あの夜の記憶

木更津まこと

混線 Crosstalk

ある夜、ぼくはラジオで「篠原源太の深夜も元気」を聴いていた。篠原源太のラジオは小学校から聴いている。ラジオは一対一でDJと交信している気がして、テレビより好きだった。深夜という時間帯がまた子供らしい選民意識をくすぐる。実際、テレビでやっているような話の裏話を聴けた。


昔のラジオは、今と違いよく真夜中に混線した。篠原源太の声に混じって、北朝鮮あたりから流れてきたような得体の知れない声が聴こえてきたものだ。その様子は篠原でも北朝鮮のアナウンサーでもない何かが、訳のわからないことを喋っているようだった。今はもうラジオアプリだから、そんなことは起きない。


その夜も、ラジオからは篠原の軽妙洒脱なトークが流れていた。しかし、眠気とともにその声は徐々に意識の表面から離れていった。ぼくはトークを脳の片隅でつなぎとめながら、徐々に淫夢のような想像に身を任せていった。


「おい」


眠りと覚醒のあわいをさまよっていた時、夜道で後ろから呼び止めるような不穏な声が意識に割って入った。みんな死んでしまったように静まりかえっている。静けさを埋めるように「シー……」という音が聞こえた。


「おい」


確かにラジオから聴こえている。さっきと同じ調子、同じ声。厳格な父親がドアをノックするようにその呼び声は繰り返されていた。


「聴いてんのか?」


「お前だよ、横井」


突然、名前を呼ばれてギョッとした。心臓がバクバクし始めた。とっさにスマホを掴んで時刻を見る、午前二時ちょうど。まだ「篠原源太の深夜も元気」の時間だ。


「横井、聴いてんのか?聴いてたらなんでもいいからなんか反応しろ」


ぼくは震える手でメールを開き、番組の公式アドレスに「聴いてますよ」とメールを打った。自分は何をやっているんだ。


「お、横井から反応が来ました」


なんとなくいつもと放送の雰囲気が違う。なにかが欠けている。構成スタッフの笑い声がない。


「横井お前さあ、これから番組終わるまでにスタジオ来いよ」


訳がわからなかった。なぜこのぼくがこんな時間に呼ばれるのだろう。パジャマを着替え、ぼくはバイクで局まで飛ばした。ラジオアプリで「篠原源太の深夜も元気」を聴きながら。ずいぶん信号に捕まった。


しかし、局の玄関にたどり着いたとき、ぼくは不思議な経験をした。守衛に挨拶をして中へ駆け込もうとしているもう一人の「ぼく」が、ぼくの目の前に居たのである。


向こうも硬直したようにこちらをしばし凝視していたが、やがて時間がないとばかり正面へ向き直り局内へ消えていった。ぼくは激しい動悸に襲われて、近くにあったコンビニのトイレに駆け込んだ。トイレの鏡に写っていたのは「ぼく」とは別の人間だった。


その瞬間、ぼくの頭は何かで殴られたようにハッキリした。自分は人気若手芸人の横井ではない。名も無いただのニートである。どうしちゃったんだろう、寝ぼけるにも度が過ぎる。こんなところまでバイクで夜中疾走してきた自分が恥ずかしくなった。


ぼくはその場から逃げるように家路を急いだ。我が家の表札を改めて確かめる。そして、部屋に戻って電気をつけると全てがバカバカしくなった。


ぼくは疲れていたので寝床に倒れ込みいつの間にか寝た。そして、そのまま次の朝を迎えると全てが夢だったような気がした。


きっとぼくは篠原源太が好きなあまり、自分と篠原軍団の若手芸人横井と、自分を同一化したとてもリアルな夢を見たのだ。そう理解すると、心の亀裂は小さくなっていった。そしてそれは、人間が一生のうちに何回か経験する、「よく分からない出来事」のうちの一つとして、あいまいに記憶の戸棚に整理された。


後日、その放送日の音源をYouTubeで聴いてみた。構成スタッフの笑い声はいつも通り入っていて、変な感じはなくなっていた。途中で呼び出された横井は篠原に「遅い」となじられていたが、「バイクで来たけど途中信号でめちゃくちゃ足止め食らいました」と言い訳し、「お前嘘つくなよ。バイクの免許持ってないだろ」と余計怒られていた。

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