姫騎士と僕の仕事観の相違

成井露丸

姫騎士と僕の仕事観の相違

 青い自動販売機の商品取り出し口に左手を突っ込んだまま右隣を見たら、白銀の甲冑を身に纏った女騎士が僕と同じように右手を突っ込んでいて目が合った。――意味が分からない。

「……え、えっと?」

「はい?」

 彼女の形の良い眉が上げられる。目が少し開く。色の薄い虹彩。

 白銀の甲冑だよ? お昼下がりのまだ明るい日差しを跳ね返しているからね? 夏の日差しは全開の八月だし。――ていうか、京都市内で僕、白銀の甲冑見たことないから。いや、ていうか、生まれてこの方ないよ。白銀の甲冑を着ている女性。ていうか……ってもう、ていうか、って言葉しか出てこない。

「いや、暑くないですか? 甲冑重そうだし、眩しいし」

「……そう? あまり、それを考えたことは無かったかな? これが仕事の正装だから」

 いや、そうじゃないだろ、自分。

 ……そこじゃないだろ! と、心の中では自分自身に突っ込む。

 しかし、実際、その女騎士の存在に対して突っ込もうとすると、もはやどこから突っ込んで良いのかが分からない。

 突っ込みの要素を列挙し、それを順序立てるだけで、大問題。

 鴨川沿いの三条京阪駅から地上に上がった土下座像のすぐ近く。

 三条通から入ってきた車が進入禁止の西行き車線で北と南に折れ曲がる。

 僕の背後はそんな感じで京都の街中の日常風景が流れている。

 その女騎士は僕より一歩先に、自動販売機からペットボトルを引き抜いた。

 そして、キャップに小手を付けたままの左手を掛けて回す。クラフトボスのミルクティー。

 僕はクラフトボスのラテだから、お揃いのようなお揃いじゃないような。そんな感じ。

 女騎士はペットボトルを傾けて、喉元を鳴らすと、フゥッと溜め息を吐いた。

 意図せず声を掛けてしまったものだから、おずおずと世間話。

「コスプレか何かですか? 撮影だとしても気合いが入っていますねー?」

「コスプレ? よくわからないけれど……。まぁ、この鎧はエレナ王女から下賜されたものだから、そうそう他の者が身に着けられるものではないかな」

 そう言って、彼女はすこし曲線に膨らむ胸のプレートに左手のひらを当てた。 

「確かに、暑いのは暑いけれど、死ぬわけではないし、このくらいの気候に耐えられないようでは一ヶ月、二ヶ月と続く行軍には耐えられるわけもないしね」

「……え、あ、はい。そっすか」

 ――ガチだ。完全に、この人ガチの人だ!

 何かコスプレの人かなって思ったけれど、クオリティが違う。リアリティが違う。

 完全に白銀の甲冑が音を鳴らしているから、素材がコスプレの域ではない。

 ――だとしたら何? これ? 僕、声掛けちゃ駄目な人に、声掛けましたか?

「しかし、あなたには私の姿が見えるのね? この街の人たちはすれ違っても、ぶつかっても私の姿は見えないし、気付けないようだったけれど」

「……はぁ」

 そう言って笑った彼女の笑顔はとても綺麗だった。

 美しい黄金の髪が背中に流れて、夏の風が少しそれを揺らした。この時になって、僕はようやく気付いた。その女性が、僕がこれまで見たこともないほど、美しくて凛々しい人だということに。見惚れてしまうほどに。

 僕はクラフトボスのカフェラテを商品口から取り出し、キャップを開ける。冷たいままで、舌先から喉元に流れる苦味が、いつもどおり爽快だった。

 彼女は自らの名を「リディア・ルクシフォード」と名乗った。フローレンス王国の王女を守る近衛騎士団の団長を務めていると。――どこそれ?

「こんなところで甲冑を着て、何をしているんですか?」

「そうね。仕事の合間の休憩かな? ここの紅茶は冷たくて美味しいから」

 そう言って彼女は微笑んでみせた。気品の中に無邪気さを見せる笑顔と目尻。

 京都の夏は今日も日差しが強い。

 待ち行く多国籍な観光客の喧騒に混じってアブラゼミの鳴き声がした。

「君は何をしているんだい? ――こんなところで?」

「そうですね。僕も仕事の合間の休憩ですかね? ちょっと抜け出してきたんで」

 真夏の太陽の下で、アイスミルクティーを飲む女騎士に僕は笑みを返した。

 顔が引きつっておらず、ちゃんと笑えていることを祈る。異常事態に平静を得る努力。

 白い甲冑を光らせた美女がペットボトルを傾ける姿は、京都の鴨川沿いで絵になった。

 もうなんだか、ものすごい個性的なパッチワークで、カオスでしかない気がするのだけれど、絵になってしまっているものは仕方ないのだ。美人は何をしても様になるということかな。

 プハァ、と、リディアが息を吐く。美味しそうに。

 なんだか、微笑ましすぎて、目を細めた。

「リディアさん、美味しそうに飲むんですね?」

「ん? ああ、ちょっと、お行儀が悪かったかな?」

 彼女は少し恥ずかしそうに唇の端を上げた。

「あ、いえいえ、そういう意味じゃなくって、なんか、そういう風に美味しく飲まれると見ている側も気分が良いなぁ~と」

 ほんと、今度は、ミルクティーの方を飲もうかとか思ってしまう。

「そう? まぁ、実際、美味しいからね。お城にはこんな甘くて冷たい飲み物は無いし。紅茶はあるけれど、大体温かい。冷ましてもぬるくなるだけだし」

「え? お城?」

 京都で城と言えば、二条城くらいしか思い浮かばない。京阪電鉄に乗って南にいけば、ワンチャンで伏見桃山城。しかし、そんな場所でこんなお姉さんが働いているはずもなく。

「そう、お城。王都ラクシュタインのお城だよ。フローレンス王国の王都で私は騎士をしているんだ。――まぁ、君もこちらの世界の人間だろうから、知らない話だろうけどね」

「それマジで言っているんですか?」

「私は嘘はつかないよ?」

「それって、この世界とは違う世界ってこと?」

 僕の質問にリディアは無言で頷いた。つまり、彼女は――異世界からの転移者?

 にわかには信じられないが、僕は今、自動販売機の前で異世界から転移してきた女性とクラフトボスのアイスカフェラテを飲んでいるのである! 

 ――って、信じられるわけねーだろ。

「ある日、城内の自分の部屋に見慣れない扉が出来てね。訝しく思ったのだけれど、試みに開いてみたら、そこの三条京阪駅の出口につながっていたの。ひょんなことから、この自動販売機での飲み物の買い方を覚えて。それ以来、時々、仕事の合間のリフレッシュに飲みに来ているの」

「あ、そうなんすね」

 異世界転移。勇者召喚にチートスキルで大活躍とか、女の子が向こうにいって聖女になって王子様とラブラブとか、そういう話しか知らない。女騎士がアイスティー飲みに来る話とか、想定外すぎる。

「でも、不思議ね。他の者たちには、私の姿が見えないのに、どうして君だけに見えるのかしら?」

「それは、不思議ですねぇ」

 本当に。

「君、名前は?」

「――桐嶋翔太」

「キリシマ・ショータ。……やはり、こちらの世界の名前だね」

「そうですけど?」

「あ、いや。もしかして、君も私と同じく、向こうの世界からやってきた人間だったりするのかなぁ、と思ってね」

「いや、そういうことはないっすね。ごく普通の京都生まれ、京都育ちの高校生です」

 彼女は「そうみたいね」と笑う。しかし、「そうだったら面白いかもしれないな」って思う。

 実は向こうの世界の住人で、この世界に迷い込んだだけ。で、魔法も使えたりして。

 もしくは、僕が逆に、異世界に転移して、勇者になって、世界を救う。

 この世界で僕は、なんの変哲もない進学校に通う、なんの変哲もない高校生だ。

 受験勉強のプレッシャーを感じながら、親から出してもらったお金で塾に通いつつ、何の因果か担うことになった生徒会長のお仕事に忙殺される日々。

 今となっては生徒会長を続ける理由なんてどこにも無いのに。勉強にしたって「勉強は子供の仕事」だとか言われるから、結局、この歳でもう、仕事、仕事、仕事。

 それは何のため? 将来のキャリアのため? 幸せな未来のため?

 でも、日本企業の業績は悪化し続けているし、ツイッターを開いたら重労働で苦しむ大人たちの怨嗟の声ばかりだし。なんか、元気なネット企業の社長とか稼いでいそうなユーチューバーとかは詐欺師みたいな人ばっかだし。こんな世界はポイズンだ。

「まだ若いのに、仕事しているんですね? しかし、その服装は学校の生徒が着るものだと思ったのだけれど?」

「あ、そうですよ。僕はまだ高校生なんで。仕事って言っていたのは、あくまで高校の生徒会の仕事。高校に生徒会っていうのがあって、一応、全校の生徒をまとめる組織なんですけど、その生徒会長っていうのをやっているんです。――で、その仕事。だから本当の意味での仕事ではないんです」

 本当に大した仕事ではないのだけれどね。クレームばかりが多いんだよな。

「へ~、でも凄いじゃない。その年で、民をまとめる地位に立つなんて!」

「……え、あ、いや、それほどでもないんですが」

「ううん、謙遜は駄目。その生徒というのは……君の学校には何人くらいいるの?」

「えっと、一学年二〇〇人くらいなんで、……六〇〇人くらいですかね?」

「そ……そうか。六〇〇人か。ちょっとしたものね」

「いや、そんな六〇〇人って言っても、別にそんなに凄いことじゃなくてですね――」

「ううん、私も近衛騎士団長だからわかるけれど、六〇〇人というのは、ちょっとしたものよ。誇って良いわ。うん。私も、近衛騎士団をまとめているけれど、それでも二〇名程度。実家の公爵家の領地に住む者の数はもっと多いのだけれど、六〇〇人が暮らすとなれば男爵級の領地かもね」

 そう言って、一人、リディアは頷いた。ペットボトルを片手に。

「でも、仕事って言っても、僕のやっているのは、お遊びみたいなもので、本当の仕事ってわけじゃないんですよ」

「……そうなの? 六〇〇人相手に……遊んでいるの?」

「あ、いや、そういうわけじゃなくて。ほら、仕事って、お金を稼ぐことじゃないですか? そっちの世界じゃ良くわからないですけど、こっちじゃ、高校卒業したら大学に入って、就職活動するんですよ」

「――就職活動?」

「ああ、雇ってくれるところを探す? みたいな?」

「仕官先を探すようなもの?」

「まぁ、そういう感じですかね」

「でも、どうしても生まれによって得られる職も変わるでしょう?」

「あ、いや、今は、生まれとか関係ないんで。何でも選択出来るんです。誰でも、どんな職業にでもなれるんですよ。職業選択の自由」

「じゃあ、平民が、王にでも、貴族にでも、なれるということ?」

「あ、いや、王も貴族も、今は無いんでどっちもなれないんですが」

 眉を顰めたリディアに、現代の就職活動事情を高校生の僕が知る範囲で教えると、首を傾げたあとに「ふーん」と頷いた。

「しかし、それはそれで、面倒な気もするね。私は、公爵家に生まれて、まぁ、多少屈折した経緯はあったけれど、やっぱり、自らの天命のようなものに従って今の近衛騎士団長という役割を担っているのだけれど。それを、あまねく職業から選びとれ、と言われると、また気の遠くなる話ね」

「ま~、そうですよね~。僕ら、中学とか高校のときから『キャリア教育』とか言って色々と考えさせられていますけど、全く分からないですもん」

「キャリア教育? なにそれ?」

「将来自分はこうなりたいとか、こういう職業につきたいから、こういう大学に行くとか、そういうことを延々と考えさせられるやつです」

「そんなもの、考えてみても、そうなれるとも限らないでしょう? 無駄じゃないの?」

「――仰る通り!」

 白い顎に左手を当てるリディアに、僕は思わず右拳を握った。

 リディアが「じゃあ、なんでするの?」と言うので「やれと言われるので」としか返せない現代青少年がポイズン。

「でも、仕事って、結局、お金を稼いで、生きていくためのものじゃないですか? 自分や自分の家族が生きていくため? まぁ、キャリア教育とかだと、『自分の夢を見つけなさい』とか言うんだけれど、夢って職業で叶えるものなのかどうかわかんないし」

「――この世界の若者も大変なのね」


 信号が変わる。三条大橋の人だかりが川端通りを歩きだした。

 リディアが西方を見遣る。目を細めて。

 いつまでも自動販売機の前にたむろしているのも微妙なので、僕は彼女に「河原に降りますか?」と誘うと「そうね」って金髪の彼女は笑った。向日葵みたいだった。

 異世界からやってきて、他の人々には見えない彼女を、その三条京阪駅から遠くに連れていけるのかはわからなかったけれど、どうやら彼女もこれまで何度か鴨川の河原に降りたことはあったみたいだった。僕らは、信号と三条大橋を渡って、西の河原に降りた。

 河原には海外からの観光客や地元の老夫婦が歩く。いろいろな人が思い思いに河原でそれぞれの時間を過ごしている。中にはサックスの練習をしている若者もいた。

 僕はリディアと少し北に歩き、空いているスペースを見つけると腰を下ろした。リディアにも「どうぞ」と隣を勧める。「ありがとう」と腰を下ろす白銀を身に纏う彼女。

 北山から流れる川の上、飛ぶ鳥。そして、夏の風が吹いた。

 リディア・ルクシフォードの髪を攫う。

 それは美しくて、同級生にも先生にも大人たちにも見ない気品――いうなればそういう類の何かを僕に突きつけていた。

「やっぱり、違うよ。ショータ」

 女騎士は東山に目を細める。僕は一瞬なんのことか分からない。

 彼女の横顔を見て、それが先ほどの続きだと知る。

「この世界と私の世界での仕事が同じ概念なのかは分からない。でも、同じな気もする。そうしたら、ショータの言っている仕事は私の思う仕事とどこか違うんだ」

「――違う?」

「うん。私の仕事は近衛騎士団長として騎士や従者をまとめてエレナ姫をお守りすること。それはそれ自体に意味があるし、それ自体が私の生きる意味なんだと思う。……なんていうかな? 生活のために仕事があるんじゃなくて、仕事そのものに意味がある……とでも言うのかな?」

「リディアさん、それはきっとあなたが幸せなんですよ」

「私が、幸せ?」

「僕も働いているわけじゃないけど。そういう風に自分の生き方と職業を一致させられる人ってほんの一部なんだと思うんですよ。みんなそんな恵まれているわけじゃない」

「職業を誰でも自由に選べるのに?」

「選べるのに」

「それは、なんだか、奇妙な話だなぁ」

「そういえばそうですね」

 言われてみると確かに奇妙だなぁって思った。

 選択できたら幸せになれそうなものなのにね。

「いや、まぁ、言いたかったのはね、ショータのやっているその生徒会長の仕事もやっぱり立派に仕事なんじゃないかなって、そう思ったの」

「学校のただの役職ですよ? 別にお給料が出るわけじゃないし、ボランティア」

「だけどそれは、確かに六〇〇人の上に立ち、そして、何かの役割を果たすことなんでしょ?」

「あ、まぁ、そうですけれど」

「だったら、それで良いじゃない。仕事っていうのはきっと、どこかで誰かの役に立って、つまり、自らの役割を果たすことなんだよ」

「――自らの役割を果たす」

「私はフローレンス王国でエレナ王女をお守りする。君は君の高校で六〇〇人の生徒たちを率いて治める」

 なんだかその対比は悪い気がしなかった。

「まぁ、生徒会長なんて特別なことがなかったな毎年同じようなことをするだけなんですけどね」

「ははは。平時の国王と同じようなものね。平和が一番」

 そっか。生徒会長って国王みたいなものなのだ。

 なんか、そう考えると良いかもしれない。

「良い国王は民を思い、民に尽くす。一番心を痛めるのも国王だ。責任は重く、自由は小さい」

 その目はずっと遠くを見つめていた。それはきっと山の向こう。もしかしたら時空の向こう。

「リディアさん?」

「なんでもない。ちょっと。親友の未来のことを思ってね」

「その、エレナ王女さまですか?」

 僕が尋ねると彼女はコクリと頷いた。瞳は憂いと使命感。

「責任感の強い王女さまなんだ。あの子は。無茶しないでいてくれると良いのだけれど」

「そのためにリディアさんが居るって感じですか?」

「まぁ、そうかもね。ショータは良いことを言うね」

 彼女が頬を仄かに赤らめた。

 川面にバサバサと鳥が降り立ち、首を左右に動かす。向こう岸では信号は変わり川端通りを緑色の市バスが北上する。歩道に浴衣姿の二人連れが歩いていた。

「ショータは今、どんな仕事をしているの?」

「夏休み明けの文化祭準備ですよ。プログラム作成とか教室の調整とか、雑務の嵐」

「文化祭?」

「あ、学校で年に一回あるお祭りです。生徒会が実行委員会のトップを務めることになっているので」

「へー、そうなんだ。奇遇ね。私も今、建国祭の実行委員をやっていて、その会議の合間に抜けてきたところだ」

「……そ、そうですか。奇遇ですね!」

 ぶっちゃけ文化祭と建国祭ではスケールが違いすぎると思う。

 でも、まぁ、対比されるのは悪い気がしない。

 僕らはそれから、夏の陽気の中、自分たちの仕事の内容について十五分ほど話し合った。お互いなかなか気苦労の多い立場みたいで、分かち合える話題がいくつもあった。

 それから、彼女の年齢も聞いて驚いた。近衛騎士団長というからかなり年上かと思ったら、まだ、一九歳とのことだった。僕の二つだけ年上。

 一年前に大きな戦役があって、多くの人材が失われたが故の人事だったらしい。それでもその大役を担うに値する、彼女の育ちの良さ、気品、才覚、人柄は言葉の端々から感じられた。

「さて、そろそろ行く?」

 彼女が立ち上がり、伸びをする。

 体を覆う白銀の甲冑がカシャカシャと鳴った。

 その背中に流れる黄金の髪は、美しくて、僕の胸の中で何かが跳ねた。

 川面に留まっていた鳥が、両翼を羽ばたかせる。空へ。

「そうですね。僕もそろそろ戻らないと」

 僕たちはそうやって、また、三条京阪駅前まで歩いた。

 太陽はいつものように強く僕を照らし、背中にはじんわりと汗が染み出した。

 それでも、リディアの隣を歩くと、それは不快なものではなくて、生きる意味を僕に与える世界のエネルギーに思えたのだ。

 やがて駅前の土下座像。先ほど二人が出会った自動販売機。

 二人のクラフトボスの中身はもう半分以上なくなっていた。

「じゃあ、また!」

「うん、きっとまた!」

 僕らはペットボトルを掲げる。乾杯の挨拶のように。

「また、喉が渇いたらこの自動販売機に来るんだよね? リディアさん?」

「ん。まあね。異世界の扉がそこにある限りはね」

「もしかして、僕もそっちに……フローレンス王国に行けたりするのかな?」

「うーん、どうだろうね。……今度試してみる?」

「そうだな。また、時間あるときにね。今日はこれから仕事あるし」

「そうだね。私ももうすぐ国王を交えた打ち合わせがあるから、戻るよ」

「じゃあ、また、……きっとまた」

「あぁ、ショータ! また、話しましょう!」

 そう言うと、彼女は大きく右手を振って、白銀の甲冑を揺らしながら三条京阪駅の階段を弾むように降りていった。

 やがて僕の視界から彼女は消えて、泡沫の時間が、現実へと還った。


 僕が生徒会長になった理由はまったくくだらないものだ。

 好きな女の子がいた。

 部活も違えば、クラスも違う。通学経路も違えば、選択科目も違う。

 それでも僕は彼女のことを好きになった。

 そんな彼女が、高校二年生になって生徒会副会長に立候補するというのだ。

 いつもは行動力も何もない僕だけれど、何故だかその時は大胆な着想を得たのだ。生徒会長に立候補しようと。生徒会長になれば副会長になった彼女と一緒にいられる。お近づきになれるのじゃないかって。そんな、本当にどうしようもない不純な理由。

 でも、彼女は副会長にならなかった。立候補はしたけれど突如現れた一年生の対抗馬に選挙で負けてしまったのだ。それは珍しい逆転劇で本校においてなかなかニュースバリューのある事件だったけれど、僕にとってはただただプライベートにショッキングな出来事だった。

 生徒会長に選出されてから、何度、電撃辞任してやろうかと思ったけれど、理由が「一身上の都合」意外思いつかなくて、今後の高校生活における人間関係や先生方との関係性やその他諸々を考慮に入れてやめておいた。

 始めてみると、生徒会長の仕事も案外やりがいがあって面白い面もあった。

 ただ、クレーム対応や理不尽はやはり多くて、基本的にはポイズンなのだが。

 そしてしばらく経って彼女が別の男子生徒と付き合い出したのを知った。


 彼女の消えた階段を南に眺める。

 姫騎士リディア・ルクシフォード。向こうの世界の公爵令嬢。

 異世界転移で繋がる向こうでも、一人一人が役割を演じて生きている。

 お祭りの準備。向こう側でもやっているのだなぁ。

 彼女が美しい顔に眉を寄せながらクレーム対応している様子を思い浮かべると、なんだか頬が緩んだ。

 三条通りを車が走り抜ける。アスファルトが太陽を照り返す。街ゆく人がスマートフォンを触る。信号が変わる。アブラゼミが鳴く。僕らの意思が大空を覆う。

「さてと。僕も戻りますか」

 僕はペットボトルを傾けて、少し残っていたカフェラテを喉の奥へと流し込んだ。

 彼女が流し込んだミルクティーの行き先に、思いを馳せながら。

 ペットボトルを二台の青い自動販売機の隣のゴミ箱に投げ入れる。

 その横では、向日葵の花が太陽に向かって咲いていた。

 

――これは僕の夏の出会いと別れの物語。

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