第7話 すれ違い空回り

 霊薬の足跡を追い始めてから三日が経った。外から本部の執務室に戻ると、顔なじみの同僚と鉢合わせになる。


「外回りお疲れ様」

「おー、出迎えご苦労さん。そう言えば貴族通りに出来た新しい食事所、行ったか?」

「いや」

「あそこで口説くのはやめとけよ。外観だけで、料理の味はもう、酷いぞ――お前等も気を付けろよ。ご婦人から銀食器は投げられたくないだろ?」

「「「うーい」」」


 野次馬の顔をなぞりながら、俺の視線は相棒の姿を捜した。しかし室内には、彼女の影も、形もない。

 俺は同僚達からの冷やかしを躱しつつ、自分の机へ向かう。頬に痒みを覚え、咄嗟に手をやった。

 ここ最近、リーナの様子がおかしい。あの日から彼女とは、一度も顔を合わせていないのだ。

 同僚達も薄々感づいている。一昨日あたりから、色町への誘いが増えた。

 考えても答えはでないかと、机に並ぶ獣皮紙を手に取る。すると、この時を待っていたと言わんばかりに声がかかった。


「ジーク様! ご所望の書状を税務から借り受けてまいりました!」

「ああ、ありがとう」


 見習い君の頭を撫で、彼から書状を受取る。

 少年は未だ学生の身分にある。衛士が殺された今、彼を現場に連れていく訳にはいかない。しかし、こんな小間使いのような仕事でも、少年は意欲的に取り組んでいた。

 あどけない双眸に頬が緩む。

 いつまでも少年を撫でている訳にもいかず、硬くなっていた書状を俺は広げた。

 少年が精一杯背伸びをする。彼はこの中身が気になるのだ。


「ジーク様、ここに並ぶ数字がドルタード商会の徴税記録……ですか?」

「そのとおり、よく分かったね」

「えへへ…………」


 数字の意味は分からないんですけど、と恥ずかし気な言葉に俺は微笑む。

 甲冑を帯びる指が、数字の羅列を追っていく。それが進むにつれて少年は静かになっていった。

 登録から三年が経つまでの記録を一息に読み、俺は一度、目を閉じる。

 ここまでおかしな部分は無かった。ならば、薬の動きがあるのはこれ以降――


「あっ…………」


 少年の声で、思考が途切れる。彼の視線を辿ると、その先にはリーナの姿があった。

 出しかけた声が、喉元でつっかえる。彼女はこちらへ一瞥もくれず、執務室の奥へと向かっていった。

 一声あっても良いはずだが……そう考えかけて、すぐに思考を取りやめる。同時に、懐へと向かう手が固まった。

 しまった。手持ちを切らしていたのだった…………。

 唇を噛み、鼻から息を抜く。頭の中の靄を払おうと、俺は音をたてて立ち上がった。

 沈黙が静寂を呼ぶ。リーナは頑なにこちらを見ようとしないが、そんなことはもう、どうでもよくなっていた。


「リーナ――」

「っ!? な、なんだ。私に何か用でも…………」


 用? 用がなければ声はかけまい。

 リーナが頬の髪を弄る。その仕草を見て俺は、ふと考えた。

 はて、俺は何を言おうとしていたのだろう。

 静寂が耳に痛い。不可視の仮面が引き攣っている。

 俯いていた彼女の視線が、問いかけるようにこちらを覗き込んだ、ちょうどその時――


「ジークとロシェル嬢は居るか?」


 ――救いの手は、あらぬ方向から差し伸べられた。

 戸口に手をかけ、執務室を見回す偉丈夫。彼が俺を見つける前に、こちらから声をかける。


「団長、俺達に何か?」

「おお、揃っていたか。僥倖僥倖。お前らに話がある、俺の部屋まで来てくれ」


 リーナと視線を交わし、すぐに団長の背中を追った。

 団長の執務室は、本部の二階、その最奥に位置している。応接の用途も兼ねているため、部屋は、文官の手によって、埃一つないほど綺麗に整えられていた。彼が座る事務机以外は。

 団長に勧められ、俺達は革張りの長椅子へ腰を下ろす。革が伸びる音が二つ、それに続いて団長が口を開いた。


「捜査はどうだ? 進んでいるか?」


 端的な言葉に二の句が継げない。城塞のごとく積まれた紙束の向こうから、鋭い視線が俺を刺していた。

 進んでは……いる。しかし、確たる証拠は未だ掴めていない。これをどう伝えるべきか…………。

 団長との付き合いは長い。それこそ入団以来ずっとだ。だからこそ、彼が何を言おうとしているか、ある程度は予想出来ていた。

 言い訳じみた言葉を俺は紡ぎかける。そこで俺は思い出した。この場に居るのは俺と団長だけでは、ないことに。


「ご心配には及びません! 下手人の尻尾はすでに掴んでいます! 一両日中にはご報告できるかとッ!!」

「そうか――」


 団長は机にもたれるように肘をつき、組んだ指へと視線を落とした。リーナが強く拳を握る。彼女はまだ、理解出来ていないようだった。


「――ならば詳細をまとめ、他に引き継げ。今のお前たちには、荷が重いだろう」

「なッ!?」

「…………」


 承服できないとばかりに、リーナが立ち上がる。彼女の顔には、驚愕の念がありありと描かれていた。

 俺は長椅子に背を預け、天井を仰ぐ。

 すでに決まっていたのだ。最早覆すことが出来ないほど、事は進んでいた。そういうことだろう。

 なおも言い募ろうとしたリーナの呼吸を、団長の静かな言葉が押し留めた。


「お前たちの仲が思うようにいっていないのは聞いている。深くは聴かんが、この件から外れるべきと判断した。これは命令だ」

「――っ…………」


 無慈悲な視線に、リーナは言葉を失った。何かの糸が切れたのだろう。彼女はそのまま長椅子へと腰を落とす。

 暫くの間、外から伝わる街の音が、やけに大きく聞こえた。

 こうしてはいられない、か。

 俺は上体を起こし、団長に向き直る。事務仕事を始めていた彼は、書類から目を離すことなく片方の眉を上げた。


「もういいのか?」

「はい。ご期待に沿えるよう、上手くやりますよ」


 そうか、と何処か含みのある返答を合図に、俺は長椅子から立ち上がる。

 リーナは未だに放心状態にあった。深く考えずに彼女の手を引く。リーナは呆然としたまま、抵抗なくついてきた。

 廊下をほどなく歩き、はたと立ち止まる。このまま執務室に向かうのは不味いのでは?

 リーナは茫然自失の状態。彼女を見たら同僚達は何を思うか――想像に難くない。

 そう考えた俺は、リーナを伴って訓練場へと向かった。


「…………」


 暗い通路を、光に向かってひた歩く。閉鎖的な空間に、足音が二つ。

 リーナは終始、声もなくついてきた。普段であればまずありえないことに、俺は言葉を無くす。

 調子が狂って仕方がない。いったい何だと言うのだ。

 彼女が功に逸っているのは、分かっていた。だが、こうなるとは思ってもいなかったのも、また事実。

 陽の光が顔を刺す。

 不意に抵抗を覚え、次の瞬間には引いていた手が離れた。こんどは何だと、俺は振り向く。

 暗がりの中で、リーナは俯いていた。引かれていた手を押さえるもう片方の手。肩口にある彼女の表情を、俺はうかがい知ることが出来ない。


「なぜだ――」


 真に迫る声に、陽気な仮面ジークは鳴りを潜める。

 かける言葉が見つからず、俺はただ、黙っていることしか出来なかった。

 リーナの手に力が入る。厚手の制服に、皺が入っていた。


「なぜ、私を責めない。非があるのはわたしだと、理解、している…………」

「非、ね――」


 そう言って首筋を掻く。

 今の所作は騎士ジークらしかった。ようやっと仮面が機能し始めている。

 リーナが震える。彼女は勢いよく顔を上げ、続くはずだった俺の言葉を、喰いちぎった。


「捜査から外された! 原因はわたしにあると、貴様だってわかっているはずだ!」


 捲くし立てられる叫びに、周囲から音が退いていった。

 半狂乱になっている相手を見ると、人は冷静になる。それを実感しながら、俺はじっと、彼女の動作と言葉を追った。

 要約するとこうだ。私が悪い。半人前のこの私が、全面的に。でも――謝りたくは、ない。

 発言が叫びへと変化するにつれ、彼女の身振りも大きくなっていく。


「――だいたい今だってそうだっ、なんで黙ってる! ジークにだって言いたいことぐらいあるんだろう!? 腫物を扱うみたいに、わたしを――」

「ようは罰を受けたいんだな」

「――ッ……そうだ」


 見開かれた瞳から、零れる泪。それは紅潮した眦を伝い、言葉をなくした唇へと辿り着く。

 向けられる真摯な視線に、俺は困り果てる。聞くに堪えないから、言葉を差し込んだ。しかし、続けるべき言葉を、騎士ジークは、持っていない。

 仮初の言葉は、火に油を注ぐことになる。そんなリーナを見たく、なかった。

 そう考える自分に気付き、戸惑う。またしても俺達の間に沈黙が訪れた。

 耳元で血流が打ち鳴らされる。籠手の重さに膝をつきかける。太陽が照りつけ、焦る俺を苛んだ。


「だがな、それを俺に求めるのも酷ってもんだろう――」


 思うように舌が回らず、薄っぺらい言葉が唇を上滑りしていく。

 違う。違うんだ。そうじゃない。

 心にもない言葉を紡ぎながら、俺は内心、汗をかいていた。

 リーナは意思の疎通を望んでいる。しかし、仮面を介してではそれは叶わないだろう。

 仮面を外し、それでもジークであろうと取り繕うには、陽気たらんとする呪詛は強すぎた。

 思考が藻掻く。そこにぽとりと、言葉が落ちた。


『だからダメなんだよ。肩の力を抜け、それじゃ他がもたねぇって、なぁ相棒?』


 過去から齎されたその言葉、それは仮面ジークを形勢するきっかけだった。

 はっと顔を上げると、翠の視線が俺の眼を射抜く。

 数瞬の間、声の出し方を身体が忘れる。次の言葉は思ったよりも滑らかに出てきた。


「よし、分かった。リーナ、君に罰を言い渡す――」

「っ…………」


 彼女が両手に力を入れる。その姿はまるで身体を掻き抱いているかのようだった。


「今夜、俺に付き合え。君の時間を差し押さえる。これが罰だ、分かったな相棒?」

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騎士は踊る。陰日向なく 蜂木とけん @hatch_observed

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