第4話 暴れ馬
「――抵抗は無駄と知れッ! 貴様らの悪事は、すでに白日の下に暴かれている――」
運河を目指しひた走る中、向こう見ずな声が漏れ聞こえてきた。
一足遅かった……ッ!
倉庫を目前に、俺は両足へ更に魔力を流しいれ、力いっぱいに地面から跳んだ。
だらっしゃぁぁぁぁああああ!!
空中で脚を揃える。浮遊感に包まれながらも、目線は目標の扉から離しはしない。
「――我が名は、カトリーナ・ラ・ロシェルッ! 貴様ら悪漢から、民を護る――きゃっ!?」
足裏と扉が衝突し、凄まじい音が生まれる。
無礼が完成する間際に、なんとか現場へ滑り込むことが出来た。
倉庫内は暗く、やけに静かだ。まるで音が息を潜めているかのように、しん、と。
身なりを整えて、立ち上がる。陽光によって照らしだされたベールの向こう、埃っぽい暗闇に、俺は相棒の顔を見つけた。
彼女の呆けた唇が僅かに震える。
「お、遅かったじゃないかジーク。ちょうどいい……彼奴等、大人しく投降する気はッ!?」
「申し訳ない! 部下が失礼な真似をした!!」
リーナの首根っこを掴み、頭を下げさせる。それと同時に俺も腰を折って平謝りした。
気丈な彼女はそれが気に入らないらしく、瞬時に身体へ力を入れる。
「――なにをっ!? なにをする! ジーク、貴様というやぁあぁあぁあぁぁぁ……」
何事かと叫ぶ相棒の首を、前後に揺する。俺は乱れる金髪を横目にしながら、祈ることしかできないでいた。
頼むから黙っていてくれ! 頼むから!!
彼女は自分が何を仕出かしたのか、分かっているのだろうか……いや、分かっていないな。考えてみれば、リーナが入隊してから突入捜査をした覚えがない。なら教えていない俺にも非がある。
「彼女は騎士になってあまり経っていなくてね。少し常識というものを知らない。今後はないよう、しっかり言って聞かせる。だから今回は――」
俺は必死に頭を下げながら、後悔した。
見誤っていた。まさか証拠も揃っていない状況で、突撃するとは…………。
その時、まるで波が打ち寄せるように、鉄の擦れる音が発生した。
俺が見誤っていたのは、リーナの気質だけではなかったのだ。
頬を引きつらせながら、顔をあげる。
俺の目に映ったのは、暗がりにたむろする男達。彼らが手に持つ大振りの刃物だった。
彼らはドルタード商会の構成員。力仕事と荒事を生業にする屈強な者たち。
彼らにとって争いごとは日常なのだろう。剣呑な視線は、暗がりの中であってもなお怪しく光り、刃物にも引けを取らないほど、ぎらついていた。
その中の一人が荷箱から腰を上げ、喉を鳴らす。
「なぁ、騎士サマよぉ。ここがどこだか知ってて、もの言ってんのか?」
「あぁ、勿論だ。だからこうして謝って――」
痙攣にも似た笑顔を保ちつつ、慎重に言葉を選ぶ。その時、すぐ横で鋭い抜剣の音が鳴った。
信じられない現象に、仮面が落ちかける。思わず振り向いた先で、相棒のリーナは嬉々とした顔をしていた。
「どうやら、タダでは捕まってくれないようだな!」
「夢なら、そうと……いや、夢であってくれ…………」
「手早く片付けろッおめぇら!!」
「「「ヤンノカオラァァァァアアア!!!」」」
かくして乱闘が勃発した。
不本意ながら、彼女の尻拭いをすることに眩暈を覚える。
「ぼんやりとするなッジーク! 『疾く、駆けよ、迅雷』!」
視界の隅で稲光が爆ぜた。見れば何人かの男が膝から崩れ落ちている。
リーナの才能には舌を巻く。発動までの時間もさることながら、非致死性の魔術を選択する思考力も素晴らしい。
常時これなら、すぐにでも上へ行けるだろう。早く俺の手から離れてほしいものだ。
左側から殺気を感じ、咄嗟に右の拳を振り抜く。
鉄と革を介してもなお、生々しく伝わる音。
男は剣を振り上げた姿勢のまま、仰向けに倒れた。声もなく。
そうこうしている間に、俺は取り囲まれてしまった。
四方八方から聞こえる威嚇に気が滅入りそうになる。
こんなことになると知っていたら、騎士になんてならなかった――
四肢に魔力を行き渡らせ、呼吸を細く深く、吐く。
――だが、ここで死ぬ訳にはいかない。命を賭すべき使命は、他にあるのだ。
「武器を捨て、大人しく投降してくれ。その方が楽だ」
俺の説得も空しく、宙に銀閃が描かれる。
それを右の手甲で受け、腕当てでいなす。男の態勢が崩れた。俺は左足を繰り、肩から当たるように左の拳を打ち込む。
まずはじゃじゃ馬を確保しよう。そうでもしないと話が始まらない。
視界の端に、舞い踊る尻尾を見つける。
俺はそちらに舵を切り、むさくるしい荒波を張り倒していく。
致命傷は免れたものの、身体の至る所で小さな痛みが産声を上げる。
しかし、そんなことはどうでも良かった。この先に居る。彼女が、リーナが。
「リ――」
最後の一人を薙ぎ倒す。視界の開けたその場所で、俺は信じがたいものを目にした。
死屍累々。広く折り重なる男達の最中、少女は細剣を振るい、狂喜乱舞していた。
彼女は瞳に魔力を灯し、迫りくる攻撃を危なげなくかわしていく。
男達は攻めあぐねているようだ。確かに足場も悪い。まして彼らは、仲間を足蹴にする度胸を持ち合わせていない…………。
違和感を覚え、目を凝らす。頭の中で警鐘が鳴り響く。
なんだ、何が引っかかっている?
その時、彼女の戦果である死体が動いた。一人だけではない、伏せている者たちはまだ生きているのだ。
ただ悶えているのなら、問題ではない。しかし、違和感の主は仲間に紛れて、リーナの隙を伺っていた。男の手が、金の髪を求め這い上がる。
まずいッ!
言葉よりも先に魔力が奔る。一歩、そして二歩――床を蹴り飛ばし、俺は右の拳を引き絞った。
彼我の距離は瞬く間に縮む。男はもう片方の手に短剣を握っていた。リーナと俺の視線が重なる。
「じぃッ――」
金のベールと男の顔が被った。俺は構わずに拳を放つ。魔力を乗せ、殺すつもりで。
鉄の皮膚が金髪を押し退け、標的の眉間に辿り着く。その後、衝突。仰け反る標的を蹴り飛ばす。
俺はその場で動きを止め、大きな吐息を一つ。外れてしまった仮面を付けなおす。
「――ぃったぁぁぁぁああああ!? 貴様ッジーク! 私の髪を! 髪を巻き込んだな貴様!!」
耳元で発生した金切り声に顔を顰める。
リーナは耳まで朱に染めて、怒り狂っていた。良かった。戻ってこれたんだな。
彼女の肩に手をやる。俺がじっと瞳を覗き込むと、リーナは瞬時に黙り込んだ。
「仕方のない犠牲だ。我慢しろ。それより首は? これで切り飛ばされていたら、俺の尽力が無駄になってしまう…………」
「ばっ馬鹿者! そうだったらこうして話せていないだろうが!」
それもそうだ。
肩から手を離し、周囲を見回す。依然として俺達は取り囲まれたまま。
この状況をどのように脱却する?
意識を外に向けていると、背中に温もりが重なった。相棒の熱が声と共に伝わってくる。
「まったく……助けてくれるなら、もっと上手くやれ…………まったく」
「あぁ、次からは努力するさ」
そう言って、細い肩から視線を切る。
出口は――遠いな。それにこの人数だ。進路を切り拓くには、少し骨が折れる。
しかし、逃走が最善策なのも、明快な事実だ。
あとはリーナがこの案に乗るか、どうか。
俺が緊迫した状況のなか会話を切り出そうとした、その時、倉庫内に乾いた破裂音が鳴り響く。
「これはいったい、何事だ? 誰でもいい。答えろ!」
その胴間声をきっかけに、男達の壁が割れる。その先に、声の主はいた。
仕立てのいいベストは私腹で肥え、金のボタンは今にもはち切れそう。そうか、彼が――
「お初にお目にかかります、ドルト殿。私は護民騎士団所属、騎士ジーク。そしてここに居るのが部下のカトリーナです」
「――ひっ…………」
リーナが小さく悲鳴をあげた。それは仕方のないことだった。
グスターフの目は影の中にあってもぎょろりと光っている。それで全身を舐るように見られるのは、少女にとって刺激が強すぎた。
俺は一歩前に出て、その視線を受け止める。グスターフが鼻孔を膨らませた。油を塗ったくったような彼の頬が震える。
「して、騎士殿。これはどういった訳で?」
「はい。実は手違いでここに訪れた次第で、些細なすれ違いからこのような状況に……誠に申し訳ありません」
「社長! だまされちゃぁ――」
「お前は黙っていろ! カルロ―!!」
最初の男が声をあげたが、グスターフに一喝される。男は大人しく引き下がるも、俺に絡みつく視線は、怨嗟の炎で燃えていた。
カルロ―…………お前の顔を、俺は忘れない。
グスターフは暫しの間黙り込んだ。
彼の頭の中では損得の勘定が行われているのだろう。このまま無かったことにするのか、それとも俺達を亡き者とするのか。
俺は前者だと思っている。幸いなことに、荷は暴かれていない。被害は人足の負傷。ただそれだけ、たったそれだけなのだ。
痛い腹を突かれたくはないだろう?
俺は仮面の頬に弧を描く。それと同時にグスターフが口を開いた。
「うちの者が迷惑をおかけしたようだ。謝罪しよう。このままお引き取り願いたいところ――」
「社長ッ!」
カルローが一歩前へと出る。グスターフはそれを視線で縫いつけると、言葉を続けた。
「――だが、我々にも体面というものがある。それを努々、忘れないでいただこう」
「ええ、承知しておりますとも…………」
リーナの腕を引き、その場を後にする。男達の殺気を背にして。
グスターフの目は終始、リーナの金髪をねめつけていた。
倉庫を出て陽光に身を晒す。男達の視線が途切れ、俺はほっと胸を撫でおろした。
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