最終話

「バッチャン、ただいま~」

修の声が聞こえました。私はホテルのソファの上で眠っていたようです。

「バッチャン、ソファで寝てたの?」

「ああ、修……」


また現実に帰ってしまいました。前回を上回る心の落差で、自然に涙がこぼれていました。


「バッチャン、どうしたの? 泣いてるの?」

「なんでもないよ。あんまりいい夢だったから、感激して涙が出ただけ」


 夢ではありませんでした。私の手の中には、松ぼっくりがあったのです。



 翌日は、修のお目当てである、美郷町みさとちょうの歴史探訪にでかけました。まず、神門みかど神社に参拝し、西の正倉院に入りました。奈良の正倉院原図をもとに忠実に作られているということですが、奈良では中には入れないのに、ここは入れるのです。私はワクワクしました。

 中に入ると、この地に古くから伝わる百済王くだらおうの伝説が詳しく説明されていました。それを読み始めて、息ができないくらい驚いてしまいました。それはあの方が私に語ってくれた、あの方の身の上そのものだったのです。


「修ちゃん、先に行ってていいからね。私はゆっくり、自分のペースで見たいから」


絶対取り乱してしまう、孫と一緒には見られない。私はそう思ったのです。


伊佐賀いさかの戦い」では、あたり一帯に血みどろの戦いがくりひろげられ、伊佐賀の土が赤いのはそのためだと言い伝えられていることが書かれていました。それこそがあの方が戦死した戦いだったのです。

 涙が滲み、嗚咽をこらえるのに必死で、しばらく文字が読めませんでした。あの方は実在していたのです。お父様が禎嘉王ていかおう様、お兄様が福智王ふくちおう様、そして、あの方は華智王かちおう様だったのです。華智王様は伊佐賀神社に祀られていました。


 少し行くと、百済王族の遺品とされる宝物などがたくさん展示してありました。


「鏡……」


 そこには歴史の教科書で見たことのある銅鏡が二十四面も展示されていました。奈良ではなく、九州の、それも、あまり知られていない片田舎に、こんなにたくさんの貴重な宝物が残されているとは。


「本当に王子様だったんだ……」


 スクリーンに映像が映されているコーナーがあり、今始まったばかりでした。私は慌てて椅子に座り、映像を見始めました。


 それは「師走祭り」という、この地に古くから伝わる祭りの映像でした。すぐにそれがあの方がおっしゃっていた、年に一度ご家族に会える祭りだとわかりました。映しだされた伊佐賀神社は、あの方と初めて会った場所に間違いありませんでした。あの方にいただいた「こよりの輪」は、祭で配られる安産のお守りであることもわかりました。

 私は興奮していたので、それから後は何を見たかあまり覚えていません。


 西の正倉院を出て観光マップを見ると、「伊佐賀神社」は、そこから離れたところにありましたが、「恋人の丘」は近いことがわかりましたので、私は修に言いました。

「『恋人の丘』と『伊佐賀神社』に行きましょう」


「恋人の丘」に到着し、あたりを見まわすと、昨日見たばかりの景色そのものでした。なにひとつ違う物はありませんでした。あまりにリアルな記憶に自分でも驚くばかりでした。

 次にタクシーを走らせて「伊佐賀神社」に行って、確信いたしました。あれは夢ではなかったと。


 伊佐賀神社の階段を上り、社の前に立つと、あの方が現れるのではないかと思い、心臓が痛いほどに打ちつけていました。


「華智王様、また、あなたにお会いしたいです」

手を合わせ、心の中で強く祈りました。どのくらい祈っていたでしょうか。


 ……そこは、静かなままでした。しばらくそこを離れず、奥の方を見つめていました。何も起こりませんでした。


 私はあの日と同じように、神社の石段に座りました。すると、あの日淋しさと不安でいっぱいだった私を癒してくれた、あの方の温もりに包まれているような気がしました。


「バッチャン、どうしたの? なんか変だ」


「あ、ああ……もうこれからは孫離れして私の人生を歩むんだから、変わって当然。変で上等」


 しばらくその辺りを散策しましたが、私は諦めて帰りました。


 その後は気持ちを切り替えて、神話の国、宮崎を満喫しました。赤ちゃんの頃から育ててきた修との観光はいい思い出となりました。




 数日後、いよいよ修の旅立ちの時がやってきました。駅まで送ると、淋しさが倍増する気がしたので、息子夫婦だけで行ってもらい、私は家で見送りました。


 物音のしない大きな家でひとりお茶を飲んでいると、なんとも言えない気持ちになりました。淋しさに押しつぶされそうで、どうしてもあの方に会いたくなりました。もしかしたら、もしかすると……。私は手鏡を取り出し、祈るような気持ちで鏡に呼びかけました。


「鏡よ鏡よ鏡さん……」


 すると、鏡に映った私の顔が渦巻き、あの方が現れたのです!


「花江さん、呼んでくださってありがとう。この日がくるのをずっと待っていました」


 あんなにも会いたかったあの方が……、繰り返し繰り返し思い出しては、そのお言葉をなぞっていたあの方が、目の前にいるのです。もう何も気にすることはありませんでした。私は自由でした。

 

 その日から、私の新しい人生が始まったのでございます。



終わり

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鏡よ鏡 楠瀬スミレ @sumire_130

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