第3話 模倣


 濃い紅の臭気に身を浸しながら、俺は酷く動揺していた。


「これで二件目だ。一日で立て続けに殺すとは、随分と精力的じゃないか」

「目撃者がいるらしい。集団に襲われたんだそうな……」

「人突きは単独犯じゃなかったのか!?」

「あぁ、何はともあれこれで奴らの真相に近づいたってことだな」


 ――違う、それは……。

 衛士たちのおしゃべりに、唇を噛む。

 倉庫街の狭い路地は、騒然とした空気の中であっても彼らの声をよく通した。

 俺は口元を押さえ、遺体の傷口を凝視する。そうでもしていないと、仮面が剥がれてしまいそうだった。

 なぜ――

 心の中でそう繰り返し、俺は冷たくなった浮島を渡り歩く。

 血の海に浮かぶ男達はどれも、急所への一撃で息絶えていた。

 しかし、違うのだ。これは人突きの仕業じゃない。いくらそう否定しても、眼前に並べられた証拠は、これが人突きによる犯行だと声高に訴えていた。

 背後に人の気配。うなじを走った怖気に俺は突き動かされる。そこでリーナが意外そうな顔をしていた。


「大丈夫か? 血の気がないぞ」

「あ、あぁ――ッなぁに、心配には及ばないさ。ちょっと吐き気がね。昨日の夕食はトマトスープだったんだ」


 とっさに取り繕い、顔に笑顔を張り付けた。そうか、と気のない返事に俺は胸を撫でおろす。

 リーナは俺の隣にしゃがみこむと、遺体に視線を落としながら続けた。


「どう思う?」

「……どう、とは?」

「手口だ。衛士達の情報でもそうだが、人突きによるものによく似ている――」


 ――しかし、違和感が拭えない――

 その言葉に、俺ははっとなった。振り向いた先でリーナと視線が絡み合う。

 彼女はその瞳に強い意志を灯し、頷いた。


「たとえば、あの男。腕に切り傷がある。次にそこの男。死因は背後からの刺突だが、争った形跡があった。表情は今にも叫びだしそうな顔だ」


 リーナが指し示すものを目で追い、彼女の言葉に相槌を返す。

 俺は否定することに躍起になっていた。だから、それらに気が付けなかった。

 凛とした声が立ち上がる。


「今までこんなことはなかった。だから、これは人突きの犯行ではないと、私は考える」


 あぁ、そうだ。これは一突きがやったことじゃない。こんな杜撰な仕事を俺は、しない。

 大きく息を吐く。嗅ぎなれた鉄の香りは、俺の精神を鎮めてくれた。

 誰が、どうやってなど、疑問は未だ尽きない。だが、そんなことは問題じゃない。

 血生臭い吐息に言葉を乗せる。舌はいつになく良く動いた。


「なら、やることはただ一つ。犯人一味を引きずり出し、聖十字の上に晒し上げる……同じような輩が出てきても困る。これ以上忙しくなるのは、ごめんだ」

「……ほう、今日はやけに積極的だな。やっとお前にも私の言葉が――」


 積極的? もちろんだとも。人突きの名は、崇高な行いの果てに生まれた結果。こんなチンピラの小競り合いに使われていいようなものじゃない。なにより――。


「他人の服でことをなす、その姿勢が気に入らない……リーナ?」

「…………あ、いやっなん、なんでもない!」


 会話の途中でリーナの視線に気が付く。俺が硬直する瞳を覗き込むと、彼女は慌てて顔を背けた。

 乱れた金髪の向こうで、小ぶりな耳が真っ赤になっている。

 いったいどうしたというのだろうか? 俺がなにか――あぁ、そうか。俺が話を途中で邪魔したから、それが気に入らない、と。

 外れていた仮面(えがお)を今一度付け直し、リーナの正面に回り込む。


「言葉を遮ったのは謝る。だから、な? 機嫌をなおしてはく――」

「ああ!? なんで元に戻るんだ! せっかくッせっか、く……」


 かッと放たれた言葉が尻すぼみになっていった。彼女の瞳で魔力が瞬く。それは感情の発露に違いなかった。


「せっかく?」


 その先を促すように聴き返す。俺は他人が声を荒げる理由に興味がある。そのきっかけは、俺の魔法に必要なものだから。

 時が止まっていまったかのように、俺達は見つめ合う。我慢比べに負けたのはリーナだった。


「ええいッいい加減にしろ! その様子なら次の目星もついているのだろう!? ならさっさと進めろっ!」

「分かった。俺が悪かった。謝るから、肩をどつくのを止めてくれ」


 赤熱した相棒にどやされ、俺は肩を竦める。

 簡単には教えてくれないか……これだから女ってやつは…………。

 俺は鼻息荒いリーナを伴って歩き出す。事件の証人、唯一の生き残りである女性の方へ。

 なぜ彼女は生き残った? その理由がただの見落としだとしたら、余りにも間抜けがすぎる。

 違和感の塊から、犯人たちの輪郭を削り出していく。不確かな陰影を線とするには、女性の証言が必要不可欠だった。

 女性は酷く怯えている。俯き、自らの殻に籠ったような彼女の姿。しかし、視線だけは絶えず行き来していた。周りの物音や風の動き一つに、女性は大袈裟な反応を示す。

 彼女はいったい、何を見たのだろう? 彼らとの関係は? そしてなぜ、彼らは死ななければならなかったのか…………?

 思いつく限りの疑問を並べ立て、関りのないものから省いていく。ある程度の道筋が出来上がったころ、女性の瞳が俺を見つけた。

 俺は視線を絡め、喉奥で言葉を転がす。さて――


「ご婦人。あなたは何故この場に?」

「あなたは……?」


 俺の台詞に、女性は誰何の声を返した。

 俺は仮面に罅が入らないよう、細心の注意を払って言葉を紡ぐ。


「私はジーク。主に剣を捧げた、護民の騎士です。後ろにいるのがカトリーナ、騎士団の仲間です――」

「カトリーナ・ラ・ロシェルだ」


 意地っ張りな名乗りは聞かなかったことにする。

 俺は女性を見つめて、続けた。あなたのお名前を伺っても?

 きしさま、と彼女の唇がうなされるように蠕動した。


「……わたしはエラ――カイル・エスカパーナの妻、です…………」


 夫の名を聞いて、俺は目を細める。頭の中では通りに取り残されていた馬車、そこ焼印された字が浮かんでいた。

 エスカパーナ商店。あまり聞かない名だ。古びた荷台の幌や、彼女の身なりから察するに儲かってはいないのだろう。

 では、なぜ? 何故、下請けに過ぎない彼らを……犯人たちは…………。


「カイル氏は――」


 俺がそう言いかけた途端、エラは現実から目を背けるように泣き出した。


「なんでっなんで私たちがこんな目に!? やっと仕事が上手くいくって、幸せな未来はすぐそこだってッ――今日だって、あの人は――」

「何か思い当たることが?」


 引き攣る言葉に引っかかりを覚え、俺は疑問を差し込んだ。

 彼女は答えなかった。エラは顔を覆ったまま、髪を振り乱す。

 このままでは埒が明かない。

 俺は彼女の手を取り、肌に食い込む指をそっと解きほぐした。それに釣られるようにエラの身体から力が抜ける。

 赤みを帯びた目尻から視線を移し、揺れる瞳を覗き込む。一呼吸置いてから、俺はもう一度問いかけた。


「彼は――カイルは、何を言っていたのですか?」

「あのひと、は……笑っていたの――俺達は、あんたいだって……グスターフさんから依頼をがきた、って」


 あぁ、その名は知っているぞ。グスターフ・ドルト……水運から貸倉庫業、卸売りに至るまで手広くこなすドルタード商会の主人。

 彼からの依頼を受けた矢先に、事件が起こった。よし、これだ。

 手がかりを、しかと握りこんだ感触。俺はまだ見ぬ敵を引きずり出そうと、それを手繰った。


「どんな依頼か、彼からは?」


 しかし、それは空振りに終わる。エラは力なく首を横に振ったのだ。


「いいえ……彼は浮かれてて、子犬みたいに喜んでいたの。それが、わたし、なんだか嬉しくって…………」

「そうですか」


 彼女の物憂げな微笑みに、俺は口を噤む。

 一度手繰って駄目だったが、この線は必ずどこかに繋がっている。俺はそう確信して立ち上がった。

 まずは、そうだな……カイルの店、彼が所有していたであろう倉庫から辿るか。彼らが狙われた原因は、必ずそこにある。


「リーナ、この商店の倉庫を捜査するぞ。隅から隅までくま――なく……リーナ?」


 振り向いた先に、相棒の姿はなかった。何度か辺りを見回し、しょうねん――と言いかけて、俺は溜息を吐いた。

 彼はもう、いないのだった…………。

 血に耐性のなかった少年の代わりに、近くの衛士へと歩み寄る。


「すまないが、うちの相棒を知らないか? ついさっきまではそこに居たんだが……」

「ん、ああ。その方でしたら先ほど走っていかれましたよ。この道を運河に向かって――」


 あのじゃじゃ馬め……! 

 頬が引き攣りそうになるのを、必死に堪える。

 まずい。まずいまずいまずい――これ以上の感情の無駄遣いは、暗殺(しごと)に差し障る! 落ち着け……そうだ、まだ決まったことじゃない。リーナは見当違いの方向へ走っていったのかもしれない。聡い娘だ。捜査を台無しにするようなことは、そうそう…………。


「――黒幕は貴様か! と叫びながッうわっ!?」


 魔術を脚に流し込み、リーナの後を追う。先を急ぐ余り、前方を気にする余裕がない。

 抑えきれない感情に火がついていた。が、この際だ。仕方がないだろう。まずは追い付かなければ、彼女に。

 致命的な間違いは犯さないでいてくれッ! 頼む!!

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