接触 Contact

深夜、地元のファミレスに居る。


ここWinky'sは24時間営業なので、ぼくはよくここで仕事をしている。Winky'sはソバカスのあるヤンキー娘の顔が不器用に左目をウィンクしている巨大な看板が深夜でも店先のポールの上でくるくる回転している。広い窓からオレンジ色の明かりを寝静まった郊外の風景の中に放出している様子は、宇宙で迷子になったUFOを思わせた。ぼくはその雰囲気が気に入っていた。今晩のように雨が降っているとなおよい。


ぼくの他に居る客は視界に入る限り3人、女が1人と男が2人、皆それぞれ所在なさげに頬杖をついてスマホをスクロールしていたり、ただ窓の外の雨を眺めている。


そのうちの女は通路を挟んで左側の窓際の席に斜向かいの形で座っており、そのゴージャスなオーラは明らかにこの片田舎の深夜のファミレスにそぐわなかった。どこかで活躍しているモデルか女優だろうか。ずっと外を見て物思いに耽っているようだ。ぼくは頭の中を画像検索したが、ヒットしなかった。あまり見ていると失礼になりそうなので、強いて仕事に集中するよう自分に言い聞かせた。


午前4時、なんとか原稿を書き上げた。中国で猛威を振るう新型ウィルスに関する記事だ。国内で濃厚接触がうんぬんカンヌン。メールで記事の依頼元に原稿を送ると、深く息を吐いて皮張りの座席にもたれる。猫のように伸びをして周りを見回す。


ぼくは心にピリオドを打つようにコーヒーを注文した。


コーヒーを運んできたウェイターを見て驚いた。横井である。中学の頃から比べると、お互いだいぶおじさんになったが、元来童顔の横井の面影はすぐに分かった。ネームプレートにも「横井」と書いてある。


「おお、久しぶり、横井じゃん。今ここで働いてるの?」


ぼくは声を弾ませて訊いた。しかし、横井は業務的なたたずまいを崩さずに、眉をかすかに寄せて問い返した。


「失礼ですが、お客様。人違いでは?」


こんなに近くで見てまだ気づかないのだろうか。それとも、なにか理由があって距離を置きたいのか?


「いやいや、ぼくの顔分からない?ほら、このすぐそばの金井二中で一緒だったじゃん。篠原の担任で一緒だったっしょ」


「失礼ですが……やはり、何かの間違いではないですか。そもそもこの辺りに金井二中などありませんよ。金井中学校ならありますが」


横井の頭がおかしくなったんでなければ、かなり悪意を持って人を食っている。その事務的な表情を浮かべた顔を張り倒したくなって来た。


「はあ?ふざけてんの?金井二中はあります。なんならこのあと二中まで一緒に行こうか?」


「そこまでおっしゃるなら、そこのWiFiで検索してみたらいかがですか?ありませんよ、金井二中なんて」


横井と思しき者の顔には、徐々に嫌悪と軽蔑の表情が浮かび始めていた。なぜそんな勝ち目のない賭けで、そんな顔をできるのだろう。


Googleで「金井二中」を検索すると確かに出てこなかった。代わりに「金井中学校」が出て来た。ぼくは意地になって「山城市立金井第二中学校」と正式名称で検索したがやはり出てこなかった。


「ありましたか?」


横井に限りなく似た人間が業務用の引きつった笑顔をたたえて訊いてきたとき、ぼくはGoogleマップで金井二中の場所を探していた。そこはパチンコ屋になっていた。もしかすると人口減少で統廃合されたのかもしれない。ぼくは、二中時代の友達の吉田に深夜だが連絡を取ろうとした。このまま引き下がるわけにはいかない。


だが、吉田なんて人間は最初から連絡先に登録されていなかった。他の二中つながりの友人もあらかた消えていた。ぼくは寒気を感じて来た。


「では、私も業務中ですので、失礼します」


そう言うと横井、もしくは横井のドッペルゲンガーはキッチンに姿を消した。


暗闇のBGMをなしていた雨がいつの間にかやんで、軒先から水滴を滴らせている。空はそろそろ白みかけていた。だが、原稿を提出し終えた爽快感はない。明るくなりかけてもまだWinky'sの看板は電飾を切っていない。いや、Winky'sではなくWinkyになっている。


残っていた昼夜逆転族も眠くなり始めたのかそろそろと帰りだす。ぼくはここにもう少しいるべきな気がした。ここを出たら今はまだかろうじて流動的ななにかが固定してしまう気がした。


ぼくはとりあえずトイレに行こうと席を立った。


「ゆうちゃん」


後ろから親しげな女の声がし、肩甲骨のあたりを指でチョンと突かれた。振り向くとずっと斜向かいに座っていた彼女だった。近くで見るとやはり美しかった。別世界の住人がぼくに対して限りない親愛の情を向けて至近距離に立っている。


しかし、この人は誰だ?それだけが問題だった。


「やっぱり!なーんか見たことあるなあ、って思ってたけどゆうちゃんだ!久しぶり!」


ぼくはなんて言えばいいか分からなかった。


「もー、ゆうちゃんでしょ。ほら、化粧してるからわかんないかな?金井中学で同級だった。篠原の担任で一緒だったじゃん。思い出せない?」


「いや、うーん、どちら様でしたっけ」、ぼくはかろうじてそう言うことしかできなかった。


「えー!?超ひどい。ゆうちゃんとは色んなことしたじゃん!こんだけ近くで見れば分かるでしょ。ねえ、ちょっとこのあと暇?二人で話さない?」


「いや、しかし……」、ぼくの心は揺れた。このまま「こっち」の世界に触れ切ってしまうという選択肢もある気がした。


「分かった。分かったよ。でも悲しいなあ。そんなに私変わっちゃった?」


そうしてぼくと彼女は別れた。全く見覚えのない美しい女は、最後まで愛想よく手を振っていた。


帰り道、おそるおそる金井二中があるはずの場所を通ってみた。やはり、金井二中は存在していた。朝もやの中にその建物は、古き伝統を守り抜いていた。二中つながりの連絡先も復活していた。なんだったんだ、あの横井そっくりの人間は、そしてあの女は。


そんな変なことがあって、しばらく深夜のファミレスには行かないようにしていたら、あの大きな看板が解体されている現場に立ち会った。Winky'sと書かれたネオンの残骸が駐車場に横倒しにされていた。


この町の居場所がまた一つなくなった。その通りから駅前の商店街に抜ける途中、どこかで見たような女がヨロヨロとした足取りで近づいて来た。それはあの夜の彼女だった。しかし、彼女はもはや美しくなかった。


「私の世界返せ」


それだけ吐き捨てるように耳元で呟くと、彼女は商店街の人混みに消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る