後日談
3月15日
盛大にため息をつきそうになるのをなんとか堪えて、俺は目の前にある沙代ちゃんの真剣な顔を見つめ返した。
「……お願いだから、そういうことは航にでも聞いてください」
けっこう切実な口調で頼んでみたけれど、沙代ちゃんは「駄目だよあいつは」とにべもなく切り捨て
「紺野に、女の子の服装のことなんてわかるわけないでしょう。ろくなアドバイスしてくれないよ絶対」
ずいぶん失礼なことを、いたって真顔で言い切っていた。
とはいえ反論もできなかったので、「まあ、そうかもしれないけど」と、俺は曖昧に頷いてからゴミ箱を持ち上げる。
沙代ちゃんが一緒にゴミ捨てに着いてくるときは、たいていろくなことがない。気を遣ってか、ここ最近の彼女は俺の前で八木と菅原の話題を出すのは避けてくれていたようだけれど、今日はそんな余裕もないのか、ずいぶんストレートに二人についての相談を持ち出してきた。
俺がゴミ箱の中身を焼却炉に捨てている間も、横からしきりに
「ね、清水くん教えてよ。菅原くんってどんな格好が好きなの? こういう格好は嫌い、とかいうのも何かない? 郁美がさ、もうどうしたらいいのかわかんないって相当困ってるのよ」
「……あのさあ沙代ちゃん」
ゴミ箱が空っぽになったところで、俺は彼女のほうに向き直ると
「沙代ちゃん、俺の気持ち知ってるんだよね?」
「知ってる」
悪びれもなく即答された。思わず苦笑が漏れる。俺は空いたほうの手で頭を掻きながら
「正直まだ傷が癒えていないので、そういう相談は勘弁していただきたいのですが」
「ごめん。でも本当に困ってるの」
相変わらずこちらの切実な声も彼女はさらっと流して
「郁美さ、初めてなのよ、男の子と遊びに行くって。その相手がいきなり菅原くんって、ハードル高いでしょう。お願い、協力してあげてよ」
沙代ちゃんのほうもずいぶんと切実な様子で手を合わせてくる。
俺は心の中で一つため息をついた。それから、「でも悪いけど」と、できるだけやんわりとした口調になるよう努めて返す。
「俺もよく知らないよ、菅原の好きな格好とか。あんまりそういう話したことないし」
「だったら、菅原くんの今までの彼女の傾向とかさ」
傾向、と沙代ちゃんの言葉を繰り返す。沙代ちゃんは真剣な表情で相槌を打った。
言われるまま菅原の過去の彼女について思いを巡らせてみると、真っ先に浮かんだのは、やはりつい数日前に見かけたナナコの姿だった。
正直俺はあまり好きになれないタイプの人だったけれど、風にふわふわと揺れる彼女の長い髪は、たしかにいいなあなんて思っていたので
「あー、そういや菅原って、髪長い子が好きかも。それもゆるく巻いてて、ふわっふわした感じの。今までの彼女ってだいたいそういう髪型だった気が」
言いながら沙代ちゃんの顔を見ると、彼女は思いきり眉を寄せてこちらを見ていた。
遠慮なく大きなため息をついてみせた彼女は、「あのねえ、清水くん」とまるで小さな子どもに言い聞かせるような口調で口を開き
「デートは今度の月曜日だよ。それまでにどうやって髪伸ばせって言うのよ」
「いや別に髪伸ばせって言ったわけじゃ。沙代ちゃんが今までの彼女の傾向って言うから」
反論しながらも、たしかにさっきの自分は馬鹿なことを言った気がしたので
「あ、じゃあ帽子」
いつだったかの菅原の言葉を思い出して、答えを代えた。
「帽子?」
「うん。別にどんな帽子でもいいらしいけど、とにかく女の子が帽子被ってるのが好きだとか言ってた気がする、菅原」
今度はかなり堅実な案を出したつもりだったけれど、「そっか、帽子かあ」と呟いた沙代ちゃんはまた眉を寄せていた。
「でも多分、郁美、帽子なんて持ってないだろうなあ。あたし、あの子が帽子被ってるところ見たことないし」
「そうなの?」
うん、と沙代ちゃんは渋い表情で頷く。俺はもう一度心の中でため息をついた。それから、他に菅原何か言ってたっけ、とまた記憶を辿ろうとしたところでふと気づく。
なにを律儀に答えているのだろう。別に沙代ちゃんは八木を安心させることができればそれでいいのだろうから、馬鹿正直に答える必要もなかった。
そんな考えに至った俺は、ちょっと考えてから
「あー、じゃあスカート」
と適当に提案してみた。
「スカートか。どんなスカート?」
「別にどんなのでもいいらしいよ。とにかく菅原さんはスカートが好きだそうです」
「え、なんか漠然としすぎ。もっと詳しく、こういうスカートが好き、とかないの?」
えー、と俺はまた少し考えて
「こういうスカートが好きってのはないけど、足下はブーツがいいなあ。個人的には、ワンピースにタイツにブーツって組み合わせがめちゃくちゃ好きで」
言いながら、思い切り自分の好みというか俺が八木にしてほしい格好を言ってしまった気がして、あわてて「と、言ってたよ、菅原」と付け加えておく。
「なるほど」と沙代ちゃんは真剣な表情で相槌を打って
「わかった、ありがとう。郁美に伝えとく。ところで清水くん、十五日は暇だよね?」
質問というよりほぼ断定的な言い方で聞いてきた。
ちょっと嫌な予感はしつつも、「まあ一応暇だけど」と歯切れ悪く頷く。途端、沙代ちゃんはにこっと笑って
「じゃあ九時半に駅前集合ね! 郁美がデートに行く前に、何かおかしいところがないかチェックあげて。菅原くんとは十時に待ち合わせしてるらしいから」
屈託のない笑顔でそんなことを言ってのける彼女に、俺は今度こそ盛大にため息をついた。
「いや、俺本当に菅原の好みとかよくわかってないんだって。多分役には立てないよ」
「大丈夫だよ。菅原くんと清水くんの好みって似てるでしょ、絶対」
沙代ちゃんにしては鋭い意見に、思わず言葉に詰まってしまった。
その間に彼女は「じゃあ十五日、よろしく!」と早口に告げ、さっさと踵を返していた。
十五日の空は快晴だった。頬を撫でる風はだいぶ冷たさも和らいでいて、心地良い。
別にすっぽかすこともできたのに、結局九時半きっかりに約束の場所へやって来てしまった俺はなんだかんだいってお人好しかもしれないなあ、なんて思いながら、人混みの中から目的の人物を探す。
二人の姿はすぐに見つけることができた。途端、俺は思わず、マジか、と口の中で呟いてしまった。
人の流れを避けるようにして沙代ちゃんと一緒に壁の側に立っていた八木は、クリーム色のワンピースを着て焦げ茶色のブーツを履いていた。もちろんしっかりタイツも穿いていて、頭にはちゃんと帽子も被っている。
ここまで律儀にアドバイスに従ってくれるとは、と妙に感慨深い気持ちになりながら二人のもとへ歩いていくと
「ご、ごめんね清水くん。わざわざこんなところまで」
おはようよりも先に、八木はあわてたようにそう言って頭を下げた。
とりあえず、「いいよ」と首を振ってから、俺は改めて彼女の姿を眺めてみる。思ったとおりだ、と心の中で呟いた。俺の理想の格好をきっちり再現してくれた彼女に、一人満足してほくほくした気分になっていると
「おかしくない、かな?」
俺がいつまでも無言で眺めていたからか、八木が不安げに尋ねてきた。
それでようやく我に返った俺は、「うん、完璧」と思わず妙な返答をしてしまったけれど、八木はなにも気にした様子はなかった。「よかった」と弾む声で呟いて、ほっとしたように笑う。
「てか、ちゃんと帽子持ってたんだね」
「あ、これ、沙代のお姉ちゃんのなの。今日だけ借りたんだ」
八木から返ってきた答えに、そこまでしたんだ、と感心して呟くと
「お姉ちゃんと郁美の趣味って結構違うし、どうかなって思ったんだけど、ばっちり似合ってると思わない?」
沙代ちゃんが自慢げにそんなことを聞いてきたので、俺も笑って頷いておいた。
「うん、似合ってる。ばっちり」
「ね、清水くん、どうよこれ、菅原くんの好きそうな格好?」
「菅原は知らないけど、俺はすごい好き」
沙代ちゃんから向けられた質問に、また思わずそんな返答をしてしまったら、八木はちょっと照れたように笑って
「だったら、多分大丈夫だね」
屈託なくそんなことを呟いた。
菅原が姿を見せたのは、約束の時間の五分ほど前だった。
遠くの人混みの中にいる彼を誰よりも先に見つけたのはやはり八木で、見つけた途端いっきに緊張が戻ってきたのか、硬い表情で顔をうつむかせている。「おはよう菅原くん、今日はよろしくね……」と先ほどからぶつぶつ呟いているのは、菅原への最初の挨拶の練習らしい。
菅原との待ち合わせ場所はここから数十メートルほど離れた時計塔の前とのことで、菅原はこちらまで歩いてくることはなくそこで足を止めた。
「ほら郁美、行っておいで!」
沙代ちゃんが威勢良く送り出す。沙代ちゃんに背中を押されるまま、「う、うん」と思い切り強張った表情で歩きだそうとする八木に
「八木ちゃん」
呼び止めると、彼女は振り向いた。
その顔は相変わらず緊張に強張っている。デート前に浮かべる表情じゃないだろうに、と心の中で苦笑してから、俺は彼女へにこりと笑みを向ける。そうして「大丈夫だよ」と声を掛ければ、八木はきょとんとした目でこちらを見た。
「俺がいるから」
言うと、八木はますますきょとんとしていたので、「もし駄目になったときはさ」と俺は軽い調子で続けた。
「俺がちゃーんともらってあげる。八木ちゃんのこと」
そう言ってにっこり笑ってみせれば、彼女はしばし無言で俺の顔を見つめたあとで、ふわりと表情を崩した。
「ありがとう」とはにかむような笑顔で言って、軽く目を伏せる。
それから、今度こそ踵を返し、時計塔の下で待つ菅原のもとへまっすぐに駆けていった。
駅に消えた二人の背中を見送ったあとで、沙代ちゃんのほうに向き直る。
すると沙代ちゃんもこちらを見ていて、目が合った。眉を八の字にした彼女は、なんだか俺を気遣うように笑って
「なんか、ごめんね。清水くん」
そう言って、ようやく罰が悪そうな表情を見せた。
俺は一つため息をついてから、「まったくです」と深く頷いておく。
「だいぶ傷が抉られた。なんていうか、八木ちゃんて意外に残酷だよね」
「悪気があるわけじゃないんだよ、多分」
困ったように眉を寄せる沙代ちゃんに、「わかってるよ」と俺は軽く苦笑する。すると沙代ちゃんもちょっとほっとしたように表情を解して
「ね、清水くん、今日お昼ご飯おごってあげようか!」
気を取り直すようにそんなことを言った。にこにことした笑顔がこちらを向く。
「さすがに悪いことしちゃったからさ、お詫びってことで。なに食べたい?」
「焼き肉」
沙代ちゃんは俺の答えはきれいに無視した。おむもろに鞄を探りだし、「ああ、そういえば券があった。今月末までだから早く使わないと!」と近所のファーストフード店の割引券をにっこり笑って掲げてみせた。
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