『――私にはよくわからんな。君たちの信頼関係が』


 鉄血場原てっけつばはらはずみが、タブレットの向こう側で視線を逸らした。


『変わらない人間関係は地獄だ。今だからこそ君はそんな風に思えているかもしれないが、十年、二十年を過ぎても果たして同じことを言えるのだろうか? そんな関係は、飽きるを通り越して虚無ではないか?』


 鉄血場原てっけつばはらの口ぶりは相変わらずだったが、その様子は明らかに異様だった。


 トレードマークの軍服はズタズタに引き裂かれ、鮮やかだった松葉色はドス黒い血の染みに染まっている。露わになった肌には、おびしい真っ赤な爪痕が刻まれている。鋭く揃えられた長髪は見る影もなくボサボサに千切れている。真っすぐに澄んだ瞳の輝き、その片方は、包帯の下に埋もれている。


 重症――いや、生きていることが不自然なほど、彼女はボロボロだった。

 死に体。這う這うの体。

 一体どんな目に遭えばそんな風になるだろう。


「て、鉄血場原――」


『ああ、気にするな。階段で転んだのさ。ほら私って、階段と目があってしまうと緊張するからさぁ?』


 と言ったのち、『やれやれ』と小さく息をついた。


『簡単な話だ、君の愛しい吸血鬼だよ……どこで嗅ぎ付けてくるんだか、君を脅したのがよほど気に食わなかったらしい。危うくブッ殺されるところだった』


「彼女が……?」


『まったく私としたことが油断した。めちゃくちゃ強いじゃないか、吸血鬼。というか返り血――血初めの女王ブラッティーメアリーを浴びてもまるで効かなかったじゃないか……なら、どうして連中は人間なんぞに滅ぼされたのか……よく、分からんな……』


 かッと血痰を吐き出しながら、鉄血場原は言った。

 

 ――みんなどこか飽きていたんでしょうね、生きるのに。

 

 彼女の言葉を思い出す。


 もし吸血鬼が本気で抗っていれば――きっと、戦争の結果は全く違ったものになっていただろう。


『あの吸血鬼は、邪魔をするなと……言っていた』


 なおも口の端から血痰を零しつつ、鉄血場原は続けた。


『私たちの黄昏を邪魔する奴は、誰であろうと許さない……だとさ。あの温厚そうな吸血鬼にまさか、そんな口を利かれるとは……やれやれ。君たちはすでに、私が思っている以上の関係らしい』


「どういう――ことですか」


『どうしようもなく気持ちわりぃってことだよ』


 思わず呼吸が止まった。

 今にも死にそうなほど弱っているのに、その瞳には宿る気迫はどこから来るのだろう。


『君らの関係はなんだってんだ。つい最近、適当に出遭った仲のくせに、傷を舐めあった程度でお互い気持ちよくなっちゃって――そんな依存しきった関係、好き以外の何でもないだろ』


 鉄血場原は目を逸らさない。何度も目を逸らそうとするたびに、がッとさらに強い眼光で僕を射抜く。


 鉄血場原はずみ。

 数多の吸血鬼を屠ってきた、鉄血衆の旗印。


 だからこそ、重みが違う。

 言葉の一つ一つに乗せられた思いが――僕なんかとは、比べ物にならないほど。


『虚無だ。君たちのしていることは、果てしない虚無の積み重ねだ。まるで賽の河原みたいな関係だ。人間と吸血鬼が仲良く手を取り合ってダメになるだけの関係――そんなものが、ハッピーエンドめでたしめでたしで終わってたまるか!』


 その疑念は当然だと思った。

 十年後、僕たちの関係がどうなっているかなんて想像もできない。


 それでも、僕はこう思うのだ。


「彼女が僕を必要としてくれたように、僕も自分の価値を認めるために、彼女を必要としている――きっと、それだけなんですよ」


『くっ……かは……かはは』


 鉄血場原は、血まみれの手で顔を覆いながら天を仰いだ。そして笑った。


『馬鹿馬鹿しい……悪い夢でも見ているようだ……これが現実なのだとしたら、私が今までしてきたことはなんだったんだ……』


 馬鹿馬鹿しい。悪い夢。

 きっと、鉄血場原の言う通りだ。


 僕たちは多分、夢を見ている。

 永い、永い、夢を。

 これからもずっと続いていく、終わらない夢を。


 最初から始まっていなくて、だから終わることもできない。

 恋にすらなれなかった物語だ。


 密室のように閉じられた、変わらない人間関係が、ただひたすら続く夢。

 それだけの関係。

 何年も、何十年も続いていく、僕たちの物語。


『吸血鬼を殺すためだけに費やした、今までの時間はなんだったんだ……』


 黄昏の光のような、優しい人になりたいと思った。

 そうすれば、いつか鉄血場原にもかける言葉が見つけられるのかもしれない。


 あるいは、もうどうにもならないのかもしれない。

 そんな風に思った。

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吸血鬼に遭った僕は、一生分の時間を彼女に捧げることにした 神崎 ひなた @kannzakihinata

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