epilogue

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 私が彼らと出会った日のことは、今でもはっきりと覚えている。


 聖歴652年、花の月。


 新学期が始まって、もうそろそろ二週間が経とうとしていた。

 日を追うごとに風は緩み、緑が濃くなっていく。

 放課後、私は生徒会の会議が始まるまでの時間を使って、校内図書館から持ち出した資料を漁り、ノートにメモを取っていた。


 開けた窓から、緩やかな風に乗って薄紅色の花弁が運ばれてくる。

 手を止めて振り返ってみれば、湖岸沿いのサクラ並木が満開に咲き誇っていた。

 この学園の創設者の名を冠されたこの花は、世界でこの場所にしか咲かない希少種だ。

 私は、この席から見るこの景色が密かにお気に入りだった。

 生徒会長になって良かったと、初めて思えたのがこの風景の存在だった。


「アメミヤ会長~。今度は何の研究ですか?」

「スリザール滅亡の時代よ」


 昨年に引き続き書記を務めてくれている後輩が、私の手元を覗き込んでくる。

 その顔が露骨に顰められたのを見て、思わず苦笑してしまった。


「うへえ。私あの辺苦手なんですよね~。なんか覚える人多くって」

「そうね。でも、それだけ重要な時代ってこと」

「あ。でも、あれは分かりますよ~。傾国の三悪党」

「ふふ。ちょうど今その記録を見ていたところ」

「ニュース見ましたよ~。会長のお家から古い資料が見つかったって」

「ええ」


 私の実家であるアメミヤ家は、今年で創立500年を記念する我が学園の創設者――サクラ・アメミヤの末裔だ。

 そういう言い方をすると、私がまるでどこぞのお嬢様のように聞こえるかもしれないが、私のご先祖様は質素倹約がモットーであったらしく、学園を経営する上での利益はそのほとんどを設備投資に費やしてしまい、私財と呼べるようなものは残してくれなかった。

 今代の我が家にも経済的な余裕は全くないし、私の父はごく普通の公務員である。


 だが、我が家に残された無駄に古い蔵の壁がある日ついに崩れ、中から隠し部屋が見つかるという事件が起きた。

 その中で発見されたいくつかの資料には、歴史上の重要な記録が残されていた。


 我が家の先祖であり、この学園の創設者でもあり、湖岸の狂い花の名の由来でもある女傑――サクラ・アメミヤは、スリザール共和国滅亡の引き金を引いたかの有名な異世界転移者――傾国の三悪党の関係者だったことでも知られている。


 およそ百年程前にこの世界に訪れた転移者(当時は来訪者と呼ばれていた)の協力により、現代では異世界転移の原理と仕組みはほとんどが解明されている。

 そこから歴史を繙いた際に、どうやらこれこれの時代のこの人物も転移者であったらしいということが分かってきた。その筆頭と言われているのが、ミソノ・イテクラ、ウシオ・シノモリ、レンタロウ・クスノキの三人――俗に傾国の三悪党と呼ばれる、歴史上の大悪人だったのである。


 サクラ・アメミヤは、彼らが当時のスリザール帝国に取り入り、その中で盤石の地位を築くまでの手助けをしていたのだ。そこまではこれまでの歴史研究の中でも明らかになっていたことだったが(その研究が発表された時には学園存続が危ぶまれるほどの大スクープになったらしい)、今回見つかったのは、当時の彼女が残した、スリザール帝国に取り入る以前からの三悪党の記録だったのである。


「ひょっとしてアレですか~? 歴史上の人物の意外な素顔! 実は意外にいい人だった!? みたいな~」

「うふふ。私も実はそれを期待してたんだけどね」

「違ったんです~?」

「ええ。今までの資料で分かっていたことより、人物像が浮かんできたわ」

「へえ?」


 曰く、農村を襲う飛竜を討伐するために用意した罠を破壊し、自分が戦いたいがためだけに飛竜の寝こみを襲ったウシオ・シノモリの話。

 あるいは、当時とある侯爵家の傘下にあった傭兵組合を乗っ取るため、侯爵家と関わりのあった金融業者や聖職者を次々と滅ぼしていったミソノ・イテクラの話。

 そして、自分たちが処刑を免れるために、ホグズミードの領民を扇動して領主と聖陽教の教皇を弾劾させたレンタロウ・クスノキの話。


 その他にも出るわ出るわ。児戯のような悪戯から、人を破滅させる策謀まで、色とりどりの悪事と、それに振り回されるサクラ・アメミヤの苦労話。


「そうやって聞くと、むしろ会長のご先祖様の方が大変そうですね~。なるほど、そっちの方が意外な一面だったと」

「ええ、そうね。でも、なんていうか……」

「??」


 私は、この学園を創設した際に描かれたとされるサクラ・アメミヤの肖像画と、彼女にまつわるいくつかの史実でしか彼女を知らない。それでも、自分の先祖であるということ以上に私が彼女に興味を持ったのは、その肖像画があまりに私に似ていたせいだ。

 血のつながりがあるとは言え、実に五百年前の人物だ。実際、同じく血縁者である私の父方の伯母は、彼女とは似ても似つかない(美人ではあるが)。にも関わらず、その絵姿には、きっと私が大人になったらこういう顔になるのだろうという、奇妙な説得力があった。


 絵の中からでさえこちらの居住まいを正させようかという冷たい視線と、一度も笑みなど浮かべたことがなさそうな、固く引き結んだ口元。

 彼女の子供たちが残した記録を見ても、その肖像画のイメージに外れない、厳格で実直な人物像が思い浮かぶ。

 それでも、この記録の中に見るサクラ・アメミヤは――。


「なんだか、楽しそうに見えるのよね……」


「ええ~? そうですかぁ?」

「ふふ。気のせいかしらね」

「それ、卒論のテーマにするんです?」

「考え中」



 そうこうしているうちに、生徒会のメンバーが次々と来室し、私は私物の資料をロッカーに収めてその日の会議を始めた。

 議題は今年度からの新入生の様子と、彼らのためのレクリエーション行事について。

 そうは言っても、もう何年も続く伝統行事だ。みな昨年の経験を活かし、恙なく手順を踏めばそれでよい。特に新しく決めるようなこともないし、新入生だってこの時期はまだ大人しいものだ。

 しかし――。


「ええっと、会長。ちょっと信じられない報告が上がってるんですけど……」

「なあに?」

「三年のアイザックス先輩が……」

「……はあ。彼がまた何かトラブルでも?」

「ええっと……新入生と諍いを起こして、その……返り討ちにされたと」

「彼が? 性格はともかく、剣の腕は国内随一よ? 相手は誰だったの?」

「分からないんです。新入生の誰かであったということしか。それも、ほとんど勝負にもならないような瞬殺で、現場を見た人の証言もバラバラで……」

「分かったわ。気にしておきましょう」


「あ、会長。数学のゴーント教授が早退された話は知ってますか?」

「ええ。何かご実家の方で急な用事があったと聞いてますけど」

「それが、誰だかは分からないんですけど、指導室に新入生の女生徒と一緒に入ったところを見た、っていう子がいるんですよ。また下らないことで生徒に嫌がらせしてる、って思ってたら、数秒もしないうちに慌てて教授だけが出てきて、顔真っ青にして駆け出したって」

「それは……一体なにがあったのかしら」

「そこまでは分からないみたいです。その後で指導室から出てきた女生徒に聞いても、『急な用事が出来たみたい』としか答えてくれなかったそうで」

「ううん。あまり先生方の事情に首を突っ込むのもどうかと思うから、この件は追及しないようにしましょうか。みんなも、あまり噂話は立てないようにね?」

「はーい」


「そういえば会長。この前話した、ウッドクロスト先輩の送別会の件ですけど、箱は押さえられましたか?」

「やだ。何言ってるの、昨日話したじゃない。第二校舎の――」

「え?」

「え? あの、だから――」

「昨日は僕、会長にお会いしてませんけど……」

「ええ? そんなはずないわ。だって、放課後に廊下ですれ違って……」

「僕、昨日は昼で早退したんです。妹が熱を出してしまって……」

「ええ? じゃあ、私が昨日話したのは誰だったの?」

「さあ……?」


 

 なんだか奇妙なことが重なるものだと、妖精ピクシーに化かされたような気分で会議を終えた私は、閉館前の図書館に滑り込み、借りた資料の返却をしていた。

 もう日没も近い時刻だ。採光窓から茜色の光が差し込み、書架の影を濃く落としている。もう誰もいないだろうと思われた図書館の中には、意外にも人の気配がした。


「ねえ、これ見て。史上初の女傭兵団の団長だって。これ、あの子じゃない? ほら、一番気が強かった女の子」

「ああ、あのクソガキね。つうか、何よコイツ。万能薬エリクシルの簡易精製法の発見? んなもん出来るなら早く見つけときなさいよね」

「お。これひょっとしてホラ男じゃねえか? はあん。あいつも長生きしたもんだな」


 三人の男女が、列伝のコーナーで顔を突き合わせて何事かを話し込んでいた。

 漏れ聞こえる単語から察するに、この学園の前身である孤児院から排出された偉人たちの記録を読んでいるようだが、それにしては文脈がよく分からない。まるで彼らが旧知の人間であるかのような言い方だ。まあ、ホラス・スラゴーンの愛称まで知っているとは相当なマニアなのだろう。

 しかし、私が言うのもなんだが、もう直に閉館時間だ。あんなに資料を広げていては片付けるのも手間だろう。それに、ここまで離れた場所にまで聞こえる声で会話をしているというのも、少々マナーが悪い。一言注意が必要だろう。

 

 さあ、気を付けろ、私。

 初対面の相手に十人中十人怖かったと言われる顔を解せ。制服を見るに新入生なのは間違いない。笑顔笑顔……。


「それにしても五百年かぁ。これじゃ僕らのいた日本とあんまり変わらないねぇ」

「ふん。なにが『最後まで手出ししないってことは、いよいよホントの最後には手出しするってことさ』だっての。誰もこんなこと頼んでないってのに」

「ま、あのカミサマとかいう奴も困ったんだろうぜ。功徳とやらが溜まった人間がなんの願いも口にしなかったのは初めてだったってよ」

「いいんじゃない? 僕らの働きで平和になった世の中を見せてやろう、って。まあそのくらいなら見てやってもいいかって気にはなったし」

 

 一歩ずつ、足を進めるにつれて、よりはっきりと彼らの会話が聞こえてきた。

 しかし、やはり何を言っているのかが分からない。

 彼らは一体何者だろうか。


「しかしよ、転生ってのも不便なもんだな。折角鍛えた筋肉が台無しだぜ」

「とかなんとか言って早速騒ぎ起こしてんじゃないわよ」

「いやそれブーメランでしょ」

「私は騒ぎを起こさないようにしてやったの。ったく、先祖がクソだと子孫までクソね。ていうか、あんたこそ一人で抜け駆けしてたくせに」

「あはは。ごめんね〜。一目会っておきたくてさ〜」


 不意に、彼らの姿がぼやけた。

 涙の膜が張っているのだと気づいたときには、熱い雫が頬を流れ落ちていた。


「え…………?」


 胸が苦しい。

 彼らの声に反応するように、私の中の何かが震えている。

 涙が止まらない。

 なんだ、これは。

 懐かしいような、愛おしいような、それでいて憎らしいような。

 意味不明の感情が私を支配し、次から次へと涙を溢れされた。


「あら?」


 そこで、三人組のうちの一人、小柄な女生徒が私に気づいたらしく、こちらに顔を向けてきた。

 ひどい羞恥に襲われた私は、慌てて涙を拭った。


「ご、ごめんなさい。あの、私――」

「あんた、名前は?」

「え?」


 改めて彼らの姿を見てみれば、三人が三人とも、やけに親し気な笑みを浮かべて私の顔を見ていた。

 その顔に、見覚えは全くない。

 なのに、なぜだろう。

 ずっと前から、ずっとずっと前から、彼らのことを知っているような……。


「ねえ、名前を教えてくれる?」


 どう考えても失礼な態度を取っている私を気にするでもなく、柔らかな笑みを浮かべる彼らに、私はしどろもどろになって答えを返した。



「私は――」



 それが、私と彼らの始まりだった。


 


 『聖女クズ勇者のうきん王様さぎしと私』 了


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聖女(クズ)と勇者(のうきん)と王様(さぎし)と私 lager @lager

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