夜の影
屑原 東風
夜の影
20歳の頃、僕は不思議な体験をした。
今となっては笑い話にしてしまいたくなるみたいな、そんな体験。聞いたらきっとそれは夢だと笑う人が出てくるかもしれない。僕もたまにそう思うけれど、けどあれはきっと、夢じゃなかったんだ。
新作ゲームの発売日。それは本当に、ずっと待っていたゲームだった。長年続いているシリーズ作品。前作の続き、ではないけれど考察隊曰くゲームの所々に過去の要素が隠れていたりしているとか。昔から、本当に人気のゲームだったから予約していたがそれでも早く手に入れたくて、学校がある日よりも早い時間に起きて、寝間着を脱いで、あらかじめ前日に準備していた服に着替え、上からジャンパーを羽織り財布と携帯をポケットに突っ込んでからまだ薄暗い外へと飛び出した。
吐いた息は白い。吐き出した白いもやを駆ける足で後ろに置いてけぼりにしながら走る。準備運動もしてなくて、そんなに運動も得意じゃないのにこういう時だけぐんぐんとスピードが出る。冷たい空気を吸い込んだ肺が痛む。鳩尾あたりがきりきりと痛みそれを片手で庇いながらも足を止めなかった。気持ちが身体を引っ張っていく。
息を切らして辿り着いた店の前にはもうすでに列ができていた。先頭に立つのは僕よりうんと歳上のおじさん。何時から並んでいたというのか。まだ店のオープンには2時間近くあるというのに。しかし今日が休みだから仕方のないことでもある。みんな同じ目的なのだろう。自然と出てきた唾を飲み込んで、列の最後に並んだ。走っている時は心が躍り、そんなことは考えれなかったが今は汗が急激に冷えて寒い。カイロの一つでも持ってきたら良かったと後悔した。
待ち時間は、携帯のアプリゲームやSNSを眺めながら潰した。2時間は決してあっという間、ではなかったが、僕の後ろに次々と人が並んでくる。狭い駐車場にも車が停まって既に満車だ。早めにきて良かった。予約券があるから売り切れになることはないが。それでも早く手に入れることができる。
そして、2時間後。この瞬間を待ちに待っていた。後ろから押してくる人達に文句を言いたくなるが、気持ちは分からなくないからその流れに身を任せつつレジへと向かう。笑顔の引きつっている店員から受け取ったそれを手にさっさと店を出た。
さっそく携帯を取り出してシャッターを切る。SNSを開いて呟く。
ことね@今日発売日 @koton
発売日当日!ゲットしたぜ!早速帰ったら実況撮っていくよ!
【画像】
【9:45 20××/1/23】
32リツイート 50いいね
遊ぼ遊ぼう @haru 1分前
@koton ことね!待ってた!
ととくら @to_cyan 1分前
@ koton 朝早くから乙!風邪ひくなよ!実況楽しみにしてるぞ!
あみ@実況見てる @amiami 1分前
@koton 今日うp予定??楽しみにしてますー!
さっそく反応が返ってきてニヤつく頬。みんな楽しみにしてくれている。写真一つでこれだ。ゲーム実況一年目。まだまだ活躍しているプロの人達には敵わないが、それでも少しずつだったが伸びてきている知名度。いつか誰かとコラボとかしてみたいと思う。高望みをするのはいけないことではないはずだ。
宣伝も終わった。家に帰って早く撮ろう。帰ろうとしたその背中に、何かがぶつかった。
それは一瞬だった。まるでアニメのワンシーンのように。写真を撮るために片手で持っていたのもいけなかった。手に持っていたそれをコンクリートの上に落とす。よろついた足でそれを思い切り踏んだ。
時は止まる。僕の時だけが止まる。足の下には発売したばかりのゲーム。僕にぶつかったであろう人の姿はもう見えない。店の入り口で写真を撮っていた僕もいけなかった。邪魔になるのはわかっていた。写真なら家で撮れば良かった、たったそれだけの話だった。足を退けてそれを拾い上げる。恐る恐るパッケージの封を爪で切ってそれを開けた。中身は無事、ではなかった。小さなディスクは3分割。細かな破片が内側にくっついている。ゲーム入手後およそ5分後にそれを失ってしまった。税込み4980円を、こんな簡単に。これは、店の人に言った方がいい。もしかしたら新しいものと取り替えてもらえるかもしれない。
開けたままだったそれを閉じて、店へと足を向かわせようとすると、すれ違うように出てくる人達。その表情は、暗い。
「完売しましたー!ありがとうございまーす!」
その人達の後ろにこの寒い時期に汗を流す店員。完売と、今はっきりと言った。
完売、そうだ。当たり前だ。並んでいた僕の後ろに並んでいた人達。1人1ソフトだけじゃなかったかもしれない。予約ばかりじゃなかった。予約をしてなかった人達も当然ながら並んでいた。その人達が買った。だから売り切れた。人気のゲームだ。それくらい競争率が高いのは分かり切っていたことだ。
今戻ったところで新しいソフトは手に入らない。次の入荷も未定だろう。返品という手もあるのにそれをせずにソフトを握ったままほかの店を渡り歩いた。どこの店も完売の文字。
実況が出来ない。その事実だけが頭の中を回る。それをSNSで呟くか。そんなのは出来ない。格好悪すぎる。せっかく名前が伸びてきたんだ。ダサいなんて2つ名が付くのは避けたい。
「ねえ、君も探してるの?」
「……は?」
後ろから話しかけられる。だいぶ低い位置で聞こえた声に振り返ると、案の定そこに立っていたのはランドセルを背負い黄色い帽子を被った子供。ズボンを履いているが、帽子で全部隠れていて男の子か女の子かはわからない。
「なん?迷子、か?お父さんかお母さんは?」
「君も探してるの?」
人の話を聞かないタイプの子どもらしい。真っ直ぐな目で僕を見てくる。子供の純粋すぎる眼差しは好きじゃない。そもそも僕に話しかける小学生の図は危ないものなのではと思う。ショタコン、ロリコン、どっちも嫌だ。
「あのね、僕はちょっと今悩んでて、君の質問に答えるのは…きっと迷子だろう?一緒にお巡りさんのところに行こう?」
これからどうするか考えなきゃいけないのにこんな所で時間を潰している余裕なんて僕にはこれっぽっちもないのに。それをおくびにも出さずに精一杯の笑顔を向けた。早く警察に渡してしまおう。そして僕は失ったゲームをどうするか考えなきゃならない。
「あるよ。ゲーム」
子供はさらりと口を開く。飴あげようかと言うみたいに。見せてきたのは、確かに僕が踏み潰したゲームと同じパッケージだった。ああなるほど、この子は僕と同じようにゲームを買いに来た口か。どうやら迷子ではなかったらしい。
「へえ、ああそう良かったね。じゃあ迷子じゃないんだね?なら早く帰りなさい?家までは1人で帰れるかな?」
関係ない子供に苛立ってどうするんだ。けれど羨ましいと思わなくはない。きっと帰って新作のそれを楽しむのだろう。この作品は大人から子供まで楽しめる仕様になっているから。
「お兄ちゃんにあげようか?」
「…はい?」
何を言っているんだ、この子は。はい、とそれを僕に押し付けてくる。
「い、いや、要らないよ何言ってんの」
子供の手を押し戻す。歩く人達が僕達を、主に僕を不思議そうな、そう例えば不審者を見るかのようなそんな目で見ているのをひしひしと感じる。勘弁してくれ、今のこの状況を見れば僕がそれをくれと言ったみたいじゃないか。
「それは君のゲームだろうっ、簡単にあげるとか言うな、親に教わらなかったのか?」
「聞いたけど、でもいいの。はい」
それでもなお僕に渡そうとする。この子供の意図がわからない。時々子供は不可解な行動をする時があると聞いたことはあるがこれは不可解すぎる。僕にはとても理解ができない。
「あげる。その代わり、お兄ちゃんの時間をちょうだい」
「じ……は?」
時間をくれ、とはどういうことだろうか。創作とかでよくあるような、寿命と引き換えに、なんていうことだろうか。そんな死神みたいなことはあるはずがない。だってここは物語の中の話ではない現実の話なのだから。そういうのは小説だけで充分である。
なら、と。考えられるのはもう1つだけ。時間。それは、パパ活みたいなものなのだろうか。こんな小学生がそんなことを。
「だめだ!子供がそんなことしたらっ!」
「私と一緒に遊んでよ!お兄ちゃん!」
「もう少し大人になってからっ…は?」
「だから、一緒に遊ぼよ!お兄ちゃん!」
にこりと笑う。一人称は『私』。ショタではなくロリだった、が僕の手を少女が掴む。よろよろと引かれるがままに付いていく。僕の身長を遥かに越している大きな両開き扉の前、小さな手に鍵を握り鍵が解錠される。重たいのだろうその扉を身体全部を使って押し開け、今度は僕の背中に回り入って入ってと背中を押される。横に目を向けると入り口を囲う奥が見えない壁。
「まって、ここどこもしかして君の家?」
「うん、そうだよ!早く、遊ぼう?」
立ち止まることも許されずに足を踏み入れる。20歳彼女なし。初めて入った女の子の家は馬鹿みたいに広い大豪邸でした。そしてなんと相手は小学生というびっくりニュースです。僕のロリコンが確定した。
驚いたのは敷地内だ。修学旅行の時に見たような庭園。人工芝生が敷き詰められ、池もありそこでは鯉が泳いでいる。奥に見えるのは偉人の名前が入っててもおかしくないくらいの大きさの家、家というよりもはや屋敷。外から見てもおかしかったが中に入ればよりわかる常識外れの敷地内。引き返したい気持ちしか出てこない。ゲームはもう諦めるので家に帰りたい。これは夢だったと逃げてしまいたい。
「あ、靴は脱いでね」
「ハイ」
堂々と玄関から入る。「お邪魔します」と言った言葉に返事はなかった。返事がない、というより他の気配がない。この子以外の存在を感じない。
「ねえ、君。両親は?」
「はい!ここだよ!」
話の流れからして両親がそこにいるのか、と身構えたがそうではなかった。連れてこられたのは、4.5畳くらいの部屋。テレビとテレビボード。簡素な机とゲーム機本体。あるのはそれだけ。なんだか家にある自分の作業スペースを思い出してやっと少し落ち着いた。
「一緒にゲーム、しよ」
ここまで来たら逃げるなんてことはしなかった。それは少女の持つ新作ゲームが欲しいからという理由ではない。時間をくれと言った。だから、この際もう一緒にゲームをしてやろうと思ったのだ。
ジャンパーを脱いでからその場に座って、置いてあるソフトを見るとどれもこれも僕の持っているものだった。
「僕、手加減できないけどいい?」
「うん!私も強いよ!」
それは楽しみだ、と持ち主である少女に許可を取りゲームを起動させる。格闘バトルゲームだ。強い、と自負していた少女の実力は、確かに強かった。僕がよくやる撃墜もされた。それも僕より上手に決められる。僕がオンライン対戦でしていた時に当たったVIPクラスくらい上手かった。けれど僕も負ける訳にはいかない。対戦歴1000戦突破の実力をなめないでほしい。
5戦し、結果は全部僕の勝利に終わった、のなら良かったのだが、5戦中2戦負けた。少女は普通に強かった。
「すごっ…ねえ、オンラインとかしてたの?強いよマジで!」
「ううん、誰ともしたことないよ。1人でしてたの。えへへ、嬉しいな…」
なんと対人戦はしたことがないという。僕にも一緒にゲームをする友人はいないので専らオンラインに潜ってばかりだが、CPUだけ相手にしただけでここまで上手くなるものなのか。
「他のゲームも上手いの?」
「うん、上手いし、強いよ」
ホームボタンを押して戻り、他のゲームと入れ替える。次に僕が選択したのはレースゲームだ。ハンデが必要かどうか聞こうと思ったがきっとこの子には必要ない。本気で行こうと思った。スタートダッシュもきちんと決めてドリフトもガンガンしていたのに、あっさりとインコースから抜かれる始末。ハンデなくてよかったと安心しつつ全く安心できない状況にスピードアップアイテムを手に入れてゴール直前の直線でぶっ放した。ほんの数秒の差で勝利。危なかった、とまさに手に汗握る戦いを終えて滲む手汗をズボンで拭った。
「ほんと強いね。あっぶなかったー」
「お兄ちゃんも強いよ!すごい!」
普通ならなんて生意気な子供だ、となるところだが実際に少女は強い。相手が小学生だというところに、やはり年齢の差もあり悔しさが湧いてくるが。それでも彼女は大会とかに出てみたら普通に上位に食い込めるほどの実力だと思う。
「あ、そうだ」
携帯を取り出しアプリを開く。それは録画アプリだ。これだけ上手いプレイヤーと一緒にしているのだ。後で自分のSNSに投稿しようと考えたのだ。今日の新作が投稿できない代わりにと。
適当に置いてあった箱を取り、携帯が立つように設置し録画の赤いボタンを押した。タイトルはそう【子供だと思ってなめてたらむちゃくちゃ強かった】なんてタイトルで。
「もう1戦しようか!」
少女より僕の方がむしろ今は躍起になっていた。どう見られても構わない。今は上手いプレイヤーとしたかった。少女はうん、と大きく頷いてコントローラーを握った。
先ほどと同じコース。今度は僕がトップに躍り出ていたのに、後ろから猛スピードで抜かされて表示された順位は2位。僕が行ったものと同じ手法で抜かされた。侮れない。
「えへへ、勝っちゃった」
子供らしく笑う。格闘ゲームでも全勝できず、レースゲームでも同点。そろそろ僕の立つ瀬がなくなりそうだった。違う、対戦ゲームをしてるからそう思えるだけだ。
そうだ、と今度は2人で協力できるゲームを起動させた。これなら負けた気にもならないだろう。
どうせなら僕がサポートしてやればいい、と思っていたのだが、はっきり言って少女のプレーはサポート要らずだった。普通にガンガン進んでいく。僕より先に進み罠を壊したり、協力して破壊する罠もベストタイミングで来てくれる。そんなサクサクプレーを魅せられて黙ってはいられない。僕も少女より先に進んでその実力を見せつけた。その度に少女は楽しそうにしており、僕も気付けばつられて笑っていた。
時間はあっという間に経つ。朝訪れたはずなのに気付けば夕焼けが部屋の中を照らしている。
「本当に、君はゲーム上手いね」
それはもう悔しさも通り越して感心すらあった。
「君がゲーム実況者ならきっとすぐに人気になるだろうね。僕の人気なんてあっという間に抜かされちゃいそうだ」
小学生実況者も中には存在しているくらいだ。少女がいてもなんらおかしくはない。
「もし、君がゲーム実況を始めたら僕とコラボしようよ。僕の初コラボは君がいい」
どこかの有名な実況者ではなく、この目の前の少女がいい。実況をしてくれと言っているように聞こえるだろう。そうだ、僕はそう言った。彼女が有名になる前に知り合っていたらいいと思ったから。
「……できたら、いいなあ」
「?」
「なんでもないよ。そろそろ時間だね」
「時間?」
「うん、もう充分お兄ちゃんの時間をもらったからさ、もう、大丈夫」
確かにもう遅い時間だ。ゲームの電源を落とした少女は僕の手を引く。慌てて携帯とジャンパーを掴んで一緒に玄関へと戻る。
「お父さんとお母さんが来ちゃうから」
「ああ、帰ってくるんだね」
ああ良かった、と胸を撫で下ろす。この家に子供が1人きりで暮らしているなんて非現実的なことかと思った。こんな家に住んでいるくらいだ。両親が夜まで働いているのだろう。
「そりゃ、帰らなきゃだ。見つかると怒られそう」
「っ、あ、そうだ…ゲーム」
「いいよ、要らない。僕も楽しかったし」
「でも……」
「うーん…じゃあさ、今度!今度一緒にそのゲームをしよう!僕もちゃんと手に入れるからさ!」
今室内に戻ったら、帰ってきた両親と鉢合わせでもしてみろ。怒られるだけで済んだらいいが、警察を呼ばれた日にはSNSで炎上どころの騒ぎじゃない。僕の今後の生活が心配される。
「あ、そうだ」
財布から自分の名前とSNSアカウント名が書かれた紙を取り出す。所謂名刺というものだ。実況始めてまもない頃に作ったものだ。イベントなどに参加しつつ配って名前を広げるために作成した。
「もし、携帯とか持ってたらフォローしてよ。フォロー返すからさ」
そろそろ本当にこの子の両親が帰ってきてしまうだろう。僕は名刺を彼女に押し付けて走り出した。見つかったら厄介だ。早めに逃げてしまおう。
「あ、そういえば」
あの子の名前を聞いていないし、僕自身も自己紹介をしていないということに気付いた。半日近くも一緒にいたのに、だ。
ねえ、と振り返る。そこに、もう少女の姿はなくなっていた。
その1ヶ月後、仕事が休みの日に僕は再び少女の家に来ていた。最近の小学生は携帯くらい持っているかと思ってSNSでのフォローを期待したが来ず、それどころか新作ゲームを結局実況できなかったせいでフォロワーが減る始末。
だから来た。来たのだが、おかしい。
「売家……?」
あの日、確かに一緒に入った玄関に貼られた紙に書いてある文字。こんな大きな屋敷が売り物になんてなるかとボヤきたくなるが、そんなことより、売られている。少女の家が。
「おや…千堂さん家になんかようかい?」
「へ、あ」
突然声をかけられて声がひっくり返ってしまう。慌てて咳飲みながら、話しかけてきたおばさんを見る。「この辺じゃ見かけない顔だねえ、」なんて言う。そりゃそうだ。この地域は僕の家からは少し離れたところにあるし僕もおばさんのことは知らない。
「千堂さん家……?」
「なんだ知らないのかい。千堂って言ったら有名だろう?資産家で、…こんな大きな家を建てれるんだから凄いわよねえ。それも全部娘のためにって、親バカというかなんというか」
「娘って、もしかして小学生くらいの?」
「おや、…?千堂さん家のことは知らないのにハルちゃんのことは知ってるのかい…いったいどういう関係なんだ…いや、…まさかアンタ…」
おばさんの顔が途端に険しくなる。これは疑われている。
「ち、ちちち違います!うちの甥が、…そう甥がハルちゃんと同じ学年で!はー、あの子の苗字、千堂だったんですねえ」
苦し紛れの嘘。僕に甥は確かに存在するが既に高校生である。小学生であったあの子とはなんの関係もない。まだ怪しんでいるようだったが、それ以上追求されることはなかった。
「まさか、幼い娘を亡くすなんてねえ。ハルちゃん、まだ1年生だったのに」
「なく、す……?」
「そうだよ、頭の病気でね。亡くなったのは、丁度1ヶ月かな…。ほら、うちの子も言ってたなんとかってゲームの発売日だった。駄々こねる息子引っ張って挨拶に行ったんだよ」
「1ヶ月って、…いやいや…」
ゾッとした。1ヶ月前は、僕は少女とこの家でゲームをしていた。
その少女が亡くなった。僕にあった日に。1ヶ月前に。
「長い入院生活だったからね。最後の3日間なんて病院から出れなくて…」
そんなわけない。僕は少女と会ったのだから。鳥肌が治らない。なら、僕が会ったのは、いったいなんだというのだ。
「…大丈夫かい?顔が白いが…」
「…だい、じょうぶです。大丈夫…」
おばさんは最後まで不審者を見るような目をして去っていった。僕はその場から動けなかった。嘘をついた。全然大丈夫なんかではない。今にも倒れてしまいそうだ。僕は、亡くなった人とゲームをしたというのか。
恐怖ももちろん感じたが、それ以上の喪失感が僕を襲っていた。
あの後、どうやって家に帰ったかわからない。気付いたら自室のベッドに横になっていた。ゲーム実況の撮り溜めもしようと思っていたがとてもそんな気分にはなれない。あの子はもういない。
携帯を開いてあの日に撮った動画を見ようとしたが、どこにもなかった。間違えて削除したのかと思ったが、見当たらない。少女のいた痕跡はデータの中に残っていない。
一緒にゲームをすることは、もう出来ない。
テーブルの上に放ったままだった携帯が光っている。泥のように重たい身体を起こしてそれを手に取る。どうやら配達通知のようだ。取りに行くのは億劫だと思ったが、それでも僕は受け取り場所である最寄りのコンビニに向かった。
受け取り番号を入力し排出されたレシートをレジに持って行き、レシートの代わりに荷物を店員が持ってくる。郵便局マークの入った小包。それをそのまま持って帰り、封を雑に割く。
僕は心臓が止まりそうになった。
「なん、…で…」
それは僕があの日踏み潰して壊した新作ゲームのソフト。その新品が入っている。あの日の翌日僕は壊したゲームを、買った売り場に持って行った。同じだけの金額を取っていいはずなのに、保証期間だからと入荷し次第新しいものと交換してしてくれることになった。当然、入荷は未定で未だ届いたなどと連絡はない。そもそも郵送でコンビニに届くはずがない。
それ以外に僕は他のネットで注文していない。なら、これはなんだ。
入っていたのはソフトと、それから手紙だった。震える手で封を切る。ウサギの絵が隅に入った可愛らしい便箋。
『初めまして。突然のお手紙お許しください。私は千堂日向と申します』
千堂。
それはあの少女の、ハルの苗字と同じ。
『貴方のことは娘のハルからいつも聞かされていました。ハルはいつも言っていました。いつか貴方とゲームをしてみたいと』
『ハルは、貴方がゲームしている姿を見ている時は本当に嬉しそうで。実況を見ながら同じやり方をマスターしていて。貴方の実況だけが、あの子の生きがいでした』
『最後に、ハルが亡くなった当日に購入したゲームを一緒に送付します。貴方の実況を見ながら、同じタイミングでゲームをしようと、意気込んでいたのですが』
『ご迷惑であれば、捨てて頂いて構いません。しかし、娘の気持ちだけでもせめて受け取っていただければと思います』
『ありがとう、貴方がいてくれて良かった』
手紙の最後に綴られていた名前は、僕のSNSアカウントの名前だった。
少女の母親はこれを僕のSNS宛で郵送したのだろう。そして、こうして僕のもとに届いた。
今の時代、便利だ。本当の住所が分からなくても物が届く時代なのだから。
手紙には、微かに濡れた跡が残っている。少女の母親は泣きながらこれを書いたのだろう。誰とも分からない僕に向けて。それでも娘の気持ちを書き連ねようと。
「生きがい……かあ、」
そんなこと言われたこともなかった。実況を楽しみにしている、というコメントはもらったことがある。それでも、生きがいなんて、言われたことはない。今まで1度だって
そんな言葉を言われたことはない。
少女と過ごしたのはたった半日だ。
けれど僕は知っている。少女がとても強かったこと。もし僕の実況を見て、それから上手くなったのだとしたらそれはとても嬉しいことだと思った。
そう思ったら捨てるなんてできなかった。けれどその封を開けようともならなかった。このまま残しておく。新しい、同じゲームが届いたら、一緒に並べよう。
それから実況を撮る。少女が楽しんでくれていたゲーム実況を撮ろう。
そしていつか僕が有名になったその時はそっちから見えるように。
【通知1件】
遊ぼ遊ぼう @haru
@koton ありがとう、お兄ちゃん
夜の影 屑原 東風 @kuskuz
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