カルミア・ラティフォリア

深山瀬怜

カルミア・ラティフォリア

水無瀬みなせさんの家ってお花屋さんなんだよね?」

「そうだけど」

 席替えで隣になったのは、いつもあたりに真っ白な光を振りまいているような女だった。うららなんていうご大層な名前にも負けないくらいの美人。けれど人懐っこくて、どこか隙が多くて、男には好かれるけれど女には嫌われるタイプ。

 このいかにも純粋、という雰囲気が作られたものならまだいいが、麗の場合は天然だから始末に負えない。放任でも過干渉でもない裕福で愛に満ちた家庭。それが彼女の根本にあって、そのあまりにも幸福な雰囲気は、周囲のやっかみなどの程度の低い悪意を弾いてしまう。麗は幸せな女で、幸福であることが彼女をさらに幸福にしていた。

 だいたい高校生にもなってお花屋さん、とかいう女だ。しかもそれが許される人間。幼稚園児がお花屋さんになるー、とか言っているときにイメージしているのは、私ではなく麗だろう。

「今度、ピアノの発表会があって、そこでお世話になった先生に花をあげたいんだけど、どういうものがいいか相談に乗ってくれないかな?」

「……いいけど、私そんなに詳しくないよ」

 最近は小説を書くのに忙しくて、花屋を手伝うこともなくなった。だいたい悪い噂がある私にこうやって話しかけてくる時点で神経を疑う。頭に花でも咲いているのか。私よりもよほど花屋に向いている。

「でも普段から沢山綺麗な花を見てるでしょう? 目が肥えてるんじゃないかなって」

「予算と、ブーケにするか、カゴにするか、色は何色でまとめるか教えて。あと先生の性別」

「予算は三千円から五千円くらいかな。あとはブーケにしてもらって、オレンジの百合を入れてほしいな。あと先生は男の人だよ」

「……そこまで決まってるなら花屋に行けばそれなりのものが出てくると思うんだけど、いったい何を相談したいの?」

 メインの花まで決まってるなら、あとは花屋に任せればいい。私の出る幕はないはずだ。

「オレンジの百合の花言葉、知ってる?」

 麗の言い方は少し思わせぶりだった。私はそれに少し違和感を覚えながらも、記憶を掘り起こす。

「華麗とか愉快とか……あとは、憎悪」

 花言葉には「愛情」だとか「感謝」だとかいう、いい意味のものばかりではない。一つの花にいい意味と悪い意味がある場合だってある。私は悪い意味の花言葉に詳しい。幸せを束ねたブーケには冷水を浴びせる。それが私のやり方だ。

「さすがだね。最後のは花屋さんでも知らないかと思ってた」

「個人的に興味があって調べてただけだよ。確かに西洋だけで言われてる花言葉だから知らない人も多い――」

 憎悪、という花言葉は悪意で付け足したつもりだった。けれど麗はそれを知っている。それなのにその花を人に贈るということは。

「……嫌いなら花なんて贈らなきゃいいんじゃないの?」

「それじゃあ復讐にならないじゃない」

 麗は、普段は絶対に見せないような暗い笑みを泛かべた。これが本性か。今まで見破れなかったことに少し悔しさを覚える。

「それは確かにまともな花屋には聞けないね」

「そう。だからずっとお近付きになりたかったのよ」

 どうだか。麗なら席替えのクジを誰かと交換するなんて簡単だろう。麗の頼みを断るような男は少ないし、女は女で私の隣に座りたがらない人は多い。

「復讐って何するつもり? まさか花だけってことはないでしょう?」

「そうね。イヌサフランライスを作ってもいいけど」

 イヌサフランはサフランとついているが、全く別のもので、「冷血な殺人草」という別名もある非常に毒性が強い植物だ。意識を保ったままゆっくりと苦しみながら死に至るらしい。冗談でもその名前が出てくるあたり、麗の憎しみは根が深そうだ。

「でも毒を盛ったら足がついてしまうし、別に殺したいわけではないのよ。そうね……例えばあなたがお花を選んだり、小説を書いたりするよりも得意なこと、とか」

「――食えない女」

 全て織り込み済みか。別に不特定多数と肉体関係を持っているということは隠していないからいいけれど。

「そう? 美味しいって言われたんだけどな」

 麗は口元だけで笑う。その表情だけで、誰に、とは聞く必要はもうなかった。そもそも麗の事情など私には関係ない。困るのは、私の中で、麗への興味が生まれ始めていることだった。

「……あんまりオススメしないよ」

「そう。ハニートラップってかっこいいと思ったんだけどな」

 純粋なのかそうでないのかまるでわからない。私は人を陥れるのに自分の体を使うことに異存はないけれど、麗はまだそれがどういうことなのかもわかっていなさそうだ。人間の三大欲求の中で、一番秘匿されるべきものを引きずり出すのは、簡単にできることではない。

 麗が復讐したい相手には通じるのかもしれないけれど、それだけでは駄目だ。欲望を引きずり出して、それを支配できるようでなければ復讐は失敗する。

「教えてあげようか」

「え?」

「毒のある花の扱い方」

 麗が小さく笑う。彼女をもっと知りたいという欲求はさらに強くなっていた。綺麗なだけの、造花みたいな女だと思っていた。けれど麗は毒を持っている。麗の花を咲かせたい。きっとカルミア・ラティフォリアのように、蜜までも毒を持つ花になるだろう。

「知りたかったら、放課後にうちの店に来て。花束も作ってあげるから」

 久しぶりに気分が高揚していた。私はオレンジの百合に合わせる他の花を考えながら、放課後の彼女に想いを馳せた。

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カルミア・ラティフォリア 深山瀬怜 @miyamaselen

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