第4話 僕と雪華の季節
大学生になり環境が変わっても僕は生きている実感が無かった。惰性で暮らす日々……。やがて僕は、ユカを捜しに行くことに決意する。
大学で登山部に入り雪山登山の知識を蓄えた。サークルで告白されたり飲み会に誘われたけど、僕はどれも断った。さぞつまらない奴に見えたと思う。
夏の間に田舎に向かい白糸山の地形を確認した。山の社に置いてきたユカ宛の手紙に必ず見付けると約束を書いた。
次の冬、僕は白糸山に登る。冬の間ずっとユカを捜して、食料が足りなくなったら麓に下りる。そしてまた山に向かうを繰り返した。
ユカの居ない季節が巡る──。
次の夏は白糸山の管理者に許可を得て社の手入れをした。ユカが寂しくないように植え木や花を植えた。
また冬が来て、山に籠ってユカを捜す。ユカが見付からないことに慣れて行く自分が堪らなく嫌だった。
結局、その年もユカは姿を見せなかった。僕は……僕の年月のユカが本当か幻か分からなくなり始めていた。
春になり大学に通う為東京に戻った僕は、相変わらず生きていた気がしなかった。
でも、その年……四月だというのに東京で雪が降る。初めはユカが来てくれたのかと思ったけど、違うと分かったら益々動けなくなった。
溢れ出すユカとの想い出は僕にとってこんなにも大切なんだと気付いた瞬間、あの林道で見た雪を思い出し街中で空を見上げた。
そして──眩い光に照らされた次の瞬間、激しい音と共に衝撃が伝わる。宙を舞い激しく叩き付けられた後、僕は倒れていることに気付く。
微かに聴こえたのは、混乱の声と救急車のサイレン……。空から落ちてくる雪を見ながら僕の意識はここで途切れる。
…………。
今までのが『ユカと過ごした僕の記憶』。でも、この記憶は暗い意識の底に沈む。今、こうして思い出している僕ももうすぐ消えるだろう。
それは僕にとって幸せかすらもう分からない……。
◆
「神田くん。写真集の在庫は?」
「今のが最後です。完売しました」
東京のとあるビルの一階──。写真家の峰岸保次さんの個展会場で僕は手伝いをしていた。
峰岸さんは四十半ばで海外の賞を取った凄い人だ。
「皆さん、ありがとうございました。神田くんもお疲れ様」
「いえ……」
僕は大学に通う傍ら、峰岸さんとの奇妙な縁で弟子もどきとして活動している。
八ヶ月前……僕はタクシーに撥ねられた。そのタクシーに乗っていたのが峰岸さんで、責任も無いのに何かと病院に来てくれたのが縁の始まりだった。
「さてと……後は運営スタッフに任せて、私達は食事にでも行こう」
「良いんですか?」
「ま、金に関しては彼等に任せた方が安心だからね。スポンサー様々だよ」
峰岸さんは蓄えた口髭を撫でながらニッコリ笑う。近場のレストランに向かった僕達は先に小さな祝杯をあげることにした。
「今回は忙しかったね。神田くんにも無理させた」
「いえ……色々参考になりました」
「身体はもう大丈夫かい?」
「はい。記憶以外は、ですが……」
「記憶喪失か……。本当にあるんだね、そういうの」
ノンアルコールビールを煽る峰岸さんは難しい顔をしている。
僕は事故で記憶を失った。記憶喪失は不思議で、個人差がある。僕の場合、何故か冬の間の記憶だけが欠落していた。
祖父母のことは覚えているのに、田舎で過ごした記憶だけが無い。本当に変な感じだ。
「神田くん。今回のアルバイト代弾むから、記憶が消えている土地に行ってきたらどうかな?」
「いや……でも……」
「何かあるのかい?」
「いえ……そういう訳では……」
歯切れの悪い僕に峰岸さんは改めて何かを思い付いたらしい。
「良し。じゃあ課題を出そう。冬休み中に君の田舎の景色を撮ってきなさい。それ次第では正式な弟子にする」
「本当ですか?」
「ああ。但し、真剣に自分に向き合うんだよ?写真というのは撮り手の心を反映する。君の中に何が足りないのか分かるよう頑張りなさい」
「はい!」
峰岸さんに背中を押された僕は、冬休みに早速東北に向かった。
祖父母の家に行く前に、一頻り景色を撮ることにした。白一色の景色は記憶の無い僕に何かを語り掛けている気がした。
しばらく見て回った後、ふと森へ続く道に足を踏み入れた。何かに惹かれる様に進んだ先に人影があった。
(こんな場所に?)
更に進むとそれが女性だと判った。女性は赤いマフラーを巻いていた。
「こんにちは」
僕の呼び掛けに女性はかなり驚いていた。
「アキ……ラ?」
「えっ?」
「アキラ!アキラ~!」
彼女は僕の胸に飛び込んで泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい!私、怖かったの!一緒に居たらアキラの人生が……。でも、諦められなくて……」
「………」
「そうしたらお母さんが言ってくれたの!自分は無理だったから、その分幸せになれって……。だから……」
此処に居ればまた逢える……そう信じて待っていたと彼女は言った。
僕は……何も言えなかった。
「アキラ……」
「ゴメンね。僕は事故に遭って記憶が無いんだ」
「知ってるよ。だから会いに行けなかったの」
「…………」
「…………」
互いに会話が途切れ無言で見つめ合う。その時僕は自分の頬を伝う涙に気付いた。
「あ、あれ?何で……」
「アキラ……」
「何で止まらないんだ?おかしいな……」
女性は僕をギュッと抱き締める。今度は僕が泣く番だった。
崩れ落ちた僕に彼女はただ無言で胸を貸してくれた。胸元のシルバーの鳥が四つ葉のクローバーを咥えたネックレスが印象的だった。
「落ち着いた?」
「恥ずかしいところを見せちゃったね」
「ううん……」
「あの……君の名前は?」
「……当ててみて」
「…………」
「…………」
「ユ……。カ……?」
「うん。おかえりなさい、アキラ」
そして僕達は語り合う。
僕とユカの新しい季節は始まったばかり。今度は離さない……そんな誰かの声が聞こえた気がした。
雪華の季節 喜村嬉享 @harutatuki
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