第4話 休むことも許されず笑う事は止められるなんてよくある話

 知らない世界に連れてかれたかと思えば、知らないパツキンプッツン女に雷を落とされて、知らない内に俺はまた意識を失ってしまった。


 何も知らないままな俺は、あっという間にぐっちょんぐっちょんのぼっろぼろの状態にまで追いやられてしまう。まだ物語は始まったばかりだというのに、この体たらく。


 それでもたまたま落雷の当たり処がよかったおかげか、どうやら二度死ぬことは避けられたようだ。


 今、耳触りのいいバリトンボイスな呼びかけとともに何度も身体を揺さぶられている。


「……て。……きて……さい。――――起きてください、そこのあなた」


 そこはかとない期待と困惑が入り混じりながらも俺はゆうっくり意識を浮上させた。


 大樹のうろの中で初めて目が覚めた時と違い、いの一番に目に入ったのは朝露の雫ではなく紛れもなく大人の男だ。


 髪は黒くロン毛で顔の色は褐色。眼鏡をかけた様相ようそうはどこか理知的な印象を抱かせる。


 しかし俺はまだ完全に醒めておらず朧気であった。


「あ、うう……」


「お目覚めですね。どこか痛みますか?」


「い、いやあ」


 尋ねられて息災である旨を伝えようと、まずは横になった身体を起そうとする。


 ――――が、無理。なぜなら両腕を背中に回された姿勢のまま鎖骨さこつ下から鳩尾みぞおち上にかけて、ふん縛られていたからだ。


 足にまで拘束は及んでいないものの、支えもなしでは座ることさえ難しい。


 不甲斐なくも、再び冷たい石だたみの上を這う俺。


 にしても、ちと寒すぎる。そういや、小娘に水飲まそうとしてぶちまけられてずぶ濡れのままだったな……。ほいでもって例のあの女から電撃をもらい受けた背中が痛いを通り越してすこぶる痒い!


「さ、寒い。そして痒い」


「失礼をば。少し、熱を帯びているように思えます」


 一旦断りを入れてから、男が俺の額に白手袋を纏った右手をあてがってくる。


 先ほどから薄ら感じていた悪寒の正体を告げられると、続けて俺に伺いを立ててくる。


「何か、ご所望はございますか?」


「ちょっとでいいから背中掻いてほしいな。ついでにこの縄も解いてくれるともっと助かる」


「……縄を解けというご注文はうけたまわり兼ねますが、それぐらいなら」


 落雷を見舞ったせいかさっきから痒くてたまらない背中に、男が服越しに爪を立ててあてがってくる。


 シュッシュ、と音を立てながらゆっくり背中が掻かれ始めた。


 まるで虫が這いまわっているかのような不快感からようやく解き放たれたと感じた直後。同時に得も言えぬ気持ちよさと安心感が俺の背中からじっくり広がってきた。


「ああ、ちょい右。そうそうほいでもって気持ち少し上……そこそこ。ああ、いい。ゆっくりゆっくり」


 背中の問題が片付きかけた所で、今度は尋常じゃないほどの寒気が俺を襲う。


 石造りの地べたで寝転がされて身体の芯まで冷えそうなあまり、無意識に全身をぶるぶる震わせた。


「……わっ、悪いんだけれど、もう背中は掻かなくていいからかわりにさすってくれ」


「ハイハイ」


 男はため息混じりに応えつつも、俺の注文を無碍にするどころがむしろ忠実にそれらを実現してくれた。人間の世界にいてくれたら是非とも俺のホテルで接客係としてスカウトしたいとさえ思う。

 

 そんな調子で先ほど来見ず知らずの男からいいようにやられていると、何者かがツカツカと歩み寄ってくる音が聞こえた。


「ならず者とおたわむれなどとは、大層精が出ますわね」


 寝転がっている俺から見て三時の方向から、なにやら聞き覚えのある女の声。


 すると、俺の記憶中枢が頼んでもいないのにそれに該当すると思しき場面を寄越してきた。




『おくたばりあそばせェッッ!!』




 最近のインターネットの検索エンジン並に冴えわたっている己の記憶の予測提案機能に対して強くほぞを噛みたくなった。


 神様お願いします。さっきのはどうか出合い頭に俺を殺そうとしてきたサイコパスなパツキンプッツン女とは声が似てるだけで全くの別人でありますように。


 川辺で垂れ流されたヘドロのあぶくすらも救いに思えてならない、今の俺の心境。


 そんな切実な願いは、突然髪を鷲掴みにされて無理やり上半身を引き起こされた時点ではじけ飛んだ。


 グイっと引っ張られ咄嗟に目を見開く。


 そこで広がっていたのは、俺が会いたくなさ過ぎて逆に一目ぐらい拝んでみたくなった相手が俺のことを見下ろしている光景だった。


 ……ああ、ジーザス・〇。ッキン・クライスト。


 どうあがいても、天は俺と今まさにそんな俺のことを養豚場の豚を見るかのように冷たく視線を送り続けているこのパツキンプッツン女とを引き合わせたいらしい。


 とりあえず、さわやかに微笑んで返してみるか。


「へへへへ。ま、また会ったな」


「死にぞこないのクセに何を一丁前におっしゃりやがるんでしょう?」


 一切微動だにしない顔つきで極めてなにか生命に対する侮辱を感じる台詞を吐く。


 すると女は指の力を緩めて掴んでいた俺の髪を突然離した。


 即座に、元いた地面目掛け急速に落下していく。


「ぶべら!」


 べちゃっ、とねちっこい音を立て冷たい石の地上と再会を果たす俺。


 鼻の先っぽからツンとくるような独特の痛みをひとり噛みしめていく。


 するとそれまで傍に控えていた男が俺の元から離れ、女と同じく俺の頭の前まで踊り出てきた。


「もう少し丁重に扱ったらどうです?」


「こうして生け捕りという形で、城内に入れてあげたのですからもう十分そのようにやりましたわ。むしろ、そういうあなたこそ人間風情に対していささか献身的すぎではなくって? ブラード」


「命まで奪わなかったのは称賛に値します。にしても、クラリス? あなたはたかが人間ひとり捕らえるために異能を使ったそうですね。いくつか城の者が証言してくれました、急に雷鳴がとどろくのを聞いたと」


「ええ、使いましたがちゃんと手加減はしましたし他に周りに害は及んでおりませんの」


「我らが大王おおきみ・ヘルベイル様が出したお触れでは『城外ではみだりに異能の力を振りかざすべからず』とあったはず。お触れに背くということは我々に対し直接背を向けるも同じ、言語道断ごんごどうだん蛮行ばんこうですよ」


「何を言うやら。お触れに背く、別に結構。言語道断、蛮行、それも結構。どのみちあの場には丸腰同然のアデル様が卒倒しており、あまつさえこちらの男が手に掛けようとしておりましたわ。……逆に言わせてもらいますがブラード、あなたこそ私と同じ状況に出くわしたらそうせざるを得ないのでなくって?」


 鼻の打痛だつうがすこしマシになってきたので寝そべったまま視線を上げると、俺の真正面がなにやらきな臭いことになっていた。


 エプロンドレスに身を包んだ例のプッツン女と、燕尾服えんびふく洒脱しゃだつに着こなしている黒髪ロン毛の男が互いに丁寧口調でえんえんマウンティングを取り合い続けている。


 その時俺は女の方はともかく男の方が髪の間から天目掛け突き上げるほどの鋭く尖った耳を露出させているのに驚いていた。


 まあ、ぶっちゃけ人体から雷を放出する様子を初めて目の当たりした時の衝撃と比べれば若干薄いのだが。

 

 ふたりのやりとりから察するに男はブラード、女はクラリスという名前らしい。


 だがそんな彼らはどうやら肝腎かなめの俺を差し置いて討論するのに忙しいみたいである。


「結果としてアデル様自身は御無事でいらっしゃった。ですがもし、間違ってもあなたの電撃がアデル様に害を及ぼしたら……あなたはいったいどう責任をとるおつもりだったのですか?」


「何を言うやら。自前の異能に関しては自分自身が一番わきまえてるつもりですわ。それに私の狙いは正確で、その証拠にその方の輩の命を奪うことなく正式に捕虜にいたしましたの」


「その思い上がりも口の利き方もろともいい加減お改めなさい。クラリス? 我々魔族の異能はあくまで大君とその利益のために還元されるべき代物なのです。さすればいずれ魔族全体の繁栄はんえい一助いちじょとなり得るからして、それに引き換え今回のあなたは……」


「相変わらず規則厳守に一家言いっかげんある男ですわね。逆に聞かせてもらいたいのですが、一々いちいちあなたの言う通りにすれば万事順調にいくと? それこそ不審な輩が大君やアデル様の喉元に鋭利な切っ先を向けていた場合でも正式な書類を作成・提出し、異能の使用の許可を大君に対し願い出ろとおっしゃりやがるのですか。もっともとうの本人はその命が風前の灯火という状況に晒されているわけなのですが、それについてじっくりご教授きょうじゅたまわらせていただきたく存じます……ブ・ラ・ア・ド?」


「私はただ、お触れを守れと言っているに過ぎません。感情に身を任せ韜晦とうかいに徹する今のあなたはとても見苦しい。まるで、低能なケダモノのようだ」


「ケダモノ上等ですわ。あなたのように目も耳も吊り上がってて誰彼構わず見下していないと気の済まないさかしらなダークエルフより少なくともずっといい」


「出自さえ明らかでない下層魔族扱いされるケダモノなあなたよりはマシだと?」


 ……まったくコイツラときたらこの俺を踏み台代わりに長々タップダンスでセッションに興じてやがる。


 泥仕合どろじあいもイイトコだぜ?

 

 つーか、張本人である俺を差し置いて何お前ら互いに火花散らし合ってんだい? 


 デキてんのか。『ケンカするほど仲がいい』的なアレな感じの仲だよな、ソレ?


 ふざけんなよ、俺はよく見かける光景という括りの中でも『単にいがみ合っているように見えて、実はお互い知り合っているからこそケンカという茶番を演じている精神的セックス論者』っつーのは反吐が出るくらいに大っ嫌いなんだ!


 こんなの、フロント前で延々イチャついてて名前すらまともに取り合えんビジホとラブホの区別もつかないバカップル共となんら変わらない。


 胸糞悪すぎて、怒りと言う名のエネルギーが俺の中でみなぎってきやがる。


 だから主役ヒーローは俺なんだ! と、言わんばかりに思いの丈を口にしようと思った。


「おい、お前ら。何が望みか知らねえが、いい加減に……!」


 そう声を張り上げかけた途端、俺の怒りは空しくも潰えてしまう。


 目の前で瞬間的な光と熱の暴力、そして鼓膜にて圧倒的な音のエネルギーが何の前触れもなく襲い掛かって来た。


 眉毛がくすぶすすけた視界の先。


 俺の延長線上にいたふたりの内の片方、クラリスがノールックのまま俺に人差し指を突き付けている。

 

 そのつま先から周辺十センチにかけて電気があみだくじみたいに空を駆け回っていた。


 寸止めの電撃という初見殺しもいいところな技を唐突に見舞われ、耳が馬鹿になる俺。


 電撃の残像がまとわりついたままな俺の視界。


 色を失ったように見えた彼女が泣く子も黙るどころか魂ごと持ってかれそうなすごい形相で、俺をガン見してくる。


 血走った目つきと、上下顎じょうげがくともに鋭く突き出た犬歯けんしあらわになるくらい大きく口をパクパク動かしていた。


 それは壊れたステレオみたいなノイズが絶え間なく反響を続けている俺の耳じゃ聞き取れやしなかった。


 だが、単に色覚が狂っただけな俺の両眼はそのリップシンクをばっちり解読できていた。


 やっこさんは、こう言っている。




 ――――『黙れ、ブタが』と。




「……ブタでもなんでもいいんで、命だけは勘弁してください……!」


 見よ、この無様な主役ヒーローの姿を!


 とうに生殺与奪せいさつよだつの権を他人に握られちまっていた俺には、服従するしか他に道はなかった。

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かつてホテル・オーナーだった頃の経験を糧に成り上がっていく、俺の異世界マーケティングプロセス はなぶさ利洋 @hanabusa0202

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