第6話
「いいえ。花江さん、あなたはとても美しい。あなたの手を見てご覧なさい」
自分の手を見て驚きました。荒れてしわくちゃでガサガサの手は、若いころ「白魚のような手」とよくほめられていた、その手に戻っていたのです。
それでは、私のお顔も? 鏡が見たくて、あたりにお手洗いでもないかと見回すと、近くにこの丘の説明板があり、その説明板の周りの枠が、ピカピカの銀色の金属製で、鏡のようでした。私はその説明板に駆け寄り、自分の姿を映してみました。私は本当にびっくりしました。若干歪んで見えましたが、それは、二十代のあのころの姿だったのです。
「私、また夢を?」
「夢ではありません。初めて会った時だって、安産のお守りをちゃんと持って帰ったはずです」
そう。あの時、現実に帰っても、手の中に、こよりの輪があったのです。
「今、私は、あなたの魂とともにいるのです。人の体は洋服のようなもので、年月が経つと古くなっていくけれど、魂はいつまでも若くてみずみずしいままなのですよ」
「それでは、私は死んでしまったの?」
「いいえ。あの時と同じです。ちょっと体から抜け出してお散歩しているだけです」
説明板にはこの丘の名前が書いてありました。
〈恋人の丘〉
そこにはこんな説明が書いてありました。
「〈恋人の丘〉は古くから展望名所として多くの恋を実らせました」
冒頭に書かれていたこの言葉に、顔が熱くなってきました。あの東屋は「百花亭」という名前で、天井に一対の鐘がついており、韓国では恋人、親子、兄弟姉妹が鐘を鳴らすことにより絆が一層深まると書いてありました。
東屋のそばには、銀色のハート形のモニュメントがあり、メッセージを書いた南京錠がたくさんかかっていました。多くのアベックがかけていったようです。
「花江さんと一緒に鍵をかけたかったけど、私は人間ではないので鍵の用意ができませんでした。だから、その代りに、一緒に鐘を鳴らしませんか?」
百花亭の天井には二つの鐘があり、そこからひもが一本下がっていました。私たちは二人でその一本のひもを引っ張りました。
恋人、親子、兄弟姉妹が鐘を鳴らすことにより絆が一層深まる……。その言葉を思い出し、「恋人」という言葉と、「絆が深まる」という言葉だけが浮き彫りになって、私を緊張させました。もう、自分の年などきれいに忘れていました。
ひもを引く手が重なり合ってあの方のぬくもりを感じると、私の身体は、幸せという甘い蜜に満たされて、とけてしまいそうでした。鳴り響く鐘の音が、私たちの再会を祝っているようで、「ウエディングベル」という言葉を思い出させました。
再び会える日をどんなに待ち望んでいたことか……。ひもから手を離し、私たちは見つめあいました。私はあんなにお顔を見たかったのに、あの方が美しすぎて、まともに見ることができませんでした。しかし、次の瞬間、あの方は私の手をとり、しっかりとつないでくださいました。
手を引かれるままあたりを散策していると、「恋人の丘」というこの場所の名前が私をドキドキさせました。どうやったら静まるのかしらと足元ばかり見ていると、まつぼっくりをみつけました。
「あ、かわいい!」
赤松の下に落ちていたきれいなまつぼっくりを拾おうとすると、あの方はすぐにしゃがんでとってくださいました。
「ありがとうございます」
さっき、私に会いたかったとおっしゃったのに、私が呼んでも出て来られなかったのはなぜかしら? どうしても知りたいと思い、思い切って聞いてみました。
「なぜあなたは今まで沈黙していらっしゃったのですか?」
「それは、あなたの本当の幸せを願っていたからです」
「私の幸せのために?」
「実は千三百年前、あなたを一目見た時から、あなたを私の妻にしたいと思っていました。その願いが叶って、あなたと愛し合うようになり、結婚の約束をしていたのです」
「私とそんな約束を?」
やはり、この方に安らぎを感じるのには、ちゃんと理由があったようです。
「しかし、戦になり、私は戦死してしまったため、叶いませんでした。千三百年待って、やっと会えたあなたには、すでにご主人がいた」
「あの時ですね! そんなに長い間……。だからあなたはあんなに喜んでいらっしゃったのね」
「はい。しかし、どんなに愛していても、肉体のない私はこの世であなたを幸せにすることができない。だから、ご主人との幸せを祈り、あなたに会いたいという想いを封じました」
私は立ち尽くし、ぽろぽろこぼれる涙を止めることができませんでした。そんな私をあの方は優しく抱擁してくださいました。なんと温かくて安心できる胸だったことでしょう。少女のような純粋な気持ちになりました。それなのに、あの方はこうおっしゃったのです。
「花江さん、そろそろ帰った方がいいようです」
なぜ? やっと会えたのになぜそんなことを言うの? 私はそのままいつまでも一緒にいたいと思っていました。しかし、次の瞬間、あの方が私の手を握ると、またあのめまいが私を襲いました。
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