第6話 捜査の両輪


 部下が起した騒ぎから一夜明けて、王都は落ちた蜂の巣のような騒ぎになっていた。

 演説屋が街角で叫ぶ。道行く人々は身を寄せ合いながら、小言で騒めいていた。脚の生えた事実は、瞬く間に都を駆け抜ける。

 衛士 惨殺――

 衝撃的な出来事だからこそ、その足は思っていたよりも早かった。


「――まっっったくもって由々しき事態!」


 隣を歩くリーナが吠えた。彼女の瞳は義憤で燃え、金の尾が左右に大きく揺れる。

 どうやら部下の肩には、民の安寧、その重責が圧し掛かっているようだった。

 眠気が唇を押し開け、俺の気の抜けた声が空気を揺らす。眦に泪が浮かんだ。


「気張り過ぎじゃないか? 考えてみろ、もともと俺達の仕事は、人突――」

「民草の憂いを取り払うことだッ!!!」

「…………」


 吹き付ける正義感に、口を噤む。何を言っても無駄になる。今の彼女を見て、俺はそう悟った。

 リーナの激情は止まることをことを知らない。彼女は肩で空気を切りながら、なおも言葉を重ねた。


「情けないぞッジーク! なぜお前はそうなんだ! 民草の安寧が脅かされているというのにッなぜ滾たない! 民の盾であるのだぞッ私たちは!!」

「そうだな。おれもそうおもうよ…………」

「大体だな――」


 リーナの言葉を左から右へ流し、俺は、意識を視線の先へと飛ばした。

 衛士局、第十二番詰所。王を称える深紅の国旗と、組織を表す白黒の旗が目印の建物。そこが俺達の目指している場所だ。

 衛士が殺された。これは護民騎士団も見過ごすことは出来ない事件となる。故に俺達は、担当の案件を机の隅に追いやり、真相の究明に駆り立てられていた。

 俺とリーナに振られた仕事は、被害者の情報収集。彼が狙われた理由が、事件を解決する重要な部品だと、上はそう睨んでいる。


「感服するよ、団長」

「――ん? おいっ聞いているのかジーク!」


 はいはい。聞いてますよお嬢様、と追及を躱す。彼女は一つ唸ると、途端に黙り込んでしまった。どうやら機嫌を損ねたようだ。

 平静を装った俺の呼吸。しかし、そこにはどこか溜息の影が付き纏う。

 俺達の歩みが止まった。眼前には見張りの居ない出入り口。


「さて、待ちに待った仕事だ。張り切っていこうか――」

「たのもぉー!」


 凛々しく猛々しい声に膝から力が抜ける。

 咄嗟に前を見やれば、女性にしては少し高い背中が目の前の扉をくぐっていくところだった。


「少しは学んだらどうなんだ。昨日もそれで失敗し――」

「私は護民の騎士 カトリーナ・ラ・ロシェル! ロイド・コルクの件について、君たちから訊きたいことがあるッ! 協力願おう!!」


 詰所に入った途端、俺は言葉を失った。たった数歩で急変する空気。仮面を決して放さないよう、頬を努めて吊り上げる。


「同じく護民騎士団所属 騎士ジークだ。協力いただけるよう、切に願っているよ」


 敵意を剥き出しとまでは言わないが、反感の籠った視線が俺へと殺到する。身内が殺された。それは騎士団の仕事の遅さが原因、という確かに考えもあるだろう。しかし、それとはまた別の、異質な感情が彼らの中に混じっている。

 どこだ……どこにいる? 次へと繋がる糸はいったい、誰が――


「何だ? 何故黙っている! 思い思いに喋ってくれて構わない! 誰か彼の人となりや、最近の生活を知る者はいないのか!?」


 我慢しきれなかったリーナが男達を問い詰めた。しかし、衛士たちは誰一人として口を開かない。その時だった。奥の階段から慌ただしい足音が聞こえくる。

 踵で鳴る靴音は軽いが、それは確かに男のもの。彼は頻りに声をあげながら登場した。


「や、やぁやぁ、よくぞいらした騎士殿。私はここの隊長を任されているルイス――」


 ルイス・スアラーと名乗った細面の男は、額に汗を光らせながら、柔和な笑みを浮かべた。

 それに動揺を受けたのか、リーナは思わずといったふうに声を漏らす。


「貴殿が……隊長?」


 彼女の疑問は最もなものだった。ルイスは若い優男なのだ。年は俺達のちょうど中間程。その年で隊長にまで上り詰めたのなら、彼は相当な切れ者なのだろう。

 ルイスは頬を上気させ、跳ねている頭髪を気恥ずかし気に撫でつけた。

 俺は彼に一歩近づき、声をかける。


「初めまして、俺はジーク。事件について訊きたいことがあってね。ご協力いただけるかな、ルイス君?」

「はっはい! な、何なりとお申し付けください。騎士殿!」


 ルイスの案内で手頃な事務机につく。対面の彼はどこか緊張しているようで、頻繁に頬へ手をやっていた。

 その笑顔は同族のものなのだろうか。そこに潜むものが、王国に仇なすものか否か。見極めさせてもらおう。


「まずは――」

「殺されたロイド・コルクはどんな男だ。答えろ」


 俺の言葉を遮って、リーナが身を乗り出す。鬼気迫る彼女の雰囲気に、俺達二人はたじたじとなった。

 無意識に右手が懐へとのびた。指先に当たる硬い感触。俺は取り出した銀細工の容器を開ける。

鼻孔を擽る芳醇な香りが途端に広がった。


「どんな、と言われましても……彼は勤勉な衛士でした。確かに少し羽目を外す時もありましたが、職務に対する姿勢は、長官も一目置くほどです。そんな彼が、なぜ…………」

「ふむ――」


 口元へ手を寄せるリーナを横目に、俺は両手を動かす。先端を切り落とし、口に咥え、魔術の灯火を手の中で熾す。一連の流れを終えて、俺は紫煙を吐き出した。

 すぐに隣からきつい視線が突き刺さる。俺は首を竦めた。

 そんな邪険にしないでくれ、仕方のないことなんだ。これは医療行為。医務官の処方もちゃんと貰っている。そもそも原因は君にあるんだ。少しは大目に見てくれてもいいだろう。

 リーナの言葉一つで、ころころと変わる表情。それから視線を切り、紫煙を隔てた景色を見やる。

 こちらを訝しむ気配は未だ変わらない。そこから滲む敵意も、僅かな危機感すらも。

 さて、どうしたものか……衛士局はその根から腐っているはず。このまま問答を続けても、望む成果は得られない。なら…………。

 俺は火口の灰を床へ落とし、リーナの問いを止める。空いていた手を掲げることによって。


「霊薬――この言葉に聞き覚えはあるかい? 大層な名だ。一度聞けば忘れることはないだろう?」

「れい、や……く?」


 ルイスは首を傾げ、その唇が俺の言葉を追った。彼の瞳には、疑問と戸惑いがありありと映し出されている。 

 もう十分だ。これ以上、ここに居ることに意味はない。

 俺は葉巻を捨て、席を立ってから踏み消す。


「貴重な時間を割いてもらったようだ。ありがとう。俺達はこれで失敬するよ」

「あっおい、ジーク――あぁもうっ何だって言うんだ!!」


 突き刺さる視線を背に、詰所を後にする。力任せに閉められた扉の音。間もなくして騒がしい鞘鳴りが追いかけてきた。


「ジーク! 何故だ!? 何故聴取を切り上げた! まだ訊くべきことはあっただろうッ!」

「あのまま続けても大したことは聞けなかっただろうさ」


 興奮する相棒を伴って歩き出す。騎士団本部とは逆の方向へ。

 まだ納得がいかないのか、リーナは更に言葉を募らせた。今にも地団駄を踏みかねない勢いだ。


「聴かなければ分からないこともある! そもそも何だッ霊薬とは! 私の耳には入っていないぞ!」

「今、それを聞くのか?」


 そう言って俺は、通りから一本入った路地へと足を向ける。

 文句を言うことに白熱しているリーナはそのことに気が付かない。

 まったく……勘が鋭いのか、そうじゃないのか。はっきりとしないな…………。

 俺が霊薬と口にしたその瞬間、衛士達の目の色が変わった。ルイス以外の衛士は黒だ。

 彼以外に男達を操る者がいる。それだけ分かれば成果は上々だろう。運よく協力者候補も見つかった。これ以上を望むのは余程の業突張りか、目端の利かない商人ぐらいのものだ。グスターフのような、な。

 通りの喧騒が小さくなってきた。日当たりの悪い路地は、進むほどに黴と腐臭を強くしていく。やっとそのことに気が付いたリーナは、足を止め――させない!


「――やっじ、ジーク!? 突然なんだ!? 何故走る!」

「いいから足を動かすんだ!」


 袋小路を避け路地裏を突き進む。程なくして、進路の先に錆びついた扉が見えた。

 俺の耳には小さいながらも、慌てたような足音が届いている。

 錠のないその扉を蹴り開け、暗闇の中にリーナを引き摺りこむ。


「止すんだジークッ! 私にその気は――」

「黙れ」

「っ…………」


 何事かを口走る前に、彼女の唇を手で塞いだ。そのままリーナを壁に押さえつける。至近距離に見える相棒の瞳は揺れていた。密着する体温が更に熱くなる。

 ようやくリーナが静かになった。やっと気が付いたのだろう。俺達を追う存在に――


『クソッ! 二手に分かれるぞッ! アーセナルとマルコ、レイノルドはオレと左へ、残りは直進だ! 絶対に逃すなっ奴らは危険だ!』


 半数の足音が、扉の向こうを駆けていく。

 それらが遠ざかってから、俺はリーナの拘束を解いた。彼女は呆然というほかない表情を掻き消すと、咳払いを繰り返す。


「奴らはいったい何だ? どこから気付いていた……?」

「衛士だ」

「そんなッ――」


 リーナの肩に手を置き、声を落とさせる。彼女は俺の手を払い落とすと、大きく息を吸った。


「信じられると思っているのか? 余りにも突飛が過ぎる」

「これは信頼できる筋からの情報だ。今朝方見つかった衛士は霊薬を捌いていた。鳴かず飛ばずの運び屋を使って、な」


 情報を小出しにしながら伝える。いっぺんに水を注いでも、鉢植えは溢れてしまう。

 リーナの顔色から理解の度合いを量る。彼女の目は見開かれ、そのなかで瞳が忙しなく動いていた。

 

「……エスカパーナ商店…………」

「その行いは組織が許すものではなかった。例に則り、見せしめが行われる」


 形の良い唇をなぞり、リーナは思考の中へと深く潜っていく。

 俺は彼女に一歩近づき、その背中を押さんと言葉を選ぶ。


「奴らは見逃す側、あくまでその流れを管理する立場だったんだろう。現に衛士が横流ししたのは、手違いから取り押さえられた証拠品だった。大元は――」


 薄闇の中で、リーナの瞳が光る。彼女は手の届く距離だった間合いを更に詰め、食らいつくように、俺の眼を見つめた。


「「――ドルタード商会」」


 絡み合う視線。俺の胸元に添えられたリーナの右手。それが悔し気に強張り、シャツの上から肌に食い込む。

 暫しの沈黙の後、はっとリーナは俺から距離を取った。


「お互いに進むべき道が分かったな」

「あ、ああ…………」


 彼女はそう言うと、頻りに頬を扇いだ。視線は足元を舐め、右へ左へ行ったり来たり。

 落ち着きをなくした相棒から目を離し、俺は出口から外の様子を窺った。

 標的を絞り込めていない今、糸を手繰るには騎士として動くしかない。

 俺は一度仮面を外し――


「芽吹かせてなるものか……必ず摘み取ってくれる」


 ――短く息継ぎをした。

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