騎士は踊る。陰日向なく
蜂木とけん
鉄拳と暴れ馬
第1話 王国の光と影
蝋燭に照らされる部屋の壁は、暗褐色に染められていた。
錆びたにおいが、鼻を刺激する。
物言わぬ肉塊となった男女が八人。血溜まりの中に転がっていた。
彼らは魔神崇拝者。魔王による治世を望み、王国に仇なす存在だと、俺は聞いていた。
はめ殺しの木窓に夜風が吹き付ける。水路の多い王都の夜は、暑期であるにも関わらず、寒かった。
「……ッ――はっ……か――」
静寂を乱す擦れた呼吸が、一つ。
仕損じていたか。
俺の視線が音を辿り、死に体の老人を見つける。彼は壁に磔となって、そこに居た。
襤褸の僧衣、骨ばった手足、胸に突き立つ小剣の柄。只人であれば致命傷だろうに、彼は今もなお、何事かを語ろうとしている。
男の瞳は燃えていた。
あぁ、知っているぞ。俺はその目を、よく……それは生に固執している者の目だ。
磔の男に歩み寄る。足音が血だまりを踏み散らし、静謐な夜を汚した。
こいつは敵だ。あの方の歩みを遮る者は、如何な身分であっても根絶やしにしなければならない。
男を見下ろした次の瞬間、俺は言葉を無くす。その瞳が湛える情動に、意識が絡めとられたのだ。
男の腕が持ち上がっていく。その指先が俺の黒衣に触れ、昏い、血の筋を描いた。
呼吸が言葉を成す。
「――あ、は……か、みよ――」
男の声で我に返る。忌まわしい腕を打ち払い、男の胸から短剣を引き抜く。
傷口から夥しい量の血が零れ出た。
支えを失った男が、俺に縋りつく。彼の口角が持ち上がり、その笑顔に粘着質な音が張り付いた。
「――つ、ついにッ見つけ――ぁしたぞ! 同志にぅ――ふぐぃ、んをっ」
男の肩を押し下げ、がむしゃらに短剣を振り下ろす。拳が水音を立てながら、何度も、何度も、矮躯に逆手の剣を打ち付けた。
男の両手に力が蘇る。爪が服の上から肌に食い込む。仮面の下で俺は顔を顰めた。
それが伝わったのかは分からない。しかし、老人は束の間だけ身体から力を抜くと、ぎこちない挙動で顔を上げ、もう一度、わらった。
「あぁ……我が、お――」
それを最後に、標的は動かなくなった。
耳元で脈打つ拍動。それで仕事が終わったことに気付いた。俺は時を忘れ、呆然としていたのだ。
男は膝をついた姿勢で固まっている。口元で揃う両手と、天を仰ぐその姿勢は、どこか聖職者の姿を思わせた。
男の顔に開いた一対の虚無を覗き込む。微動だにしないその黒は、鉄仮面と赤い瞳を映していた。
「……狂信者め」
俺は骸を蹴り飛ばす。動揺を意識から締め出し、身体に施された魔術刻印へ魔力を流し込む。
ゆっくりと影に沈む両足。せり上がってくる惨状。それを見つめ、俺は静かに息を吐いた。
これで、また一つ。王国から悪の芽が摘み取られたのだ、と。
◇
馬車が運河沿いをひた走る。現場を目指して。
「朝っぱらから血生臭い事件とは、とんだ災難だ。そうは思わないか?」
不揃いな金髪を弄び、向かいに座る騎士を見やる。
返ってきたのは、あからさまな沈黙。
背筋をまっすぐに保つ彼女は、車窓から、流れゆく景色を見つめていた。
相棒の頑なな態度に、微かな衝動が鎌首をもたげる。
顔に張り付けた笑顔の仮面。その調子を確かめるために、俺は会話を続けた。
「昨日は遅くまで起きていてな。正直、今にも眠っていまいそうなんだ。こんなことになると分かっていたら、早々に寝ていたというのに――」
突然掌が突き出され、俺の言葉は途切れた。真白な手袋が、馬車とは違う揺れを纏っている。
くつくつと、喉が鳴った。いやはや実に、実に愉快。
俺は目を細め、そう思っている体を装う。
相棒はそれに気づかず、口の端を歪めた。
「いい加減にしろジーク。低俗な憂さ晴らしに、わたしを巻き込むな。汚れる……」
「それは酷い言われようだ。リーナ嬢、俺がいったい何をしたと言う?」
まるで不満があるような俺の声に、翠の瞳がつり上がる。彼女は片頬をひくつかせながら声を荒げた。
「その名で呼ぶな! わたしにはカトリーナ・ラ・ロシェルという由緒ある――」
今度は俺が、彼女の言葉を遮る番だった。その続きは嫌になる程、聞き飽きている。
これだから、貴族の出は…………。
まだ何か言い足りないのか、リーナ嬢は肩を怒らせる。
彼女と組んでから、間もなく一月が経とうとしていた。だというのに、俺はまだ、じゃじゃ馬の手綱を握れないでいる。
俺が馬車の外を指し示す。彼女の訝し気な視線がそれを追った。
その先には、道行く人々と軒を連ねる建物、そして衛士が扉を固める宿屋があった。
それを目前にして、馬車が停まる。
「さぁ――」
俺はリーナ嬢を差し置いて、馬車から降り、めいいっぱいに伸びをした。
丸まっていた背中から、軽薄な音が鳴る。
拝命から早八年。未だに馬車での移動には慣れていない。
「――お待ちかねの仕事だ。はりきっていこうか」
俺を追い越していった背中を眺め、首を鳴らす。
この仕事が徒労になると、俺は知っている。だからこうでも言っておかないと、ばれてしまうのだ。事件を解決に導く気がない、と。
現場は、濃い鉄のにおいで満たされていた。
連続殺人鬼、人突き。それが俺達が追う者の名だ。性別も人相も、果ては風体すらも不明。分かっているのはただ一つ。そいつは必ず、急所への刺突で標的を仕留めているということ。
今回のそれも同一の手口だった。老人の死体を除いては。
壁際で控えていた衛士が一人。彼は俺を見つけると揉み手をして近寄ってきた。
男の吐息が耳元に吹き付ける。
「こいつらは魔神崇拝者のようです。内部抗争の線で捜査を進めていたのですが、凶器も現場に残されておらず、致命傷だけの死体が複数あり……」
あぁ、見れば分かるとも。
血の池の向こうでリーナ嬢が佇んでいた。彼女は足元の老人を見つめている。
さて、彼女はあの死体から、いったい何をみるのだろうか。
それが少し気になって、俺は足を一歩踏み出した。
「黒地に赤の紋様、こいつらは魔神崇拝者か。いつみても醜悪な旗だ。死因は、急所への一突き。ふーむ……傷口から見て凶器は鋭利な物体、両刃の短剣だろうな。いつもどおりいつもどおり」
見聞きしたことを舌がなぞり、言葉が宙を舞った。
俺は汚れないよう、細心の注意を払いながら、リーナ嬢へと近づく。
彼女は上体を左右に揺らしていた、ゆっくりと。金糸の束がそれを追って、波を描く。これはリーナ嬢の癖だ。深く考えている際によく見せる。
彼女の後ろ姿と馬の尻が重なる。凄惨な現場と牧歌的な風景の対比に、俺は突発性の発作に襲われた。腹と喉が痙攣をおこし、頬肉が引き攣る。
ま、まずい。今、ここで笑い出せば、彼女の勘気を、引き出しかねない。ただでさえ今日は機嫌が悪い。な、なにか、べつのものを――
救いを求め、彷徨わせた視線がそれを見つける。蒼白を通り越して、土気色に染まる少女の顔を。
「……気分が優れないのかい?」
「あ、騎士さま…………」
膝をつき、少女に声をかける。同じ高さとなった円らな瞳は、輝きを失い、小刻みに揺れていた。
宿屋の娘か。幼気な少女を引っ張ってくるとは……いつもながら、衛士達は考えなしだな。
少女が儚げに笑った。
「らいじょう――っひゃあ!?」
「軽いな……ちゃんと食べているのか? 健康的でなければ、立派な女主人にはなれないぞ?」
羽のような重さに少々、いや、大分驚いた。年頃の女子はみなこうなのか? これでは貧民街の孤児と大差ないではないか。
戯れに思える抵抗をいなしつつ、少女を部屋の外へ連れていく。膂力も今後の成長に期待、だな。
「は、放してください!? あたしは大丈夫ですから!」
過分な自己評価を信じるつもりはなかった。吐かれても困る。介抱するのなら綺麗な方がいい。
「あまり暴れると、ほら、血の海に真っ逆さまだぞ~」
からかいながら娘を運ぶ。愉快だ。赤らんだ頬も必死に縋る小さな手も。
「――ジィィィィクッ!!」
「うげ…………」
背後から吹きあがる怒気。介抱を断行するため、俺は多大な気力を消費した。
あぁ、振り向かなくても分かるとも。リーナ嬢は今、悪魔も逃げだす形相をしているはずだ。
「きさまッ! その娘をどこへ連れて行く気だ! まさか、客が居ないことをいいことに貴様っ! かの――」
……はーん、なるほど。このまま俺が怠けに行く、と。どこからどう見ても、少女を気遣うこの姿を、そうとるのか。
リーナ嬢の捻くれ具合に、嫌気がさす。思わず眉間に力が入った。
「おっと、いかんいかん」
「っきゃっ」
咄嗟に少女を降ろし、空いた手で眉間を揉みほぐす。
怒ってはいけない。それは俺が生きていくうえで、守らなければならないことの一つだ。
まだ出会って一月。お互いの長所短所も把握できていない状態だ。ここで彼女を見限っていかんとする。
自らの感情に語りかけ、自分自身の機嫌を取りながら懐を探る。
ああ、そうだとも。俺は怒っていない。怒ってなんていないとも。そうだそうだ、そのはずだ。この状況は不幸なすれ違いさ。一服すれば、ほらもとどおり――
「おい、まて」
「――ん?」
酷く冷めた声が聞えた。葉巻を咥えたまま、掌の灯火から俺は視線をあげる。
普段よりも血の気のないリーナ嬢の顔は、紫煙を介すことで、より一層、青白く見えた。
彼女は信じられないものでも見たかのように、俺を指差す。
「なぜ、ここで、この場で吸う」
「ん、ああ。これは薬だ。精神を鎮める薬効がある。俺にとってなくてはならない物でね」
言葉とともに芳醇な香りが鼻へと抜ける。肩を竦め、もう怒ってないぞと言外に伝える。
これは外来品でね。手に入れるのに苦労した。そう言葉を続けようとした、その時――
「――ッ!?」
煙を纏うリーナ嬢が掻き消え、顔、特に目の辺りに痛みを覚える。視界は白に包まれ、俺は束の間、前後不覚に陥った。
地の底から声が響いてくる。
「――だ……」
「なっなにがおこ……」
顔から白がずり落ちた。咄嗟に手を伸ばし、それを捕まえる。肌触りの良い感触に驚き手元を見下ろすと、そこには――
「決闘だ。ジーク……もう我慢できない。この勝負、私が勝利したあかつきには、その減らず口、二度と聞けない身体に躾けてやろう…………」
――純白の手袋があった。
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