第2話 決闘


「ええいッ邪魔だ! そこを通せ!!」


 狭苦しい通路にリーナ嬢の声が反響する。

 出口でたむろしていた同僚たちは、壁に背をつけると、視線を俺によこした。


「なんだジーク、相棒の尻でも触ったのか?」

「これで女に懲りたろう。おれと組まないか? ちょうど妖精の助力が欲しかったんだ」

「ずるいぞッジークはみんなのもんだって! こういうのはな、公正に賭けで決めるべき……ってことでジーク、今度カードやろうぜカード! 面白いゲームを仕入れたんだ!」

「――ジィィィイク!!」


 訓練場からの怒声に首を竦める。俺は同僚たちに手を振り、先を急いだ。

 薄暗い通路から陽光の降り注ぐ場内へ。日の当たる場所は刺激が強く、俺は堪らず目を細める。

 取り囲まれているような騒めきに疑問を持った。俺は痛みの引いた瞳で周囲を見回し、呆れて声も出なくなる。

 どこから湧いてきたこいつら。


「よっ来たなジーク! おぉいお前等! 妖精の翅の到着だ!」

「さぁさぁっ賭けた賭けた! 倍率は令嬢一と四半、妖精は二倍! 情勢は令嬢優位の予想だ!」

「令嬢に五シリン!」「俺は十だッ!」「ジーク様に一シリン、お願いします」


 決して広くはない護民騎士団の訓練場。その一角が身内でごった返していた。

 護民騎士団の勤務体制は三交代だ。当務、非番、休日。その内、仕事じゃない二班が……いや、この数だと当務の奴等も来ているな…………。

 風を裂く鋭い音が、騒然とする場内に吹き付ける。俺はその主を視界におさめ、言葉を探した。


「噂は人の足より速いと言ったところか。どうだ、見世物になるのはお互い嫌だろう? 今日のところは――」

「結構なことだ。これだけ証人が居れば、いくら不真面目な妖精殿も誓いを不義にはできないだろう?」


 リーナ嬢の細剣が陽光に煌き、怜悧な眼光が俺を射抜く。

 自尊心の強い彼女なら、と期待しての言葉だったが、こう言われては閉口するしかない。

 もともと策を弄するのは得意じゃないんだ。どうしたって俺は直情的で――

 俺は大人しく装具の点検を始める。軽く右腕を回し、肩当に異常はないか確かめる。次に曲げ伸ばしをして、上腕、肘、腕当の具合を見る。どれも歪みはなく変に干渉もしていない。最期は手甲。手入れの行き届いた革手袋はよく手に馴染み、身に纏った鋼を己の肌のように感じさせた。

 ――怒らないように、怒らないようにと、小手先の手段で目を逸らしてきた――

 

「お前がふざけていられるのも、ここで終わりだ。最後に軽口の一つぐらい許してやってもいい」

「そうだな……」


 不敵な笑みが、いやに眩しく見えた。

 俺が拳を構えると、リーナ嬢は半身になって剣を構える。

 互いに武装は一つきり、不揃いの甲冑と細剣。これから決闘をするには、あまりにも可笑しないでたちに、素の笑いがこみ上げてきた。

 その感情を仮面の下に押し込め、笑う。

 出世欲のない陽気な騎士。ここまで精巧な仮面を捨てる気など、俺には毛頭ない。


「決闘だと言うのなら、こちらの条件も飲んでもらおう。俺が勝った時――」


 リーナ嬢の眼差しが剣呑なものへと変わる。彼女の瞳は魔力を帯びていた。


「必要ないッそんな可能性など、万に一つもないのだからな!」


 一陣の風がリーナ嬢の髪を、ひとまとめに括られた金髪を巻き上げる。

 闘いの火蓋が切って落とされた。

 眼前に迫った剣先を、俺は身を捩って避ける。

 決闘とは本来、事前に取り決めを行うものだ。剣のみで、一太刀をもってなど、被害が少なくすむよう、互いの力に枷をかける。

 今回はそれがなかった。勝つには相手に負けを認めさせるしかなく、魔術戦闘も織り込み済み。一番派手で、必然的に傷も大きくなる。

 男どもの歓声が、空気を揺らした。


「避けるなァッ!」

「無茶を言うんじゃない! 避けなければ死んでいた!」


 俺は叫びながら魔術を成立させた。術を手足に流し込み、強化された膂力で地面を蹴る。

 一度間合いを開けて、呼吸を――

 

『啼け、春風。そはいつしか嵐になりて!』


 風が吹く。遠くの声を乗せて。

 思考を捨て、視線を切る。それはリーナ嬢が銀閃を放ったのと同時だった。


「まず――」


 言葉を紡ぐ暇すらなかった。突風が耳元を吹き抜け、肩当のない左肩に痛みが走る。

 態勢を保てず、俺はもんどりうって地面に倒れた。そのまま、負傷の程度を見て取る。

 痛みのわりに出血が少ない、加減したな…………。


「その程度か、ジーク。情けない……お前の下で働いていたなど、人生の汚点だ」


 静かな足音と押し殺した声が近づいてくる。

 俺は彼女の視線を受け止め、立ち上がった。


「随分な言いようじゃないか。まだ始まったばかりだというのに、気が早い女は嫌われるぞ」

「ぬかせッ!」


 リーナ嬢の顔が怒りで歪む。彼女の細く長い脚が地面を砕き、細剣が跳ねる。

 あぁ、真っ直ぐだな。言葉を挑発として流せない青さも、指南書をなぞったような剣さばきも。

 俺は突きを手甲で弾き、拳の間合いに潜り込む。

 喧騒が遠くに聞こえた。リーナ嬢が目を見開く。彼女の金髪が、陽光に透けて輝いていた。

 それらは全部、過去に捨てたものだ。

 俺は折りたたんでいた腕に力を込め、拳を撃つ。リーナは突きを放った状態だ。咄嗟の攻撃に対応できるとは思えない。

 なに、強化されているとはいえ、怪我をするほどじゃない。せいぜい少し痛むのと転んで擦り剥くぐら――

 虚をついたはずの拳が空を切った。

 

「――な、に……?」


 リーナは俺の一撃をひらりと避け、すぐさま間合いを取った。

 湧き立つ歓声の中、俺は何が起こったのか分からず、彼女の瞳を見つめる。

 そこには僅かな焦りと魔性特有の輝きがあった。

 魔眼……なるほど、そんなものを隠し持っていたのか。

 そう、気が付いてからが長かった。


「どう、だ…………参ったか……」

「ま、だまだぁっ」


 降参を促す俺の言葉に、帰ってきたのはリーナ嬢の突き。そこには最初のような鋭さはなかった。

 すれ違いざまに、俺はリーナの肩へ拳を押し当てる。殴打なんて呼べない攻撃は、彼女をよろめかせるにとどまった。互いに息をきらし、肩で呼吸を繰り返す。

 あの時から、どれほど経ったのだろう。今や太陽は中天に差し掛かろうとしていた。

 決定打のない応酬に、同僚たちもいつしか飽き、今や訓練場に残っているのは賭けに熱心な者だけ。

 集中がほつれ、耳が関係のない音を拾う。心無い野次で仮面に罅が入る。

 いけない。ここでは騎士の顔を保たなくては。俺は、怒ってはいけない。今までの我慢が無駄になる。

 闘いが停まったことで、疲労の度合いがぐっと高まった。思考が滲み、意識がぼやける。

 見つめる先で、リーナが細剣を振り上げた。


「その顔だ――」

「……?」


 剣を頭上に構えたまま、リーナは頬を歪めた。魔眼がぎらぎらと光る。何かに歓喜するかのように、何かを、羨んでいるかのように…………。

 彼女の足が砂を踏む。その音がやけに大きく聞こえた。


「――なぜ……いつもそうじゃないんだ。なんでふざけるんだ。やっぱり私じゃダメなのか? 頼りないのか? かつてのあなたはもっと研ぎ澄まされていたはずだ――」


 オ レ ヲ ヒ テ イ 、 シ テ イ ル ?


「や、めろ……」


 感情を叩き伏せ、顔を覆う。呼吸を繰り返す。空気が、足りない。

 リーナは瞳の光を揺らしながらなおも続けた。


「――教えてくれ、私に非があるなら努力しよう。教えてくれ、なにがいけないんだ? なぁ――」


 オマエ モ オレヲ……。

 彼女の言葉、その一つ一つが、火花となって俺の中で眩く光る。

 風が、強く吹いていた。一刀一足の距離まで来ていたリーナ、その背中で、金髪の束が膨らんでいる。


「――応えろッ――」


 今にも泣き出しそうなリーナの顔が、かつての相棒と重なる。今のままでは駄目だと、変わるべきなんだと、立ち去り際の寂しそうな顔が。

 リーナの涙が呼び水となって、感情が漏れていく――カワリタクナイ――意図的に秘めてきた思いが――ナンデ、オマエタチハ、オレヲ――いくら否定しても、それはここにあって……。

 リーナが喘ぐように息を吸った。彼女の両手に力が入り、剣先がぶれる。

 殺してきた感情が嵐となって、思考の海に白波がたつ。波打ち際には、ボロボロの仮面が浮かんでいた。

 仮面が何かを言っている。罅だらけの白に張り付く黒が、軽薄に笑っていた。

 ソレハ、オレジャナイ。


「――鉄拳ッ!」


 途端に思考が凪いだ。

 リーナの細剣がまっすぐに振り下ろされる。真新しい笑み(かめん)目がけて、まっすぐに。

 左腕が動いた。直進する細剣、それを振るう彼女の手首を掴み、放さない。

 リーナの魔眼が煌いた。そこに何が映っているのかは分からない。しかし、早すぎる反応から見るに、俺の拳、その軌道が分かっているのだろう。

 だから、何だと言うのだ。

 俺は右腕の回路に魔力を流す。無茶な魔力の運用に、指先が悲鳴をあげる。突き刺すような痛みを握りつぶし、俺は拳を放った。


「――ハハッ!」


 リーナが嗤う。眼前で止まった拳を凝視しながら。

 俺は伸び切った腕の向こうに、それを見た。

 読み切ったぞと、そう言わんばかりに彼女の瞳が光る。リーナの唇が波打ち――俺は掌を開く。

 あまいなぁ。甘々だよ、お嬢ちゃん。

 凝縮された魔力を解き放つ。

 見えない俺には分からないが、それは瞬く間に霧散し、この場に漂うのだろう?


「ぃあ!? あ、あぁぁぁッ!」 

「――おおっ?」


 唐突に左腕を引かれる。俺が握っていた細腕は、主の両目を覆うことで必死だった。

 力に逆らえず、俺達は折り重なるように倒れこんだ。

 細剣が跳ねる。大きな音をたてて。


「うぅ……めが、目が…………」

「さて、リーナ。これで満足かな?」


 悶える彼女を組み敷く。リーナには声が届いていないのか、両目を押さえたまま身を捩っていた。

 これじゃ埒が明かないな。

 俺は諭すように優しい笑みをつくる。そうして固く閉ざされた蓋を引き剥がした。

 リーナは目に涙を浮かべていた。瞳が小刻みに震えている。

 拳を彼女の唇に押し当てる。小さな光が幾度も映る瞳を覗きこみ、俺は言葉を紡ぐ。


「リーナ。今日から君をこう呼ばせてもらう。文句はないね?」

「んむ…………」


 さっそく勝ち取った権利を行使する。俺の仮面は完璧な笑顔を浮かべていた。

 リーナは何度も目を瞬かせた。彼女の両目から一筋の雫が零れ落ちる。

 

「さて――」


 いつまでも圧し掛かているのは忍びない。

 数度土埃を叩き落とし、リーナに手を刺し伸ばした、その時――


「ぃへんだ! おおいッ聞いてるか!? また殺しだ! 人突きが出たぞッ!!」


 ――空気の読めない大声が、俺達のもとへ届いた。その内容に耳を疑う。


「――なに……?」

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