未だ妖怪が徘徊する世界の外で歓喜の歌に耳を塞ぎ
川崎めて仟(MIDレーナー・メイジ)
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一九六八年、プラハの春。瑞光、慶雲、やがて移ろう夏の夜。ソヴィエト軍が御伽の国のようなチェコスロヴァキアにやってきた!これは悲劇でも何でも無く、ある種の愛憎逆巻くお祭り騒ぎ。すたこら働くロシアの兵隊。資本家の搾取に苦しむ働き蜂。如何わしい手段で生計を立て、素性のほども如何わしい、零れ落ちた放蕩者やグレて冒険的な生活を送る元ブルジョア。浮浪者、兵隊崩れ、前科者、ファシストのシンパ。要するに、ハッキリしない、バラバラで、あっちこっちで揺れ動く大衆。フランス人がラ・ボエームと呼んでいる連中……あらゆる階級の屑、塵、澱。大行進に歓喜する東側の労働者たち、西側で次々商品を消費する者たち──誰も滑稽に気付かない。
多くの人々は未来に逃げ込む事によって苦しみから逃げる。有名なアネクドート──物語は普通、むかしむかしから始まるが、社会主義国ではやがて、いつかは……で始まる。では徘徊する妖怪と共にいた我々は、苦痛の坩堝の中にいたのだろうか?一体何の為に、どんな素晴らしい結果を求めて、大層な連邦を作り上げたのか……惨状を前にしても疑問に思う事は許されなかった。
二〇世紀、世界が二度も最悪のカタストロフに落ち込んだ時代。「ボルシェヴィズムの世界ペスト」に対する「ヨーロッパ文化・文明の前衛」を自任したファシズムの暴威に納屋は打ち倒され、一九三八年のミュンヘン会談で英仏に見捨てられた、悲惨なチェコスロバキアのプラハ。スロヴァキアの民族蜂起が始まる少し前の一九四四年──そこでテレザは産声を上げた。
ブルジョワでカトリックの上層部でもあった彼女の父親は、家族を守る為になら悪魔に魂を売る事すら厭わなかった。ナチスの占領軍に貧しい女性達を慰安婦として差し出し、共産党の息が掛かったパルチザンの潜伏先を密告した。教会の教えは彼にとっては着脱自在のマントのようなものだった。ソ連の後押しを受けたチェコスロヴァキア共産党がモスクワから戻ってきた時には、鎌と槌を掲げて共産主義を支持するに至った。
大戦が幕を閉じ、一九四八年二月以降、新憲法の採択や選挙の実施。ゴッドワルトの大統領就任という過程を経て、チェコスロヴァキア共産党の一党支配体制が固められていった。
ハンガリーのライク裁判、ブルガリアのコストフ裁判、ポーランドのゴムウカ逮捕。他の東欧諸国と同じように、政治経済政策の変化と並行して──粛清の嵐がチェコスロヴァキアでも吹き荒れた。
粛清を示すロシア語やチェコ語は、もともとは「綺麗にする」「不純物を取り除く」という意味であった。戦後のチェコスロヴァキア共産党は、権力を獲得する為の大衆化路線をとり、いわば誰でも党員として迎え入れた。その戦略は、マルクス・レーニン主義とは無縁の、便乗や保身の為の入党者が多かった。テレザの父親もその一人である。共産主義の理念の為に、党員を振るいに掛ける必要があったのだ。多くの人々が根拠のないまま裁かれ投獄され処刑された。
テレザの父親は巧妙な処世術でそれから逃避し、神出にして鬼没な仮面、ブルジョアと共産党員、二つの顔を使い分けた。その為になかなか家には帰らなかった。敬虔なカトリックであったテレザの母は、教会の教えとは根本的に相容れない唯物論的な国家の思想を肯定しつつも、愛娘にキリストの思想を説き心からの愛情を与えた。
「テレザ、あなたにも、いつかきっと、聖書に手を置いて誓う時がくるわ」
「何を?」
「永遠を」
テレザに社会主義とキリストの教え、二律背反の種が植えられた。
父親は自分達の家族が生き延び、幸福な生活を送る為の欺瞞をすばらしく遂行していった。教会の資産は政府によって殆ど没収されたが、それを横領し隠し通した。時には友人を密告し処刑台に送り込む事も厭わなかったが──テレザの母は罪の意識に耐えきれず、神を呪って自分の夫を密告した。焦った父は、妻が狂ってしまったのだとして、党に訴えかけた。共産貴族としての地位を盤石なものしつつある父の権力は大きかった。テレザの母は粛清された。丁度スターリンがこの世を去った一九五三年の冬の事だった。
母の息の根が止まった時に、父親は長年忘れていた後悔と懺悔の念を覚えた。彼の歩む道は家族にいい暮らしをさせたいという善意で舗装されていたが、それは崖へと続いていた。崖の下を一度覗き込むと、それは悲嘆に暮れるしかなく、後戻りするにはもう遅かった。
「パパがママを殺したの?」
突き刺すような小さな眼光に、仕方がなかったと言い訳するには、秤に載せられた罪が重すぎた。彼は今更になってその意味を理解した。ラーフラが生まれた事、首枷が付けられた事。全てを悟った時、罪なき者を生贄にしてきた事実を娘に打ち明けた。娘は泣きじゃくるばかりであった。九歳の頃だった。そうして、父は娘と共に過ごす時間を作るようになったが、テレザは受け入れなかった。
*
一九六五年、レデンの冬。鋼鉄の人が死に、フルシチョフが彼の蛮行を糾弾して暫くが過ぎた。強硬だった東側諸国の政策も、比較的穏健になっていき、一九六三年の五月に開催された作家同盟大会では、非スターリン化を求める声が相次いだ。鋼鉄が人の顔に鋳直されゆく。
その頃のテレザは二十一歳になっていた。父の恥知らずにも巧妙な立ち回りのお陰で──少しばかりの病弱さはあったが、テレザは不偏不党、大胆不敵、ある意味で純心無垢に育った。しかしその事実は彼女にとって、恥辱と憂愁と沈鬱を引き起こすおぞましい過去であった。彼女は父の罪と──その忌まわしき血が流れる身体を憎んだ。父親の洒脱さと姑息さ、そして染み込んだ絶望は、憤懣やる方ない事に、テレザにも受け継がれていた。彼女は存在自体が間違いになったと感じた。何かに懺悔したかった。
父の秘蔵のコレクション──そこには幾つもの違法な本、検閲される前の作品が数多あった。殆ど口を利かなくなった父親と、粛清されて口を利けなくなった母親の代わりに、それらの芸術と親しんだ。作者はゲーテであっただろうか。ある歌劇台本にあった詞を口ずさんだ。
「行くがいい、心のまことを軽んずるがいい。悔恨があとからやってくる」
テレザは自身が少女であった頃から──少女を愛好していた。少女を誘惑しものにするのが最高の楽しみとして疑わなかった。世界の外交上のあらゆる秘密など、ひとりのうら若い娘の秘密にくらべたら、一体何であろうか?
テレザは美しく育ち、背の高い痩躯に短い髪の毛は、男性に見間違われるようだった。多くの少女が彼女に憧れを抱いた。詩人としての才と機知溢れる会話の妙を十分に発揮し、洒脱な振る舞いは若い娘を魅惑した。学校も教会も共産主義も同性愛には目くじらを立てたが、テレザは構わなかった。父親のように上手くやって、多くの少女達をこっそりと享楽した。父はつねに寛大に振る舞い、スキャンダルがあれば揉み消させた。まるで母へ対する贖罪のように。
その才気煥発さを活かせば、これまた父親のようにノーメンクラトゥーラに成り上がる事だって訳もなかっただろうが、テレザは大人達の世界を支配する諸々にあまり興味が持てなかった。現実原則、競争、絶え間なき挑戦、なにをなすべきか……。原子爆弾の父であるオッペンハイマーが、あるジャーナリストの質問にこう答えた「滅びる運命にある世界の将来を、なぜそんなに心配するのか?」
必然の歴史に関わる事に何の意味があるのか?充足理由がまことなら、黙って任せていればよい。少女たちの唇と肉体と、火花のような鮮烈な思いを受け止める神秘に忙しかった。
テレザはモーツァルトを好んだ。とりわけオペラ『ドン・ジョヴァンニ』には取り憑かれたように夢中になった。初演がプラハで行われた事に運命的な事を感じた。自分が誘惑者になってみせようと、純粋で悪魔的感性を持った怪物になってみせようと決意した。テレザは敬虔なキリスト教徒とは程遠かったが、聖書を読むのが好きであった。そして音楽をキリスト教的な芸術──厳密に言えば、キリスト教における罪の概念と対立する、感性と快楽の領域としての力、デモニッシュなエロス的で感性的な芸術──そう捉えていた。社会主義者達に対しては熾烈な哄笑を浴びせたが、マルクスは嫌いでなかった。あのユーモアたっぷりの文体からは、妻イェニーとの幸福に満ちた私生活がありありと想像出来るからだ!
彼女には節操がないように思えるだろうが、真に美しいものは根源的なものに繋がるのだ。皮相な見方をすれば、ドン・ジョヴァンニは女たらしの反キリスト的な罪人ではあるが、テレザの答えは逆説的だった。真に倫理的な欲望を断念しない者として誘惑者に憧れた。プラハの少女たちはテレザにぞっこんであった。
後年、愛についての言説を語り続けたラカンがどこかで「カント先生は最高の美女と一夜を過ごす為に破滅してもいい男はいない、そんな馬鹿げた事を言っていましたが」と、「一度ドン・ジョヴァンニと共に幸福を味わう為に不幸になってもいいと思わないような娘は愚かな娘である」というテレザの思想の逆ヴァージョンを苦笑交じりに述べたのである。
ありふれた文句や陳腐さが蔓延する社会の中で、テレザは、伝染力の強いウィルスのようだった。少女たちへ性と愛の喜び、ディオニュソス的な精神を感染させていったのであった!
だが、新しい少女と愛し合うたびに、虚しさを覚えた。一杯のシャンパンを享楽するのと同じように、泡立つ瞬間に若い娘を享楽する。何れ終わってもいいから、心が凍りつくギリギリまで、数多のキスを繰り返しては新たな果実を求める。繰り返される予定調和。心地は良い、だが退屈極まりない。
十五を超えた頃から少女達の誘惑者として生きてきたテレザは、 一九六五年のレデンの冬──彼女との運命的な出会いを果たすのである。大学を足早に卒業し、放縦に生きるテレザを見かねた父親が、家庭教師の仕事をやってみろと持ち掛け、しぶしぶ承諾した。父の車で送って貰い、家のチャイムを鳴らすと、生徒の父が快く迎え入れてくれた。まだ見ぬ彼女の生徒が待つ家へ足を踏み入れた。
彼女の部屋に招かれ──ひと目見て、テレザは少女プラヴァチェカに対して深い恋心を抱いた!青天の霹靂とはこの事だろうか!その姿はまるで少女のイデーだと天啓を受け、心の底からこう感じた!「謎深い愛の神よ!運命とは残酷ではないか?なぜこのような愛の心が、今更この時に私に目覚めなければなかったのか!」
恭しくお辞儀をするその幼さの残る少女、水の泡の中に誕生したばかりの少女。色素の薄い長い髪の毛。華奢であり柔らかさを感じさせる肉体。彼女は美しさの絶頂の時にあった。誘惑者が愛したどの少女の顔にも、プラヴァチェカの面影を見出した。けれども、彼女たちの美しさからそのプラトンの神話の少女を抽出しようとすれば、あらゆる少女が残らず必要になる事だろう。プラヴァチェカも、その出会いには深い印象をうけ、テレザに娘らしい好意を寄せたが、二人だけの愛を語り合うには若すぎた。
授業を始めた。だが、そんなものはどうでもよかった。少女は誘惑者に流し目を送り、視線が交錯して、逸らされる。少女の頬は禁断の果実のように赤く染まっていた。二人は近くにいて、それが力強く二人の精神を満たしてくれるので、二人はこれまでの人生から生まれ変わったように、ここにいるのは素晴らしい事だと思った。
週に三回、テレザはプラヴァチェカに勉強を教えた。少女はテレザを「先生」と呼んで敬愛した。誘惑者はプラヴァチェカは親しみを込めて「チェカ」と呼んだ。テレザのかつての奔放な性生活は嘘のように露と消えた。その代わりに、テレザはさながら聖母のようにチェカに接した。誘惑者は半ば意識的に、二人の関係を極めてプラトニックなものに保とうとした。休みの日には少女を連れてチェコの美しい自然を散策した。映画やオペラを見にも行った。父親のコレクションから得た膨大な薀蓄を語るたび、チェカは瞳を輝かせた「先生って何でも知っているんですね!」甘美なる時間だった。二人の間にあったのは、純粋なミューズのさざめきだった。テレザは肉欲を満たしゲームのような駆け引きに勤しんだ自分が間違ってきたことを悟った。この麗しいプラトンの神話の処女との他愛のない日々に比べれば、凡百の少女との情熱的な性愛など何であろう?今やテレザは至高天の領域にあった。
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二人が出会ってから二年と少しが経った春のころ。テレザの教育の賜物か、プラヴァチェカは優秀な成績で学業を修めていった。ちょっとだけ長い休みを取って、二人はテレザの父親が持つ別荘で休暇を楽しむことにした。チェコスロヴァキアは森林が国土の三割を覆っていて、美しい自然に恵まれており、プラハから半時間ほど校外にドライブしただけでも、野生の鹿や野うさぎが飛び跳ねている姿に出くわした。群芳が咲き乱れ、桜や林檎の木々が花開く。
二時間ほどテレザは車を飛ばして、森の中にある、綺麗に整頓された小さな街の広場についた。それを取り囲むルネサンス風の家々の一つが、テレザの父の別荘であった。共産政権でようやく奮発して家庭教師を雇うだけの金銭を得た、あまり裕福でない家庭に生まれたプラヴァチェカは、別荘を持つなど想像もしていなかった!大はしゃぎで家の中に入っていき、おてんば娘を見てはテレザはそこに天真爛漫のイデーを見出し微笑んだ。
休暇の初日、二人は大自然の中できのこや野いちごを取って、一緒に料理作りを楽しんだ。明日は伝統的な民族音楽のコンサートに行こうと予定を立て、入浴を済ませた。ソファベッドに横たわり、白い素足をぱたつかせながら、プラヴァチェカはワインを飲み、テレザの弾くピアノに耳を澄ませていた。彼女がお酒を飲むのは初めてであったが、この国のワインは実に美味しく、長い伝統ある地酒のよさが残っていて、アルコールの度数が薄いものもあり、少女が挑戦してみるには最適であった。
花筵の薫りが漂う部屋、小さなランプの明かりが灯る安らぎの空間で、少し酔って気分がよくなったチェカは、頬を赤らめてテレザを呼んだ。少しそわそわしているようだった。
「先生」
ピアノを弾くのを止めて、テレザは応える。
「どうしたんです?」
「先生はモーツァルトが好きでしたよね」
「ええ、とっても」
「……先生、『誰でも恋の喜びを知っている』を弾いて下さい」
承諾したテレザはピアノを演奏し、美しいアリアを歌い始めた。家と家の間隔は開いているとは言え、夜であるから声を抑えて。でも高らかに。
演奏が終わって、テレザはプラヴァチェカの方を向こうとしたが──身が強張った。
背後から抱きしめられていた。薄い布ごしに柔らかさを感じる。くちびるを舐める音が聞こえた。
「先生、モーツァルトのオペラは愛に関する崇高な理想を表現したものが多いですよね。……『魔笛』も、『ドン・ジョヴァンニ』も」
かつてのテレザはドン・ジョヴァンニになろうとしていた。だが、チェカの前では、どうもそんな気にはなれなかった。だから敢えて言及する事も、無意識的にだが避けていた。
「よく、勉強しています……ね。どうしました。ワインで酔いました?水を飲んで寝た方が……」
「なぜ、いつもそうなのですか?勝手に思っているだけの思いなど、ちゃんと伝わる筈が無いでしょうに……」
プラヴァチェカの息が耳にあたった。少女は楽譜を奪い取って、投げ捨てた!テレザは誤魔化すように笑ったが、堰を切った思いの前では無意味だった。
「ああ、音楽などは今はどうでもいいのです!わたしが求めていたのは、あなたです。先生。この二年の間、私はいつもあなたを求めていました」
「チェカ、酔っているんです。お酒は流石にまだ早すぎたんです。チェカ……」
プラヴァチェカは懇願するように、
「お願い、教えて下さい。私はまだ知らないのです」
テレザの胸が高鳴って、心臓が痛いほどだ。
「何を……」
「恋の喜びをです」
プラトンの神話の処女に手を引かれて、ソファベッドへ誘われる。誘惑者が、誘惑されている。覆い被さるような形になって、上になっているのに、抵抗ができなかった。愛しいチェカの息は余りにも甘く、手も腕もとろけるように温かく柔らかかった。
チェカはテレザを見つめて、キスをした。やがて唇の上で動いて、ついばむようにしてから舌を出して、誘われるようにテレザも舌を出して、絡めた。唾を飲む音を感じた。テレザは少女たちの舌の味を百人以上知っていた。その中でもとびきり甘美で痺れるような粘膜の擦れる感触。
五分くらいしてから、ようやくチェカは顔を離して、指を絡ませたまま、呟いた。
「ごめんなさい、酔っていたようです。先生、許して下さい」
「ううん、チェカ……。このような過ちはよくある事です。今日はもう寝ましょう」
テレザは、チェカを愛すれば愛するほど、彼女の幸福を願えば願うほど、自分がそれに相応しくない人間だと気付いて、思い悩むのであった。放蕩な過去が、流れる罪人の血が、崇高なる恋を前にして、誘惑者を痛悔者に変えてしまった。
チェカの瞳の奥底には、隠し切れない衝動が──それに吸い込まれて、捕らえられた。
「では、せめて、一緒に寝て下さいますか?」
頷かない訳にはいかなかった。絡められた指に力が入り脱力した。このまま流されて、共産圏で、しかも未だカトリックの影響力も強い国で、ずっと女同士で──このまま心臓に愛の火を灯してしまえば、全てを呑み込み灰になるまで激しく燃え盛るしかない……。
狂おしい破局と後悔がやってくると分かっていても、拒まずにはいられなかった。何もかもが柔らかすぎて、無我夢中に貪った。プラヴァチェカはテレザの心の中の女王として君臨した。汚したシーツの上で、チェカは問うた。
「先生は私をずっと見ておられました。全身から私の事が好きだと発しておられました。なのに、ここまで我慢していただなんて。一体何を考えているのか、よく分かりませんでした。あなたの麗しい声で愛を空間に響かせて欲しかった。男の子にアプローチを受ける事は今までもありました、全てあしらいましたけど──でも戸惑いました。まさか同性が、ここまで情熱的に愛を私に押し付けてくるなんて。嬉しくもありましたが、戸惑いもしました。歯に衣着せずに言えば不気味ですらありました。何か猥雑で闖入的なものを押し付けられているような──だからもしも、先生が惰性や興味本位で私の家を訪ねていらっしゃるのだということが分かれば、そのときはすぐにでも追い出そうと思っていました」
チェカは心の底から嬉しそうな、でも泣きそうな顔をしていた。少女は誘惑者に愛を与えた。愛の定義の一つ──「愛とは自分のもっていないものを与えることである」には、以下を補う必要がある。「それを欲していない人に」
「私は最終的にはそれを受け入れ肯定的な答えを返す事が分かっていましたが、ひたすら怯えもしました。胸が苦しくなりました。先生……あなたは何の権利があって、わたしの気持ちを掻き立てるのですか?この二年間、ずっと恋い焦がれていたんです。でも、これでやっと……」
テレザはチェカに一目惚れをした。崇拝のような愛だった。ベッドの中でのチェカの告白について、同じようなことをテレザも思っていた。何の権利があって、私から泡立つシャンパンを飲み干すように少女を楽しむ事を断念させるのか?
テレザは二律背反の昏い落とし種を植え付けられ、悔恨の芽が幾重にも花開いたがゆえに断念した初めての感情を、馬鹿馬鹿しい程に隠す事が出来なかった。
チェカはプラトニックであろうとした忍耐を──それを暴力的なまでの過剰で応え、さながらアブラハムが神に捧げるイサクのようになって肉体と精神の接触を求めた。幸福と陶酔に酔いしれる。しかしそこには亀裂と断絶があった!誘惑者は少女のイデーと邂逅してから、根本的にセックスとはどうでもいい事だと理解していた!しかし少女にとってはまだそうではなかったのだ!
ぼんやり光る小さなランプで蠱惑的に照らされた誘惑者の肉体。少女がなぞる度に、先生のここが好き、ここが愛おしいと言った。真っ赤な顔をして裸になる。稲妻に打たれた欲望は止まる事を知らず。後に待ち受ける運命を鑑みれば、脳裏に走った霹靂の火花は──キリストの裁きであっただろうか……?
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東欧の二〇世紀をヘーゲルが『歴史哲学講義』で述べた以下の一節から考えてみたい。「世界史は東から西へと向かいます。ヨーロッパは文句なく世界史のおわりであり、アジアははじまりなのですから」
振り返ろう、東欧とは地理的にヨーロッパの東に位置しているだけではなく、「世界史」においても「東」に位置している事を。ヘーゲル弁証法を逆立ちさせたマルクス=エンゲルスにおいて、近代ブルジョア的生産様式の発展が文明化を意味し、そしてそれはイギリスという「西欧」で極まった。歴史の名の下に「東」は「西」に征服されていく。
しかし崇高なる革命は、ロシアという遅れた間違った国で起こった。プロレタリア独裁は、イギリスでは終ぞや樹立される事はなかった。
第二次世界大戦の後、東欧の国民国家は一部を除いて均一な国民国家となり、鉄のカーテンで仕切られたイデオロギーの蔓延る空間となった。まさにこの東欧で、西欧中心主義的な東欧観の社会主義思想がヘゲモニーを打ち立てたのだった。複雑怪奇な歴史の潮流の中で、鋼鉄を人の顔に鋳直す事は──果たして可能だっただろうか?
「栴檀は双葉より芳しく
紫色の薔薇の花束をもった
美しい少女は年齢に相応しい可愛らしい不器用さで
私の身体をその薫りで包んだ。
ふと周囲を見渡してみれば
金星天にいるに違いない。天使のような少女がいるからだ。
花弁は日々立派にひらきつつも
私がはじめて熱をあげたのは、ちょうど乙女の花の開きかけ。
降りかかるのが火の粉でも
果実の方へ、薔薇の方へ、突如燃え上がった薪の方へ
差し伸べられるは我が右手。
魂の夢より美しく、太陽の光よりも清らかで、
大海の源よりも深く、鷲の飛翔よりも誇り高い。
燃え上がる身体の破裂の中で、
その一瞬の、一回のため、
身をこわばらせてでも、
たとえ地獄へ堕ちようとも」
プラヴァチェカはテレザから受け取った手紙に書いてあった詞を目の前で読んでみせた。流石のテレザもそれは恥ずかしいから辞めて欲しいと、顔を背けながら抗議する。
「センスがないのは自分でも重々承知してるんだから、読み上げるのはやめてくれ!」
「私の事をこんなに思ってくれるだなんて、ありがたいですよ。愛しています。私の先生……でもね」
二人が恋人となってから、チェカは少女らしい天真爛漫さ、大胆不敵さ、そして少しばかりの自信過剰と傲慢さを見せるようになっていた。ほっぺをリスのように膨らませていた。
「先生が私の事を良くいってくれるのはとっても嬉しいし、この上ない誉れではあるのだけれど、たまーにそれは言い過ぎでしょってくらい、過剰に褒め称えられるのは好きじゃないです。まるで、私じゃなくて私の後ろに神様がいるような気がして、先生は神様に向かって愛の言葉を囁いているんじゃないかって思うの」
テレザは真っ直ぐチェカを見つめて、真剣な表情で伝えた。
「だって、あなたは私の命であって、あらゆる私の闘争よりも愛しているんですから。私の唯一の願い、私のあらゆる思想よりも愛していて、太陽が花を愛するよりも熱烈に愛しています。砂漠の焼けた砂が雨を愛するよりも強いあこがれをもって愛しています。祈祷者の魂が神かける信頼よりも大きな信頼で……」
わーっと手を勢い良くぶんぶん振って、チェカは非難した。
「嬉しい!嬉しいんだけど、幾らなんでも大袈裟です!」
テレザはきょとんとして、ほんの少しだけ悲痛が顔に滲み出た。チェカは気付かない。
「だって、あなたは私の太陽だから……」
誰もが知りながら忘却していることだが、太陽に接近しすぎたイカロスは翼が融けて墜落する運命を迎える事になる。神の如き存在の前では巨大な責め苦を感じ、怖れおののく。
だから太陽は遮らなければならなかった。
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一九六七年の一〇月末から一九六八年一月初めにかけての二ヶ月間に断続的に開催された中央委員会総会は、中央集権的な国家を維持しようとするノヴォトニー支持派と彼の退陣を迫るグループとの間の決戦の間となった。共産党第一書紀のドゥプチェクは新しい時代に応じて、権力の機能を見直すよう、改革派は人々の同意によって党は力を得るべきだと主張した。十二月八日、ブレジネフがプラハを訪問した。この突然の訪問は多くの謎に包まれており──彼はノヴォトニーに見切りをつけたようだ。やがてはドゥプチェク政権が生まれた。
一九六八年の四月、総会では党の基本方針を示す「行動綱領」が打ち出され、それに基づく具体的な政策の立案が開始された。言論、旅行、集会の自由が保証され、紙幣経済も導入された。新聞には真実が書かれるようになった。プラハの春はまさに花開こうとしていた。
検閲が事実上廃止されると、様々なジャーナリズムを媒介とする言論活動が活発に展開され始めた。様々な団体が結成され、自発的な発言や行動を開始し、斬新なデモクラシーがもたらされた。
六月には作家のヴァツリークが起草した『二千語宣言』に多くの人々が署名した。共産党の改革を支持しその促進を要求する内容であった。世にも珍しい人間の顔をした社会主義に対し、他の東欧諸国やソ連はまるで妖怪に遭遇したかのように恐れ慄いた。やがて八月二〇日の夜、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が国境を突破し侵攻、チェコスロヴァキア全土を占領下においた。
占領の最初の日は、ロシアの軍用機がプラハの上空を一晩中飛び回った。その頃プラヴァチェカはテレザのアパートへ通い妻をしており、その日は兵器の騒音と軍靴の音に怯える。テレザはチェカの為、恐怖を誤魔化すようにベートーヴェンの音楽を流した。
「先生、この国はどうなってしまうの?」
「リトアニア人の強制移住、ポーランド人の虐殺、クリミア・タタール人の絶滅……恐ろしいロシア帝国の犯罪は幾度となくあった。でも今は時代が違う。大丈夫、そんな事にはならないよ」
「棚に上げて、自分の罪を忘れたというの!」
チェカはソヴィエト──ロシアの蛮行に怒り狂った!しかし怒り狂ったところで何ができよう?
ドゥプチェクも同じように怯えと怒りを覚えながら、電話を待っていただろうか?彼に妥協以外の何が可能であっただろうか。カラシニコフ銃を持った携えた兵隊達が突入してきて、チェコスロヴァキア指導部は囚われの身になってしまった。逮捕の前に抗議の声明を出したが──次の日には戦車がプラハの中心部を占拠していた。
皆困惑と驚愕に混乱していた。ロシアの軍隊が攻撃目標の前に待機していると、人々は集まってきて、一体何事かと兵士に激しく説明を求めた。兵隊達は真昼の盗人のように押し入ってきておいて、チェコスロヴァキアの人々を助けるような発言をした。だから血気盛んな若者たちは戦車の上によじ登って言ってやったのだ「あなた達は間違った国に派遣されているのだ、だからさっさと帰ってくれ!」
突然銃声が鳴り響き、一人の少年が地面に倒れ、鮮血を流していた。装甲車は前進を始め、人々は逃げ惑ったが──余りにも人が多かったので全員は逃げ切れなかった。装甲車の前輪が女性の足にぶつかり、それはいともたやすく圧し折られた。いたるところで銃声が鳴る。一九三九年にナチスが侵攻してきたこともあったが、人々はソ連の侵攻の方に衝撃を受けた。ヒトラーは前もって敵である事を宣言していたからだ!
何十年も同胞であり親友であり独立の保証人であったソヴィエトが、チェコスロヴァキアが少しの自由を求めただけで──五〇万人もの軍隊を送り込んでくるとは思わなかったからだ。
焔が蛇となって嘗めるように御伽の国を飲み込み、硝煙の臭いが花の薫りを塗りつぶした。
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プラヴァチェカはロシアの強盗達に見せつけるようにして──テレザに口付けた。
今までは二人きりの部屋の中だけでしてきた事を、公衆の面前で、大広間で行った!口吻も興奮も人間の顔をしていない鋼鉄には不可能な行いであった。
少女は、女のドン・ジョヴァンニは私のものであるという風に、唇を貪った。居心地の悪い鉄のカーテンの中に閉じ込められる雛鳥達に、喜びを知らないのは嘸かし哀れ極まると言いたげなように、テレザを抱き締めた。
ロシア人達はどうしたらよいのか分からなかった。
上官に判断を仰いだが、彼らも何の命令も与えられていなかった。チェコスロヴァキアの人々が反旗を翻そうとすれば、どのように処罰を与えればいいかは厳格に指示されていたが、目の前で女どうしが抱擁してキスをした時、何をどうすればいいのか困惑していた。ソヴィエトでは同性愛は禁止されていた。人間の顔をした社会主義の下では、女同士で愛情を交わす事も許されているのかと愕然としただろうか。彼らには許されていない自由に戸惑い、嫌悪感を覚えただろうか?それともかつて想像だにもしなかった何か情念を抱いたであろうか?
兵隊が乗るトラックを人々は取り囲み、一斉に力を加えて転倒させた。長い竿につけられた国旗を振り回して風にたなびかせながら青年たちがバイクで滑走した。カメラマン達が、ばつのわるそうな顔でピストルを持ち出し威嚇する兵士を撮影していた。戦車の燃料タンクが爆発して砲門が倒れていた。プラハの人々は自分達が砲弾で撃たれるかどうか分からなかったので、必死に逃げ込んだ。
かつてのロシア帝国の侵犯行為の証拠写真は残らなかったが──チェコ事件はたくさんの写真や映像が残った。奇妙な瞬間が永遠に切り取られた。秘密裏に撮影したものを西側に持ち込み、販売したカメラマンも少なくなかった。チェコスロヴァキアにとって大規模な──しかし魔物の支配者であるリヴァイアサンの前では大変ささやかな抗議活動が始まりつつあった。小人も始めのうちは小さいように、周縁的な活動な周縁的なままに終わった。
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ドゥプチェクはウクライナのどこか山奥に監禁されて、ようやく解放されて、モスクワから帰国し──彼はひたすら弱り切って帰ってきた。弱りきった国民に向けて演説していた。突発性の吃音を疑う程にドゥプチェクの言葉と言葉の合間には耐えきれない間があった。耐えきれなさを埋めるようにして、息ができずに、口をパクパクさせていた。
「どうか挑発に乗らないで下さい。どうかパニックに陥らないで下さい」
彼は耐えきれない間を挟みながら、国民が耐えきれないような、耐えきれない妥協を口にした。ブレジネフの、ソ連の要求を受け入れざるを得なく、それで耐え難いような処刑と粛清を回避した。耐え難い恥辱と屈辱が国民を襲いながら、耐え難い諦めを受け入れた。ドゥプチェクは耐えきれない妥協のお陰でその地位を暫く失うこともなかった。国民は耐えきれないソ連との妥協に歯ぎしりをしつつも、改革を維持することに期待をしていた。しかしそれまでの改革は次々と後退していった。プラハの春で唯一残った実りは、チェコ社会主義共和国とスロヴァキア社会主義共和国からなる連邦となったことだった。チェコとスロヴァキアの平等に関しては一歩前進した。それで誰もがオーガズムを体験できる!だがそれだけだ。
一九六九年、ドゥベンの月。中央委員会総会はドゥプチェクを解任して、フサークを第一書紀に選出した。フサーク政権は厳しい言論統制を通して一元的な支配体制を固めたが、東欧の中ではかなり高い消費生活を保証した。国民はこの現実を受け入れ、無気力と退廃が人々を支配した。それなりに豊かな生活を楽しんだが、政治的な無関心がチェコスロヴァキアを覆った。誰もマルクス・レーニン主義が思い描く青写真を信用していなかった。
何がいけなかったのか──レーニン主義はスターリン政権の発明品であり、ならマルクス主義はボルシェヴィキが打ち立てたのか?フルシチョフのスターリン批判から始まった雪解けは、ブレジネフ政権により停滞したのは大きな誤謬ではないか?
もっと言えば、晩年のエンゲルスの史的唯物論の理論の誤解に影響が?第二インターの正統派に失墜の端緒が?はたまた後期のマルクス自身の著作が初期の作品にある人間主義を放棄したのが原因か?誤謬は既に退廃への実を結んだ。
社会主義をもちろん信じていない青果商の平凡な男がいた。要請をされれば、彼は店のウィンドウに当然のように党の公式なスローガンを掲げた。皮肉なことに、そこには何の葛藤もなかった。信じてもいないのに、人々は集まれば大騒ぎして党への忠誠を叫ぶ。
キリストと阿片と紙幣を混ぜてシェイク!シェイク!最高にキマる幻覚ジュースの出来上がり!赤い真実ジュースもご賞味あれ!
社会主義イデオロギーの中の見せ掛けのパトスから、二人は逃げた。逃げて、逃げた。
テレザは将来を期待されていた。父親の後継になる為の経験として、共産圏の国々を視察し現状を把握しなければならないと命令された。プラヴァチェカはその弟子であるという事で同行を許され、東欧の国々を旅して回った。二人は滞在先のホテルで、観光地で、愛し合った。ささやかな慶びや楽しみ、笑いと涙のある、日常の私生活を満喫した。テレザとチェカのうつくしい青春のページはどんどん厚みを増していった。
形骸化したボルシェヴィキの思想が馬鹿げた見せ掛けでグロテスクな無意味に見えるほどに、しかし自由や民主主義についての悲壮な演説をもって反抗することもなく、二人は恋愛を謳歌する。テレザの憂愁は加速した。
まだ少女の面影を残しつつ、美しく魅惑的に成長していったプラヴァチェカは、献身的にテレザに尽くしていた。その振る舞いに、少女性といった例外的な瞬間では捉えきれないような、年齢など知らぬ存ぜぬが真理だとでもいうような、時間に左右されたりするものではない彼女の本質を見抜いて、眩惑された。ゆえにテレザの心は膿んでいく。チェカの舌がテレザをなぞるたび、快楽と共に昏い魂が不気味な粘性を帯びて脳髄を満たし──律すれば、律するほど堕ちた。プラヴァチェカと真に愛しあえるように出来ていないと思う度に世界を憎んだ!
スロヴェニアへ訪れた時、共産党の幹部の一人が、視察に来たテレザや、若い共産党員達に演説する機会が訪れた。彼は槌と鎌の描かれた旗を背後にしながら、高らかに語る。
「君達はマルクスの『資本論』全二巻は当然読むべきだ。そして生活においては皆フェイエルバッハについての第四テーゼに従うべきだ。かつての哲学者達は世界を解釈するだけであったが、マルクスは世界を変えるべきだと主張したのだ!これを模範としなければならない」
そうしてもう少しの間、彼は粗雑な講釈を垂れ流し、聴衆に質問の機会を設けた。テレザは彼の話をひとしきり鼻で笑ったあと、手を挙げて大胆不敵にこう問いただした。
「マルクスの『資本論』は三巻出版されていて、世界を変えるべきだというのはテーゼ四ではなくテーゼ十一であることをご存知ないのですか?」
少し面食らったような顔をしたあと、幹部は物事の核心をついた答えを返した。
「当然知っていますよ。でもあれは私のメッセージなのです。そんなことはどうでもいいことです」
イデオロギーがどのように機能をしているかを示す素晴らしい一例である!何事に対しても「私は気にしていない!」という無関心なメッセージが暗黙の内に発せられていた。馬鹿馬鹿しくなって、ホテルに帰って、チェカと滅茶苦茶になるまでセックスした。陶酔と不快感がごちゃまぜになった。
誰も何も信じていないのだ、誰も、何も。ポル・ポトはマラルメやランボーを読み解く仏文学の教授であったが、彼らの歩む道は本で出来た灰が舞い散る血みどろだった。
チェカだけが唯一信ずるに足るものであったが、しかし太陽は奈落にあったのだ。
*
ユーゴスラヴィアの国々では、就労時間中によくパレードが行われていた。異なった集団が、支配的なイデオロギー、すなわち自主管理と非同盟社会主義の国における全ての民族の統一と同胞愛という共通の傘の下で、多様性の統一を祝う歓喜のパレードだった。
共産党員のコメンテーターたちは、かすかに倦怠的で官僚的な言葉遣いをしていた。そこでは一切のアイロニーが禁じられていた。ここでは未来を先取りした態度が見られた。北朝鮮の政府当局は国民に警告していた。「これは全てアメリカのせいだ!」というような皮肉は、現体制に対する許し難い批判となるだろう!──と。
東側諸国では西側と同じように、よく音楽が好まれていた。テレザがレストランでチェカと食事をしていると、父の顔なじみの共産党員が入ってきて、挨拶を交わした。
「音楽にも造詣が深いと伺っております。ベートーヴェンの『歓喜の歌』を演奏しては下さいませんか?あれは素晴らしいコミュニストの曲です」
それを聞いて、プラヴァチェカはなんて俗物だろうと怒りを覚えた。第九を、そんな風に捉えられるような無知蒙昧の暗愚めと!
「歓喜の歌」は、通常は人類愛や全ての人の自由、喜びを表すと考えられているようだ。注目すべきはよく耳にするこのメロディがあらゆる勢力で普遍的に受容されていること。全く逆の政治的活動に使われることもある。例えばナチス政権下では公式な行事における祝い事で広く使われた。ソ連ではベートーヴェンも歓喜の歌も崇拝され、共産主義の歌のように演奏された。中国では、文化大革命の時期には西欧の音楽は大部分が禁止された。だが第九は違った!進歩的な音楽として演奏を許されたのだ。
ジンバブエになる前の南ローデンシアの極右勢力は、アパルトヘイト廃止を延期すべく独立を宣言。ローデンシアとして独立していたこの数年間、歓喜の歌の詞を変え、国歌に制定していた。一方、遠く離れたペルーでは、極左組織「センデロ・ルミノソ」が活動。指導者はアビマエル・グスマン──彼が記者に好きな曲を聞かれると、第九の「歓喜の歌」と答えた。
東西分裂時のドイツもオリンピックでは一緒に登場。そして金メダルを獲得すると、どちらの国家でもなく「歓喜の歌」が演奏された。そして今日でも「歓喜の歌」は「EUの歌」とされている。
つまり全世界に共通する、人類愛の場面で歌われると考えられる。ビン・ラディンがブッシュを抱き締め、フセインがカストロを抱き締める。そして白人が毛沢東を称賛。
その中で皆が歓喜の歌を歌い、皆が一つになる──これこそがイデオロギーの役割だ。意味があるだけじゃない。空の容器として全てを受け入れる役割があり、可能な限りそれを受け入れる。我々は何か感傷的なことを経験すると直感的にこう思う。感動したよ、すごく奥が深い、と──だが深さを理解しておらず、空虚しかない。
テレザとチェカは思いを共有し、同じ情景を頭に浮かべた。プラハの広場の壇上に立つ共産党の幹部が、壇上の高みから歓喜の声をあげて大行進中の市民を眼差し微笑んでいる「友愛、平等、革命!」一体感に熱狂し、拳を天につき上げる、旗を振り回す。全員一致の喝采の嵐。シュプレヒコールが響き渡る。美しい自然の中を子どもたちが駆け抜けていく、そこにいる皆が感激を共有する!
「皆が一つになる、世界が一つになる。こういった事を最高の幸せって言うんです!」
その結果?ご存知の通り、フランシス・フクヤマがリベラル民主主義経済の勝利で歴史は終わると予言し、実際にソヴィエト連邦は一九九一年崩壊を迎え、共産主義の夢は露と消え。フクヤマが夢見たユートピアは911同時多発テロで崩壊した。やがてグローバル警察官は孤独に耐えきれなくなった。誰もが何かしたいわけではないが、何もしたくないわけではなくなった。盛者必衰、斜陽の連続。奇しくもフクヤマの予言の──歴史の終焉を迎えた終わりの人々は、何も解決しない何も問題は終わっていない矛盾の時代に現れた。
全て作り物、それでもあなたは人間だと言えるか?
共産党員はしたり顔で話し続けた。理解できない言葉に目眩を覚えた。
「我々人間は、みな、同じものなんですからねぇ」
我々とは?
一体誰と誰の集合体か?
人間は、みな、同じもの?
マルクスがそんな事を主張していたであろうか?
差別の撤廃や経済的な平等が人類が実現すべき正義である事は、テレザもプラヴァチェカもよく承知していた。しかしその為の手段──熱狂の渦の中でされる人間の均一化には、嘔吐感を催した。
テレザがチェカに向けた愛は、そこの共産党員が人類に向けた凡庸な愛と同じようなものであっただろうか?チェカがテレザへ抱く憧憬は、代替可能な、ありふれた、他の誰にでも手に入るような陳腐なものであっただろうか?
卑屈な言葉であった。猥雑な言葉であった。人を卑しめると同時に自らを卑しめ、何のプライドもなく、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉であった。友愛の栄光は無意味に引き摺り降ろされ、人の生を耐えきれない程に軽くする俗悪な言葉であった。
「いいえ、プラヴァチェカは唯一無二の、私の、永遠の──」
そう言いかけて、やっぱりやめて。用事があるのでと断って、チェカの手を握りしめ連れてレストランを出ていった。恋人は永遠を誓うように手を強く握り返してくれた。
この瞬間──かつて優しい母がテレザに語りかけてくれた話を思い出した。
「いつかきっと、聖書に手を置いて誓う時がくるわ」
「何を?」
「永遠を」
母の予言──願いは成就されるのであろうか?不安になって、テレザは泣いた。自分がじめじめした、閉所恐怖症的な、紛い物であり、必死にチェカを求める、穢らわしいものであるという罪が罰となって魂を突き刺した。
「先生?……どうされたんですか?……大丈夫です、私がいます。例えソヴィエトとアメリカを敵に回しても、あなたの味方でいます。これは永遠の約束です。愛しています。いつまでもあなたの側にいさせてください。例えどんなに貧しく、小さな戸棚の中に住まねばならなくなっても、いつまでも、いつまでも……」
ハンカチで涙が拭われ、魂が凍えて肩を寄せる。求めれば求める程、恋慕の情が燃えがる程に苦痛が募る。チェカ以外に失うものはないが、彼女は鉄鎖でありそれに苦しめられ、鉄鎖の重さが最早テレザの全てであった。
この愛は燦爛たる赤い靴を履くようなものだった。
強い誘惑と衝動を駆り立て、美しさに魅入られ一度その魔法の靴を履いてしまえば、二度と脱ぐ事は出来ずに死ぬまで踊り続けてしまう。
一九六八年は世界革命の年であった。パリの五月革命からドイツの学生運動、アメリカのヒッピーに至るまで誰もが大行進に参加し、未来を信じて理念に向かって心をひとつにさせる。人を、みな、同じものにさせる。人を個人たらしめるものを侵犯する。新しい権利の要求は、寛容を装った支配体制の中で、心地よく懐柔されるに留まった。誰も彼もが自分のやっている事を本気で信じないままに群衆となって熱狂した。
マルクスは著書の中で、共産主義を徘徊する妖怪と称したが──真の妖怪とはありもしない俗悪な理想で連帯を可能にする──ドイツ・イデオロギーの中で語った「人間自身の行為が人間にとって疎遠な、対抗的な威力となり、人間がそれを支配するのではなく、この威力の方が人間を圧服する」力のことではないだろうか?人々を恐怖で支配下におく恐ろしい魔物とは違い、もっと人間を根本から疎外してしまうような鵺のような恐ろしい存在。資本主義や共産主義、その背後にあるおそろしい何か。ナチの総統の合図と共に響き渡った「ハイル!」。念仏のように唱えられた八紘一宇の大理想。
テレザとプラヴァチェカは二人世界の片隅で、踊り続けていた。妖怪と共に歩めればどれだけ楽だった事だろうか。しかし彼女達は化かされずに二人ぼっちで踊り明かした。
ダンスを続ける赤い靴の童話の主人公は、死から逃れる為に懇願して足を切り落とされて──義足を与えられ、そして宗教に平穏を見出した。
ホテルに帰って、歓喜の歌のレコードをかけた。
あの荘厳な人類団結のイデオロギーに利用される音楽が響く。途中、曲調が変わって、お祭り的な調子な滑稽さで主題が変奏されて、崇高な美しさがなくなる。団結から排除された人々に笑顔を与えてくれるような音色がした。二人は二番目のパートが好きだった。
チェカがテレザの腕の中ですやすやと寝息を立てた後、起こさないように丁寧にベッドから出て、手紙をしたためはじめた。抱擁とは闘いであった。
*
魑魅魍魎が跋扈する国々への巡礼の旅は終わりを告げ、故郷のプラハに帰ってきた。
そうして、二人が恋人となったその瞬間から、ずっとテレザが温めていた計画を実行する時がようやく訪れた。全ての決着をつけようと決意を固めた。憂愁もあったが、残酷なる運命の神は舞い降りた。
プラヴァチェカの家を訪れた。彼女の家族は留守にしていた。結ばれた時のように二人であった。
居間で二人きりだった。いや、どこであろうと、世界で二人ぼっちであった。
テレザは苦痛を押し殺して、プラトンの神話の女性に手紙を渡して、読んで欲しいと言う。そこには別れのメッセージが刻まれていた。
「どうしたんですか、手紙を直接渡すなんて」
美しく包容力のある微笑みだった。
恐らく最後に見るであろう恋人の微笑みに、胸が締め付けられるように痛かった。ああ、この後の瞬間が永遠にやってこなければいいのに!テレザは決意が揺らぎそうになったが、それでも椅子に座って、そわそわとしながら、痛い程に脈打つ心臓を沈めながら、ひたすら地面を見ていた。
世界が時計以外の音を失くした。どれ程の時間が経過したのか分からなかった。恐ろしいまでに苦痛に満ちた時間だった。覚悟していた筈の痛みは地獄に堕ちたように全身を鋭く蝕んだ。ようやく音がした、彼女がテレザの方へ向かってくるのだと分かった。
顔を上げる、チェカの方を見る。わざとらしいまでの笑みと、焦りを浮かべて。
「先生──私のテレザ?冗談ですよね。こういった類の冗談は面白くありませんよ」
「いいえ、本当です」
「まさか、そんな」
「撤回するつもりはありません」
テレザは冷たく言い放った。プラヴァチェカは声色を震わせて、再度問うた。
「私と恋人の関係をやめるというだけでなく、二度と会って下さらないというのは、冗談ではないのですか。本気なのですか?私のテレザ……あなたは私を捨てるのですか!?」
プラヴァチェカがこんなに激しく声を荒げた事は初めてだった。それでもテレザは怯まない。
「その通りです。私は随分とあなたの為に時間を割いてきました。これから一〇年はしたい放題の事をします。それからは、若返る為に、当時のあなたように瑞々しい少女を手に入れて、また愛を交わす事でしょう」
突き放す為には必要な残酷さであったが、テレザの心の中で何かが裂ける音がした。
「ではあなたは、私と残酷な遊びに耽ってらしたのですね。ずっと、ずっと!」
「結果的には、そうなります」
「何か不満があったらなら、改善します!何をしてでも、命かけて……。あなたに対してわたしがしたことの全てを……どうか、どうか許して下さい。慈悲深い私の先生……」
「……許しを請わねばならないのは私の方です」
手が触れ合う。
夢の、
夢の、
またその夢の先。
走馬灯のように、長い、夢想のシークエンスが、極彩色の光を放ち──出会いの瞬間の初めてプラトンの神話を理解したあの一瞬のときめき。思わず手と手が思いがけずに触れ合って気恥ずかしさに微笑みあった時。初めてたわやかな髪の毛に頬を押し当て香りを嗅いだときのぬくもり。一緒に森の中を駆け回って自然の恵みに舌鼓を打った時に胸突いた笑顔。二人して下着を脱ぎ捨て裸になって淑やかに愛を交わした後に腕を枕にして朝が来るまで抱きしめた初夜。二人でオルガンを弾いて崇高なる愛を歌いそれが宙を舞う詞となった歓び。稀なる舌で互いを舐め合い舌根から脳へと抜けた快楽と共に喉と胃を体液が愛撫する享楽。田舎へ引っ越し小さい家を購入して柔らかい数え切れない毛に覆われた猫を撫でて過ごす穏やかな毎日。洒落たバルで無駄に駆け抜けてしまった青春を吟じ笑い合う。杖を持ち頭陀袋を担ぎ裸足で彷徨し言えなく祖国なく国家を否定して世界市民を笑う狂ったソクラテスになる。そして熟練の外科医のように鮮やかに腫瘍を切り出すように深部に触れ合い。幾つもの流星に彩られた満天の星空の下で二人だけの舞踏会を繰り広げて。愛する人の亡骸に土を掛け幸せだった頃を懐かしみながら追憶の日々が照らす今を生きて勇敢に死ぬ。
もしも誘惑者の魂に憂愁のスティグマが刻まれていなければ。
もしも──少女の魂がプラトンの神話のものでなかったとしたら。
振り払おうとしても悲しい程に変わらない絶望がなければ──やがてやってくるだった筈の幸福な未来が、何もかもを鮮やかに彩って、すぐに、消えて、涙となった。
雨のような涙が止んだ後、プラヴァチェカは言った。
「私のことをずっと、ずっと……考えて下さると約束してください」
テレザは頷いた。
「もしも、あなたが、私と一緒にいる事が苦痛であるのならば、最後にキスをして下さい。そして、一緒に身を投げて下さいますか……?そして、ずっと一緒に……」
悔恨者は頷いた──殉教が唯一二人が一緒にいられる解決策であった。
神は憐れんだであろうか?
*
二〇一六年の七月末であっただろうか、筆者は友人とバンクーバーで行われたLGBTパレードの中継を見ていた。主要メディアが報じるところによれば、そのパレードでは「愛の力が輝いていた」。何十万人という人が集まっていた。異性装をしたダンサーたち、巨大な羽の頭飾りとレインボー・フラッグが揺れる。希望と変革のメッセージが書かれたプラカードが幾つも並ぶ。手の混んだ奇抜なコスチュームが目を引いた。列をなして行進する人々の先頭には、カナダの首相ジャスティン・トルドーが家族とパレードを歩き人気をさらっていた。印象に残ったのが、コメンテーターが参加者を「LGBTQIA+」といった複雑な名称で呼ぶ事に注意を払っていた事だ。
私は呟いた。
「毛沢東の用語で言えば、百花斉放百家争鳴だねぇ。しかし、引っかかるな。何かが……」
長年の付き合いである友人のマルォエ氏が言う。
「そうかい、これは歴史的に偉大な前進の瞬間じゃないのか?人間の理念の勝利だよ」
「確かに前進さ。しかしこのパレードで輝いている愛はフロイトが自分は感じたことなどないと断言したものの類さ。隣人愛というヤツだろうか、弟子のユングに激しい議論を吹きかけられても、穏当な態度を取っていたフロイトが、唯一激しい嫌悪感を示した感情だよ」
知己であるアリーペェ氏が私の発言を補足してくれた。
「なるほど。全てが一つになった馬鹿げた大洋感情であり、イデオロギーによって生じる感情、あらゆる闘争と敵対を消滅させる感情で、多様性の統一を示す訳だね」
彼の適切な補足に感謝しつつ、私もまた続けた。
「全てを包括するこの大規模な見世物には、勿論敵を必要とするのさ。例えば、我々が高校生の時に、クラスの好口君への怒りで反目し合った皆が一致団結したことあっただろう?ほら、このコメンテーターは、常に異性愛主義を仄めかしているだろう。この排除や対立が享楽を生むのさ」
アリーペェ氏も見解を述べる。
「本当に愛の力が輝くのは、彼らが家に帰った後の、一緒のソファに座る穏やかな時間であると僕は思う。パレードは楽しいものではあるけど、ライブを聞きにいくみたいなものさ。一時の激しい熱情」
私は合点がいって、うんうんと相槌を打つ。
マルォエ氏が感慨深そうに、ゲイやレズビアンの人々を見て感想を述べた。
「パレードの人々は、我々異性愛者がずっと羨ましかっただろうし、今でも羨ましがってるだろうな。しかし私達は百合アニメを見て、今や百合な少女たちを羨ましがってるのは笑劇だね」
その瞬間、脳裏に閃光が走り──生まれたのが流浪者を意味する少女プラヴァチェカである。大洋感情、そこから流浪の旅を続ける共同体にとっての永遠の皮肉の女、例外者!
子供の枷、大人から見た夢、神の裁きと訣別する為!
プラヴァチェカはテレザの手を取って、涙に濡れたぐしゃぐしゃの顔で微笑み──雌獅子のように闘いを始めた!荒ぶる羽蟲のように闘いを始めた!怒りと死と神罰の化身のように闘いを始めた!愛しいテレザの腕を引いて、引き寄せ、ひょういと持ち上げて──お姫様抱っこの形で、思い切り駆け出した!軽やかに、軽やかに。それは大変軽やかに!
当然テレザは驚いた!
「プラヴァチェカ、何処へ行くのですか!」
走る人は答えない。憔悴していたテレザはもがいたが、上手く動けない。
プラヴァチェカは駆けた!走れ、彷徨う者よ、流浪者よ、幸福な難破者よ!
奇異の視線に構わず駆けた!起伏に転びそうになっても駆けた!最愛の人を抱いて千里を駆けるがよい!息は絶え絶え、止まっちゃいかん。迷わず駆けろ!
「私のテレザ!あなたが、私達が苦しむのは、私達がどうしても他者の世界に生きているからです。おぞましく得体の知れない妖怪に、生殺与奪の権を握られているからです!」
「チェカ……!」
ぜぇぜぇと息を上げて、肩を規則的に上下させるチェカの腕の中でテレザは、眼前の湖を見た。
テレザは思わず目を瞑った。無理身中をするつもりなのだと思った。プラヴァチェカは大地をしっかりと踏みしめて、大きく飛び跳ね、湖に飛び込んだ!興奮したうめき声、空からは青白い光──水飛沫が飛散して、海の底にのみこまれていく。彼女達に救済をもたらしてくれるもの……。
浸透圧が美しく作用する、疲れ果てていたテレザはすぐに意識を失った。
走れ!プラヴァチェカ!走れ!
君は誰の手下にもならなかったし、誰も手下にしなかった!
オーガニックで有機的なものよ!歓喜の歌に耳塞ぎ、有限の旋律紡ぐべし!
毛の一本に至るまで、全てを炸裂する秩序の下に置き換えよ!
認識しろ、自己を!自分を──誰を!
*
静寂に波の音が鼓膜を嘗める、夜の淵の浜辺の上でテレザは目覚めた。
耳鳴りがして、意識を取り戻すのに暫く掛かった。そうすると、どこからか美しい歌声が──意識が明晰になってくると理解できたが、それは永遠の恋人の歌声であった。
テレザが起きた事に気付いたプラヴァチェカは、恋人を柔らかい砂へ押し倒した。
「きゃっ」
かつてドン・ジョバンニだった女は、まるで生娘のような声を上げた。
傲慢だった少女の愛は、今や何ものにも制限されることのない情動を孕んでいた。
神への信仰による罪の意識と悔恨に苦しんだとしても、俗悪なイデオロギーが卑属な圧迫感で日常生活へのささやかな退避を強要しても、彼女がそれで苦しまないで済むような新たな未来を創出していけばよいのだとチェカは考えていた。
はじめての時のように、口吻が交わされた。
「私のテレザ様、あなたは一度死にました。これでよいではありませんか」
「でも……」
死に損なったテレザは期待していた。神でも罰でも社会主義でもない愛の救済を。
泣きそうになって、やっぱり涙が溢れた。でも目がそらせない。頬を撫でる。
「私の愛があなたの重荷になることは分かりました。しかし私の愛を辛抱なさってください、私があなたを愛し続ける事をお許し下さい。いつかあなたがあなたのプラヴァチェカに帰って下さる時がきっと参ります。あなたのチェカの、この哀願をお聞き下さい。世界に私達は二人ぼっち。あなたのプラヴァチェカ。わたしのテレザ……ここでは死さえも私の許しが必要なのです。あなたが笑って生きていける時はきます」
スターリンの共産主義がぞっとするものであったことはわかっているのに、それでも私は英雄的に共産党を信じ、マッカーサーの魔女狩りの犠牲になった人々を讃える。一切の敗北を通じて執拗に存続する自由なる永遠の理念。
それと同じように、繰り返される夜戦に耐えるように、プラヴァチェカはテレザを信じ続けた。
「泣くほど重いなら、笑って言いましょう。わたしのテレザ」
幾度となく間違い、時にすれ違い、流浪の旅の末に、罪ある場所から流れ着き──ひとりの愛のみが、享楽が高みから降りてまことの欲望に応じることを可能にするのである。罰が砕け散り、エデンの果てに迷い込む。
未だ妖怪が徘徊する世界の外で、理念でも紙幣でも聖書でもない何かに誓い合う──何を?
「永遠を」
未だ妖怪が徘徊する世界の外で歓喜の歌に耳を塞ぎ 川崎めて仟(MIDレーナー・メイジ) @meteorchan
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