そのものも明るかった。景気が悪くなるといろいろな歪みが社会に現れる。横井もその一人だ。
横井は正面を向きながらおもむろに語りかけて来た。「君は小さい頃、家族でキャンプ場に行ったとき、置いていかれたことがあっただろ。荷物も全部のせて、準備万端と勘違いした家族が君を乗せるのを忘れて、ずいぶん遠くまで帰りかけてしまった。君は泣きながら、家に帰る道をとぼとぼ歩いていたら、1時間くらいして家族が引き返して来てようやく乗せてもらった。父親以外みんなすぐ寝てしまって、父親も君が後ろで静かに寝ていると勘違いしたんだ。君はその帰り道はもちろん、ずいぶん長いこと家族と口を聞かなかっただろ」
横井の言っていることは事実だった。ぼくは確かにそういう体験をしている。どうして知っているのだろう。横井にはもちろん、嫌な記憶だから友達には誰にも話してないのに。
「ぼくは特別な修行で前世を思い出したんだ。はじめはぼんやりと、しかしだんだん極めて克明に全てを思い出して来た」、ぼくはなんて言えばいいのかわからなかった。
「ぼくの前世は君だったんだよ」、横井はそう言ってこちらへ向き直った。鏡に語りかけるような奇妙な目だった。
「まさか」、ぼくはそう言って、乾いた笑いを付け足した。
「そのまさかなんだ。そして、ぼくは分かったんだ。どうしてこんなにぼくが不幸なのかを」
「それはどうしてなんだ?」、訳のわからない動悸がしてきた。
「訳のわからない動悸がしてきただろう。よく覚えてるよ。『横井』がぼくにこのことを告げた夜は決して忘れられないからね」、そう言って横井はふざけるように足元の小枝を蹴り上げた。
「『カルマ』って知ってるかい?」、横井はそう訊いてきた。
「悪いことをすると溜まるやつか?」
「そう、それだ。ぼくは前世でクソみたいにデカいカルマを背負ってしまったんだ。そのせいで今のぼくのざまがあるわけさ」、横井は言った。つまり、ぼくがなにか悪いことをするのか?
「『ぼくがどんな悪いことをするっていうんだ?』って言いたいんだろ?」横井は続けて言った。ぼくはちょうど言おうとしたことを取られて、コクリとうなづいた。
「人を殺すんだ」、横井は一人芝居を続けるように、歌うように喋った。
「そんなバカな」、ぼくは引きつった笑いで答えた。
「ところで、『こころの呼び声』では、悪行をなす運命にあるものを事前に殺す、つまり次の生に転生させてあげるってことなんだけど、これは善行なんだ。つまり、君が殺人を犯す前にぼくが君を殺してあげれば、ぼくの前世のカルマはなくなるし、ぼくは善行をしたことでより良い転生をむかえられるんだ。分かるかい?」、横井の目は満月の光を反射して爛々と光っていた。ぼくは足がすくんだ。言ってる意味はよくわからないがこの場から立ち去りたくなった。
「いまいち分からないだろ、よく覚えてるよ」、そういうと横井は尻ポケットからバタフライナイフを抜き取って、逆手に持った。
ぼくは、硬直して動けなくなると思ったが、反射的に前蹴りが出て、横井の体は吹っ飛ぶと、倒れて路肩のブロックに後頭部を打ち付けてぐったりした。打ち所が悪かったらしく、即死だった。
後日、「こころの呼び声」による大規模テロが失敗したというニュースを見た。教祖である篠原によると、この国にはもうすぐ核ミサイルが撃ち込まれる、それを避けるには悪いカルマのものを殺す必要があった、とのことだった。メディアは彼の言い分を一笑にふした。
ある朝、通勤電車の窓から空を見上げると、赤い尾をひいた飛翔体が見えた。それは空中で太陽のように膨張し、やがて街を飲み込んだ。
あの夜の記憶 木更津まこと @sokawara2017
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