差し出してばかりのあなたに

「八木、ちょっと後ろ向いて」

 そんな台詞を言うことにさえ軽く緊張している自分に、なんだかもう笑いたくなる。

「へ?」ときょとんとした顔でこちらを見た八木は、けれどなにも訊くことはなく、言われたとおりに俺に背を向けた。


 俺はその背中に近づくと、制服のポケットから小さなアクセサリーを取り出す。それを彼女の首にかけようとしたとき、ふわりと柔らかな匂いが鼻を掠めた。

 香水ではない、控えめなトリートメントの匂い。そんなところも彼女らしいと思いながら、俺はぼんやりと、肩の少し下あたりまで伸びた、彼女のまっすぐな髪を眺める。

 一度も染めたことがないその黒髪は自然な艶があって、毛先もまったく痛んでいなくて、よく見るとちょっとはっとしてしまうぐらいきれいだった。きっと手触りも良いんだろうな、なんて考えていたらふいに触りたくなって、思わず伸ばしかけた手は、けれど寸前で思いとどまって引っ込める。

 そうして代わりに、手にしていたネックレスを彼女の首にかけてから


「あげる」

「え?」

 八木は驚いたように自分の胸元に目を落としてから、そこにぶら下げるネックレスに目を留め、わあ、と声を上げた。

「かわいい! マカロンだ」

 弾んだ声を上げ、ネックレスの先についたマカロンの飾りを持ち上げる。そうしてそれを顔に近づけ、まじまじと見つめはじめた八木に

「作り物だから食べちゃ駄目だぞ」

 からかうようにそんな言葉を投げれば、八木ははっとしたようにこちらを見た。

「わ、わかってます」ちょっと恥ずかしそうに笑って、マカロンを顔から離す。それでもまだ手のひらに載せたまま、うふふ、とふやけたような笑みをこぼすと

「本当にかわいいな。実は私ね、マカロン大好きなの。食べるのも、こういう小物も」

 嬉しそうに告げられたその事実なら知っていたし、だからこのアクセサリーを選んだのだけれど、もちろんそんなことは言わずに、そうなんだ、と俺はすっとぼけた相槌だけ打っておく。


 昨日清水に、「さすが菅原さんはそういうところは抜かりないんですねえ」なんてちくちく嫌みを言われつつも情報を聞き出しておいた甲斐はあった。

 八木はいつまでたってもマカロンから目を離さないまま、うふふ、とまたふやけた笑いをこぼす。そんな調子でひたすら幸せそうにネックレスを眺めていた彼女は、しばらくしてから、あ、と思い出したように顔を上げ

「ほ、本当にこれ、私がもらっていいの?」

「え? そりゃもちろん」

 そんな今更なことを大真面目に訊かれ、俺は笑って頷いてから

「バレンタインにもらったチョコのお返し」

 言うと、そこでなぜか、えっ、と八木はぎょっとしたような声を上げた。それからあわてたように

「わ、私、こんなお返しもらうほど、たいしたものあげてないのに」

「でも、俺はすげえ嬉しかったから」

 できるだけはっきりとした口調で告げれば、八木は驚いたように目を丸くしてから、ぱっと頬を赤らめた。しおしおと顔を伏せて、「あ、ありがとう……」とやっと聞き取れるくらいの小さな声で言う。それからふたたび、マカロンの飾りをひどく丁寧な動作で手に取ると

「じゃあ……ありがとう。ぜったい、大事にします」

「うん。まあ俺のも、そんなたいしたもんじゃないけど」

「う、ううん!」

 何とはなしに口にした俺の言葉に、八木が弾かれたように顔を上げた。そしてこれ以上なく真剣な顔で

「そんなことない。すっごくかわいいよ。私、すっごく気に入った。本当に嬉しい」

 ありがとう、菅原くん。

 ぎこちない口調で、けれど噛みしめるようにそんなことを言われ、俺は思わずじっと八木の顔を見つめてしまった。


 女の子にプレゼントをすることなんてはじめてではなかったし、喜んでもらえるようなプレゼントの仕方ならそれなりに心得ているつもりだったけれど、ここまで真剣にお礼を言われたのははじめてのような気がして、なんだか一瞬、どういう反応を返すべきかわからなくなってしまい

「……それなら、よかった」

 と、こちらもなんとなくぎこちない口調で返してしまったのだけれど

「うん。本当にありがとう」

 八木は穏やかな笑顔でもう一度繰り返してから、またネックレスに目を落とした。

 そうして飽きることなく眺めながら、うふふ、と心底嬉しそうな笑みをこぼす彼女に、ああ、よかったな、とふいに途方もない幸福感がこみ上げる。

 喜んでもらえてよかった。俺にも、八木を笑わせることができてよかった。あいつみたいに。


「あの、菅原くん」

 しばらく熱心にネックレスを眺めていた八木は、ふと顔を上げてこちらを見ると

「に、似合う、かな。これ」

 はにかむように頬を染めながら、もごもごとそんなことを尋ねてきた。

 うん、と俺はにっこり笑って頷くと

「似合うよ。かわいい」

「わ、ほ、ほんとに」

「うん、すげえかわいい。なんかもう食べちゃいたくなる」

 言うと、八木はきょとんとした顔でこちらを見た。そうして何度かまばたきをしてから

「駄目だよ。これ作り物だから」

 と、おかしそうに笑った。

 俺は一瞬ぽかんとして、目の前の八木の顔を見つめた。彼女は楽しそうな笑顔のまま、ふたたび熱心にマカロンを眺めはじめている。その子どもっぽい笑顔を見ながら、なんださっきの、と俺はぼんやり考える。うまいこと流されたのか、それとも本気でわかっていなかったのか。

 どう考えても後者だろうな、と疑問はすぐに答えに至って、俺はちょっと苦笑しながら


「じゃあ、八木」

「うん?」

「マカロンでも食べに行きますか」

「――は、はい!」

 ぱっと顔を上げた八木が、嬉しそうに大きく頷く。そうしてまた頬を染める彼女に俺も笑顔を返しながら、彼女のほうへ手を伸ばした。

 こうして少しずつでも、返していけたらいい。彼女がずっと俺を想っていてくれた分、俺がずっと、彼女を傷つけてきた分。これからは俺が、彼女を笑わせられたらいい。彼女を幸せにできたらいい。


 祈るようにそんなことを思いながら、そっと彼女の手を握る。すると八木はますます頬を赤く染め、それでもぎこちなく、俺の手を握りかえしてきた。

 その遠慮がちな力も俺より少し低い体温も、ぜんぶがどうしようもなく心地良くて、このままずっとこの手を離したくなくなって、少し困った。

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アンチ・ロマンティック 此見えこ @ekoko

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